2013年4月25日木曜日

「主権回復の日」記念式典

何年か前の8月15日の日記で、終戦記念日という言い方はおかしくないか?真の意味での終戦はサンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日ではないかと書いたことがある。しかし今にして思うと、これが誠に中途半端な知識によるもので、恥ずかしい限りだ。言い訳めくが、我々は日本の近代史について学校で教えられたことはない。1952年と言えば中学1年生か、家で親子7人がやっと三度の銀シャリを口にすることが可能になった頃であろう。

父も復員して5年か6年は経っていたろうが、親も子も毎日の暮らしで精一杯だったのだろう、学校でも教えない戦前のことなんか誰も口にしないし、東京で行われていたであろう政治のことなんか話題になった記憶は全くない。戦争はとっくの昔に終わっていたし、長野に進駐していた占領軍について記憶にあるのは志賀高原のスキー場で、あちこちに進駐軍専用の看板があり日本人が排他的に扱われていたことぐらいだ。講和条約の発効でこれがなくなり、スキー場のリフトに日本人も乗れるようになったのだろうが、当時理由を理解できていなかった。

多分当時は、大人でも日常生活に影響が無ければ、政治における外交問題なんか全く関心を持つ余裕も必要もなかったのではないだろうか?少なくとも遊ぶことにしか関心のない、お馬鹿な中学1年生にとっては全く関係のない話である。それがそのまま大人になって講和条約本体さえ知らないのだから、同日交わされた日米安保条約 (旧)なんぞ知る由もない。70歳近くなってこの講和条約で一応戦争状態が終結したと知ったつもりになっていたわけである。

市井の一老人が勘違いしていても日本国にとって何の影響もないが、国の外交について責任を負わねばならない政治家が、歴史を正確に知っていないととんでもないことになる。例えば、靖国神社春の例大祭に総理が真榊を奉納したり、首脳や議員が大挙して参拝したりすることに中国や韓国が批判的になっている。これに対して政府は明らかに上から目線で開き直っている。アメリカもあまり愉快に思っていないようだが、本気で文句を言ってきたらどういう態度に出るのだろう?

また政府は4月28日に「主権回復の日」記念式典を行うと閣議決定したことで、沖縄の地元を含め強い反発が出ると、5月15日の沖縄本土復帰を記念した式典を検討してみたりしている。(結局は取りやめざるを得なくなり二重に醜態をさらしている)己の反省を踏まえて言えば、先の大戦はまだ完全に終結はしておらず、対戦相手の一部の国とは終戦になっているが、最大の敵国アメリカとはまだ終戦に至っていないのだ。旧と新の安保条約締結にサインした吉田茂、岸信介の孫が揃って総理副総理になっているのも奇縁であろう。

自主独立を目指しながら、涙を呑んで署名せざるを得なかった祖父たちの無念さを本当に知るならば、今日のように愚かな判断は出てこない筈である。

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