町の御祭禮

これだけ天変地異が重なると、天地の神々に伏して祈りを捧げて許しを請うしかあるまい。古代の国家では皇帝や王を交代させて神の怒りを鎮めることも考えたようだが、近代ではそんな上等なことを考える人間はいやしない。マスコミはもっぱら義援金集めの窓口となり、庶民に寄付を呼び掛けているがこれが不思議でならない。マスコミが寄付をするのは勝手だが、庶民に呼びかけることは誰から依頼されたのだろうか?

話変わって一昨日、昨日は我が町の秋祭り、家内が昨年暮れに亡くなったので役員の皆さんが遠慮して寄付金集めにも見えなかった。しかし家内が毎年していた応分の寄付はさせてもらった方が故人の意にも沿うだろうと思ったので、役員に相談したら「有難く頂戴します」とのことだったので納めさせていただき、新しいお札と神饌を頂戴した。人間と神との関係は不思議なもので小生の考えはかなり原始的かもしれぬ。しかし町の小さなお祭りを楽しむ老若男女を見ていると近い考えの人は多そうだ。

昔から、人間同士が決めた皇帝や王なんぞより遥かに偉い方が一人一人を細かに観ている、とする考えは洋の東西を問わずごく最近まであったと思う。そこから宗教が生まれ、教団が変な力を持つようになるのも如何ではあるが、人間に神を恐れる心はあった方がいいだろう。遥か昔、哲学の授業か何かで「真・善・美」は一体のものと教わったような気がする。超一流のアスリートや芸術家の言動なり作品を見ていると確かにその通りだと思う。

今日はたまたま自民党総裁選で初めての演説会が開かれた。この演説を聞いて心を打たれる人はどのくらいいるのだろう?二人の候補者が真実を語っているなら、黙って聞くだけで素直に胸に落ちて感動もするだろう。しかし実際は声高に述べられたことと、何やら美辞麗句と形容詞だらけで意味不明だったとしか言いようが無い。哲学の授業を踏まえて言うなら、そこには「真」が無く虚飾に満ちたものである証拠と言える。全く神を恐れぬ輩だ。

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