2013年4月19日金曜日

結婚記念日

本日は結婚記念日、自分のことながら44回目ともなれば先ずは目出度いとしていいだろう。44年前の1969年4月19日もうすら寒い日で、婚礼を挙げた長野市内に確か雪が降ったような記憶がある。更に記憶を辿れば、式と披露宴は当時長野市内の繁華街権堂の料亭「富貴楼」の座敷だった。昨今は婚礼をする場所には神社や教会が用意されているが、当時はまだそれが無かった。

現代風に言えば人前式、座敷に両家の者が向い合せに座り、その前で祝言の杯を交わしてそれで終わりである。酒を注ぐのは料理屋の女中さんだったと思うが、脇に親戚の伯父さんが座って肴と称する謡曲「高砂」を謡ってくれたものだ。後は既にお客さんがお待ちの大広間に移っての披露宴。乾杯が終わると10数人の芸者が入っての宴会となった。披露宴は100人前後だった思うが、今風と少し変わっていたのが新婦側の出席者はごく近い親族だけであったこと。

確か「見立て」とか言う方式で、新婦側は新婦側で既に披露宴的なものを実家の方で済ませていた筈。従って客の殆どが小生の関係者だったから、宴席も大いに乱れた。誰かが心配して膝下に杯洗を用意してくれたが、受けた盃はそこに流すことなく、強か飲んだような気がする。全ての記憶は霞の彼方に茫漠として曖昧ではあるが、その日のうちに東京から来てもらった大学時代の友人と同じ列車で、合席しながら東京の自宅に帰ってきた。これが新婚旅行では余りにも芸が無さすぎるので、翌日は都内のホテルに宿泊して翌々日帝国劇場で当時の染五郎(今の幸四郎)と草笛光子主演の「ラ・マンチャの男」を観劇。

その次の日には会社に出勤して、それから毎晩のように若い社員を自宅に連れ帰って宴会をつづけたと思う。中には新婚家庭の応接間に小間物屋を拡げてくれた強者もいた。彼は未だ現役で活躍しているが、我が家で昔話になると必ず出てくる笑い話である。兎に角最初の会社を辞める47歳までは、会社のことしか頭になかった人生だった。今では夫婦の会話の大部分を占めるのが孫のことと至って平和である。往時を偲ぶとモーレツサラリーマンだった自分も偉いと思うが、黙ってついてきた婆さんも偉かった。

2 件のコメント:

かをる さんのコメント...

お久しぶりです。
44回目の記念日、本当にご夫婦揃って迎えられたこと
喜ばしいですね。
おめでとうございます。
読んでいて、私も数年あとなのでよく似た情景を思い出しました。
私なんか家でした。それも昼と夜の二度もあって
夫にはほったらかされてて悲しかったのを思い出しました(笑)懐かしい想い出ですね。
爺さんとちがうところは、私はひとりで回想です。

senkawa爺 さんのコメント...

かをるさん
 レスが遅くなりまして失礼しました。
久しぶりにコメントを頂きありがとうございます。
我々が結婚したての頃は、全国的に奥方に苦労を掛けた時代だったかもしれません。でもご主人様きっと外で懸命に働くことが亭主の義務と考え生きていらしたと思います。家庭を顧みないように見えても、それが家庭平和にとって一番だったのではないでしょうか。
憶測ばかりで済みません。