2021年1月18日月曜日

農耕民族型

 父は終生信州で都市生活者だったが、生まれも育ちも当時は小県郡、現在は上田市の片隅の農家出身。祖父様から譲られた田畑は先の大戦で軍属ではあったものの、戦後捕虜となって出征期間が長かったため、不在地主で接収されて、帰る場所が無くなった次第。その血を受け継いでいるのだから、我が血は間違いなく昔風に言えば百姓を受け継いでいる。そんなことを今朝フト思った。何故か、毎日暗いうちに起きて夜もだいたい決まった時刻に早寝をする。起きている16~17時間の行動も毎日殆ど変わらない百姓風の日常故だ。

ある意味貴重面過ぎるかもしれぬ。しかしこれは農耕民族の習慣が知らずしらずに染み込んでいるせいだと気付いた。実際に農業従事者としての過ごした経験はないが、真似事は少しある。また農家を受け継いでいる田舎の従兄弟の家に宿泊して、農家に土日が無いことを目の当たりにしたこともある。恐らく日本人の多くの人にも似たような血が流れていると思う。ところが狩猟民族となると、獲物を求めて彷徨うことが頻繁で、日常が何となく一定しないのではないだろうか。

そして狩りとなると、待つことが得意になるのではと思ったりする。若い頃鉄砲打ちに夢中になっていた少し年上の友人が教えてくれた。「雪の中に蹲ってじっと獲物を待つ時間が一種の快感だ。」スキー場で聞いた時に、よくそんなつまらぬことに夢中になれるものだ、と冷やかした記憶がある。外国の狙撃兵をテーマにした小説を読むと、彼等は何日でもじっとしていられるよう訓練されるようだ。

農耕民族末裔としてはじっとして待つことが苦手、時間を無駄にしているように感じてしまう。人間の性格は二分できるほど単純ではないだろうが、仮に農耕型と狩猟型に分けることが可能であったにせよ、今回のコロナ禍で農耕型の生活習慣は維持できなくなる可能性が高い。狩猟型の人はもともと環境順応が早いだろうし、生活態度の変更を迫られればそれなりに対応可能かもしれない。こちらは農耕民族だから、お天道様の動きが変わらない限り生活習慣の変更が厄介だ。世間の様子を見るのが苦手なのだ。

でも今後はそうは行かないだろう。先が短い小生なんかはどうでもいいが、もしこの血を濃厚に受けている若い人がいるとすれば、狩猟民族型で柔軟な社会対応を考えて、今後の人生を計画するようお勧めしたい。

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