2020年6月2日火曜日

裁量の範囲

季節的なものかも知れぬが、コロナ騒動がやっと落ち着いてきたようで結構なことだ。街の人出は明らかに増えているし、店も80%程度はオープンし始めた。外出自粛は人生で初めての経験だったが、改めて気づいたことも沢山あった。最も重要に思えるのは、社会公共と個人の自由の関係。かなり自由奔放に生きてきたが、それには限度が必要であること。死ぬのは嫌だから問題ないかも知れぬが、たとえ個人的にいつ死んでも構わないなんて考えることは社会の一員であれば許されない。

だからかなり公の要請に従った生活をしてきたが、マスクの着用だけは公共交通機関を利用する時以外にはしなかった。昨日から都内の緊急事態宣言も緩和のはずだが、マスクと入店時の手の消毒は先週より厳しくなっているのだから可笑しくなる。行きつけの昼飯屋のオヤジも嘆いていた。「昨日から客足がばったり減ってしまった。」とのこと。オープンした店が多いのだから仕方ないだろう。

話を戻して、裁量の自由についてである。今回は国が先ず緊急事態宣言を発出して、それに各都道府県知事が応え、更にその下の市区町村が応じた形になっている。しかし、これは形式上のことであり、実態的には北海道や和歌山、大阪のように知事レベルが国に先んじて動いたり、都内では区長レベルが都の要請とは別の動きをしたところもある。市民に近い自治体ほど情報公開が分かりやすく、従って市民に対する要請も適切であった。

戦後75年経過し、新憲法発布以来でも73年になるのだろうが、中央集権とばかり思っていた日本の行政が全く機能しないのを見せつけられたのも初めてだし、マイナンバーの象徴される国の行政システムが、如何にご粗末であるかも露呈した。にも関わらず国は相変わらず、コロナ対策の給付金配布に関して怪しげなインチキ法人「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」を立ち上げ、国から14件1600億円 もの大金を流すこと決めた。

正に焼け太りを狙う懲りない面々、竹中平蔵のパソナやトランスコスモスはいつものことだから措くとして、広告会社の電通が名を連ねている。察するに1600億円のこねくり回し方をリードしているのも電通だろう。現役時代の同業者でもあり、いろいろな付き合いもしてきたが、悪さには益々磨きがかかっているようだ。

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