2011年6月7日火曜日

校庭の使えない小学校

東京は未だ原発事故の影響を考慮しないで済んでいるようだが、事故現場から100キロ圏内の小学校では校庭が使用できない、屋外プールが使用できない小学校が沢山あるようだ。学童は長袖を着て通学するようにとか、こんな状態がいつまで続く事になるのだろう。当然父兄の中には地域を見限って、せめて子供だけは、と疎開させたり、家族で避難する人も出てくるだろう。

小学校は授業だけできれば良しとしたものではあるまい。校庭やプールが使用できない、窓も開けられない小学校なんか存在する意味が無いと思う。文科省が児童の年間被曝線量基準の上限を20ミリシーベルトと発表した時から間違いは始まっている。その後、同じ文科省が基準を変更せず<可能な限り1見シーベルト以下に抑える>と発表したが、子どもの犠牲を見て見ぬふりをする根本は変わっていない。

これが果たして政治であり、行政であると言えるのだろうか。あまりに無責任さに呆れるばかりだ。特に誰もが、政治は弱者の為とか口を揃えて仰るが、国家の政治を見ている限り、7,8百人の政治家の誰一人、原発事故被災者、特に最も弱い児童や子供の事を真面目に考えているとは思えない。テレビ番組に出演すると、その場では児童の健康問題云々と仰るが、国会でしている事は、殆どの政治家が己の立場だけを守る事に専念しているようだ。

口先だけは国難と言いながら、事故現場から100キロ圏内を無人化する必要性なんかは誰も言いださない。少なくとも小生は福島全域か、それに近い範囲を無人化して、福島原発を放射能汚染物の集積地又は処理場にすべきだろうと思っている。何をしでかすつもりか知らぬが、1年や2年で解決する問題であるなら気安く「国難」なんて言ってほしくない。子供をまともに育てる事が出来ない家庭は少ないと思うが、国家が子供をないがしろにしているのだから、出生率なんか上がる筈が無かろう。

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