2011年6月26日日曜日

小学生に流行だそうです

今日はプールが休みなので事務所近くのインドカレー屋に行ったら、前の家のお兄さんが小学校6年生の息子さんと来ていて隣合わせになってしまった。息子さんの学校では、夏休みの日光への林間学校が、放射能汚染の関係で中止になってしまったとの事。東京の子供に迄原発事故の影響は確実に及んでいる。困った話で何とかしてほしいが、昨日もこの事故への対応について「水の処理が計画が遅れそう」と報道されると、婆さんが「今までに何か一つでも計画通りに進んだことはあるのか!」と怒っていた。確かにその通りで、東電の発表をまともに聞く気にもならない。

一体、事故処理の指揮者としてまともな当事者能力のある人間は何処に居るのだろう?指揮者もさることながら、実際に現場で作業する人間も相当な人数が必要と思うし、危険性は非常に高いだろう。今月になって、事故発生当初働いていた人の被曝量チェックをしようとしたところ、60数名の所在が確認できないとの報道がなされたが、本当にその程度で済んでるのだろうか。20歳代の頃、工業高校を出た少し上の先輩に話を聞いた事がある。「山奥の飯場(工事現場)の作業員の名前なんて大概いい加減で西郷隆だ事の清水次郎なんてのが多いもんだ。」時代が違うのでかなり管理体制も整ってきているとは思うが、福島にも似たような事情が存在しているのでは、と思ったりしてしまう。

でもそのくらい管理をいい加減と言うか弛めないと、作業員が集まらないのも事実だろう。機材だって一旦原発の現場で作業に関係したものはほぼ永久に他所では使用できなくなるに違いない。太平洋戦争末期に例える人もいるが、相当な消耗戦になっているのも間違いなさそうである。顰蹙を買うのを承知で言えば、人的資源は全国の刑務所から受刑者にある種のインセンティブを与えて、ボランティアを募集したらどんなものだろうか。幾ら手当を高くしても、自衛隊員や消防隊員だけでは間に合いっこないし、ゼネコンかどこかを通じて何段階もの中間搾取を経て登録される作業員でも、実際は回らなくなってきつつあるのではと心配になってくる。

考えて見れば、あれもこれも全ては指揮官の意思決定に依存する事ばかりで、指揮官不在が如何に大きな問題かが改めて思われる。原発は兎も角、震災復興に関してはやっと専任大臣が置かれる事になった。聞くところによると、専門家が見ると現場で稼働している重機やスタッフは非常に少ない事が一発で分かるらしい。これは地元業者優先と言う事や、行政の事務手続きが滞って予算が決まらい等種々あるようだが、所謂スパーゼネコンが進出できないでいるのは事実らしい。只でさえ100年分の瓦礫を処理する話だ。指導者不在がいつまで続くか分からないが、現地の人は自分が生き延びるのに精一杯だろうから、ルバング島で生き延びた小野田少尉のような気分でいる人も沢山居る事だろう。

最近小学生の間に流行っている冗談だそうだ。
母「太郎、そんな下らないゲームをしていないで、早く宿題をやってしまいなさい!」
太郎「分かったよお母さん、一定の目途がついたら止めて宿題をするよ。」
母「ガーン!?」

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