2021年1月17日日曜日

阪神淡路大震災の日

今日は阪神淡路大震災から26年目の日とのこと。勘定が合わないので困るが、この日は長野の飯綱スキー場に居たことだけは間違いない。下の娘と一緒で、朝テレビをつけると、神戸で火災が発生して現在延焼中とアナウンスされていたと思う。丁度帰る日だったので、夕方池袋の駅で見た夕刊紙のふんどし広告に死者800人とか出ていたような気がする。

兎も角、大変なことが起きてしまった。冒頭に勘定が合わないと書いたのは理由がある。震災が起きた年を2年後の1997年と思っていたからだ。長野のスキー場でのんびりしていたのは最初に就職した広告会社を辞めていたからである。前年の8月まで大阪に居たので、当時関西には友人知人が沢山いた。後で知ることになるが、大阪市社長時代の神戸に住んでいた部下の母上が自宅で亡くなっったし、友人のテレビ局支社長も神戸住まいで大変な被害にあった。

そんなことで25年近く在籍した会社を前年に辞職したのはラッキーなタイミングだったとも言える。人間の運命とは実に不思議と思わざるを得ない。その後の東北大震災にしろ今回のコロナ災害にしてもそうだが、大きな災害が発生すると、その地域では生活様式が一変してしまう。悪くすると先に書いたように家族の離別があったり、勤務先等の企業がすっかり形が変わることもあるだろう。事実前の年まで勤務していた大阪支社は、その後大分変わってしまったし、得意先で世話になった人たちも当時予想だにしなかった方に行ってしまったか、やむを得ず行かざるを得なかったかは別として、26年後の今思うと随分変わってしまった。

関西在住の知己からこちらを見れば、似たような思いかもしれぬ。必ずしも災害が直接の原因になっているとは限らないだろうが、結果的にはその前後での変化は大きい。昨日のリモート会議でもそのことが話題になった。今回のパンデミック騒動は未だ収束には相当な時間が掛かりそうだが、何ヶ月か何年か後に収束した暁、日本でも社会生活の様式が随分変化するだろう。我々が生きてそれを実感するかどうかも別問題かもしれぬ。会社と個人の関係なんかは相当変化しそうだが、経営者側に一方的にに都合よく変わらぬよう願うばかりだ。 

0 件のコメント: