2011年6月27日月曜日

超常現象

未だ真夏にはなっていないが、超常現象について思いがよぎった。昨日早朝、全く突然に、婆さんが一番仲が良かった従姉の訃報がもたらされた。何かにつけては電話し合って互いの家庭事情もよく理解し、亡くなった方がお箏の師匠をされていたので演奏会には必ず足を運んでいた。婆さんもさすがにびっくりした様子で、しばし呆然としていたが、どうも昨日から身体の調子が変で、思い当たる節がないので不思議に思っていたとの事だ。妹さんからの連絡だったが、前日が故人の73歳の誕生日でお孫さんからお祝いの電話を貰って機嫌よく就寝したのに、今朝になるとそのまま冷たくなっていたそうだ。持病がなかった訳ではないが、それにしても全くの突然であった。

我が家の婆さんはかなり元気で、結婚以来出産や怪我で入院はあるが、具合が悪くて寝込んだりした事は全く無い。それが何故か知らぬが電話を受ける前の日から、お腹が痛くて何も喉に通らなかったそうだ。婆さんはこれがいわゆる「虫の知らせ」に違いなかったと言う。今朝になると先方の葬儀の段取りも決まり、婆さんの身体も元に戻ったようなので一安心ではある。

それにしても世の中には不思議な事が沢山ある。子供の頃に大人が怖い話を沢山聞かせてくれたので、小生すごく怖がりである。その性格の所為もあるが、今までに何度か不思議な経験をしている。昔山小屋に一人寝をした時遭遇した金縛りは、気が小さいので昼間の怖い体験を脳が引きずっているのかもしれぬ。山で道に迷った時に、なんでこんななところで人に会うのかなと不思議に思いながらも、その人が引き返すように言ってくれて遭難を免れた事もある。今でも非常に鮮明な記憶は小学校3年生ぐらいの時の事だ。

当時は外で遊ぶと言ってもする事は殆ど無くて、近くの師範学校の校庭や校内にある大きな木に登る事が楽しみだった。ある日一人で中でもひと際高い木ののてっぺん近くに登って、1本の枝にぶら下がりターザンの気分に浸っていた。その瞬間枝がぽきりと折れ、重力の法則に従って身体は下の地面に叩きつけられる筈で、一瞬気を失いかけたような気がする。ところが、誰かが落ちて行く身体を受け止めてくれたような気がした。ふと我に帰ると、握っていた枝が一番下で張り出していた太めの枝に引っかかり、地上すれすれのところで身体が止まっているではないか。

今にして考えれば、大きな銀杏の木だったので枝がたっぷりあった事、ぶら下がった枝を握ったままだった事がたまたま重なっただけで、誰かの腕や手と感じたのは木の枝や葉っぱだろと言う事も可能だ。婆さんの腹痛もたまたま何か別の要因があったのかもしれない。しかし40歳を過ぎてから次の話を聞いた時は全身寒気が走った事を忘れられない。会社の部下だった青年が学生時代に友人と沖縄旅行をして、とある洞窟で記念写真を撮ったそうだ。帰宅後写真屋に現像を依頼して出来た写真を見ると、仲間の後ろにはっきりと兵隊さんが3人写っていたそうだ。皆笑顔で1人は煙草を吸っていたそうだ。

彼もさすがに怖くなって、お寺に持って行って納めてもらったらしい。これを書いていても少し寒気がしてくるが、これはたまたまこうだったという理屈がどうしても見つからないらしい。何の機会に出た話かも忘れたし、実物写真を見た訳ではないので、真贋の確認のしようもない。しかし彼が私に嘘をつく必要もないし、全くの好青年であった事は確かである。

「天知る、地知る」だ。考えてみると、ここ千年程の科学の進歩なんて如何ほどの事があるのだろう。己の分際と分限を忘れるととんでもないことが起きかねない。

2 件のコメント:

kiona さんのコメント...

自分は親父が死んだときでさえ、何の虫の知らせもありませんでした^ ^ 鈍感だから平気でホラーなんかも見てられるのでしょう^ ^

senkawa爺 さんのコメント...

KIONAさん
コメントをありがとうございます。
私も虫の知らせの経験はありません。個人差が極めて高いから超常現象なんて言われるのでしょうね。