ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ

今日は12月8日、毎年大東亜戦争開戦について書いていると思うので昨年と一昨年のブログ同日付を読み直してみた。今日でも同じことであるが、先の大戦を評価することはとてもできない。ただ単にその戦争のただなかに生まれ、戦後の70数年を無為に過ごしてきたとの感想だけである。両親や記憶に残る他の先祖たち、そしてその同世代の人たちが望んだ生活や日本を私は実現しただろうか?子や孫たちにどんな人生を送ってもらいたいと願っているのだろうか?

しばし考えるに、自分は先祖が望んだであろう平和で安逸な人生を送ることが出来たと思う。しかしこれは自分の努力は少なく、それこそ戦陣に散った方々を含む先祖のお陰そのものと考えるべきだろう。言い換えれば先祖が残してくれた財産を食いつぶしてきたような罪悪感を感じなくもない。子孫に残すべきことはなにか、父が良く口にした「児孫のために美田を買わず」に甘えてはいないか?反省しきりであるが、両親が望んだことはそんな小さなことよりもっと先を見据えたことだったような気がする。

父は故郷を離れて長野市内に自分を先祖とする「代々の墓」を態々建てたくらいである。従って美田より子々孫々平和裏に長続きすることを願ったに違いない。とすると男子に恵まれず家名を引き継ぐ子がいない小生は忸怩たる思いである。それでも苗字は違うが子供が二人いて子孫は残すことが出来たので、勝手に一応及第としておこう。問題は彼らが我が世代同様、安閑と人生を過ごすことが出来るや否やである。孫の世代は現政権を圧倒的に支持しているようであるが、理由はその安定感にあるとのことらしい。

若年層が安定感を買っているとは驚きだが、この原因は我々の世代にあるのではないか。父母の世代が無言のうち我々に託した本当の課題は「我が国が偽りの独立に惑わされず真の独立をする」ことにあったように思う。小生は典型だと思うが偽りの独立の心地良さにどっぷりと嵌りこんで長い時間を過ごしてしまった。その付けが今の若者たちの考えに反映されているのだろう。嘗ての敵国に服従し何も彼もが偽りで覆われてしまっている現在の日本だ。

のほほんと過ごした人生を顧みて、この蟻地獄から這い出すための努力を全くしなかったことが慙愧に堪えない。

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