先日高校の同期会で友人と話をしていて海洋汚染に話が及んだ。日本近海のプラスチックごみの話はよく聞くし、嘗てこの世の楽園と称せられた南洋の島々でさえ相当なものらしい。犯人については他国を上げる人もいるだろうが、近海の汚染を他国の責任に押し付け済む話ではなさそうだ。嘗て日本は使用済みペットボトルを中国に輸出していたらしいが、近年中国はこの輸入を禁じた。従って国内の廃品処理業者のストックヤードが溢れ相当困っているらしい。
大きな話は兎も角、最近は買い物とゴミ出しが日課になっているので、この問題は実感するところが多い。都内は似たようなものだと思うが、豊島区ではごみは分別収集となっている。特にごみの量が増えるのが週に2回の可燃ごみの日である。独居生活で朝しか食事を作らないが、それでも毎回スーパーの一番大きなレジ袋が一杯になる。集積所が我が家の前なので他のお宅のものを見ているが、当たり前で我が家のゴミ袋の数倍が平均的1軒分である。
他家の内容は分からないが我が家を例にとれば、多分8割以上が包装資材で、純粋な生ごみは1割以下、意外に馬鹿にならないのが毎日郵便受けに放り込まれるDMとチラシの類。水道水以外飲まない我が家からは出ないが、ペットボトルの回収日は別である。新聞を取るのをやめてしまったが、新聞を取り続けていたらチラシの類はもっと増える勘定だ。プラスティック類の分別を止めて可燃ごみとして扱う自治体もあるようだが、果たしてこれが根本的解決策になるかどうかだ。
スターバックス・チェーンが世界的にプラスティックストローを紙製に変えたことも話題になっているし、真似好きの我が国では早速真似する店もあるらしい。蟷螂之斧を笑ってはいかぬだろうが、コップはプラスティックでストローだけと言うのもしっくりこない。戦後ナイロンとかビニール製品が出現した時は、石油という安い原料から凄い物が発明されたものよと驚嘆した記憶がある。しかし今にして考えると、大地から生まれて大地に還る自然の営みに反する行為はどうしても人間に災いをもたらすことになりそうだ。
では循環サイクルに乗った紙はどうか、手許の本を眺めればこれまた過剰包装の極み。何でこれほど丁寧にカバーが必要か?これもコストのうちだろう。アメリカのベストセラーの報道を見ていると、彼の国の書店で、店員が冊子をカバー無し、包装無しで客に手渡しているようにも見えた。何れにせよ難しい問題だ。
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