2013年4月6日土曜日

4月の給料袋

浮世離れした生活になると新聞やテレビの報道に接しても、直接関係の無さそうなこと故に切実感が湧かず、消化不良即ち本当の意味を理解していないことが多いように思う。特に昨今話題になる景気が悪いとか、景気が良くなりそう、といった話は全然分からない。50年前に飛び込んだサラリーマン現役時代から、正直なところ好景気を実感したことが無いからかもしれない。

こんな風に書くと、働き盛り世代から「とぼけたことを言うんじゃない!」とお叱りを受けるかも知らぬ。確か給料がアップしなかったことは最初の転職のとき以外に経験したことが無い。昭和30年代後半からの高度成長期の恩恵をもろに受けたのも事実。昭和38年から62年まで在席した会社(広告業)は、今にして思えば毎年売り上げも利益も向上して社員も増え、給料もそれなりにアップしていった。ここを62年に辞職して以降は波乱万丈の意味もあるが、給与所得と縁が無くなって数年経つので、言及しない。

最初に25年勤めた会社は典型的な中小企業、労働組合なんてものは無く、4月の給料袋を開いて初めて、「今年はこれだけ上がったか。」或いは「これしか上がらなかったか。」と腹の中で思うだけだった。第一、毎度聞かされている社長の訓示で「今年は(或いは来年は)幸い景気が良さそうだ。」とは一度も聞いたことが無く「また景気が厳しい中だが諸君には頑張ってもらいたい。」と言ったことしか聞いたことが無い。そして受け止める側の実感としても全く違和感がなかったのも事実だ。

余り関心が無かったとはいえ、当時も世間には春闘があり、その報道を思い出しても、日経連(現在は経団連に合併されている経営者側)が労働側に言うセリフは「今年は厳しい」が決まり文句であったように記憶する。詳しい内容については注意も払っていなかったので曖昧だが、当時の労使交渉はいつも100円玉数枚が争点であり、なんでこれぽっちのことで芝居じみた大騒ぎをするのか不思議に思ったり、組合のあるような大企業の連中に内心同情したりした。そんなに太っ腹とも思えない自分の会社の方がずっと気前が良かったように思えたのだろう。

ところが今年は「春闘は満額回答が相次ぐ」と報道されることが多い。こんな表現に接するのは、何と言っても半世紀の間に見たことも聞いたこともなかったので、正直びっくりした。景気が良くなる兆しが何処かに見えるらしい。冒頭に書いたように、浮世離れのせいだけではなく、春闘と無縁のサラリーマン生活でもあったので実態も理解できないし、実感が伴わないだけのことなら結構な話だ。家の近くに魚屋さんも八百屋さんもあった時代の記憶が脳裏に焼き付いているのだろう。どうしても現代の雇用関係、労使のありようが理解できないので困ってしまう。

生半可な理解だが、最近は百数十万あるといわれる中小零細企業の経営が妙に大変と聞く。大企業だから安心とも言えないのだろうが、我々の時代と何かが違う。

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