2014年12月31日水曜日

ご愛読に感謝

遂に今年もどん詰まりになってしまった。振り返ると、恰も長野新幹線に乗車しているが如く、トンネルに継ぐトンネルで、周辺の景色を見る間もなく日中でも暗闇となり、ただ不安感がつのる今日この頃ではないだろうか。一見すると、世の中には膨大な情報が溢れているようにも見えるが、個人個人が物事を深く洞察するきっかけになるような、質の高い情報は却って発見しにくくなっている気がしないではない。

大晦日になっても政府の予算関連情報は何ら示されず、与党税調の改正案が特筆大書されている。要するに与党が圧倒的優位の国会に於いて、予算案審議なんぞしてもしなくても同じことと、政権側が高を括っているに違いない。少なくとも編成に携わっている官僚は、粛々と編成作業を進め、例年通りこの年末には大勢は決していることだろう。マスコミも関心があるのか無いのか、何れにせよ国民不在の極みだ。

そんな大層な不満を述べても仕方がないか。所詮己の生き方は、政府方針やマスコミなんかと余り関係は無さそうだ。さて今年の総括や来年はと考えても大したことは思いつかぬ。

今年は随分ライフスタイルを変える年になった。癌告知があったせいもあろうが、時折肉体的に負荷を掛けていた過度な運動を止め、健康維持のためは日常的に適度な運動(歩行)を心掛けるようになった。来年がどんな年になるかは勿論知る由も無いが、はっきりしているのは春先から放射線治療が始まることだ。病魔と闘うと言った威勢のいい気持ちも無いし、年を取るにつれて身体の劣化が進むのは已むを得ないだろうし、抵抗できるものでも無かろう。

むしろ出来るだけ健康を損ねないためには、気の持ちようで笑いが大切とのこと。普通に暮らしていれば雨が降って鬱陶しい日があっても、結構楽しい日もあるだろう。厭な日のことは早く忘れ、楽しい日が多く残るような来年でありたいものだ。取り敢えず今年のブログはこれで終了、今夜から例年の通り深夜の弾丸バスツアーで伊勢神宮初詣に参ります。明日夜遅く戻りますが、2日と3日は家内の実家で過ごす予定です。このブログは正月4日から又始めるつもりでおりますので、来年もどうぞよろしくお願いします。

最後に読者皆様のご愛読に感謝し、皆様の来年が幸多からんことを心からお祈りします。

2014年12月30日火曜日

残すはあと1日

今日は又なんという暖かさ、先週末からの寒さが嘘のようだ。3日何も書かなかったが、相変わらず書きたくなるようなことが何もない。霞が関の官僚も何をしているのか、多分何もしていないのだろうが、政治家がお休みを作ってくれているので呑気なものだ。企業減税の方針が決まったとか、庶民には全く関係の無いことばかり報道され、厳しくなる社会保障関係は義理で書かれている感が否めない。

一昨日の日曜日から「NHKテレビ囲碁トーナメント」はお休みで、どのチャンネルでも似たような長たらしい番組でとても見る気がしない。1年の締めくくりで、今年を少し冷静に振り返り、来年への課題を発見すべきところだろうが、馬鹿笑いするのが使命と考えているような出演者を並べた番組ばかりだ。政府は不気味な沈黙を守っているが、来月末から始まる国会ではやりたい放題をするつもりだろう。貧富の格差が拡大する一方で、本当に景気とやらが回復に向かうのだろか?

今年は政権の掛け声ばかりが勇ましく、実質的に暮らしが良くなったと感じる人が果たしてどのくらい居るのか?我が周辺では残念ながら一人も居そうにない。来年は消費増税が一先ず先送りされたので、少しは落ち着いた世の中になれば良いのだが、孫の成長に伴い娘たちの家計は経費が増える分だけ節約が必要になる可能性が高い。

考え出すと、外交安保では先ず沖縄問題、せっかく盛り上がった民意を政権は全く無視しているが、沖縄のリーダーがどんな動きをするのか?アメリカに直接働きかけることを考えてるそうだが、誰にどう働きかけても所詮は国内問題で肩透かしに会いそうで心配だ。近隣諸国関係では現政権である限り関係改善は相当困難だろう。特に北朝鮮拉致問題や北方領土問題なんぞは絶望的ではなかろうか。

日米関係重視政策を堅持するのは結構だが、TPPで日本は相当な譲歩を強いられ、挙句の果ては嘗て貴重な資産とされた郵貯マネーが、海外の禿鷹に食い荒らされる初年度になり兼ねない。原発再稼働、自然災害の脅威、テロの脅威何れも発生予測不能では似たようなものだ。この年末になってやっと、サイバーテロが報道でも取り上げられるようになっている。海外の気の利いた国は、とっくの昔にこの対策について相当頭を悩ませている筈。

我が国ではどんな対策を講じているか知らぬが、先ず対策専門の官庁を聞いたことが無い。想像するに警察が最前線に立っているように思うが、所詮予算が毎年前年度に対して数%しか伸びないのだから、思い切った組織が編成される筈がないだろう。せめて今年掴まえたあの片山某なんて奴を刑務所で食わせるのでなく、警察で更に腕を磨かせる方が役に立ちそうだ。何れにしても総理がのんびりゴルフなんかしている場合ではない。

2014年12月26日金曜日

歴史への興味

今日御用納めのところが多いそうだ。御用納めや御用始とは無縁だが、今日は昼前から出かけて事務所に戻らない可能性が高いので、早めにブログを書いておく。

昨日のブログで、孫への同情心から高校の詰め込み教育問題に触れているうちに、日本の歴史教育に少し言及してしまった。この延長について書いておきたい。先ず、歴史は記憶と記録だけが頼りなことゆえ、個人であっても国家の場合でも視点をどこに置くかで様々な受け止め、解釈が可能であるだけに厄介でもある。しかし個人的な興味で言うなら、それが逆にミステリーアスで、謎解きの面白さにもつながっていることは否めない。

中国では、伝統的に王朝の大事業として歴史書の編纂があるようで、何でも紀元前100年前後の漢時代に編纂されたとされる「史記」以来清代まで24(26?)の王朝による歴史書(正史)が現存している。中華民国から中華人民共和国に至る現代でも、中国では正史編纂の重要性は変わらず、時の政府が都合の良いように歴史を作り上げていることを知っておくことが大切かも知れぬ。日本帝国による侵略に関する記述で南京大虐殺なんてことが典型なんだろう。

時の王朝による歴史書編纂は何も中国だけのお家芸ではなく、むしろ現代に至っても、編纂しない国家の方が少ないのではないだろうか。我が国でも江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として継続、明治時代に完成した「大日本史」は有名である。これが現在どんな歴史的意味(価値)を持つかについては知らないが、100年以上経っても有名であるからには、それなりの意味があるのだろう。

韓国と日本の間で専門家だの学者が協議を続けているが、所詮歴史とは過去をどう認識するかの問題だから、喧嘩した加害者と被害者が歴史認識を共有するなんてことは永遠にできないと思う。中国の例を引くまでも無く、現在の力関係で強い方の意見が通るだけのことだろう。何たって、日本でもよくやる手だが、都合の悪い証拠は皆焼却してしまえばそれまでなんだから。むしろ水戸光圀ではないが、先の大戦後からカウントしても既に70年、明治維新から数えれば150年近くも経つのだから、歴史教育を考える前に政府が歴史書を編纂することを考えてほしい。

歴史書編纂は純然たる国内問題だろうし、国内的にこれが権威として認められることが重要である。結果的に外国からあれこれ言われても、言ってしまった者、書いてしまった者の勝ちではなかろうか。例えば韓国が面白くないからと言って、これを焼き捨てるためには日本に戦争を仕掛けて乗り込んでくるしかないだろう。しかしまともな史書である限り、そんなことが現在の国際情勢で許される筈は無い。

冗談みたい話になってしまったが、史書は概ね皇帝即ち日本では天皇の歴史を中心に記されるもののようである。江戸時代に書かれた「大日本史」は神武天皇を初代として記述されているが、もし現在新たに史書を編纂するならこれに一考を加える必要がありそうだ。誰もがご存知のように神武天皇は神話のお話なので、科学が進歩した現代の史書には相応しくない。年が明けて2月になると「建国記念日」の祝日があるが、これも遠因を探ると神武天皇に由来している。

そもそも「建国記念日」を祝日にする国家はアメリカなどの新興国であって、千年以上の歴史を持つ我が国には相応しくないと仰った人が居る。もちろん記念日制定前の昭和30年代初めことであるが、仰ったのは三笠宮殿下。殿下は軍人として大戦に深く関わったことを反省する一方で、歴史学に造詣が深くていらした。紀元節が天皇の神聖化に繋がり、国民に与えた影響を戦後深く憂いてらしたようである。

暦が我が国に伝来したのが6世紀半ばらしいが、歴史的に検証可能な史書の編纂がなされることを望んでいらっしゃるかもしれぬ。

2014年12月25日木曜日

暗記教育

時々陽は射すが、肌寒いうえに低い雲と風もあり、第一人通りが少ない。気の早いところでは既に門松の準備が始まっていた。重苦しい年末の風景である。数日前のテレビで最近の高校における暗記教育批判をやっていた。最近の高校では異常に暗記を強要されるらしい。若い時に暗記力を鍛えることも必要ではあろうが、そればかり強調されたのでは孫たちも可哀そうだ。NHK夜9時のニュースの時間だったが、ニュースキャスターの二人も勿論知らなかったことで、具体例を思いだせないほど下らないことだった。

確か日本史関連で、4択の中から何百年も前の何とか天皇と関係あるのは○○を選ぶ設問だった。こんなクイズ形式の出題ばかりで若い人の歴史認識が涵養出来る筈もないが、日本史ならば出題する教師自身が如何程の認識を持っているかが心配になってくる。先日友人と食事をした時に聞いた話で成程ねと思ったことがある。競馬の話だ。ゴールしてから走路妨害などのクレームがついて着順変更などの際に取られている手法だそうだが、ゴール正面に据えられたカメラを逆回しで確認するのだそうだ。

するてえと、途中の走路妨害なんぞが明確になるとのこと。人間の歴史も似たようなもので、現在からフィルムを逆回しするように見ていくと気が付かなかった何かを発見することがあるだろうとのこと。我が家の婆さんも似たような意見で、一緒にテレビを見ながら「推古天皇の時代のこまごましたこと暗記しても意味ないでしょう、もっと近代の歴史をきちんと教えなさい。」と息巻いていた。

義務教育の一定期間を数年間海外で過ごした子が日本に戻ってくると、日本の学校の教育や雰囲気にとても馴染めず、母子が海外に戻って親父が逆単身で日本で生活をするなんて話はよく聞くし、事実数人の我が友人もその例に洩れない。昭和22年だったかに6・3・3・4の学制が施行されて以来、日本の教育の根本が見直されたことはないのではないか。現文科官僚の何人が現教育の根本問題を考えているだろう?多分一人も真剣に考えていないと思う。

何れにせよ高校だけでなく義務教育も含め、日本の学校教育制度は、つまらないことがころころ変わるのが特徴のようだ。明治維新以来、教育が大切だと言うことから文部省を設置したのは結構だが、今や法律の枝葉末節を頻繁にいじくりまわしているばかりで、日本がどんな人材を育成しなければならぬかを全く考えていないように思えてならぬ。これは文部官僚に限らず戦後官僚の特質であらゆる省庁に共通する問題だろう。官僚の大部分が役所本来の目的は我関せずで、己が立っている立場の温存だけにしか頭が回っていない。

自分がしていることの正当性を立証するだけに汲々とするのは、国会議員も同様で上が上なら下も下だ。

2014年12月24日水曜日

天皇誕生日

昨日は天皇誕生日で祝日、流石に繁華街は賑わっていた。子供連れも多いが、昨今の親も大変だ。今週はクリスマスだとてやれケーキだことのプレゼントだのとねだられ、10日も経たないのに今度はお年玉ではお手上げだろう。テレビで宣伝がじゃんじゃん流されているので、親だけがその商魂を無視するのは容易ではないだろう。子供が幼稚園や小学校に上がって、物心ついてからではとても間に合うまい。

ところで、天皇陛下の誕生日に当たってのお言葉は、いつものことながら実に清々しい。東京駅100周年記念スイカ欲しさに集まった人数の倍以上の1万8千人とかが、皇居に参賀に訪れたそうだがむべなるかなである。これは現在の市民の健全な発想として結構なことではある。だがしかし、マスコミは旧占領軍、即ちマッカーサーを総司令官とする戦勝連合軍が1948年(昭和23年)12月23日を選んでA級戦犯の死刑を執行したことについては何も報道しない。

占領軍が何を意図して、態々皇太子の誕生日を選んだのか永遠に謎ではあるが、少なくとも天皇陛下の胸には深い思いが刻まれているのではなかろうか。「日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。」で締めくくられているメッセージには戦争に走った過去についての深い反省と非戦への強い願いが込められている。

戦時中皇太子であった天皇には、先の大戦についての責任は全く無いが、国民をして思いを共有することを願っているに違いあるまい。同時に口にこそ出せないが、現政権の危うさをどんなに心配されていることだろうか。顔で笑って心で泣いて、心中を察して思余るものがある。そんな会話の後、事務所で武田邦彦氏のブログの中に関連する記事を見つけた。山下奉文陸軍大将の遺言や辞世の句についてである。山下大将も年は異なる1946年(昭和21年)であるが、同じ12月23日にフィリピンで死刑が執行されている。

毛唐の執念深さを押して知るべしだ。詳しくは是非下記を逐一ご覧頂きたい。
http://takedanet.com/archives/1016239856.html

遺訓の書き出しは下記の通り。
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。」

誰のこととは言いたくないが、姑息な手段に走りがちな昨今の風潮を、あの世からどのようにご覧になっていることやら。

2014年12月22日月曜日

国会議員定数削減

この週末テレビ新聞は1週間前の総選挙の総括と今後の政局関連ばかり。殆どの解説が、さながら辻占が最大の顧客の安倍政権さえヨイショしていれば、結構なお鳥目に与れるとばかりの論調が多く、面白くもなんともない。所詮は自公政権が最低2年はやりたい放題で、我々庶民は相当難儀をする覚悟をするしかないだろう。何と言っても物価上昇が政策の中心課題に置かれているのだから、こちとらはたまったものでない。金曜日に届いた毎年恒例のお伊勢参りのバス弾丸ツアーの詳細を読んで驚いた。

料金は昨年と同じ9900円なのだが、内容が全く異なっている。昨年までは新宿の出発時刻が大晦日の18:30だったのが、今回は23:30となっている。はてな、と思ってよくよく読むと、今まで付いていた年越しそばと元日のおせち弁当が無くなってしまっている。大して旨くも無いサービスエリア食堂の蕎麦や、元日から冷たい弁当など食いたくないので、どうでもよいと言えばそれまでだが、料金据え置きで2食分サービスをネグっているのだ。

1食分を仮に500円相当にしても、千円の実質値上げに他ならない。隣の洋食屋の親爺も固定資産税を70万円とか溜めたら差し押さえと脅かされて、金曜日に都税事務所に行って5千円だけ支払ってきたとのこと。差し押さえは取り敢えず止っても、ローンを組んでいる信用金庫との取引に支障が出て不便で仕方ないそうだ。難しいことは理解できないのだが、ひょっとすると、来年は500円の日替わり定食を食い続けることが出来ないかもしれない。

親爺さんの年齢は2歳ほど下だが、もう十分草臥れている。店を売却処分したようだが、この古い店に買い手がつくかどうか?他人事ながら心配になってくる。何でも、食べ物や商売は駅から200m以内でないと上手くいかぬものらしい。距離的条件は満たしているが、駅の出入り口から通り1本裏に入っている。親爺さんが言うには、この界隈で閉店する店が多いのも当然で、このところ土日なんぞめったに人が通らないのだそうだ。食べ物屋もそうだが、個人で商売している人は大変だと思う。

帰宅して、その話をしているうちに老夫婦の意見が一致したのがこれ。こっちは先が短いから我慢で済むかもしれぬが、前途ある若い人のことを思うと、安倍政権の出現を契機として、日本の政治体制を根本から考え直すべきだ。安倍氏の目指す憲法改正とは全く違うが、政治体制の根本は、やはり選挙制度でしょう。議院内閣制と2院制は当面そのままにしても、先ず議員定数を衆議院は多くても300人、参議院は多くても100人に減らす。次に衆議院の区割りを変更して、人口の約10%120~130万人目途で都道府県別に区割りを割り振る。

東京は10区、神奈川・大阪が7区、愛知・埼玉6区・・・と割り振っていくと、鳥取島根だけは2県で1区になるかもしれないが、100かそこらの選挙区ができる。この1選挙区から3名の代議士を記名で選べば程好いだろう。大体農耕民族の日本に一か八かの選挙法なんて馴染まない。政党助成金なかもやめて、配るなら無所属であろうと政治家個人に助成すべきだ。等々、話しているうちに「定数削減を第3者機関に丸投げして枝葉末節をいくら弄っても、まるで意味が無いな。何でも根本を見直さないと、有効な改善策が出る訳がない。我々に任せれば1週間で公平な案を作ってやる。」が結論になった。

2014年12月21日日曜日

侘しい年の瀬

昨日昼に首都圏在住の高校同期生有志9人で簡単な忘年会。小生も勿論だが飲み放題の店なのに誰も酒量が上がらない。別に昼酒だからと言う訳でもない。全員が夜の会合よりむしろ昼の方が有りがたい口だ。話題の大部分が病気自慢であるのもやむを得ないだろう。前立腺癌初心者の小生にとっては、経験者からとても参考になる話を沢山聞くことが出来た。

パナマに20年以上も駐在していた人や商社マンが居たりするので、オバマの対キューバ外交政策転換から中南米への影響、ひいては世界情勢が大きく変わっていくだろうと言った高い次元のことまで話題が発展したりして、楽しいランチだった。

今日は今日とて、隣の洋食屋で昼飯をしていると、親爺さんが「向かいの風呂屋の親爺が死んだのを知っているかい?」とのこと。我が事務所は風呂屋の裏にあるのだが、地主大家は件の風呂屋で、内儀さんには普段からお菓子やドリンクの差し入れなどを頂き何かとお世話になっている。そう言われてみれば、先週シャッターに「暫く休業します」と張り紙が出ていたのは知っていたが、ご主人の不幸とは気が付かなった。

更に、3軒隣の寿司屋の内儀さんも数日前に亡くなったのだそうだ。どちらも近所にも知らせず密かに葬儀を済ませたものらしい。寿司屋の方は兎も角、風呂屋は少なくとも大家さんで、こちらは店子である。普通に考えれば、線香の1本くらいは上げるべきだろう。こちらの怠慢からではなく、施主様の方でそれを拒否している訳だ。それが当たり前になってくると、日本の社会構造の根本が相当変わってきてしまうだろう。

数日前にも書いたように、今年は知り合いの訃報に接することが多かった。ただでさえうすら侘しい年の瀬に、人情と生活の合理性の狭間の問題かもしれぬが、一層心寒い感じが否めない。

2014年12月19日金曜日

孫のクリスマス会

昨日孫が通う幼稚園のクリスマス会が行われた。この幼稚園は私立であって、園長先生が80過ぎのお婆さんながらとてもしっかりした方で、娘の話を聞くたびに何かと感心していたことが多い。孫は既に入園3年目、今年度で卒園になるが、娘は区立幼稚園に入れることが適わず結果的にここに預けたことをとても喜んでいる。園長先生はクリスチャンなので、普段からキリスト教的教育をされているらしい。従ってこの会には教育成果を保護者に見せる意味もあるのだろう。

幼稚園最大の恒例行事だが、過去2回は何故か祖父宛てのご招待は頂かなかった。娘とすれば、祖父さんには成長成果が十分出るまでお預けにした方が良いとの判断もあったようだ。今年は最後と言うこともあり、婆さんと連れ立って、寒風吹きすさぶ中をいそいそ出掛けた訳である。会場は幼稚園ではなくて、近くの東武東上線大山駅近くにある板橋区文化会館の大ホール。毎年ここで開催しているそうだが、これが又びっくりの立派さ。舞台の奥行きはオーケストラでも十分対応できそうだし、客席は絨毯張りで椅子も立派で何とも豪華な劇場である。

プログラムは礼拝に始まり、年長組の定番「聖劇」から各クラス毎の歌やダンス等、2時間半に亘り観客を飽きさせることもなくスムーズに進捗した。園児は1クラス40人弱とのことで、インフルエンザで出席できなかった子もいるようなので、総勢110人程度だったらしい。先生の方は最後に紹介があって、やはりインフルエンザで欠席された先生を別にして、総勢14人。事務とか音楽指導や遊戯指導の先生の勤務シフトがどうなのかは分からないが、普段は15人の指導者で園児の成長を見守ってくれているらしい。

壇上に園児全員が整列したのを見ると、4歳児から6歳児までの身体の差がびっくりするほどよく分かる。我が孫も僅か3年、されど3年の間にこんなに大きくなったのかと感無量の思いであった。年長組が演じたキリストの誕生を語り伝える「聖劇」は、小生も小学生時代に通った長野聖公会日曜学校でお馴染みであるが、演じたのは確か2年生3年生になった時であったように記憶する。昨日はこれを幼稚園児が演じたのであるが、よくぞここまでと感心しきりであった。

聞けば、秋の運動会終了後は、専らクリスマス会向けの準備に励んできたとのことである。それにしても幼稚園の先生方の教育の効果は素晴らしい。我が孫も「お名前は?」「○○で~す」「お年は?」「4歳で~す」と覚束ない日本語らしき返事をするのが精一杯だったのが3年前。それが人並みと言おうか、一種の団体行動をとりながら、台詞を言い、歌まで歌うのである。挨拶から会話まで、とても日本語が上手くなった。

年寄りとして感激しない筈はない。宗教的な意味合いがどこまで理解できているかどうかは問題ではないし、教会付属の幼稚園でもないし、孫が洗礼を受けてクリスチャンにはならないだろう。なればなったで、それも結構ではないか。なによりも、先生方の努力に内心頭が下がる思いである。


2014年12月18日木曜日

気象予報と経済予測

今月初めに長野で「今年は雪が遅い」なんて暢気なことを聞いていたが、ここ数日のニュースは全国各地でのドカ雪被害が最大である。数週間前にはアメリカ全州で豪雪被害が出たとの報道もあったし、予期せざると言うべきか、地球規模で自然現象さえ異常なのか。または、気象観測技術が未熟で、予報や予期することが出来ないだけのことなのだろうか。どちらにせよ、人間の知恵なんてものは高が知れていそうだ。

気象予想以上に当てにならないのが、経済専門家の予想ではないか。石油に代表される資源価格の高騰が地球規模で経済に悪影響を与える。我が国の長期不況も主たる要因はこれである。てな話を聞き続けていたような気がするが、気が付くと石油価格は非常な勢いで下落しているらしい。我が家の灯油代は一向に安くならないようだが、代わりにロシアの貨幣価値が下がってロシア経済に大打撃を与えているとのこと。

今になると、これはウクライナ紛争に端を発してアメリカが仕掛けた経済制裁と相俟って、米露経済戦争の結果でアメリカが上手くやっている。なんてしたり顔で言う声も聞こえてくるが、本当にそうだろうか?別に本当でなくても構わないが、少なくともウクライナ紛争勃発当時に、経済の専門家からそんな解説を仄聞した記憶はない。他国のことは兎も角、総選挙で与党大勝の後を受けて、日本の経済がどうなるかを心配すべきだと思うが、晴れとなるのか雨模様になるのか、専門家の確たるご意見は一向に聞こえてこない。

経済がグローバル化しているのは小生でも分かることである。昔は第1次産業と教わった農林水産業でさえ、原材料は大量に輸入に依存するだろうし、品目によっては輸出を念頭に置くこともあろう。他産業は推して知るべしである。従って、経済の見通しはそれこそ地球上のあらゆる動きとリンクするのが当然のこと。ロシアの経済変化やアメリカとキューバの和解が日本経済にどんな影響を与えるか、経済音痴のこちらには知る由も無いし、知る必要が無いのかもしれぬ。

また、経済の変化はその国の外交・安全保障政策にも少なからずの影響するものらしい。今月発売の月刊「文藝春秋」新年号によると、麻生幾氏が北方領土4島に対するプーチン大統領の戦略をおどろおどろしく書いている。さように経済問題は目配りの範囲が広すぎて、とても小人の考えが及ぶところではない。
アベノミクスと聞いてもアラビア語くらいにしか思えないので、個人的に関係あるのか無いのか、論評のしようが無いのが本当のところだ。

小人として気になるのは、やはり社会に出た時から関係してきた農林水産業の行く末。大学卒業してすぐ就職したのが、農協の機関誌的存在で、当時日本最大の発行部数を持っていた雑誌「家の光」の専属広告会社勤務だったからだろう。当時と異なり、現在では農業が全産業の下支えなんてことはないだろうが、農家や水産業従事者の存在を無視する産業政策なるものが成立するものなのか、些かの不安を感じている。

2014年12月17日水曜日

来年の夢

全国的に冬将軍が暴れ回っているようだが、東京も雪こそ降らねど寒風吹きすさぶ真冬の寒さになった。終日家で落ち着いていることが出来ぬ性分なので、懲りずに歩いてきたが、顔がヒリヒリしている。平日なので歳末気分が盛り上がっているとは言い難いが、宝くじ売り場に長蛇の列が出来ているのが目についた。昔から籤運が悪いと決めているので、1度も買ったことが無いが、宝くじだけは年齢性別に関係無いみたいだ。

勤め人のいる家庭は、既にボーナスの支給があっただろうし、年金暮らしのご同輩にしてみれば、この月曜日15日に2か月分の振り込みがあったところだ。
何れも満足いく額であろう筈がないとすれば、夢を求めて宝くじ売り場の行列に加わる気持ちは分からぬではない。小生も碌でもないことが続いた今年の厄払いをして、来年に何か夢を求めたいが、夢を追いかけるには歳を取り過ぎているのだろうか。個人的に強いて希望を言えば健康で過ごしたいだけで、現実、具体的な夢が思い浮かばない。

あとはひたすら家族頼みだ。婆さんも60歳頃までは風邪一つ引かず元気なので有難いと思っていたが、近年あちこちに不具合が生じてきている。自分が入院するのは嫌なことだが、連れ合いに入院されると、もっと悲惨かもしれない。今年は夫婦ともどもの入院があった。たとえ宝くじに当たっても、健康だけは金で買えない。今まで他人の健康までは気にしてこなかったが、これが高齢化社会の現実だろう。

ところがこの健康管理と言う代物、同じ夫婦でも個人差があり過ぎて、心配であっても相手の管理法に口を出すことが出来ない。健康管理の要諦は栄養の補給・適度な運動・そして休養(睡眠)と思っているし、婆さんの認識に違いがある筈は無い。ところが、こちらの栄養管理について気を配っていることは十分理解しているが、婆さん自身がいつどんな食事を摂っているかを全く知らないのだ。娘どもが嫁に行く前から、それぞれ異なる時間に食事していた関係から、何度言っても未だに一緒に食事を摂らない。

趣味が異なるかのように、食事の好みも異なるのだそうだ。当然ながら就寝と起床時刻も亭主とは大幅に違う。運動に至っては、用も無いのに身体を動かすなんて馬鹿みたい、と思っているに違いない。今まではそれで気にはならなかったが、今年弟の連れ合いが倒れたりして最近大分気になりだした。でも今更言いだす訳にいかない。取り敢えず今度の初詣は、真剣に夫婦ともどもの健康を祈らなくてはならない。

2014年12月16日火曜日

船旅への憧れ

先週末の土曜日に都内のホテルで、長野高校OBの首都圏在住者が集う同窓会があって100人近い同窓生が集まった。昭和34年卒業の我が同期生は、既にかなり年配の方である。長野中学時代から数えると創立130年を超える歴史を有するだけに、昔から実に多くの有名人を輩出している。現存する卒業生も多士済々、いろいろな方面で活躍している人物がいる。懇親パーティーの前に、いつもそんな中から選ばれた人が文化講演をしてくれる。

未だノーベル賞受賞者や超有名な芸能人はいないが、仮にいたとしても常にノーギャラである筈だ。年に3回あるこの同窓会の講演が老後の楽しみでもある。今回は木版画のプロ作家と日本郵船で豪華客船「飛鳥」の船長を務めた後輩の話だった。どちらも実に興味深かったが、元船長の話が意外だった。と言うのは、金持ちの年寄りが多くて海外旅行がブームの筈だが、豪華客船でのクルーズ旅行にだけついて言えば、日本は世界水準よりかなり低いとのこと。

我が友人にしても家内の友人なんかでも、1年に何度も海外旅行する人の話をよく聞く。それも結構な料金のツアーらしい。しかし確かにクルーズ旅行の話はあまり聞かない。今年耳にしたのは1度だけ、友人の奥さんが娘さんと神戸から横浜だったか東京まで1泊旅行を楽しんだとのこと。何故か友人は同行しなかったらしい。今度会ったら理由を聞いてみたいが、何故だろう?小生は先日も書いたように、横メシが苦手なので海外旅行をしたいと思っていなかった。

しかし今度の講演を聞いて気が変わった。我が家の財務大臣が許可してくれるなら、1度世界1周のクルーズをしてみたい。ま、無理だろうが、500万円出せば100日ほどで世界1周が可能みたいだ。宿泊が日本国籍の船であれば、飯も日本で食べるようなものだろうし、時差ぼけの心配も無さそうだ。因みに、このクルーズ旅行をする日本人は、ここ何年も年間20万人程度であまり変化が無いらしい。ところがアメリカは年間1300万人とかイギリスが180万人とかで、人口比からするとメチャクチャ多い。

しかもそれが増え続けているそうだから、日本人と欧米人のレジャーに関する感覚は大分異なるものあるらしい。欧米人にとっても船旅が経費的に高いのは同じだと思うが、老後に対する人生観の違いだろうか。彼等には葬式の費用から墓の心配まで、生きているうちにしている日本人の感覚が理解できぬのかもしれぬ。

小生もその日本人の一人だが、稼いだ分だけは綺麗に使い切ってあの世に行きたいものだ。1万円のバスツアーを毎年申し込んでいる関係から、定期的に送られてくるJTBの旅行ガイドを見ても、10日くらいで50万円を超すツアーが沢山掲載されている。急に船旅をしたくなったせいか、だったら郵船の豪華客船に依るクルーズも安いものだと感じてしまった。残念なのは年金暮らしでは50万円のツアーでさえ、覚束ない現実である。

2014年12月15日月曜日

総選挙の結果

全く無意味な選挙が終わった。選挙の大義はおろか、狙いが安倍内閣の延命だけにしかないことは誰の目に明らかであっても、選挙となれば投票しない訳にもいかない。明けて結果を見れば案の定である。嘗て在席した品の無い横綱が、土俵を割っている十両力士に駄目押しするのを見て鼻白む気分だ。虚しい思いを感じながら投票された人も多いに違いないことだろうし、むしろ棄権した有権者の約半数が正解かもしれない。

昨夜6時頃投票に行ったのだが、がらんとした投票所にはアルバイト人員の多さだけが際立っていた。この半月余りにばら撒かれた国費、即ち税金が700億円に喃々とすると言われるのが分かるような気がする。唯一救われた思いは民主党の海江田代表の落選くらいのものだ。そもそも選挙区で当選していない代議士を代表に選んだ民主党は、全員相当反省する必要がある。海江田氏本人も、選挙の顔となることは想定していなかったようなので不本意ではあろうが、
これも時の流れ、巡りあわせで致し方あるまい。落選はせめてもの罪滅ぼしだろう。それを言うなら菅直人氏が当選したのは残念。彼も後進に道を譲るべきではなかろうか。

今回の結果を見る限り、野党再編もなかなか進みそうにない。さりとて何も変わらないのだから、日本の経済環境が良くなる筈もない。今暫くは、我々庶民は寒い思いを続けざる得ないだろう。今暫くが何年か分からないのは当然で、老い先短い我が身を思えば、生きて暖かい社会を拝むのは無理と考えた方が良いかもしれぬ。しかし「奢れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し」であれば、現政権もそう長くは続かず、どこかだ何か新しい動きは起きるのだろうが、それが何かは想像の外である。

あまり豊かになることばかりは願わないまでも、平和な国ではあり続けてもらいたいものだ。

2014年12月12日金曜日

祖母、そして今日は寄席

我が家の婆さん、いつも孫に好かれていることが自慢だ。その筈だと思う、亭主のこちらより孫が大事で、孫のことがいつも優先されているように思って僻んでいる己でもある。明日はこちらが同窓会で夕飯の支度の必要が無いときて、早速幼稚園の孫を連れて実家に赴くとのこと。それが決まって先日のこと、娘が孫の髪の毛を整えようとしたら孫が曰く「お祖母ちゃんに切ってもらうから触らないで。」と断られたと聞いたのが又自慢の種だ。

これは互いに結構なことだと思う。小生も子供時代は正真正銘大変なお祖母ちゃん子だった。兄弟5人であったけれど、とびぬけて可愛がられたのには理由がありそうだ。昭和18年の夏だったとすれば、こちらは未だ満3歳一寸の時のことだ。当時熊本県に奉職していた父が戦地の司政官(パソコンの変換が出来ない程古い概念、即ち占領地域の行政官)としてバリ島に出征することになり、母は子供連れて故郷の長の実家で留守を預かることになった。当時兄二人は小学生、すぐ下の弟が生まれたばかりの4人兄弟である。

熊本から長野も今のように新幹線なり飛行機が利用できるわけではない。汽車で関門トンネルを潜ってのかなりの長旅となる。母も引っ越しの段取りに加えて乳飲み子を抱えての移動は大変だったと思う。その応援に長野から祖母が駆け付けてくれて、あらかた整理の目途がついたところで一足先に長野に帰り、今度は受け入れの段取りをすることになった。そしてその序でに、幼児であっても乳離れはしている小生を先に連れて行くことに決まったらしい。

母親と離れてどこかに行くなんてことはもちろん初めての経験。家の玄関先で大泣きして、母と祖母をてこずらせたことを未だに記憶しているくらいだ。それでも何十時間後に長野駅に到着して、人力車なるものに乗せてもらい、赤い毛氈で包んでもらった時には大喜びしたことも覚えている。祖父は既に亡くなっていたので、それから数日は毎晩祖母に抱いて寝させてもらった。家族が合流した後も、母は4人の子供を抱えて何かと家事に追われ、中途半端な年齢の3番目までは手が回りかねたのだろう。小生は何かにつけ祖母の世話になった。

戦後、昭和22年に父が復員してからは又別の所帯になったこともあるし、こちらが小学生になったこともあり、戦時中程には祖母の世話を焼かせることが少なくなっていったが、祖母の家へのお使いは小生に決まっていたようなものだ。用が無くてもこちらから頻繁に祖母が住まいしていた松代(現在は市内であるが、当時は市内から3里も離れた田舎の佇まい)に遊び行ったし、祖母も頻繁に我が家に来て、小学生の小生を映画や演芸に連れて行ってくれたりしたものだ。

そんな中で特に印象深いのが、ある小学校の講堂で行われた演芸会に落語を聞きに連れて行ってもらったことである。戦後の暗い雰囲気は子供には関係ないことであったとは言え、未だラジオも満足に聞けない時代のこと、あの楽しさは格別でもあった。ずっと後年になるが、こちらが大学生になって東京に住むと、祖母が訪ねてくれたことがある。その時は早速一緒に新宿末広亭に行って楽しんでもらい、喜んでもらえたのが今となればいい思い出だ。その後も時折憂さ晴らしに寄席に行くこともあったが、ここ何十年と無く寄席に行ったことが無い。

池袋にも池袋演芸場があるのは知っているし、その真ん前の碁会所には何年も通い続けながら、一度も入場しなかった。婆さんが孫自慢するのを聞いて、こちらもふと祖母を思い、そして急に寄席が懐かしくなった。久し振りに寄席にでも行ってさっぱりしたくなって、近くにありながら行ったことの無かった池袋演芸場に行き、半日を愉快に潰すことが出来た。ただでさえ、100席も無いと思う小さな小屋で、入りは半数に満たなかっただろう。

約4時間の興業で昼の部の取りは桂歌丸さんの弟子で歌蔵さん。噺家は揃って、自ら古典芸能ではあるけどピンキリのキリと謙遜するが、なかなかどうして大したものだ。老人割引2千円で、観ようと思えば夜の部も入れ替え無しで観ることができる。安いものだ。

2014年12月11日木曜日

老人惚け礼賛

お葬式が多くてお経を聞く機会が多かったせいか、高倉健氏の影響か、最近よく思うのは諸行無常とか色即是空といった言葉である。昨日も病院にって半日もぼーっと待っている間、周りに大勢いる似たようなお年寄りを見ながら思った。それぞれ異なる様々な道を歩んできた人たちだろうが、この病院の待合室に来てしまえば大差は無いものだ。大部分の人が長時間待たされることにイライラしているだけだ。イライラの度合いは何となく裕福そうな人の方が酷く感じられる。

こちらは暇だから何時間待たされようと大して気にならない。何より病院は暖かくて、先ず病院に居る間は自宅の電気代の節約になる。読書でもいいし、人間観察していても結構面白い。最近は通い慣れてきたので、窓口に断って病院外に見つけた旨くて安い昼飯屋に行くことも覚えた。あの苛ついている老紳士は、本日為すべき用件が他に沢山おありなのだろう。しかしあと何年何日この世に居られると思っているのだろうか。なんて思って密かに面白がっている訳である。

年を取ると、冒頭の経文ではないが、一般的にはあきらめの境地に達してあまり苛つかなくなるものかとも思うが、個人差があってそうならない人が居ても不思議ではない。昨日はたまたまそういった人に出くわしただけのことだろう。
何も最近のことではないかもしれぬが、毎日のことが記憶に残り難い。朝めしを食ったことは記憶していても、昨日の朝飯のおかずになるともう思い出せない。こんなことは憶える必要もないからどうでもいい。高齢者には記憶すべきことなど殆ど無いのだ。

そんな不心得のせいだろう、しっかり覚えておかなくてはならぬことをいとも簡単に忘れるのは問題である。昼間はそれでもメモ帳を持ち歩いたり、手近にカレンダーを置いたりしているので、どこかにメモることが可能だが、自宅に帰って風呂にでも入ると、さっぱりと何もかにも忘れてしまう癖がついてしまったのか。たまに家人から到来物の礼を言ってくれとか、誰それに電話してなんて話を聞いて、翌日はすっかり忘れているケースが多くなった。メモせずに記憶だけに頼ろうとするからである。夕方近くになって思い出したりしているうちはいいが、今後は注意を要するだろう。

もの忘れは注意が必要だが、最近妙に諦めがよくなっている。世の中ままにならぬことばかり頻発するが、こっちも一晩で忘れてしまえば翌朝は爽やかである道理だ。お腹も脳みそも常に空っぽにしておくことが、高齢者の健康には有効かもしれない。

2014年12月10日水曜日

友を選ばば

何時の頃からか「グローバリズム」なる言葉を頻繁に聞くようになった。経済用語らしいが、グローブは地球を意味するので地球主義とでも解釈すればいいのだろう。昨今の経済活動は1国内で完結するものは殆どあり得ず、全て国外のどこかと関係なしには成立しえないだろうから、仕事をする人にとっては至極当たり前のことだろうと理解していた。ところが最近読んだ雑誌記事の中にこんなことが書いてあった。

「グローバル化とは、資本家や富裕層が行使する政治力の産物に過ぎない。経済行為の潮流などでは決してない。」通産省OBの経済評論家でTPPに強く異を唱えている中野剛志氏の寄稿である。要するに、グローバル化は先進国と途上国の競争を激化させる。その結果先進国の労働者の賃金を下落させ、資本家は利潤を拡大する。因って先進国に於いては格差が拡大する。今の日本はこの弊害をもろに受けている。しかしこのグローバル化は政治現象だから、これに抵抗できるのも政治現象である。との論法になっている。

経済に関する話は、何を聞いても難しすぎてよく分からない。しかし、この記事を読んで全く別のことに考えが及んだ。似た言葉に「インターナショナリズム」がある。我が世代は経済成長真只中で、友人にも国際性豊かな人が大勢いる。小生は機会に恵まれなかった故もあるが、どうも横メシが苦手で国際性が極めて乏しい者であるが、国際性豊かな友人と話していて外国のことに話が及んだ時に思うことがある。「彼等も小生と共通する何かを持っているなぁ。」やはり日本人なのである。

実際に言葉を交わしたことが無いので定かではないが、日産自動車のカルロス・ゴーン氏や社内公用語を英語に切り換えた楽天のオーナー三木谷浩史氏や経済評論家の竹中平蔵氏は、同じ国際派でも我が同期生諸氏とは大分趣を異にするのだろう。彼等のようにグローバリズムの信奉者あることを露わにする人と我が友人の違いを考えてみると、はっきり言えそうなことがある。何か、「アイデンティティ」をどこまで大切にするかではなかろうか。「アイデンティティ」を辞書で引くといろいろな解釈が出て来るが、最もぴったり来たのがこれ「独自性,主体性,本性,帰属意識.」

長野出身の友人が大半だが、信州人は我の強い人間が多そうだ。国際化しても本性を違えない人が多い。だから長い付き合いが出来ている。話したこともないグローバリズム信奉者を「アイデンティティ」喪失者と決めつけるのは些か失礼ではあるが、どうも友達にはなり難そうな気がしてならない。

2014年12月9日火曜日

大本営発表今昔

昨日に続いて先の大戦中のことにもう少し触れたい。戦時中は軍部から国民向け広報として大本営発表が頻繁にあったそうだ。当時のマスメディア、ラジオと新聞はこれを積極的に採用して国民に伝え、国民はこの報道に一喜一憂と言うより、むしろ歓喜の思いに浸っていたらしい。現代に置き換えると、自衛隊広報や内閣官房から国民向けに「自衛隊は海外でこんな活動して、海賊をやっつけたり、同盟国の軍隊や地元の人に感謝される支援を行っています。」と言ったところだろうか。

当時は「どこそこの戦闘に於いて、敵をこんなに撃破して味方の損耗はこんなに軽微で済んだ。」と言ったことが圧倒的で、日本軍が壊滅状態であっても、終戦間際まで全く偽りの話をでっち上げて広報していたのが事実らしい。当時の国民は、メディアの報道に嘘があることなど思いも及ばなかったのかもしれない。1945年の8月15日になって、突然玉音放送を聞かされてびっくりした人が多かった筈だ。

現代市民はその辺については大分学習効果が現われて、宣伝広告や企業にせよ行政の広報も100%鵜呑みにはできなくなっているだろう。長いこと広告屋稼業に従事してきたので分かるが、広告や広報は基本的(特に法的には)に嘘を言ってはいけないとされている。しかしアッピールするポイントが事の本質から外れていると、嘘を言っていなくても事の本質から大分かけ離れた印象を伝えることは可能だし、場合によっては真逆のことを伝えることが可能になるのは言うまでもない。

この手法を意図的に駆使して成功したのが、現役時代に大いに加担してきたところの、原子力安全神話形成がその典型だろう。小生なんぞは下っ端だったので、正直その神話を頭から信じ切って仕事としてやっていた。こんなことを書く気になったのは、昨日報道された麻生財務相の演説である。少子化問題に関連して述べた女性の妊娠問題は脇に置くが、景気回復問題に関連して述べたところの「2年前より(景気が)悪いのは、よほど運が悪いか経営能力がないかだ」の方である。

この発言が適切であったかどうかより気になるのは、麻生氏も若い頃の小生と同じで、役所(財務省)の広報(官僚の報告)に取り込まれて、無邪気にも本気でそのように信じ込んでいるのでは、との思いである。昨夜久し振りにタクシーを利用したのだが、そのドライバーが最近の景気について話をしてくれた。案の定さっぱりだそうだ。2010年から個人タクシーを開業したが、2011年3月の大震災までは少しずつ収入が増えてきたかなと言う感じがありました。良い時には1日の売り上げが5万円に達する日が出るようになってきました。

ところが、あの3月11日、車が全く動かなくて、翌朝の4時になっても3万5千円くらいにしかなりませんでした。お客さんも困るでしょうが、タクシーは待ち料金では稼げません。この日がケチのつき初めで、以来売り上げは減る一方です。今年に入っても全く良くなりません。極端に言えば月収が毎月千円ずつ減っている感じです。現在は年金と1日の売り上げ目標3万5千円で頑張っているのですが、目標達成が難しい状況です。目標額をオーバーしたら、その分一杯やることにしているのですが、最近では飲める日が殆どありません。むしろ税金の支払いが出来なくて困っているくらいです。前年の稼ぎに対しての課税なので、毎年税金の支払いが遅れる一方です。

アメリカの大統領が「日本は不況から脱出できなくて苦しんでいるがアメリカが影響受けないようしなければならない。」と言ったそうだが、タクシードライバーの話を聞いて、初めて得心の行く思いであった。一方で、景気は回復しつつあると胸を張っている政府広報と、歩調を合わせているマスメディアの姿勢に大本営発表が重なった。

2014年12月8日月曜日

大東亜戦争開戦記念日

土日はブログが面倒に感じて休んでしまった。今後の週末もそうなるだろう。今日は夕方出掛けるので厭なにならないうちに早めに上げる。

本日はタイトル通りの開戦記念日、と言っても昨今では特別の感慨を持つ人間はごくごく少数派だろう。今日たまたま、陸軍士官学校の最上級生で終戦を迎えた知人と話をする機会があったので、余程感想を聞こうかと思ったが、態々こちらから持ち出す話題でもなさそうなのでやめておいた。多分89か90歳になる筈で、好々爺ではあるが、全く呆けてはいないし、一回り以上若いこちらが負けそうなくらい矍鑠としている。流石若い時にみっしり体を鍛えている人は土台が違う。こちらが先にあの世に行きそうだ。

こちらは日支事変の最中、米英蘭仏との開戦前年の生まれではあるが、育ちが戦後だから戦争については何も知らないに等しい。73年前の今日未明に帝国海軍の連合艦隊がハワイ沖から飛行機の大編隊を発進させて、オアフ島にあった米連合艦隊基地を奇襲攻撃して大戦果を挙げて、大部分の国民が提灯行列でそれを祝ったことぐらいは、物心ついてからの後知恵で知っている。しかし陸軍もマレー半島やフィリピンや香港など、アジア諸国にも一斉に攻撃を開始して1941年末までにはかなり広大な地域を制圧した経緯や成果等は、今でも殆ど知らない。

恐らく、今日から大晦日までの短時日の間に、日本軍によって殺された外国の将兵と民間人犠牲者はどのくらいの数に登るのだろう?日本の将兵の犠牲はきっと少ないのだろうが、無かったわけでもあるまい。きっとその御霊は靖国神社に祀られているとでも言うのだろう。日本人の一人としては靖国参拝も結構だが、戦争の犠牲になった世界中の人に、心からの謝罪と冥福を祈りたいと思う。とは言っても、先の大戦については我々の年代に限らず、現代に至るまでその経緯、即ち歴史を教えてもらっていなのが実情だろう。

悲しむべきことだと思うが、現在でも地球上に戦争或いは戦争紛いの紛争が絶えず、これがテレビで生に近い形で報道される。ところが、当事者に降りかかっているその悲惨さを、視聴者である我々はどのくらいまともに汲み取ることが出来ているだろうか。想像するに実感の受け止めはゼロに限りなく近いだろう。御岳山噴火の被害者報道にしても同様で、被害者が身内でない限りは本当の悲しみ何か分かる筈が無い。テレビ報道はおろか、学校でも親からも聞いたことの無い戦争なんか、感慨もへったくれもあろう筈が無い。

今や定番の観光スポット、真珠湾があるハワイだろうが、マレー半島のシンガポールであろうが、極めてまともなうちの爺さんや父さんたちがある日突然、爆弾や鉄砲、ひょっとすると刀を振り回して現地人を殺しまくったなんてとても信じられないだろう。知っていりゃ、ひょっとすると観光に行くのも躊躇するかもしれないので、知らぬ方が両国親善には好都合かもしれぬ。しかし、歴史は正しく知って上で、大いに親善を図った方が双方にとって気持ちが良いのではなかろうか。

国内的に見ても、73年前の今日「これしか道が無い」と開戦に踏み切った当時の指導者の判断基準のどこに間違いがあったのか、語り継ぐ意義が大きいと言えよう。

2014年12月5日金曜日

東京散歩

昨日のは雨だったが、今日は朝から快晴。都心は紅葉真っ盛り、もみじやナナカマドのの朱色は少ないが、銀杏の黄色は見事である。昼時に永田町の国会図書館から憲政記念館公園を抜けて皇居内堀沿いに散歩をしたが、お年寄りが大勢歩いていて、お巡りさんも大勢出て交通整理に当たっていた。昼休みのマラソンランナーにとっては迷惑だったかもしれぬが、皇居乾通り開放で押しかけた皇居紅葉狩りの人混みである。

中に交じって紅葉狩りも悪くないと思ったりしたが、余りの人出なので参加はしないことにした。帰りに立ち寄った友人に聞くと、憲政記念館は幕末には彦根藩の上屋敷となり、大老井伊直弼もここに住んでいたとのこと。水戸浪士の襲撃で命を落とした桜田門までは、直線距離にすれば600mと教えてもらったが、確かに目と鼻の先である。高低差が多分10メートル以上あるのではなかろうか。公園内は永田町からお堀を眺めながら降る快適な散歩道になっている。

東京には所々にこんな公園があるのも嬉しいが、皇居周辺を散歩して改めて思うのは都心の清潔さ。この辺は昔から、と言っても知っているのは昭和34年以降のことだが、薄汚くはなかった場所ではある。しかし約半世紀前、この皇居前の芝生の上で昼飯を食ったりしていた頃は、未だホームレスも沢山たむろしていたし、周りに都電は走るわ、空には電線が蜘蛛の巣状になっていた。周りのビルだって灰色がかった印象である。

それが今や、汚れを全く感じさせず、夾雑物が一切見当たらない。皇居にしても公園や街路樹にしても、遠くに映える丸の内のスカイラインにしてもだ、やや人工的な嫌いはあるが、見事なまでに空のブルーと調和している。最近は豊島区内のメインストリートでも電線の地中化がかなり進んで、空中が片付いている通りがかなり増えてきたように思う。街路の落ち葉清掃もかなりこまめにされているので、落ち葉の汚れも目立たない。外国の事情は詳しくないが、この清潔感は世界に冠たるものだろうと思う。

清潔であるばかりではなくて、安心安全でもあろう。中国にしてもアメリカにしても、一人でタクシーに乗ることさえ少し緊張したことを思うと、日本は安全度も世界に誇って良いかもしれぬ。そこに来てこの円安と来れば、中国や韓国からの観光客が増えるのも分からぬではない。永田町の政治にはうんざりだが、千代田区から中央区への美観を満喫した1日だった。

2014年12月4日木曜日

この道の先には

今日初めて事務所の近くを選挙カーがけたたましく喚いていた。「自民党からの公認、そして公明党からも力強いご支援を頂きました○○でございます。どうぞ皆様の暖かいご支援をよろしくお願い申し上げます。」総選挙序盤戦における各種世論調査では自民党圧勝で、単独300議席を超す勢いとのこと。与党だけで憲法改正の発議さえ可能になりそうと書いているところもある。

安倍総理は作戦が狙い通りにいって、目出度し目出度しで笑いが止まらぬことだろう。こっちは少しも面白くなくて投票する気も萎えがちだが、投票だけはすべきだと自らを励まさねばならない。予想通り自公与党が圧勝したら世の中はどうなっていくのだろうか?世の大半の人が、このまま与党に任せる他に選択肢はないだろうと思っているのだから、我が家の考えは相当常識とはずれていたことになる。党首の演説を聞いても公約にざっと目を通しても、何を言いたいのか理解に苦しむ野党のだらしなさからすると、それも仕方ないことか思わぬでもない。

年齢を考えれば、この先世の中がどうなろうと知ったことではないのだが、自公路線是認の人たちは、選挙後の日本がどんな道筋を辿り、それが自分の生活にどんな影響を及ぼすと見ているのだろうか?選挙後の来年になると、景気が上向き、多少の差はあっても我が暮らしも少し良くなる筈との思い込みが勘違いにならないことを祈りたい。知りうる範囲での話を総合して考えると、来年になれば消費意欲が出てきそうに考えている人は少ないのだが、付き合う範囲が偏っているのかもしれぬ。

そんな思いでいたら、今日沖縄在住の友人から電話が来た。序でに聞いてみると、彼の地は官需が極めて強い地域なので、現政権の公共事業等のばら撒きの影響は極端だそうだ。官庁に出入りさえしていれば予算獲得に不自由はない。予算さえ付けてしまえば、あとは野となれ山となれで、事業評価なんぞ気にしなくても良いらしい。それでも予算が消化しきれ無いと言うのだから何をか況やである。政府の末端である官庁の窓口担当者からすれば、国家の借金なんか関係の無いことかもしれぬ。しかしとどのつまりはどうなるのでしょうね?と友人も心配していた。

経済活動に従事している人は、先のことや他人のことなど考えていられない気持ちは解る。しかし、公益を専らにする筈の霞が関の高級官僚から代議士に至るまで、誰もが将来の日本、そして子孫に対しては極めて無責任であることが明らかである。土曜日のテレビ東京「田勢康弘の週刊ニュース新書」に出演した竹中平蔵氏が、金融政策の出口戦略についての質問に堂々と答ていた。「日銀黒田総裁も出口戦略なんか考えていないと思いますよ。マクロ経済政策によるデフレ脱却が重大で、正にそれを始めたばかりなんですから。これから数年経って必要にはなるでしょうが、今アメリカがやっている出口戦略を参考に、その時に考えればいいのです。」

小生も無責任さでは他人の悪口を言えたものでないが、こんな発言にびっくりしてはいけないのかもしれぬ。思えば我が国のお家芸如きもので、満州事変も日支事変も大東亜戦争も、原発にしても似たようなことかもしれぬ。始める時にはそれなりに立派な道筋が見えたのだろう。しかし予想外の結果があるとは考えず、予想の1点を外したら、その時の人誰かが責任を取ればいいだろう、である。結果責任は政権を選んだ国民にもあるだろうが、責任を常に最も重く受け止めているのは選挙権の無い天皇陛下だけかもしれぬ。

2014年12月3日水曜日

選挙の鶯嬢

愈々総選挙が始まった。今度の選挙は解散が電撃的であっただけに、多くの候補者が選挙準備が間に合わず苦労しているらしい。昨夜の食事時に面白い話を聞いた。上の娘から電話が来て「お母さん、鶯嬢に伝手はないかしら?」とのこと。聞くと幼稚園のママ友から頼まれているらしい。娘の所在地は板橋区、依頼してきた候補者は選挙区違いの中野区方面の候補者らしい。確かにもう大分昔、婆さんが豊島区議の応援を熱心にしていた時代があるので、ママさん仲間の話の徒然に娘がそんなことを言ったのかもしれぬ。

それで、友達からすぐに聞いてみてよとの依頼になったらしい。残念ながら、婆さんも応援していた区議も引退しているので、役に立つことはできなかったようだ。しかし、娘あたりにまで依頼してきた衆議院候補者の気持ちはよーく分かる。皆溺れる者で、藁にもすがりたいのだろう。と言って解説してくれた。先ずは今回立候補した大部分の候補者が似たような環境に置かれているだろうとのこと。昨日から僅か12日間の選挙運動期間であるが、この準備は相当手間のかかるものらしい。

アナウサー志望の女子学生のアルバイトを雇って、直ぐに使いものになると言う訳にはなかなかいかぬようだ。選挙鶯は台本を読めばいいと言うものではなく、機に臨み変に応ずる特別の技術も必要だし、なによりも公職選挙法についての勉強が必要。区議なんかでもそこそこのマニュアルがあるが、衆議院選ともなると、詰め込む知識も半端では済むまい。専門の人材派遣会社は当然あるが、そういった企業でさえこの暮れの選挙は予想外だろうから、需給バランスは大崩れしているに違いない。

なにも、鶯嬢だけではない筈で、あの選挙カーだって全く同一仕様のバックアップを常に用意しておく必要がある。と言うのは不思議なことに、区議選のように狭い地域でも必ずと言っていいほど故障が出るのだそうだ。安倍総理が解散を明言したのが先月18日、昨日までの2週間で選挙事務所から大道具小道具、なによりもチームを構成する人材の確保は、小渕優子さんのようによほどしっかりしたスタッフいないと先ず難しいのでは。が婆さんに見立て。

「日当1万5千円にもなるなら、丁度亭主の稼ぎが無くなって生活苦の折から、お前が行ければな。」「私だってやろうと思えば上手いものよ。その昔、あくまで事務所詰のみと言う約束で応援していたが、選挙が始まるとどうしても鶯嬢が間に合わないことがあって、その度に拝み倒されて地元を離れた地域で随分代役を務めたものよ。」料理番だけかと思っていたが、鶯までしてたとは初めて聞いた。事務所番にもそれなりの神経が必要で、スパイらしきものやら警官の見回りやら、選挙法をきっちり覚えていないといろいろあるのだそうだ。

テレビでは各党々首の演説ばかりが取り上げられるが、選挙事務所のドキュメントでも作ったら面白かろうにだ。こんな話聞いたせいか、昨日も今日も豊島区と千代田区の街中を一時間以上歩いたが、選挙カーのけたたましさには未だ一度も遭遇していない。

2014年12月2日火曜日

スキーシーズン到来

今日から本格的な冬型気圧配置となって雪国では降雪が続く予想になっているが、これまでのところ各地のスキー場は雪不足で、北海道では例年の30%ほどしか降雪が無いと嘆く声も聞かれていた。昨日法事があって長野に行って聞いても、志賀高原辺りも例年に比較すると雪はまだ少ないと言っていた。スキー場のオープンを待ちかねる年齢ではないが、つい先週の初めだったか、娘から「高2の孫がお祖父さんに、冬休みにスキーに連れて行ってもらいたいと言っている。都合は如何ですか?」との電話。

ここ数年すっかり祖父離れしている孫からのリクエストなので、むしろ喜んでご期待に応える旨の返事をした。ところが翌日再び電話があり「お騒がせしましたが、冬休みにスキーなんかしている陽気でなくなったようなので忘れてください。」で逆に少しがっかりしてしまった。帰宅すると婆さんが詳しい事情を教えてくれた。なんでも中間か期末か何かの試験の結果が出て、結果が予想以上に悪かったらしい。それで冬休みも勉強に打ち込まなければと気が変わったとのこと。そりゃ結構なことじゃないかと思ったが、そこからが面白い。

一緒にスキーに行く相談していた友人が2人いるのだそうだが、この3人で連れ添って副校長(昔の教頭先生らしい)に面会を求めて掛け合いをしたそうだ。我が身を振り返れば、職員室は校内で最も敬遠すべき恐ろしい場所。そこに自ら乗り込む度胸に先ずは感心するばかり。掛け合いは「冬休みに教室を開放してほしいことと、併せて先生に勉強を見てほしい。」結果、教室の開放は直ぐに了解が出されたようだが、言ってみれば補習授業をしてくれとの要求までは直ぐに返事が出なかったらしい。

当たり前だろう、先生だって1労働者だ。彼らがアルバイト代を支払うなら兎も角、なんで彼等の為に予備校の真似をしなきゃならぬのだ。親に相談して予備校にでも行かせてもらえ。大方そんな気持ちではなかろうか。孫たちにしても、高校生だからその程度のことは勿論分かっているだろう。しかし、敢えてそのような行動に出るのは如何なる存念なのか?面白くはあるが、少し理解し兼ねるところでもある。

何れにせよ己は勿論、母親である娘も、冬休みに自主的に勉強なんてことは夢にも考えたことが無いので、彼の心境を慮ることはできない筈。血筋からは窺い知ることが出来ぬ現象にせよ、スキーより勉強を優先する心意気は見上げたものだ。父がよく言っていた「山は逃げやせん。学生時代にやるべきことをしないと、後で悔やむことになるよ。」学生時代にやるべきことを疎かにして多少悔やむ結果にはなっているが、年を取ってから、山が逃げていないことを実感した。」スキー同行をキャンセルされて少しばかり残念ではあるが、それ以上に嬉しくも思うところがある。スキーする機会なんか、これからなんぼでもあるさ。

2014年11月30日日曜日

歳末恒例行事

遂に今年も残すところ僅か1ヵ月。明日は納骨式のためにまた長野行。長野行きは今年何度目か分からないが、山にも登らないのに異常に多かった気がする。昼食を食べた隣の飯屋、客が他に一人もいない。店主曰く「もう暮れだ、早くて嫌になるね。今年は何の充実感も無い年だった。」「全く同感だし、来年はもっと暮らしがきつくなりそうだよ。」と相槌を打った。

75歳に喃々として、人生に感激や充実を求めるのは贅沢すぎるかもしれぬ。前立腺癌が見つかったり、兄弟が亡くなったりしたが、そこそこ無事に過ごせたら、満点と感謝すべきかもしれぬ。昨日から今日にかけて、元スタッフの協力を得てあれやこれやと年賀状作りで過ごす。どうということは無いのだが、微妙な修正を繰り返すのが一つの楽しみ。やっと意見の一致を見てホッとした思いだ。あとは喪中案内の到着を待って名簿ソフトを修正すれば、一気呵成に180枚前後の年賀状が出来上がってしまう。プリンターのインク切れだけを想定して備えれば万事OKだ。

心入れが薄いと非難されるのは承知の介だが、長年の我が家の伝統でもある。父の年賀状は毎年「謹賀新年」の4文字だけだったように記憶するのだが、都合よく覚えているのだろうか?仮にそうであっても、父の時代はパソコンや名簿ソフトとは無縁の時代。己の横着を父のせいにしては罰が当たりそうだ。昔は兎も角、今や歳末恒例の行事なんか殆ど無いに等しい。個人的に手配していた歳暮の類は一切やめてしまったし、忘年会も全く縁が無くなった。強いて言えば同窓会2件と古い友人との会食の予定が1件あるのみ。

歳末を一種の武者震いをして迎えた大昔を思うと、大量飲酒で体調を崩す心配が無くて有難いようでもあり、何となく寂しい感じも無いではない。

2014年11月28日金曜日

減りゆく書店の中で

東京はとてつもなく広い。半世紀以上も豊島区に住んで、池袋を地元みたいに思って大体知り尽くしているつもりでいた。ところが今日、今までに一度も足を踏み入れたことが無い商店街を歩くことになった。一昨日婆さんから『池袋に「天狼院書店」と言う書店があることを知っているか?』問われたが、聞いたことが無かった。何でもテレビで紹介していたとのこと。評判の原因は、販売中の本を座ってゆっくり読める上に、お茶まで出してくれるそうだ。

本を読むために、書棚の片隅に椅子を用意している店があるのは知っていた。東口にある「ジュンク堂書店」である。我が家の近くから池袋のかけて、ここ15~10年くらいで書店は減る一方なのに珍しい話を聞いた思いだ。婆さんがテレビを見て態々メモを取ってくれておいたので、ネットで検索するとすぐに分かった。http://tenro-in.com/と立派なホームページが開設されている。場所はあずま通りで、一度も行ったことの無い商店街だ。

丁度、今日は半年に一度行くことになっている歯医者の検診日で、あずま通りは歯医者から目と鼻の先でもある。池袋で行ったことが無かった商店街を歩くのも興味深いので、行ってみた。書店とは名ばかりで蔵書が少なくて、手に取って読んでみたくなる本は1冊も無かった。椅子があります、炬燵がありますは宣伝通りにあることはある。確かに若いお客が4、5人はいたように思う。
どんな人がどんな本を手にしているかは分からない。5分も居ずに出てしまった。

帰りに近所にある「ジュンク堂書店」に寄って少し時間を潰す。こちらの蔵書点数は池袋随一。幸い椅子が空いていたので、新城カズマ著の「島津戦記」を取って読みだした。今評判が高くなっているそうだが、確かに面白い。危うく買ってしまいそうになったが、衝動買いはいけないと思い直して書棚に返した。不吉なことを予言しては申し訳ないが、新しいスタイルのつもりでも書店経営はやはり大変そうだ。小売業の全てかもしれぬが、資本力の相違が益々格差をつけていくのだろう。

2014年11月27日木曜日

メディアの矜持

サンデー毎日の年金暮らしであっても、大方の人は日常がパターン化しているのではないだろうか。小生の場合、月ー金は6時半(土日は1時間遅れ)の起床から22時半の就寝まで、所々にタイムスケジュール上のチェック・ポイントがあって、することもかなり定型化している。テレビ番組もその例に洩れず、平日観るテレビ番組は殆ど決まったようなものだ。朝はテレビ朝日の「グッド・モーニング」、夜は7時の「NHKニュース」と9時54分からのテレビ朝日「報道ステーション」最初の30分である。あとは歌謡番組が多い。

4半世紀前の現役時代、22時台に報道番組なんか持ってきて商売になるかと問題視された時代が懐かしいほど、現代はかなり深い時間帯に報道番組が並んでいる。それは多くの国民が社会問題について意識している証拠で、結構なことかもしれない。昔は報道はTBSと言われた時代もあったが、現代はそれは通用しないだろう。娯楽一辺倒のように見られていたフジテレビでさえ、最近は報道にも力を入れている。

一言で報道と言っても、昔は政治報道に関しては圧倒的にNHKが強かった。取材力の差で、報道内容の深さと正確性に於いて民放各局の追随を許さなかったように思う。観ている番組が少ないので的外れになるかもしれぬが、NHKの政治報道が精彩を欠いているように思えてならない。世界中に取材拠点を持って、豊富な人材を張り付けていると思うが、民放との差が見えてこない。長年の習慣で19時から30分はニュースを観ているが、つまらない日が多い。

政治報道に関しては日曜朝9時からの「日曜討論」がNHKの売りだった筈だが、最近は退屈極まりないものが多すぎる。一応録画してあるのだが観ない日が多くなってしまった。司会者個人の資質や不勉強もあるかもしれぬ。数年間に亡くなった岡村和夫氏が司会していた頃が懐かしい。一言言えば、政治家となぁなぁの関係を持つことは同じかもしれぬが、岡村氏は番組でその馴れ馴れしさは微塵も見せず突っ込みが厳しかった。現在の司会者を見るに馴れ馴れしさと上から目線には辟易する。「安倍さまのNHK」なんて言われて恥ずかしい思いの社員も多いだろう。

ところで今日、駅の売店で夕刊紙の広告を見ると「自民党がテレビ局に圧力」と書かれている。帰宅してネットで確認すると、今月20日安倍総理の解散記者会見前日、自民党筆頭副幹事長萩生田光一氏名で在京テレビキー局の編成局長と報道局長宛てに次のような文書が送られたとのこと。<選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い>要点は4点、1.出演者の発言回数と時間の厳守。2.ゲスト出演者の選定を公正中立に。3.テーマの選定 特定の立場に偏ってはいけない。(電話で問い合わせたら、政策については避けるようにとは?)4.街頭インタービュー等で一方的な意見に偏るな。

何でも18日の解散記者会見当日の夜、安倍総理自身が『ニュースウオッチ9』(NHK)を皮切りに、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)、『NEWS23』(TBS系)に立て続けに出演したそうだ。その中、『NEWS23』で示された街頭インタビューに切れて、「厳しい意見を意図的に選んでいる」と陰謀論まがいの主張をまくしたてたと報じられている。どうもその直後にこの文書でテレビ局に圧力をかけ始めたらしい。

第三者的には子供じみた振る舞いと笑ってしまえそうだ。しかし選挙管理委員会やBPO(放送倫理・番組向上機構)からであれば兎も角、政権政党が何を思い上がったにせよ、報道の自由に圧力をかけるのは論外だろう。更に大きな問題は、これを受けた局側の姿勢だ。この奢りに対して目をつぶって不問に付すのが正しい姿勢と言えるかである。18日の夜テレビ出まくった総理が「報道ステーション」に出演しなかったのは、司会の古館が嫌いだからとの説があり、関連して3月を以て古館降板の噂もしきりである。

確かに当日の「報道ステーション」はテレビの電源を切るまで高倉健一色だった。冒頭に総理なんかが出て来たら、もっと早く寝てしまっていただろう。

2014年11月26日水曜日

デジタル化時代

2日続けての終日雨。朝から暗く冷たい1日であった。じっと座っていては滅入る一方だし、運動不足は身体によくない。勝手な思い込みで、有楽町のカレー屋に行って昼食。さすが江戸の中心だけに店は超満員。不景気が嘘のようだが、50人近いキャパの店で圧倒的に出ているのは980円のハンバーグ定食。美味しいことは否定しないが、千円以下では唯一のメニューである。小生注文のカレーも3月までは980円だったが、4月から1250円と大幅に値が上がってしまった。

入店した時刻が12時半近くと最悪の時間帯だったので、小生を含めて6人が空き待ちをしていた。10人近い従業員が客の注文を大声で捌くので、活気があって気持ちが良い。10分足らずで席に案内され、食べ終わったのが1時ちょい過ぎだったが、もう空席が半分近くできていた。繁盛しているようでもこの雨の中、ランチで4回転200人の客を集めるのは大変そうだ。食事を済まして有楽町から永田町の国会図書館まで歩く。

距離的には恒例の池袋往復には少し足りないが、二駅分なので片道分は確実に稼いだことになる。土砂降りの上に風も強いので、図書館についたら背中やズボンの膝下はびしょ濡れだった。借り出し図書の注文から受け取りまで20分くらい時間が掛かる。この間にデジタル化された古い新聞や雑誌を、コンピュータ画面で読むことができるのが有りがたい。こればかりは都会の特典と言える。少し前まではこんな仕掛けは無かったし、閲覧室でパソコンを持ち込むことができる席も限られていた、

確か今年度からだったように思うが、閲覧室は全ての席にパソコン用の電源とLANケーブルのポートが設置されているし、全館WiFi環境にもなった。備え付けのパソコンでデジタル化された資料を読んで、必要愛な個所をその場から印刷依頼も可能だ。現役時代にテレビ制作に関わっていた頃、リサーチャーなる職種の人が居て、図書館通いをしていたものだ。多分今でもリサーチャーはの存在は欠かせないだろうが、僅か20年かそこら前と比べれば、格段に仕事の能率は上がっているだろう。

世の中変れば変わったものだが、デジタル化の進歩とトレードオフで人間がバカになるとの説もある。確かに電話番号なんか脳みそに刷り込まれているのは、精々5つ、無理しても10指に足りない。携帯を落としたら先ずお手上げだろう。電車に乗って見渡せば半分近くの人がスマホと睨めっこだ。二人連れで乗り込んでさえ、そうしている人までいるのを見ると、一体何をしているのか教えてほしくなる。静かではあるが、これが暗くて不気味な空気を醸し出していると言っても過言ではあるまい。

2016年度からはマイ・ナンバー制なるものがスタートするそうだが、デジタル化対応で社会的に効率は上がるのだろう。代わりに何かが遠のいて行く予感がする。

ところで、デジタル資料で読んだ雑誌は「諸君」(既に廃刊になっている)1987年2月号。新年の発売、当時47歳でこの年の8月初めての転職を決意したので、何となく開いてみた。目に留まった記事がこれ。
「2005年は日本のたそがれ」
ー1国が永遠にトップにはなれない。欧州が100年なら米国は半世紀、日本はトップになれないが、繁栄が続いても精々30年がいいとこだろう。ならば日本の峠は2005年?ー

当たらずとも遠からずの感あり。森本哲郎、木村尚三郎、神谷不二。三氏の鼎談だった。

2014年11月25日火曜日

ミリオネアーの増加

16時になると辺りが暗くなっている。今日は朝から氷雨で、気分も懐具合も同じ何となく冬モード。日本では今年1億円以上の資産家になった人が22%増えて230万人になったそうだ。母数の約180万人は別にすると、50万人近くが今年目出度くミリオネアーの仲間入りを果たしたことになる。株価が急騰したお陰だろう。安倍総理は、景気が良くなりつつあると胸を張る時によくこの数字を引き合いに出す。

しかし日本の世帯数を4500万世帯とすると、230万はざっくり言って僅か5%。残り95%の人は2~3年後にそのおこぼれに与れる筈だから、今は我慢して待っていなさいと言うことらしい。全く笑わせてくれる話だ。今年急増したミリオネアーの大半は株の急騰があったためだろう。株式投資をする人は、想像するに資産を増やすことが目的で、増えた資産を消費に使うなんてことは考えるものだろうか。

ましてや外人投資家ならなおのこと、日銀から大量にばら撒かれたお金の大部分は外国投資ファンドに廻って、これが大儲けして日本の富が海外に流出しているそうだ。これが日本の消費とは関係ないのは当たり前。GDPの6割を占める国内消費が伸びる筈もあるまい。経済なんかど素人の小生でも分かる。

歳末となれば、あれを買いたいこれを買いたいという年齢ではないので、ひたすら無駄遣いしないことだけ心掛けているが、同じ思いの人が多いようだ。街を歩いても何となく切ない顔の人が多いように感じてならない。商いをしている訳でないので、実態は違っていればいいのだが、昼間顔を出す先々で聞くのは、不景気な話が圧倒的に多い。

長野の地震災害もそうだが、年末に政治空白が出来てしまったので、今年度の補正予算や来年度予算の施行は間違いなく1か月以上遅れざるを得ないとのこと。被災者や公的支援を待ち望んでいた人々からすれば、選挙なんかしている場合か!の思いが一層だろう。しかし、選挙に向けた政治家のポスターだけが増えつつある今日この頃だ。

2014年11月24日月曜日

アベノミクスでデフレが加速?

経済学が難しい学問なのか、それとも日本の経済学者の知的レベルが低いのか?先日テレビで元日経の経済記者田勢康弘氏が「解散の原因になった今年7-9月期GDPがマイナスになると予想した経済専門家が一人もいないのは、どういうことでしょうかね。」と言うのを聞いてそう思った。確かにマスコミの論調は概ね足並みがそろっていたと思う。田勢康弘氏曰く4-6月期は消費税アップの影響を受けて大幅に落ち込んだものの、7-9月期になれば持ち直し、2~4%のアップになるだろう。でマイナスになると言った専門家が一人もいなかったようだ。

テレビに出て来る人ばかりが代表的専門家だと思わないし、時にはテレビで堂々とアベノミクスを批判する専門家もいる。しかしその人は本当に限られていて、浜矩子さんなんぞ何となく変り者扱いされているように見える。先月2日TBSサンデーモーニングに初出演した慶応の准教授小幡績氏なんかも珍しくアベノミクス批判論だったので、又観ることを期待しているが、多分もうメジャーテレビへの出演は無いだろう。

今日は休日でもあり、余り運動をする気にならないので、ある老(78歳)経済学者菊池英博氏のロングインタービューをじっくり聞いてみた。1冊も著作を読んだことが無いしテレビでも観たことが無いが、それなりに有名な専門家のようだ。成程と思うことが多かったが、そもそもテレビは押しなべて大政翼賛化していているそうだ。テレビに出て来るその道の専門家は全て金融、証券界の人たちなので政府や財務省の政策を批判することはできない。従って、私は彼等の言うことを全く信用していないとのこと。(本人は大蔵省や金融機関に在籍した経歴はあるが、現在は独立してシンクタンクを主宰している)

アベノミクス批判の前に、日本の経済の大きな流れについて解説があって興味深かった。曰く、小泉時代の構造改革から日本経済の流れが大きく変わった。小泉改革とは、アメリカのレーガノミクスと言われる構造改革の模倣で、税金を広く集める代わりに富裕層に対する課税を極端に緩めた。結果アメリカに起こったことは極端な格差拡大である。金融をいくら緩めても、それだけで経済が好転しないことを、アメリカは失敗例として示している。FRB最高責任者だったバーナキン氏は辞任直前「金融をいくら緩和しても、実体経済が良くなることは論理的にあり得ない。」と述べて責任を取って引退しました。

この失敗を懲りずに引き継いでいるのがアベノミクス。政府は少しずつ経済は上向き始めてデフレ脱却が始まっています。今この流れを止める訳にいきません。他の道は無いのですと言うが、菊池氏は次のように語っている。

『私は4-9月期の数字を持っていますが、今年の1-3月期、消費税を上げる以前に比べると8.8%のマイナスです。これは国民所得(全体が約530兆として)が47、8兆落ちていることになります。ですから、デフレは一段と加速しています。

 デフレを脱却していると、安倍さんや黒田日銀総裁が言っているのは消費者物価の上昇のことです。これは一面しか見ていない。実体経済を回復させないとデフレ脱却にはなりません。

 円安によるマイナスインパクトが強く、実質賃金も下がっている。だからデフレですね。一方、消費者物価は上がっている。不況下における物価高はスタグフレーションですね。現在はスタグフレーションなのです』

少しばかりのお勉強ではどちらが正しいか分からないが、成程と思わぬでもない。

2014年11月23日日曜日

昼の散歩

小春日和が続く結構な連休なのにのどの痛みと鼻の具合がよくならない。実に鬱陶しい。遂に今週はプールを休んでいる。一度休んでしまうと気が抜けたみたいで、もう几帳面にプールに行くのも辞めてしまおうかと思いはじめた。身体の具合が悪いと精神まで弛んできてしまうのだろう。

そんなことより昨夜の長野の地震にはびっくりした。今年は天変地異が多い、昨シーズンに引き続きが雪が多そうなので互いに気を付けようと、つい先日長野の弟やり取りしたばかりである。雪より先に本物の天変地異が長野を襲うとは、来月1日には法事やらでまた長野の山寺に行くことになっているが、墓石がちゃんとしているかも心配である。

婆さんが言うには、国の祀りごとが乱れているので神様が怒っている、だそうだ。老夫婦がそのように感じても、肝心の為政者共は屁の河童だろう。困ったものだ。

引き籠ってネット碁だけで熱くなっていても仕方がないので、気晴らしに六義園を散歩してきた。紅葉も真っ盛りで見事だが、人出も半端でない。やはり外国人が多い。古川庭園なども序でに行こうかと思って出掛けたが、人出に辟易して六義園だけで帰ってきてしまった。元禄時代に幕府側用人柳沢吉保が7年かけて造園し、維新後に三菱の岩崎弥太郎が買い受け、その後東京(府?)に寄付されたと説明書きがあった。

幕府側用人と言えば現代の内閣官房長官だろう。賄賂全盛の時代とは言え、現代の官房機密費年間20億円だったかと大差あるまい。己の下屋敷(約3万坪)に迎賓館を造営したようなものだろう。ふと田中角栄氏の目白御殿を思い出したが、江戸幕府高官や明治維新に生きた経済人のスケールのなんと大きいことよだ。併せて造営した柳沢吉保がここを六義館(むくさのたち)と命名したのは、和歌に因む事のようで、紀貫之が書いた古今和歌集の前文から採用と知ると、往時政府高官の教養の深さが伺えて感無量でもあった。

2014年11月22日土曜日

見逃されそうな選挙の争点

今回の選挙は「法律に定めのある消費税の増税は、極めて重大な決断ですので、国民の皆様に信を問うのです。」18日の記者会見で安倍総理が述べた選挙の理由である。それが解散当時の昨日になったら「今回の選挙は我々が推進してきた経済政策、アベノミクスの是非を国民に問うのです。」に変っていた。意図的に争点をぼかしているのか、どう説明されてもこじつけ以外には聞こえない。

多くの国民は安倍政治の総合的評価で審判を下すことになるのだろうし、又そうなることを期待している。総合的評価の中に取り込まれにくいと思われるのが外交ではないだろうか。この2年間、総理は積極的平和主義とか地球儀俯瞰外交とかで従来のどの総理より多くの国を廻ったそうだ。その結果我が日本に何がもたらされたか?個人的にはっきり認識できるのは、昨年ブラジルに出向いて猪瀬都知事と共に2020年のオリンピック招致に成功したことくらいだ。

他に多くの国で、首脳会談の結果○○で意見の一致を見た、との報道が多々あったが何一つ印象に残るものが無い。米中韓との関係については取り敢えず触れないことにして、ロシアとの関係もすっかりおかしくなってしまったみたいだ。ロシアのウクライナに対する外交政策について言うべき言葉を持たないせいだろう。お互いファーストネームで呼び合うほど、本当に個人的関係が良かったなら、肝心な時こそきちんと会話すべきことは当然であろう。

表には出せなくても「アメリカとの関係上制裁に参加するからね。」ぐらいは直接言っておけば、その後のロシアも対応が随分変わっていただろうが、どうもそんな上等なことはできていないみたいだ。全く逆のことが北朝鮮の拉致問題である。秋の初めとされていた調査報告が遅れた理由について、日刊ゲンダイには次のように報じられいるそうだ。曰く「拉致被害者の調査結果が官邸の満足いくものでなかったので、突き返した。」

当初はそんな報道に過ぎなかったが、年末になるとさらに深堀した内容がネット上で見られるようになる。即ち、韓国に亡命した元横田めぐみさんの管理者が明らかにした情報で、めぐみさんは残念ながら40歳前に精神衰弱で入院して、病院で死亡。韓国ではインターネット上で公開されているらしい。この件は韓国政府からも正式に官邸に伝えられたが、官房長官は確認できないとして、取り合っていないとのことである。外交問題は国民に開示できることが限られているのは理解できる。しかし都合の悪いことは見なかったことにしてスルーしてしまうのは、どう考えても最優先で取り組んでいるとは言えない。

似たような話はイスラム国関係にもある。今日発売「週刊ポスト」の記事だそうだ。過日世間を騒がせた「北大生イスラム国志願」を手伝ったとされる中田考・同志社大学客員教授のスクープ・インタビュー記事。先ず、中田教授が1992年から94年の間、サウジアラビアの日本大使館に専門調査員として勤務していたという事実がある。彼は研究や取材のために、イスラム国の司令官であるウマル・グラバー氏とスマホのアラビア語のチャットアプリで日頃から連絡を取り合ってたとのこと。(これは彼のロング・インタビューをネットで観たので知っている)

そしてそのウマル司令官から、8月26日に、あの日本人湯川春菜氏をイスラム法に基づく法廷にかけたいのでその通訳をしてくれという依頼を受けていたというのだ。しかし外務省が渡航許可を出さなかったばかりか、検察に家宅捜査までさせている。好き嫌いは別にして、湯川氏も日本人であるのは間違いない。官邸としては、今のところ大した外交問題でないとの判断だろう。このような判断で国連問題にせよ何にせよ、日本が一人前の主権国たりえないのは明らかだ。

選挙の争点に入らないだろうが、敢えて言っておきたい。

2014年11月21日金曜日

気候変動

まだ11月と言うのにアメリカではほぼ全国的に大雪になっているらしい。今年は我が国でも大雪や大雨の自然災害が続発したが、地球全体の気候が大分おかしくなっている。一昨年太陽の磁場に激変が起って以来、太陽活動が弱体化して、その影響で地球の気温が下がっているなんてこともどこかで読んだ。地球の温度はどうやって計れば分かるか知らないが、ここ数十年地球温暖化なんて大騒ぎしていたのは何だったのだろう。どちらが正しいか、恐らく誰も確信を以て断定できないのだろう。

でもここ2年か3年スキー場では雪不足に悩まないのは事実。大学1年生か2年生の頃だったと思うが、クリスマスイブからやっと雪が降り始め、クリスマスにブッシュだらけのスキー場で滑った記憶がある。3月末には雪が腐ってスキーがつまらなくなったシーズンもあった。しかしこのところ数年3月にスキーをしているが、いつも真冬並みに雪だけはたっぷりあった。今シーズンもそんな予定でいるので、雪に不自由しないとすれば、それはそれで嬉しいが、日本だけでなく地球全体が寒冷化に向かっているとすれば、別の心配もする必要があるだろう。

ここ2年続けて東京でも雪かきの必要があった。2度あることでこの冬も覚悟だけはしておいた方が良いかもしれぬ。自然現象ばかりは予測が難しい。昨日も少し揺れが大きい地震があった。どんなに科学が進歩しても、予期せぬ大災害のために何をすべきか、近くの避難場所を確認するくらいしか思いつかない。火事が発生したら、果たしてそこに辿り着くだろうか?考え始めると切りが無い。余り深く考えずに、いざと言う時は運命と思うしかなさそうだ。

2014年11月20日木曜日

安倍総理 長いお付き合いになるかな?

2年間安倍内閣の悪口を書き続けてきたが、書くことが無くなったら安倍晋三と言う人物が段々可哀そうに思えてきた。嘗てお腹を壊したり、最近は歯科医通いが報道されている。18日の記者会見を聞いて思ったのは、余りに滑舌が悪いので、歯が1本抜けて発音の際空気が漏れているのかなであった。婆さんに聞くと、そうではなくて前からのことのようだ。「子供の頃の発達障害か、教育に問題があっただけのことよ。」

そう言われると、確かに安倍総理は普通の大人にしては語彙が非常に少ない。第1次安倍内閣発足時、まだ小学生だった孫が何を思ったか、新総理の映像を見ながら「安倍さんは総理になるより官房長官でいた方が良かった。」と呟いたことが我が家の語り草になっている。その呟きを聞いて当時は何も思わなかったが、確かに自分の考えを言葉で表現することが苦手のようだ。「○○に於いてはですね」とか「しっかりと○○していきます。」語彙が少ないから耳障りな余計な形容詞や形容動詞を頻繁に発してしまう。当然ながら他人との会話も上手くできないだろう。

特に外交場面における会話は、英語にしろ日本語にせよ台本以外のことは殆ど喋れないのではなかろうか?銀座のすし屋でオバマ氏とさしで会食した時も、オバマ氏が専ら喋り捲くったと伝えられているが然もありなんだ。当然かもしれぬが、演説の台詞が又ご粗末。先日の記者会見で使った「国民の声を聴いてみたい。」は明らかに小泉元総理からの借りものらしいが、誰が台本を書いているか分からぬが、この引用で一段と解散の意味が混乱したと指摘する向きが多いようだ。側近にしても総理の本音を掴むのがそれだけ難しいのかもしれぬ。

更にはあのキレやすい性格、曲がりなりにも総理大臣である。本人だって分かっている筈で、注意はしているのだろうが、どう表現すれば相手に自分の意思を伝達できるか、この表現で相手に伝わったのは自分の考えの○○%くらいだろうとの判断が難しいようだ。頭が良いの悪いのは別にして、性格的な未発達は本人の努力より家庭環境が大きいと思う。聞き分けのない子供を教育するのは母親の役目が普通だが、総理は多分家庭的には相当恵まれていなかったに違いない。

それだけでも同情に値するし、一応結婚はされているが、子供が持てない上に奥さんとの関係も決して家庭的なものではないようだ。これで普通人の感覚を持て、とは土台無理な注文だろう。一見したところ性格的に非常に強そうであり、周辺ではしきりにそこを強調するが、これも相当に怪しいだろう。京都の男殺しのおばさんのように平然と嘘をつけるタイプでもなさそうだ。

たまたまネットで次に引用する若い人と多分高齢者のツイートが目に留まったので、同情論を書く気になった。
-以下引用-
安倍氏のTV生出演で、雲行きが変わってきたようだ。職場でも、普段政治の話なんか一切しないスタッフたちが、 「なんで今解散なの?」「夕べのTV見た?安倍さんの目、ヤバくない?」とダベっていた。皮肉にも、安倍氏の頼りにしていたTVの影響力で、B層と呼ばれ る人たちでさえ、首を傾げ始めた。

「今に景気が良くなる」「今に給料も上がる」、どんどん泥沼に踏み込んで行っているのは明白なのに、「今に勝てる」「今にカミカゼが吹く」と唱えながら一億玉砕に向かっていった「当時」と同じくなってきた。戦中回帰を夢みる安倍首相の「個人的趣味の世界」に、これ 以上、付き合わされてなるものか。
-引用終り-

このところ総理はテレビ出まくっているようだが、記者会見以降1度もそのテレビを見ていない。少し残念と言えば残念である。

2014年11月19日水曜日

俳優高倉健と総理大臣

昨日から今朝にけて報道各社はトップニュースの取り扱いにさぞ悩んだことだろう。一つは俳優高倉健氏の死亡に関する件、方や幾ら国民が聞き飽きたと言っても総理大臣の記者会見である。しかも只の記者会見ではない。開催中の国会の全て放り出して衆議院の解散を打つと言うのだからただ事ではない。極めて重大な案件があって然るべきであるが、自身があと数年総理の座にしがみつくためだけに選んだ解散であることは明白なので、トップにしたところで悪口以外の記事の書きように困るのは関係していなくても分かる。

しかし仮初めにも総理大臣様のお声がかりとなれば、トップにして、しかも多少はヨイショをしない訳にいかない。NHKでさえあざとくトップにちょこっと高倉健を持ってきて、総理記者会見を挟み、後に又高倉健を持ってくるなんて構成をしていた。高倉健については昼からテレビ報道があったようで、家に帰って毎晩9時から30分くらいは見ることにしている9時のニュース番組を、チャンネル権を持つ婆さんが見せてくれなかった。高倉健はもう十分見たし、総理の顔を見るのも声を聴くのも不愉快なんだそうだ。

民放はその点はっきりしている。どちらに意味(たとえ内容的には意味が無くてもだ)があるかよりどちらが高視聴に繋がるかが問題なのだから言うまでもない。今朝の新聞でさえ、高倉健氏のことは1面に扱い、全ページ合計すれば記者会見関連を遥かにしのぐだろう。昨日の総理記者会見は約30分、冒頭に20分が総理の演説で、これは殆ど生で聞いた。引き続き記者の質問があったろうが、7時半には事務所を締めることにしているのでテレビを切ってしまった。婆さんの台詞ではないが、官邸記者クラブの記者の質問なんて八百長相撲より下らない。

昨年高倉健氏が文化勲章を貰った時は少し違和感を覚えたものだ。婆さんに言わせると、文化勲章は兎も角、国民栄誉賞の価値はあるとのこと。「森光子さんでさえ受賞しているのだから当然じゃない。」「私は高倉さんの映画を一度も見たことが無いので的確じゃないかもしれない。どう見てもあの人は演技力が無いと思うわ。しかし演技力が有るか無いかの問題ではなく、国民的人気でしょう。」その通りである。大ファンだった一人として言わせてもらえば、高倉健氏の演技力なんてどうでも良いことだ。

演技力とは何かよく分からないが、60年代に彼の映画を殆ど見た立場からすると、彼と自分が一体化したような気分になったのは事実。これも評論家がしきりに言う通りだ。「映画館を出て来る若者がすっかりその気になっていた。」罷り間違えば本物のヤクザになりかねない危険性もあっただろう。今考えると冷やっとする。「八甲田山」あたりからだろうか、文学作品ぽいものに出るようになってからは殆ど見ていないので、彼の印象はひたすら格好いい「兄い」である。映画を見なくなって暫くしてからだから80年代中頃だろうか、新宿のホテルでエレベーター前に佇む彼を見かけたことがある。

黒っぽいジーパンと似たような色のジャンパー姿の只の小父さんみたい、一瞬別人かと思うほどで、俳優らしくない恰好が余計印象深かった。昨日今日のテレビを見ていると、仕事とプライバシーを完全に切り離す性格だった様で、普段は余り恰好を付けなかったようだ。最近久し振りにコマーシャルに出ていたので懐かしく思っていたので残念でもある。総理が訪問しても碌に歓迎しない中国の外交部洪磊報道官が公式に弔意を表してくれたそうだが、小生も冥福を祈りたい。

2014年11月18日火曜日

老人政治家

石原慎太郎氏は82歳ながら出馬すると宣言したらしい。議員に定年は無いからお好きにどうぞなんだろうが、年間一人当たり2億円近くかかると言われる議員歳費を思うと、やはり議員が多すぎる。まともな神経の人ならば、70歳を超えて議員をしたいとはなかなか思わないだろうに。しかし政治家は最初からまともな人間が少ないのかもしれぬ。接骨院の先生曰く「今回の沖縄知事選に立候補した仲井眞元知事、あの方は昨年暮れに東京に来たとき確か車椅子に乗ってましたね、何時元気になったか知りませんが、知事選に出馬は無謀ではないですか。」仲井眞氏も75歳、石原氏より少しましではあるが、何がそんなに闘志を燃やすのだろう?

民主党では政権時代に内閣の要職を歴任した仙石由人氏が立候補せずに政界を引退すると発表したとのこと。68歳だそうだが現在落選中でもある。年恰好から言えば適切な判断だろう。個人的には好みの小沢一郎氏なんかも72歳なので、現役議員は引退すべきだと思うが、昨夜もテレビ党首会見の様子が放送されていた。未だ生臭さが抜けないのは少し残念である。その他では自民党税制調査会長の野田毅氏が安倍総理に楯突いた咎で公認されなくなるらしい。73歳であれば自ら議員は辞めるべきだ。

総選挙になると面白い話題が出て来るものだが、幾ら高齢化社会だからと言っても、否だからこそ年寄りは引っ込むべきだ。当選回数10回以上も重ねて自分が思いを実現できず、後継者も育てられないのであれば、当人の能力の限界が見えたと同じこと。なんでそんな簡単なことに思いが及ばないのか、そんな人間を選んでも国民は報われないと思いはじめた。来年あたりから政治の潮目が変りそうな雰囲気もある。

単に若ければいいと言うものでもないだろうが、政治を志す若者の中には優秀な人が居ても良さそうだ。多分現段階では潜在しているのだろう。現役で70歳を超える、或いは当選10回になるような政治家は、さっさと引退して若い政治家の後見役で活躍願いたいものだ。

2014年11月17日月曜日

年中行事 初冬の風邪ひき 

気を付けていたつもりだが、この週末風邪をひいてしまったようだ。昨日は午前中いつも通りにプールに行って泳いでみたものの、昼飯を食っている時からかったらくて、いつものように事務所に行ってパソコンを立ち上げる気にならなかった。自宅に帰って布団にもぐりこみ、録画してあるテレビを見ながらうつらうつらしていた。今朝まで十分すぎるほど睡眠を取ったので、何とかなるかと思ったが、何ともなっていない。喉は痛いし鼻水が止まらない。

仕方がないので近くの耳鼻咽喉科に飛び込んで診てもらう。順番がひとつ前でお婆さんに連れられてきた男の子、多分5つか6つだろう。看護婦さんに「診察室に入ってください」と名前を呼ばれると、「怖いよぉ」と急に大声で泣きだし玄関の方に飛びだしてしまった。気持ちがよく分かる。小生も喉の奥を見せるのが下手というか、口中の構造がおかしいらしい。「深く腰掛けて、顎を上げて舌を出して、あ~と高い声を出してください。」との指示に対し、自分ではそのスタイルを取っているつもりであるが、喉の奥が見えたためしがない。

いつも無理して声を出しているので喉が狭くなっている、と先生は仰るが、本人は無理に声を出しているつもりはない。しかし自分で聞いても、元々少し調子っぱずれの変な声だと思うこともないではない。男の兄弟5人のなかで育ち、子供の頃から何かと言えば自己主張を大声で喚いていたせいだろう。カラオケと縁遠いのもむべなるかなである。

先生は「仕方ないわね、今回もまた内視鏡で視ましょう。」とやっと言ってくれたが、昨年も同じ症状で掛かっているのだから最初からそうしてくれ、と言いたいところだ。しかしその後で月曜日恒例にしている接骨院に行って、その話をすると「内視鏡診察は高いのです。」と教えられた。戻って明細を確認すると、成程内視鏡診察は健保点数600点(実質6千円)である。従って耳鼻科の先生は、患者や何より国家に無駄な金使わせないよ気遣いをして下さっていた訳である。

ともあれ鼻から内視鏡を挿入すると患部が一目瞭然、鼻の奥と喉がかなり荒れているらしい。汚い鼻汁を取り除いて頂く時は一瞬「おえっ」となるが、前の坊やのように泣き出す訳にもいかない。薬を処方して頂き服用し始めるが、風邪と言う奴はおいそれとよくならない。「5日経って良くならなかったら、また必ず来てください。」とのこと。毎年恒例のように引く風邪である。友人のなかには風邪なんか引いたことが無いと言う人もいる。どうすればそんなに元気でいられるのだろう?

勉強したつもりでも成績が上がらないのと同じで、相当気を付けていても毎年引いてしまうのは、何かが間違っているのか、或いは体質の一種か、その辺は分からない。当分はおとなしく暖かくしていよう。

2014年11月15日土曜日

選挙が本決まりらしい

昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」に出演したゲストが面白かった。名前は記憶していないが、アフリカはルワンダ在住の実業家。30年以上アフリカに根を下ろしてナッツ食品の製造で大成功している人だった。ルワンダがアフリカのどこにあるかまでは知らないが、映画「ホテル・ルワンダ」を見ているので、悲惨な内戦があったことだけは承知している。どうすればあんなに恐ろしいところに留まっていられるのか、信じ難いものがあるが70代半ばには見えないとても矍鑠とした紳士だった。

そのゲストに司会の古館氏が「暮に行われるであろう総選挙についてどう思われますか?」と質問すると、すかさず「素晴らしいことだと思います。」とのこと。思わず古館氏も「え?」だった。「アフリカに行けば、国民のことはさて置き好き勝手なことをする政治指導者が、生涯トップに居座り続けている国が今でもあります。そこに行くと日本は、トップ自ら僅か2年で、信を国民に問うと言うのですから、こんな素晴らしいことはありません。」

これを聞いて、改めて世界は広いものだと思った。「報道ステーション」の前番組がサッカー・キリンカップ中継で全日本とホンジュラス代表だったが、ホンジュラスなんて国もどこにあるのか知らない。大した国ではなかろうと思っていたらワールドカップに2回連続出場しているそうだから、大した国なんだろう。話があちこちになってしまったが、200以上も国家があると専制国家は北朝鮮以外にもあちこちにあるようだ。イスラム国なんて国家もどきだって、その勢力圏内に多分相当な人数が暮らさざるを得ない状況になっているのだろう。

要するに、頭の片隅にもない広い世界にはとんでもない環境に置かれている人々が沢山居て、その人たちからすれば日本は極楽みたいものかもしれぬ。政権がどんなに質が悪くても選挙で選ばれた政権であり、これを選挙で変えることも可能であることは、昨夜のゲスト氏が言う通り素晴らしきことと受け止めるべきだ。我が家の婆さんも当初頭に来て「もう今度の選挙は行かない。」と言っていたが、最近少し気を取り直して「創価学会系は無理だけど、自民党系の友人(やはり棄権すると言っている人が居るようだ)には、投票に行って民主党系に投票しなさいと言おうかしら。」なんて言ってくれる。

嬉しい限りだが、我が選挙区では自民党系が10万票、対する民主党系は確か5万票だったので逆転は難しいだろう。しかし1票でも投票することには意味がある。こちらご近所に友人が皆無なので何の役にも立たぬが、婆さん顔が広い。大いに頑張ってもらいたいものだ。

2014年11月14日金曜日

最近の暮らしぶり

幾ら外国旅行とは縁が無くなったとはいえ、80円で買えた物が115円以上出さないと買えないとなると、庶民にとっては大変な筈だ。海外旅行に縁が無くても、食料品から衣料の果てまで輸入製品に取り囲まれて暮らしているのだから、お金の購買力が30%も落ちれば家計が苦しくなるのは当たり前だ。しかし正直なところ、お小遣い1日千円で暮らしているとあまりピンと来ない。4月前と同じ料金で頑張っている店にばかり行くせいだろう。お店のご主人はその分大変だろうと思う。しかし家計の大部分を握っている我が家の財務相に言わせると全く違う。物価の値上がりと乳製品などの品薄は相当財布に響くらしい。我が家のような貧乏人と違って、日本のお金の価値が下がって喜ぶ人もいるらしい。

先ず第一は、如何なる因果かよく分からないが、この傾向が日本の株価を押し上げる効果がある。従って株屋さんとか株を持っている人は極めてハッピーな年の瀬を迎えることになるそうだ。第二は輸出産業、自動車が典型的らしい。不幸にして我が家の縁者には証券業や自動車産業に従事している者が居ないので、具体的な話を聞いた訳ではないが、多分間もなくボーナスなんぞが沢山出るのだろう。貰ったボーナスで海外に旅行をしたら、思いの外お金が掛かってしまったので・・・なんてことにならないことを祈ろう。

しかし国全体で見ると、海外との輸出入には大分差があって輸入が毎月数百億円も多い。アベノミクスがその辺を見誤って、貿易収支が8兆円増えると言ってしまったのに実態は5千億円の赤字ではないか、と野党から突っ込まれていた。前述の通り、既に庶民にその影響は大分出ているのは間違いなさそうだが、昨日灯油を初めて買ったら18リットル1880円とかで、春とそんなに変わっていないのでホッとしたとのこと。国内では原発再稼働をめぐってエネルギー問題でも大騒ぎしているが、国際的には原油価格が下がっているらしい。

この辺も何故か分からないが、分からないことばかりだ。兎に角、来月半ばには総選挙になるらしいが、庶民感覚がどのように反映されるか、楽しみと言えば楽しみでもある。

2014年11月13日木曜日

己の身の丈

毎朝最低でも10分以上はしみじみ自分の顔を見ているし、夕方風呂場では裸の前面だけは確認している。加えて朝晩20分くらいは身体を動かして節々の作動を確認しているので、自分のことはそれなりに分かっている心算だ。しかし考えてみると、自分のことが分かっている心算という思い込みはかなり危険かもしれない。それでも最近は、鏡に映った己の姿を見て、大分むさくるしいと思うようにはなった。

そんなことは当たり前だろうが、この「大分」とはなんだ。広告によく使われる「自社製品比」で、比較するものが無いから、勝手にそう思い込んでいるだけのことだ。自分ではそうは思わないのだが他人からすれば、もう大分前から小太り、ちんちくりん、禿げと3拍子揃った立派にむさくるしい小父さんだった可能性の方が大きそうだ。特に身長を含む体型については、数値的に理解はしていても標準以下との自覚が湧いてこない。

身の丈は簡単に測定できるが、五体満足なのだからどうしても人並みだと思いたいのだ。逆もまた真なりで、孫の一人が身長185㎝はありそうだが、彼自身は180㎝一寸としか返事をしない。身体に関するコンプレックスはお笑い草だが、脳みその働き具合になると少し深刻な問題にもなりかねない。己の社会常識や知的水準についても、少なくとも標準以下ではあるまいと思っているが、これもかなり怪しいものだ。

学生時代を過ぎて社会に出ると、年収とか貯蓄といったことは統計と比較すれば、社会のどこに位置するかは大凡想像がつくが、知的水準となると基準値や標準値がどこにもない。殆どの人は自分が最も標準的であるかどうかは別にしても、常識人だと思っているのではなかろうか。少なくとも小生は、社会常識をそんなに逸脱はしていないと思っている。しかし考えてみると、これもかなり危ない話で、他人様からご覧になると、非常識な振る舞いをご披露している可能性は少なくないだろう。

要するに自分のこと、己の身の丈を測ることはなかなか難しいものだ。昨日会った後輩の友人から教えられたことがある。「若いうちは仕方が無いにしても、一定の年齢に達したら己を知ることが一番大切ですよ。自分の能力とか分を弁えない人間を馬鹿と言うのでしょうね。」痛いところを突かれて「参ったなぁ」である。囲碁で負けるのは大概自己過信に起因することが多い。安倍総理も同じ伝で選挙に負けてくれれば嬉しいが、駅で見た夕刊紙のポスターには「野党大敗」と大書されていたのでがっかりである。

2014年11月12日水曜日

旧友との偶然の出会い

先月末に義姉急死の知らせを受けてから暫くご無沙汰していた図書館に行ったところ、昼飯時にばったり古い友人に出会った。少し年が離れているが、年金生活者であることではご同輩である。彼が社会人になる時少しばかりアドバイスしたことがあることを忘れず、律儀に今でも中元歳暮を送ってくれる唯一の人間である。こちらはそのような娑婆の義理を一切やめてしまったので、もういい加減にしてくれと何度頼んでもやめない、良い意味で言うのだが一風変わった哲学の持ち主である。

昨年暮れのこと、歳暮の礼を言おうと電話をしたら、奥さんが出て「実は入院してしまいまして・・・」とだけで入院先も教えてもらえなかった。今年の中元時にまた礼の電話をすると「実は肺癌で手術をしまして、直りましたらこちらからご連絡させて頂きますのでご放念願います。」で1か月ほど前に本人から久し振りに電話があり、「無事自宅に復帰したので、近いうちに昼飯でも食いましょう。」とのことだったので少しほっとしたところだった。

彼の趣味が歴史(主に日本の平安から鎌倉時代くらいではないと推察している)であることを知ってたし、図書館で偶然会ったこともあるが、今日また出くわすとは思ってもいなかった。兎に角1年以上会っていなかったので、図書館の食堂で1時間半も話し込んでしまった。手術をしてから丁度1年近くになるそうだが、思いの外元気そうで、外見はあまり変わっていないように見える。
もっとも本人言わせると「背中にピンポン玉くらいの穴が開き、一時は体重が10キロ以上落ちるわ、声が出なくなるわで大変だった。」何と言っても気力が萎えたそうだ。

8時間以上の大手術で右肺の半分くらいを切除したらしい。そのために背中から開くらしいが、肋骨を3本切除されてしまったとのこと。2か月強の入院と220日連日通院したので、すっかり病院通になってしまったとのこと。5年後の生存確率50%と言われているらしいが、全く落ち込んではいない。むしろ病院での体験と見聞を通じて、現代医学の進歩を実感できるようになったそうだ。気力の衰えどころか、東京オリンピックはこの目で見ることができるだろうと自信満々である。

手術した病院は杏林大学医学部病院、最近のお医者はドライと言うか患者に同情的な言葉は余り言わないでずばずば言うが、やはり大病院の方が安心できるねとのこと。母が97歳で健在でだが、父が比較的若く亡くなったのは病院の選択を間違えたような気もするそうだ。その他医療費負担と社会保障制度や保険の話など、参考になることをいろいろ聞かせてもらった。

2014年11月11日火曜日

量より質

社会人になって14年目の1976年(昭和51年)、個人的には所帯を持って子供も二人生まれ、何となく落ち着いた感じが出てきてたし、日本全体も敗戦の傷跡がすっかり拭われて、先進国の雰囲気が出てきていたように思う。外国から言われたか自嘲気味に自ら称したか知らぬが、住宅事情を兎小屋住まい等と称されたり、アメ車にはかなり見劣りがするにしても、1000㏄前後の自家用車も普及しだしていたし、日本車がアメリカにボチボチ輸出されるようになっていた頃のことである。

アメリカ西海岸にあったシンクタンク(スタンフォード・リサーチ・インスティテュート)の講演で聞いた話の一部が、未だに強く印象に残っている。「Quality of Life 」今ではよく耳にしたり目にしたりするが、初めて聞く言葉だった。既に1家に1台自家用車があるアメリカで、これから問われること或いは人々が追及すべき概念は「生活の質の向上」であるべきとのことだった。即ち物事を量的な面で、これ以上追及することより質的なことを考えなさい。住宅が大きいことと小さいことの違いがあなたの生活に与える影響、特に精神的な面で思えば大差は無いでしょう。

そんな内容で印象に残っているし、今でもその通りだと思っている。最近日銀と政権が得意気に行っている自国のお金の価値を自ら下げる政策を見るにつけ、今の日本人全体が質より量を追い求めすぎていることを嘆かわしく思わざるを得ない。国でも家庭でも人口が減りつつあるのだから、どちらに於いても経済活動が拡大していくことは考えにくいと思う。スタンフォードの講演でも、今後特に問題になるのは「empty nesters」(子供が巣立った家に住む夫婦)の「Quality of Life 」と指摘していた。

我が家の問題はさて置くとして、国の経済も企業経営もこの社会的大きな構造変化前提にものを考えてみてはどうだろうか。企業面で言えば、売り上げや生産コストの量を慮って生産拠点を海外に移してまで、売り上げを拡大し、利益を確保する考えが主流だが、この追求がエンドレスに可能である筈は無い。たまにはと言うべきか、瞬間的には予想以上の効果を上げる企業もあるだろう。でも聞いていて疲れてしまうのだが、当事者も疲れてしまわないだろうか。先日テレビで東北の米つくり農家で対照的な二人を取り上げていた。

一人は50ヘクタールの大規模経営農家、他方は正確な面積は知らぬが小規模ながら手作りに徹して日本一高いコメを生産する農家。前者の売り上げは後者に比べて恐らく数十倍になるのだろう。しかし前者は米価の下落でまるで儲かっていないが、後者は昨年以上には儲けがあるようだ。どちらにもそれなりの企業哲学があってのことだろう。前者が悪いと言う心算も無いし、彼は農産品が自由化される今後に期して自信を示していた。

よく似た話はスイスと我が国の時計産業の比較で取り上げられる。スイスの時計業界には200社以上の企業があり、合計する時計の生産量は日本より遥かに少ない。日本は精工舎やシティズン等の数社で遥かに多数の時計を生産しているが、合計する収益はスイスより少ないそうだ。生活の質とは異なるが産品の品質についても一考する価値があると言うことだろう。昨夜も婆さんと話したのだが、婆さんの母上が90歳にして元気なのは、何でも自分のやりたいことをやりたい時にすることにある。何事も几帳面に過ぎるのは健康によくない。と暗に小生を非難めいて話していた。急に飢え死にするほど困っていなければ、少し気楽な生活をするのも善いだろう。

言われてみればその通りかもしれない。生活の哲学は故人の暮らしを豊かにする所以だろう。国の経済政策も根底にあるのは哲学の問題ではなかろうか。この辺で落ち着いて考え直してみることを薦めたい。

2014年11月10日月曜日

鬼が笑いそうだ

昨日一昨日の週末に引き換え、今日は気持ち悪いくらい温かいので、何かおかしなことが起らなければいいなと思ってしまう。諸物価高騰で婆さんが嘆いている。炬燵は既に使用しているが、間もなく使い始めるであろうストーブの灯油燃料代が気になるらしい。政府の経済政策も外交も全て塩梅よく行かないので、総理閣下もかなり熱くなって、自棄のヤンパチで年末解散を本気で考えているそうだ。

年末解散をすれば、野党共闘なんぞ望むべくもなく、与党の絶対多数は揺らがないだろう。政権にとっても、現在問題になっているご粗末な大臣を入れ替える口実も出来るから良いかもしれない。夏の終わりごろだったか、野中広務氏がテレビ御厨貴氏の「次の総選挙はいつごろでしょうか?」に答えて「問題をすべて先送りして年末解散」と言い切ったのを聞いた時は、安倍総理嫌いの野中氏が冗談を言っていると思ったが、瓢箪から駒にもなりかねない。

どうせ今の政治なんか、国民不在でどうでも良いようなものだ。現内閣が継続しようとしまいと、来年は余りハッピーな年になりそうもない。今年も年初に伊勢神宮まで行って良い年になりますようにと祈ったものだ。孫が高校入試に合格したのはそのお陰とするにしても、個人的にも予期せぬ不幸が多かったように思う。国全体で統計を取ればどんな結果が出るか知れないが、報道から知る限りでは、何となく余りハッピーではなかった気がしないでもない。

来年日本にとって期待できる明るい話題が急には見つからないが、不安材料には事欠かない。微動が続いている活火山に登らされているような気がする。本当の山登りは止めてしまったが、社会に噴火が起きた時に慌てないよう、益々自重する必要がありそうな予感がする。

2014年11月9日日曜日

昨日はサーバのダウンだったかな?

昨日夕方5時半頃、ブログをアップしたつもりで確認しようとしたところ、ブログが「見つかりません(not found)」になってしまっている。使用しているサーバはbloggerで、普段使っているブラウザchromeと同じgoogleのサービスである。マイクロソフトが嫌いと言う訳ではないが、数年前サポートしてもらっていたスタッフに薦められて何となくグーグルが好みになっていた。

インターネットの世界では世界的にも有名な優良企業だと思うので、めったに起きない事故だったかもしれぬ、たまたま小生のブログを格納しているbloggerのサーバの一台(多分関連するサーバは日本だけでも千台のオーダーで存在するのではないだろうか)が一時的にダウンしただけのことだろうと思いたい。兎も角今朝確認すると、何事も無かったように普通に開いている。昨日は一瞬いろんなことが頭をよぎった。先ず思ったのが、政権が近頃強化していると言われるネットの監視網に引っ掛かってしまたか?

日頃目の仇みたいに安倍政権の悪口を書いているので、政府の監視役がチェックをした時に何らかの手違いが生じて、サーバーにバグが紛れ込むなんてことがあったかもしれぬ。なんて大層なことを思ったりした。耄碌爺さんのブログで監視に引っ掛かる単語があるにせよ、幾ら政府に金と暇があっても、そんなものに関わり合うなんてことは先ずありえないだろう。数千か数万のサイバー部隊員を要していると彼の中国でさえ、そんなセコイことはしていないようだ。

実はそんなに大層な被害妄想に至ったにはわけがある。丁度昨日の夕方、ブログを書き始める前に読み終わった本のせいである。時々読後感をアップしているが、これは一昨年発売の少し古い探偵小説だし、娘が読み終わらないうちに貸してくれた本だったので読後感を書かずに返してしまった。書名は「ソウル・コレクター」(ジェフリー・ディーヴァ―著)。内容は面白いが大分複雑なので省略するが、舞台装置になっているのが、内々でアメリカ政府からも依頼されている個人情報を集積してビッグデータ化する企業。

あらゆる種類の個人情報が集積され、あらゆる企業が顧客にもなっている設定。現実日本でも、我が家にさえ頻繁に営業の電話が掛かり、ダイレクトメールが送られてくる。どこで調べるのか墓場の広告とかが来るとある意味感心してしまう。俺々詐欺にしても同じことだが、一人住まいの老人宅には必ず掛かってくるそうだ。詐欺師でさえ個人情報に投資して名簿を確保している可能性が大である。

今年はベネッセから顧客名簿が数千万人分流出で大騒ぎになったが、現在でも政府は金融機関の個人情報を見ることが可能の筈である。何らかの必然が無い限り、そんな行儀の悪いことはしないだけだろう。しかし密かにこれが政府のビックデータ化に繋がると、墓場のダイレクトメールでは済まなくなりそうだ。

2014年11月8日土曜日

日中関係の前進

来週始まる北京APECに出席する安倍総理が、目出度く中国の習近平総書記と立ち話ではなく椅子に腰かけて対談が出来るようになった。これが日本における昨日のトップニュースである。安倍総理は予てより「条件付きなら会談する必要は無い」と力説してたが、谷内国家安全保障局長(こんな役職を知っている人はかなり政治オタクですよ)を何度も北京に行かせて、北京外交部の官僚に七重の膝を八重に折ったかどうか、対談するための条件を文書にして貰った。

何処のテレビでも丁寧な解説をしてくれているので、これを知らぬ人はいないだろう。国際会議に出席する我が国のトップが、主催国のトップに差しで「こんにちわ、いつも世話になっています。隣国ですからこれからも仲良くしましょうね。」これだけのことを言うために何でこんなバカ騒ぎをして、お膳立てをさせなきゃならないのか。先方が出している条件が別に引込められたわけでもない。こちらが、先方がつけてきた条件は無視することが出来た、と幾ら力説してもそうでないことは明らか。

飽く迄ホスト国だから、「礼を失しないようお会いしましょう。」だけのことだろう。帰国後になって、尖閣は我が国の領土で、靖国参拝をしないと約束した訳でないと力んでみたところで、中国は「そうですか、ならばお好きにどうぞ。」で、痛く痒くも無いだろう。

自民党が野党時代にさんざ反対していたTPP賛成に引っくり返る際、オバマ大統領からお墨付きをもらって喜んでいたことが思い出される。それにつけても、谷内氏が会って交渉したとされる楊潔チ国務委員は、外交部門のトップで中国では相当の大物とのこと。日本では大臣より格下の内閣府の局長クラスが交渉できる相手ではないので、表敬はしたかもしれぬが交渉なんかしている筈は無いそうだ。

それが証拠に、谷内氏と楊氏の会談についてはスチール写真すら発表されていないし、岸田外相は王毅外相(国務委員より格下)とその後で会談することになっている。と言う人もいるが、中国のテレビでも楊氏との会談で、と言っているのだから、中国側も日中会談をすることについてはトップが判断して、ゲスト国への配慮をしているのは間違いないだろう。「おもてなし」は日本の専売ではない。これを機会に我が国も中国といがみ合うのをいい加減にやめたらどうだろう。

そのためには具体的にどんな行動が必要かと言えば、当分靖国参拝をせず、尖閣についてことさら「我が国固有の領土」と言わないようにすればいいだけではないか。簡単すぎるくらい簡単なことだと思うのだが、誰もこんなことを言わないのが日本のマスコミである。

2014年11月7日金曜日

マスコミの姿勢を質したい

鹿児島県知事が川内原発稼働に同意をしたそうだ。余談になるが、パソコンで川内原発と打つと即座にこの字が出て来るが、この原発について初めて聞いた時は、仙台に原発があったかと錯覚したことを思いだす。宮沢新経産大臣が職員を前にしての訓示で「かわうち原発」とやらかしてしまったらしいが、初めて見た原稿であれば仕方あるまい。今朝のテレビで評論家の田崎史郎氏が「もし、こんな間違いを野党が取り上げるとしたら大人げない話だ。」と牽制めいた解説をしていたが、国会で取り上げるのはその通りだ。しかし彼も評論家の端くれなら、大臣の資質なり任命者の無責任をそれこそ厳しく責めるべきかと思うが、何故かそうはならない。本当に日本のマスコミは権力に弱くて情けない。

これで来年早々には原発が再稼働することになる。目出度いと言うべきか、4年経っても福一の原因究明がされぬのに大丈夫か、と言う人もいるだろう。世界で最も厳しい安全基準をクリアしているのだから安全と考えるのは、再稼働賛成の人。原子力安全規制委員会は再稼働して安全かどうかの判断はしていないでしょう、との主張は反対派の人。反対派は事故が起こること想定して、住民避難の準備が不十分だと言う。全く次元を異にする議論は永遠に噛み合わない。

日本は自然災害が多いので、古来災害に遭遇するのを不運と諦める傾向無しとしない。賛成派の人も誰一人100%安全とは言わないところ見ると、原発も自然災害と同じと考えているのかもしれぬ。万が一のことを想定するといつまでたっても再稼働が出来なくなると言うことだろうか?もう少し互いの論拠を理解して、国民の前でまともな議論を真剣にしてほしいものだ。

ネット上に面白い笑い話があった。
反対氏「原発は安全ですか?」
賛成氏「そりゃ、安全だよ。」
反対氏「送電ロスがかなりあるのですが、なぜ東京に作らないのですか?」
賛成氏「そりゃ、危険だからだ。」

何れにしても余りに不毛な政治家のやり取りを少しでもまともにするために、マスメディアの力は大きいと思うのだが、いつの場合も腰が引けた解説ばかりだ。地名の読み違いを突っつくのは確かに大人げないが、不毛の議論を垂れ流しにするのはマスコミの責任であろう。外務省が来週の北京APECに関連して、日中首脳会談の形式だけに血道を上げていることについて、さも重大なことのように報じるのも同じ類のことだ。拉致被害者報道も然り。朝日新聞の例に懲りて、調査報道からは益々距離を取るのかもしれぬが、本質や中身の無い報道はいい加減で見直すべきだろう。

2014年11月6日木曜日

自画自賛 

風邪をひくのが怖くて遂にセーターを着込んしまった。昼間居る事務所がコンクリート製の建物のせいだろうか、木造築50年のあばら家に比べると大分寒い。隙間風が吹き込んでも、畳敷きにガラス戸と障子が2重になっている和風建築には、確かに独特の温もりがある。婆さんが今年の2月に膝の手術をして以来、座ることが出来なくなったので、居間だけ畳を上げて、イスとテーブルにしようかと提案したが、言下に却下されてしまった。

座卓で飯を食っている小生をチッチャな椅子に腰を下ろして睥睨しながら「これが一番。」と仰っている。山の神には逆らわないことにしているので、なけなしの家計から無駄の出費をせずに済んでいるのは有難いことだ。この程度の気候でセーターを着込むでは先が思いやられるが、もう暫くすれば東京でも10℃を下回る日が出るだろう。どうしても暖房が必要になるが、ガスの契約をしていないので必然電気の消費量が増える。電気代が昨シーズン以上に高くなりそうなので気が重い。

年を取ると気の重いことが多くなるのは仕方ないことかもしれぬが、滅入ってばかりいても始まらない。何とか自分のプラス面を見つけて、自分自身を励まそう。

来年4月には目出度く後期高齢者の仲間入りだが、まあそこそこ元気が何と言っても一番だ。今日も同期の友人から電話で前立腺癌を心配してもらったが、取り敢えず手術をしないことで医者の同意を得ているので、そんなに心配せず普通に暮らしている。むしろこの夏山登りをしなかったので、足腰の衰えが気になるが、山に行くことを諦めれば、普通以上の体力も必要ないと思えばいいじゃないか。友人の中には街を歩くにも杖を使用する人が出はじめた。

マラソンやゴルフに専念するスポーツ好きの友人たちと比較すれば、些か劣等感を感じない訳でもないが、上ばかり見ないで下も見てみろとの思いである。今や趣味と言えるのは、囲碁とブログ書きくらいになってしまった感がある。囲碁は専らパンダネットの囲碁だが、これは棋力が落ちることなく、どちらかと言えばむしろ向上しているかもしれない。暇に任せて毎日打っているが、現在国内のランクで1万番以内(9千番台)になっている。

20万人近いユーザーとも言われるので上位5%以内だとすれば大したものではないか。少なくとも小学校から高校までの学生時代、50人足らずのクラスで5番以内に入るなんてことは先ず無かったのだから。そう言えばこのブログも、80万人近く登録している日本ブログ村の総合ランキングで1万1千番、114人登録の男性シニア部門では天晴れ1位とか2位に入ることがあり、常に5位以内には居るようだ。読者の皆様に感謝しなくてはいけない。ありがとうございます。

錦織圭選手や羽生結弦選手の世界ランクと比べることは無理だが、自画自賛できて良かったなぁ。何処かの総理みたいだ。笑^^

2014年11月5日水曜日

盛り上がらない日本の選挙戦

恐らくであるが、僅か100年一寸前の明治維新頃までの日本人の多くは、自分が経験していないことについては知る由も無かった訳で、他人の話を聞いて信ずる人、信じない人の割合については分からない。これも多分だが、人が良くて坊主の説教なんぞ信じる人が結構居たのかもしれない。19世紀半ばにして世界的にも識字率が高く、他国に比べれば一般国民の教養が高いされた我が国においてのことである。

以来、150年ほどの間に急速な通信手段の発展があり、書籍等の印刷媒体に始まり現在のテレビまでマスメディアが発達した。国家や篤志家による教育機関の発展と相俟って、個人の知識の急増は数値では計りきれないのだろう。加えて今世紀に入ってからは、インターネットなる新しい通信手段の出現があって、その上昇カーブに拍車が掛かっている。医学的には人間の脳みそのキャパ、即ち記憶容量は無限大とも言う人もいる。

しかし個人的感覚からすると、コップ1杯程度の脳みそに水道の蛇口を開け放しにして知識を注ぎ込まれている感がある。確かな記憶、覚えておくべきことは果たして何だったのか分からなくっているのは小生だけだろうか?インターネットが流行り始めた頃に盛んに言われたのが「バーチャル空間」(仮想空間)、即ち現実とは異なる空間と言うことだ。言ってみればこのブログもお遊びだから良いと勝手に理屈を付けてはいるが、空疎で誰にとっても糞の役にも立たぬことは明らか。有害ならざることを祈るのみだ。

頭に注ぎ込まれる知識がさほど多くなければ、事の善悪や黒白の判断しやすいが、多くになるにつれてむしろ判断が付き難くなることもありそうだ。そこで今の世で活躍するのが広告宣伝の類だろう。1960年代初期に「(株)○○宣伝」に就職した時は何をする会社も知らず、給料さえもらえればめっけもの程度の事だった。事実その類の会社の存在は社会的にも大したものとは言えず、大学生だった小生が知る会社は1社も無く、よく研究している学生にとっても精々「電通」か「博報堂」程度だったろう。

働き始めて数年経って、後輩の婚礼で「我が社の仕事は、お宮さんでお守りを売っていますが、あれと同じようなものです。」言ってしまったくらいだ。広告なんて効果が果たして有るのかどうか、極めてインチキ臭いものと本気で思っていた。しかし、そのインチキ稼業から足を洗えず40数年、足を抜いてから改めて世の中を見ると、恐ろしいことに今や宣伝万能の時代になってしまったようだ。何も日本だけではない、世界共通の現象で、今日行われているアメリカの総選挙報道を見てつくづく思った。

実体験が無いのに、頭に注ぎ込まれた情報だけで物事の判断をする時代。そのことについて今更善悪を言う事は出来ない。それが正に実態なのだから。ならばいっそのこと、我が国の政治システム、選挙のしかたもアメリカ同様かどうか分からないが、金に任せて好きなことをさせたらどうだろう。団扇だワインだとチマチマしたことで大騒ぎするのは、何でも法令で細かいことを決めるせいだろう。お金は使い放題、会計だけオープンにすることだけ決める。

テレビで相手候補のネガティブ宣伝をしようと構うもんか。不謹慎かもしれぬが、政策なんか批判が無ければ面白くない。時効になっている脱税問題に触れられただけで、子供の喧嘩ではあるまいに、むきになる総理の馬鹿さ加減。テレビだけがマスメディアではない時代、もっと開かれた空間があるのだから、そこで堂々とキャンペーンを張ればいい。そうすればアメリカ並みに若い人も参加するお祭り騒ぎの選挙が実現するかもしれぬ。

2014年11月4日火曜日

世界の政治 夢のサミット

今夜からアメリカでは中間選挙とのことで、与党民主党の劣勢が報じられているので、オバマ大統領も気が気ではないようだ。6年前の熱気が何だったのか。熱狂は崩壊に繋がると先日読んだ本に書いてあったが、本当にそうかもしれぬ。中国の景気が悪化しているがアメリカは景気が上向いていると伝えられるが、アメリカも株価が上がっているだけで、庶民の暮らしぶりはそんなに良くなってはいないようだ。

与党の議員が大統領を支持しないようなことをアッピールしないと選挙に勝てないとあっては、有権者も白けるばかりだろう。日本も1年以内には選挙が間違いなくあるようだが、きっと白けたものになるに違いない。大体日本にしてもアメリカでも中国でも、より早くとかより大きくといった概念を追求することをそろそろ見直して、足踏みしながら我慢とか辛抱について考える時期に来ているのではないか。

半ば喧嘩しながらも、幸い先進国首脳が集まる会議が年に一度は開かれる仕組みも出来ている。今年はお隣中国の北京で今月10日から開催とのこと。最近は20か国にも及ぶ参加国らしいので、首脳同士が腹を割って話し合うことは無いかもしれぬ。残念なことだ。1775年オイルショックを受けてフランス大統領のジスカール・デスタン氏が初めて招集したサミットは、招待されないにも拘らず乗り込んできたイタリアを入れても6か国。幸い日本は当初からメンバーになっている。

このくらいの人数で先進国首脳同士が数日話し合えば、互いに本音に近い悩みなんかが提示されて、真剣な討議も期待できそうだ。日本で言えば田中角栄氏の狂乱が幕を閉じた時代に当たるが、当時の世界の指導者が持ち合わせた哲学を果たして現代の指導者たちが受け継いでいるのかどうか?少なくとも我が国に於いて2000年以降の総理を見ると、森氏から安倍氏に至るまで8人11代になる。残念ながら何方をとっても、ご自身の存在をアッピールすることだけにご熱心で、世界平和や世界の安寧を念頭に真剣な討議をリードしたとはとても思えない。

日本の指導者だけの問題ではないだろうし、今更その責任を問うても仕方がない。サミットの枠組みそのものが、当初の目的からかなりずれてしまっているのは明らかだ。狂乱の世で想像を絶するお金持ちも生まれているらしい。あの世にお金は背負っていけないのだから、何方か奇特な方が、世界の指導者精々5人位に大金を積んで呼びかけ、世界平和の為に真剣に議論する場を設けてほしいものだ。

2014年11月3日月曜日

11月の祝日

昔「天長節」とか「明治節」、今の世では何故か「文化の日」。若い頃であれば休日は嬉しいが、この頃ではその有難味さえ味わえぬロートルになってしまった。それが証拠に高校同期生が一人、叙勲の栄に浴したようで新聞の全国版に名前が掲載されていた。故郷で文化の創造発展に大いに貢献されたからであろう、誠に結構なことだ。400人近い同期生が居ても、叙勲されたのは記憶の限りでは2人目。そう簡単に勲章は貰えぬのだろう。来月東京で会う予定があるので、忘れずにお祝い申し上げる必要がある。

今日は晴れの特異日とあって、先週半ばの天気予報が外れて良い天気になった。ご近所に菊を沢山(20鉢はあろうか)育てているお宅があり、毎日楽しみに拝見している。いろんな種類があるが、菊はやはり黄色い大輪が秋の雰囲気に一番よく似合うと思っている。今日は昨日とは見違えるほど花が大分大きくなっていた。花を鉢植えで育てて、庭先や玄関の脇に置くなんてことこそ、別に世界に自慢するほどの事でもないが、日本の立派な文化だ。

このところ、文化の輸出みたいことがテレビなどで取り上げられている。でも考えてみると「文化」は輸出するもの、輸出できるものだろうか?つい先週末に東京渋谷やあちこちでハロウィーンなるバカ騒ぎがあってテレビが大々的に報道している。故事来歴は詳らかでないが、日本の新嘗祭(勤労感謝の日)のような祭りであるらしいがキリスト教の祭りでもないらしい。正に外来文化だと思うが、どこかの国が日本に輸出を考えたなんてことはあるまい。強いて言えば、日本人が何処かの真似(輸入)をしているだけで、どこぞの国の人が見た時には、我が国の文化が日本に根付いたとは思わないだろう。

ラーメンを見て中国人が中国料理と思わないのと同じだ。欧米で寿司が大流行と聞くが、欧米人が美味そうだから真似をしてみただけのことだろう。結果的に酢や醤油、海苔などの生産者は輸出で販路が拡大すれば結構なだけで、総理大臣が張り扇ぎで「文化輸出」と騒ぐほどのことでもあるまい。むしろ長い歴史の中で、先輩諸氏が育んできた日本文化の美点を日本人自身が忘れないようにすることこそ大切だろう。

零細農家をぶっ潰すことを目標としている内閣に言っても無駄かもしれぬが、農作物収穫の意味も分からぬガキ共が飴や菓子を貰い歩くのは見ていても浅ましくて嫌なものだ。今時おはぎを作る母なんぞいないかもしれぬが、勤労感謝の日にはコンビニから買って来てでもいいから、家でおはぎでも食いながら、お父さん、お母さんの働きに子供が感謝する光景を想像するが、テレビ的には絵にならぬと言うことなのか。

2014年11月2日日曜日

テレビを誉める

日銀が先週末に発表した2度目の異次元金融緩和は、アメリカから「サンキュージャパン」と言われているらしい。経済原理は分からないが、日銀発表でアメリカでも株が暴騰している。安倍政権は地球儀外交で世界に貢献するのが務めと思っているようだから結構だろうが、日本の国民はどうしてくれるのだろう。昨日のブログで、「専門家は誰もはっきりしたことを言わない。」と書いたが、今朝TBSの「サンデーモーニング」を観ていたら、極めて分かりやすく解説してくれた学者がいた。

初めて見た人だが面白い。慶応義塾大学准教授だからまだ若い「小幡 績」氏である。「日本の経済にとっては何もいいことはない。」と断言していた。庶民は賃金の低下と物価の値上がりで生活は苦しくな一方、株なんてものは上がれば下がるに決まっているのだから、まかり間違うと年金資産まで目減りしかねないとまで言っていた。日銀政策委員でさえ、今回の政策決定は5:4の僅差での決定と伝えられている。

しかし一般的な報道の論調は暢気なものだ。どのような見識に基づいているのか「安倍政権としてはこの株高をあと1、2か月もたせて、12月上旬に消費税再増税の決定に持ち込むのだろう。」とまるで当然且つ他人事のように伝えている。どう見ても庶民の立場に立って書いてるようには思えない。

学者の中には小幡氏のように懸念を表明している人は多い筈だ。テレビはこういった学者を出演させる場合、リハーサル後に言い方をもう少し曖昧にするよう依頼するのが常で、結果的に蛇だかミミズかが分からぬ表現にさせられてしまう。現場を何度も見てきているので、今朝の小幡氏の発言は新鮮で驚きだった。普段あまりマスコミを誉めないが、今日の「サンデーモーニング」誉めておきたい。

政治家は「あとは野となれ山となれ」で済むかもしれぬが、もし政策が間違った時にとばっちりを受けるのは多くの国民だ。他のマスコミも少し勉強して、懸念についてもう少しアッピールしておくべきだろう。

2014年11月1日土曜日

「正念場」ねぇ

老夫婦が年金の月額20万円で生活していく術だけを考えていればいいので、元々知識の無い経済問題や株価について語る資格は無いことは承知の介である。休日でもありネタが見つからないので、専門家でさえ余り触れたがらないように思える昨日夕方の金融政策関連のことに敢えて触れる。先月の報道や、政治とカネの問題発生以前の国会(予算委員会)審議を見ていると、アベノミクスなる経済政策が思うように進んでいない。誤算があったのではといった内容が多かったように思う。

勿論政府はそう言った論調を認めてはいなかったろう。小生なんぞには誤算があったかどうかなんて難しいことが理解できる筈も無い。もっと言えば、デフレ脱却の論理自体も意味がよく分かっていないのだ。何度も書いてきたように、物価が下がり続けることは年金と僅かな貯蓄に頼らざるを得ない年寄りにとってはむしろありがたい話で、インフレで物価が上がったり貯蓄が目減りすることの方が余程怖い。従って「デフレは日本の人口構成から来る必然だから、小手先の政策では手の打ちようが無い。」とする経済学者藻谷浩介氏に拍手したくなるのだ。同じ思いの老人がもっといて不思議は無いと思うが、なんでもデフレ脱却が日本にとっての最優先課題ばかりが力説強調される。

個人的に残念であっても、年寄りばかりが日本人ではない。日銀総裁や政府のお歴々も目標とするインフレ路線には乗っていると仰るのだから、こちらの思いとは反対にアベノミクスは計画通り進捗しているし、更に消費税を早いとこ10%にすれば、若者たちに夢や希望が見える日本になると仰りたいようだ。あと1年一寸で迎えることになるその明るい社会てどんな社会なんだろう?素朴な疑問だと思うが、報道によれば給料はいざ知らず、物価が上がることだけは間違いなさそうだ。デフレで低下した国力を回復するのは結構だが、恩恵から零れ落ちる国民も決して少ないとは言えぬかもしれぬ。

少なくとも現在のところ、そんなに貧乏とは思っていない我が家も、恩恵が無い口になるのは間違いないだろう。中くらいが一番と思ってたが、中くらいが2分割されるとすれば間違いなく下層に転落せざるを得ない。それでも国民の6割が支持する内閣だから仕方ないが、6割の中には我が家と同じ運命を辿る人も沢山出るだろう。その時になってから政府を恨んではいけません。5日ほど前にお亡くなりになった集団的自衛権問題で安倍総理のブレーンだった岡崎久彦氏曰く「総理が間違った判断をしたとすれば、彼を選んだ国民が悪いだけで総理に責任は無いでしょう。」実に名言だ。

良いか悪いかは別にして昨日思ったことは、日銀や政府の態度が博奕好きの友人が博奕場に居る時と同じである。大体博奕にのめり込むのは負けはじめた時で、むきになって同じ手に張り込んでしまう。政策決定者と博奕好き友人を同列に論ずるのは恐縮だが、「正念場」なる言葉の使い方はそっくりだ。

2014年10月31日金曜日

読後感「政治改革の熱狂と崩壊」藤井裕久著 菊池正史編

著者についてはTBS日曜朝の「時事放談」でしばしば観たり、大昔著者が政界入りしたての頃と思うが、こちらも永田町にあった会社勤務で、飯屋で直接見たりしたことがあったので、前から何となく親しみを感じたりしていた。勿論「時事放談」での吐露する見解には共感を覚えることも多い。つい先日この著書の出版記念パーティーがあって、政財界の重鎮が勢ぞろいとの記事を読み、早速購入して読んでみた。

この本は一種の自伝である。しかし少し変わっているのは、単に自分の来歴を誇らしげに記すことが目的ではなさそうだ。むしろ現役の政治家が著すように、自分の信念を述べ、現代社会への警鐘を鳴らすことを目的に書かれたのであろう。日本テレビ現役の報道部員(ずっと政治部で藤井番だったらしい)が編者として置かれているのも、きっと几帳面な性格のせいだろうがユニークだ。著者は元々大蔵省出身の官僚で、先輩であり当時大平派(宏池会)の代議士であった鳩山由紀夫氏の父鳩山威一郎氏に引っ張られて政界入りをしている。

しかし、先輩の派閥には属さず、官僚時代に秘書官を務めた田中派の重鎮二階堂進氏が所属する田中派に属することになる。この経緯がある意味面白い。現在も自民党には派閥の形は残ってはいるが、著者が政治家になる昭和50年代頃の派閥が全く別物であり、官僚と政治家の関係もかなり異なるであろうことを窺い知る内容となっている。田中、福田、大平、三木、中曽根、鈴木等よく知る総理達については、そのキャラクタ分析や決断の背景を知ると成程そう言う事かと納得した。

こういったことは出版の趣旨からすれば刺身のつまのようで、著者が言いたいことは多分政治を動かす原動力についてだろう。政治が国民に夢や希望を与えると国民に熱狂が生まれる。景気が良くなり、経済成長もしたような気になる。しかし、物事には全て表があり裏がある。尚且つ民衆は熱するも早いが冷めるのも早い。一国の経済だけが永遠に右肩上がりなんてことはあり得ないのだろう。インフレもデフレも極端に振れれば財政の破綻になり兼ねない。熱狂によって生じるバブルへの警告である。

田中内閣が列島改造の熱狂の後に何を残したかである。政治は夢を与えないといけないが、崩壊に結びつくようではしようがない。著者自身は大蔵官僚出身なだけに、国家国民の安寧には財政の安定が最重要課題との思いが強い。消費税が生まれ出た経緯を根源に遡って解説したいようだ。そして政治家として思いを遂げていくために欠くことが出来ないのが権力の奪取であるが、これも大蔵省役人の特徴と言うが、クールであり論理的であっても権力欲が無いようだ。

そこで、志を同じくして権力奪取手腕に長けた小沢一郎と組んだ所以があるのだそうだ。政治リーダーたる者は志を実現していくために、国民の心を掴まねばならない。これは民主主義であろうと何だろうと関係は無く、リーダーの腐心するところだが、小沢氏にその夢を託して長年付き添うが、結局は小沢氏とも袂を分かつことになる。政治とは如何に複雑怪奇なものであるか、ブログで政治絡みのことを書くのが怖くなった。

最後に非常に印象的であるのは、田名角栄氏が著者に語りかけた次の言葉である。「戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核となった時が問題だ。」



2014年10月30日木曜日

心境の変化

先日ここで「もはやこの世でしたいことは殆ど無い。」と書いたら、同期の友人がびっくりしたようで「やりたいことが未だ沢山あるので、あと10年は生きたい。」とコメントをくれた。小生とて1日でも長生きしたくはあるが、長生きしたところで社会の変化を只見ているだけで、変化に能動的に働きかけるは勿論、今更自分が変わることもできない。個人的才能の発展や身体機能の増進もまず考えられないだろう。ならば、これ以上何かしようと考えないのが一番と最近思いはじめただけのことである。

小さな企業活動を停止して既に3年、現在の日常は家人以外と会話する機会も殆ど無くなり、毎日マスコミ報道をおざなりに見るだけで、本もあまり読まなくなった。おまけに、ここ10年近く趣味としてきた山登りをこの夏から止めてみると、本当にしたいことが見つからない。山登りに喩えて言えば、下山途中の感じで登山口まで暫くありそうだから、精々怪我が無いようにゆっくり行こう、と言ったところか。

一寸前までは相当疲れて帰っても、一定の元気を取り戻すと、陽気が許す限り次に行きたい山が脳に湧いてくるものだった。別に大枠で100名山踏破のように大それた目標があった訳ではないが、山歩きをしているからには次を考えろ、と言った一種の強迫観念があった。旅行好きの人が、仲間と帰宅の途中に次の目標を決めると同様のことを一人でしていたようなものだろう。脳内に居た積極的な自分が居なくなってしまったのは何故か?この夏に山の遭難事故が相次いだこともあるだろうし、前立腺が見つかったことあるだろう。

「登山は上って又降ってこなければならない。だから俺は山登りなんか嫌いだ。」と下らない理屈を言った偉い人が居るらしいが、そんなことは絶対間違っている。山歩き山登りは素晴らしい行為で、あの充実感は登ってみなければわからないかもしれぬが、どんな人でも山から帰れば人生に対して前向きになっているに違いない。その素晴らしさは百も承知だが、このエンドレスの素晴らしさをこれ以上追及していくことが自分にとって、却ってストレスになり兼ねない。もう十分楽しんだから少しゆっくり休もうと思ってしまっただけである。

同じことはあらゆることに共通している。人間の向上心は本来限りないものかもしれぬが、残念ながら体力や寿命には限りがある。道端に腰を降し、ゆっくり一服しながら、旅を急ぐ人々を観察するのも又楽しそうだ。客観的に世間を見ていると、様々な人が居てそれぞれの理屈がある。そのどれに組するかを離れてしまえば世間が違って見えるかもしれぬ。婆さんに言わせれば「やっと人並みの年寄りになれたと言うことよ。」である。

2014年10月29日水曜日

秋晴れの散歩 皇居

今日も早朝から気持ちの好い秋晴れの一日だった。昨夜は早く就寝したので早くに目が覚めた。未だ暗かったが、山小屋に居れば起床時刻である。天気が良くなることは分かっていたので、山にでも行きたいなと半分思いながらも又寝いってしまい、起きたら6時近くになっていた。「眠れないで困っている人に、どうしたらそんなに眠れるのか教えてあげなさい。」とからかわれるが、実際終日眠いのだから仕方ない。これも一種の病気のようなものだろう。

事務所に来て「年金受給者のための扶養親族等申告書」なる書類に署名して捺印をする。毎年同じことの繰り返しではあるが、何年か前に書類に切手を貼らずに投函して返送されてきた記憶があるのでよく覚えている。返送されないように50円と2円切手を貼ると、どうしても宛先住所か郵便番号が隠れてしまう。多分郵便番号の方が重要だと思い、東京都は幾分隠れても郵便番号が隠れないよう、50円切手に2円切手を重ねて貼った。

又、説明書が同封されていて、6ページにもわたる長たらしいもので、年金を頂戴している以上有難く読まなければならないのだろうが、まともに読む気にならぬ。せめて「年金にかかる源泉徴収額」の頁だけはと思ってざっと目を通したが、これまた理解不能。結局そのままゴミ箱に捨ててしまった。何方か読み解き方が分かればご教示願いたいものだが、理解できてもできなくても、そちら様が勝手に無条件引くのだから抵抗のしようが無いじゃないか。



ならばいっそ初手からネットの支給額を提示してくれたらどうかと思う。そんな不満を感じながら郵便局で投函を済ませると、余りの天気の良さに事務所に戻るのが勿体なくなった。まっすぐ池袋まで歩きながら、昼飯には早すぎるし、見たい映画も無い。果てどうしたものかと考えて、池袋から地下鉄で飯田橋に行き、そこから靖国神社経由大手町まで散歩することにした。皇居で「天皇陛下傘寿記念特別展」をしていると、1,2週間前にテレビが言っていたことを思いだしたからである。

天気は良くても今日は平日の真只中、普通の人は呑気に散歩なんかしている場合でない。従って靖国神社も北の丸公園も皇居内の江戸城遺跡も人影はさほど気にならない。宮内庁三の丸尚蔵館はそんなに大きくないので、少し混んでいる感じはあったが、展示されている説明文を小1時間かけて全部読むことが出来た。「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」1枚の写真を手掛かりに、じっくり文字を読んでいくと、半世紀以上前の陛下が味合われたであろう感動が胸を打つ。

昭和28年と言えば、こちらも既に中学生。現代の子供らであれば、皇太子殿下が半年も外国訪問をされて、日々大々的に報道されればそれなりに記憶するだろう。しかし、新聞なんて読みもしなければラジオも碌に聞く気が無かったこちらとしては、殆ど記憶が無かったに等しい。普段は不謹慎にも、我が国の天皇制について、本当に必要があるのかと疑問を感ずる時が無い訳でない。

しかし、外国との付き合いに関して言えば、アホな総理が国民から徴収している税金を大量に持参してせっせと外国を廻るより、皇室が外国のトップと交わって適切なメッセージを述べられる方がよほど効果的だし、皇居の一部が無料で開放されていることについては心から感謝したい。飯田橋から大手町まで約4.5km、春の花見もいいが秋の運動にも最適な道筋と言える。

2014年10月28日火曜日

いつもの事だ

東京も木枯らし1号が吹いて大分寒くなってきた。何となく喉がいがらっぽいのが気になるが、余りに気にするほどではなかろう。昔のことを思うと、やれ歳暮だことの年賀状の準備だことの忘年会の予定等々、実に下らぬことで気忙しかったが、今でも日本のサラリーマン諸氏は似たようなことで仕事をしたつもりでいるのだろうか。現代のビジネス パースンは多分こんな馬鹿げたことは考えないのだろう。

個人的には冬支度をすると言っても、身繕いや部屋の防寒対策を冬向けに変更するだけで、殆ど全て婆さんがしてくれるので拍子抜けするほどあっけない。日中は快晴で歩くには最適な陽気だ。日曜日に床屋で並んで散髪していた似たような年恰好の小父さんの話し声が否応なく聞こえてきた。何でも豊島区池袋を中心にして半径10キロぐらいの範囲を、毎日コースを変えて10~20キロ歩いているらしい。雨が降っても歩くと自慢げに話していた。

このことが頭にあって朝のうちは、今日はあの小父さんのように少し長めに歩いてみようかと思っていたが、いつものように池袋で昼飯を食ったら急に億劫になって、そのまま帰ってきてしまった。どうも何をしても他人様に自慢できる域に達することとは縁が無いようだ。しかし考えてみれば、現在日課にしている1日1万歩前後の歩行が、丁度自分に合った適度な運動になっているような気がするので、急に運動量を引き上げる必要も無いだろう。

自分に勝手な言い訳をしているが、本当に適度かどうかは誰かが保証してくれた訳でもない。食事は婆さん任せで、睡眠は22:30~6:30基本的には8時間と決めているが、調子が悪いと朝早く5時前くらいに目が覚めてしまう。今朝は珍しく5時半くらいまで寝込んでいたので、何となく調子が良い。しかし事務所で本を読み始めると居眠りを始めてしまう。眠気覚ましにはネット碁が一番と思っているので、囲碁を始めたらそんなに調子が上がらない。

夕方になっていつも、長年続いた中ぐらいの生活が急に快調になるなんてある筈もないと気付くのも毎度のことだ。

2014年10月27日月曜日

どうせ追求するなら大物をやれ

先週、小渕優子氏の大臣辞職報道に関連して、彼女が政治家として非常に優秀で自民党の期待の星であったと言う人が多い。何を根拠に言っているのだろう?偏見と独断は承知で言わせてもらえば、何一つ不自由の無いお育ちで世間知らず、どう見ても子作り以外は国家に貢献する術が無いようなお姫さまにしか見えない。従ってお気の毒でもある。美人で賢い素敵なお母さんとして、活躍の場は他にもありそうだから、海千山千でなければ通用しない永田町とは縁を切ることをお薦めたい。

政治とカネの問題では、むしろ江渡防衛相の資金管理団体が、江渡氏個人に多額のカネを支出(寄付)していたことの方が余程問題だと思う。当然野党は今週も引き続き追及するのだろうが、小渕氏問題よりこっちを一所懸命やってほしいと思っているくらいである。そしたら日曜日のネット上に、小渕氏や江渡氏の政治資金管理問題が可愛く見える情報があった。余り堂々とした内容なので情報とは言えないのかもしれない。似たような言葉が多いので紛らわしいが、自民党本部の政治資金報告書に記載されている「政策活動費」なる代物である。

下記に引用するニュースサイト ハンターと言うサイトが発表した記事である。
(http://hunter-investigate.jp/news/2014/10/post-576.html)
<自民党の政策活動費について、平成22年から24年までの幹事長と総裁への支出をまとめたものだ。この間の歴代幹事長は大島理森、石原伸晃、石破茂。総裁は谷垣禎一から安倍晋三へと替わっている。大島氏に4億1,000万、石原氏に約7億4,000万、石破前幹事長には2億6,000万円――けた違いのカネがわたっている。これらの政策活動費は政治家個人の領収書だけでOKとされており、何に使ったのかについての報告義務がない。不透明極まりないカネが、裏金の状態でばら撒かれているのである。

 問題は、総裁となった安倍晋三氏への政策活動費。就任後の11月から12月にかけて、2億5,000万円という巨額な資金が支給されていた。谷垣前総裁へは、3年間で1,500万円。首相と野党党首という立場の違いがあるとはいえ、安倍氏への支給額は突出している。国民に増税を押し付けた首相が、使途報告のいらない巨額の政治資金を動かすという現実。これでは政治資金の透明化など、夢のまた夢だ。>

谷垣氏への支給額が極端に少ないのがお笑いだが、この記事を読む限り、江渡防衛相の場合、政治資金管理団体から江渡氏個人への寄付が問題になっているので、政策活動費としておけば問題なかったのではと思ってしまう。公職選挙法や政治資金規正法て奴は一体なんだろう?少なくとも悪い頭で考える限り、訳が分からない。幾ら笊法とは言え、引っ掛る奴の運が悪いだけで済む問題では困る。野党の皆さんはどのように考えているのか聞いてみたい。

他人様の財布を詮索するのは卑しくて気が進まぬが、政治家の報酬に関しては訳が分からない。国会議員の「政策活動費」と兵庫県議の号泣で一時話題になった県会議員の「政務活動費」とどう違うのか。何でも日本の国会議員の歳費(給料+ボーナス)は年収で1800万円。その上に、文書交通費で年に1200万円が全員にあり、会派に所属していれば立法調査費として一人あたり毎月65万円が支給され、合計すれば最低でも4400万円になるらしい。この他に政府の大臣などの役職手当は当然ながら別に支給されている。ま、何れにしても相当な高級取りであることは間違いないだろう。因みにアメリカの議員で年額約1700万円、イギリス下院は約970万円だそうだ。

個人の収入もさることながら、もっと本質的には欧米に比し人口比で見た政治家の人数が多いことが問題だ。コストが掛かっても、政策への邁進で国民の大多数が納得しているなら仕方がない。しかしどう考えてもそうでないのが現実で、無駄遣いの極みかもしれぬ。無駄を省くためには、政治機構を変更して政治家の数を減らす必要が大いにありそうだ。

2014年10月26日日曜日

時代遅れ

普段あまり使うこともないので気にしたこともなかったが、ふと「時代」が気になった。なんとなく自分が「時代遅れ」になっていることに気が付き始めたからである。昭和の時代や平成の時代、或いは民主党政権時代や自民党1強多弱時代なんてことは分かりやすいが、アナログからデジタルの時代へとなると境目がどこにあったのか分からない。今漠然と感じた「時代遅れ」とは何に所以する感じかもよく分からないのだが、世の変化について行く気にならなくなっているものが増えていることは確かだ。

身に着けるもの、趣味の行動や乗り物の選択、半ば習慣化していれば自分では気にもならないが、他人から見れば少しおかしげなことは沢山あるのだろう。子供の頃、父が毎朝下駄ばきで体操していたことや、社会人なりたての頃に社長のお供でゴルフ場に行った時、風呂場で越中ふんどしをしていたのは我が社の社長一人だけだったこと。時代遅れを感じたのは微笑ましいことではあるが、今はこちらがそのように観られることが多々ある筈だ。

自ら時代のずれを一番感じるのはテレビを見ている時かもしれない。タレントの名前を知らない、流れてくる歌や音楽が分からないし、いつも初めて聞くような気がする、コマーシャルの意味が分からない。どうしても懐メロ番組を観たくなる。こんなことは年寄りにしてみれば当たり前のことだし、特段支障があるものではない。今月は身内の不幸で故郷の長の行く機会が多かった。改めて田舎の佇まいの変わりようも感じたが、若き甥や姪との会話でも認識を新たにすることが多かった。こういったことを総合して「時代遅れ」を実感している今日この頃である。

2014年10月24日金曜日

秋の夕暮

久し振りに天気が回復して青空が見えてきたが大分寒くなってきた。都会では木々の紅葉を見ることが出来ぬが、テレビの気象情報など観て感じるのは秋が一層深まった感じだ。明日は長兄の葬儀、5人兄弟の3番目なので兄二人が亡くなってしまった今、生存兄弟では最年長、次はいよいよこちらの番だろう。人生でも秋の深まりを感じざるを得ない。

ところで日本語は面白い。秋が進むとつい「深まった」と言い、夏は深まると言わず「暑さが盛り」みたい言い方をする。春や冬は何と表現するか知らぬが、「春爛漫」や「冬籠り」なんて言葉が用法的に近いのだろうか?人生秋の深まりで思うのはやはり過去の事ばかり。何もすることのない毎日だから当たり前ではあるが、先のことについてはあまり考えることもない。過去についても昨日や先月のことではなくて、何年か前のことが強烈な印象で甦ってくる。

典型的には孫とのこと。冬が近付いたせいだろうが、孫と一緒に行ったスキーが本当に昨日のことようだ。今高校2年生の子が中学生だったので、少なくとも3年は前のことである。その後も1年に1度や2度は顔を合わせているので、大分大きくなったことは承知していながら、思い出すのは彼らが中学生時代の映像だ。これが人間の記憶力の不思議なところかもしれない。年が変わって既に300日余りが過ぎているのに、今年のことで思い出すようなこと殆ど無い。

単に思うのは10か月なんてあっという間のことだけだ。行き会う人も少なく、知識の吸収や人との意見の交換が極端に少なくなっている故だろう。普段脳神経への刺激が少ないので、振り返っても海馬には新しい情報が溜まっていない。ここ300日に蓄積された情報が少ないとなれば、過去から現在への距離感は300日前も10年前も似たような感じなってしまうのかもしれぬ。今日久し振りにあった古い友人からお菓子のお土産を頂戴して「これでお茶でも飲みながら、奥さんと大いに会話して脳に刺激を与えてください。」と忠告を受けてしまった。

因みに彼もここ数日家で単身だったそうで、脳への刺激が薄くて悩んでいたらしい。何でも今年孫が二人も生まれたので、昨年から今年にかけて奥方が孫の子守りで忙しく、好きな海外旅行に出かける暇が取れなかった。やっと落ち着いたので、お一人でニュージーランド旅行に出かけ、今日お帰りの予定だそうだ。男やもめは誰にとってもお疲れのことだ。如何にまめな彼でも、今夜からか明日からかに家事から解放されることと、夫婦の会話で脳が刺激されることへの期待は大きそうだった。

引き換え我が家は、二人とも見知らぬ地域に新発見を求める意欲に欠けるので、新鮮な刺激は少ないかもしれぬが、身近な話題と時事ネタで朝晩の会話に不自由はない。二人とも少しずつボケ始めているのだろうが、自然の摂理で仕方はあるまい。あと何年或いは何か月、兄たちを思えばもっと短くても不思議は無い。新鮮さに欠け生活であろうが、現在の生活パターンを出来るだけ長く続けるしかないだろう。

2014年10月23日木曜日

世代間ギャップか?

先週の日曜日義姉(次兄の嫁)の葬儀がやっと終わったところに、今度は長兄が死亡と連絡が飛び込んできた。4歳年上で学年では5年離れていたので、幼い頃に次兄程には一緒に遊ばなかったが、それでも布製ボールと竹バットでの野球なんぞには球拾いだったかもしれぬが、仲間に入れた貰った記憶がある。25日が葬式と決まったので、土曜日に又長野に行くことになる。日曜から始まる週の最後土曜日に再び葬式だが、5人兄弟の3番目に当たるので、次兄が7年前に逝き今回長兄が逝ってしまうと、次はいよいよこちらの番かと暗然たる気持ちにならざるを得ない。

次兄は亡くなる直前まで元気で、珍しく入院と聞いてから半年ぐらいで亡くなってしまった。今度の長兄の場合は1年以上前から入退院を繰り返すようになって、19日の次兄の義姉葬儀の際、長兄の義姉が兄の病院から駆けつけて「低体温になってきているのでかなり危ない。」と報告してくれたのである程度の覚悟をしてはいた。しかし何分にも1週間で2度の身内の葬儀はやりきれない思いだ。婆さんとの会話も必然身辺整理の話が多くなる。

借金は無いが財産も無いので言い残すべき言葉も要らないようなものだが、葬儀費用にと思って取ってある生命保険(契約は終了しているが、死亡時に受取人に300万円支払われる)の証書がどこを探しても見つからないそうだ。仕方ないので保険会社に連絡して再発行を依頼した。現役時代に同僚の依頼で10年か15年付き合った保険のおばさんが未だ元気で、よくある話ですと気軽に引き受けてくれたので取り敢えず葬儀費用は安心できた。

そんな訳で昨日又ブログをさぼってしまったが、再度気を取り直して日常に戻ろう。

日曜日の葬儀の際、甥っ子が「叔父さんのブログを時々読んでいますが、安倍総理のこと相当にお嫌いのようですね。」と議論を吹きかけてきた。彼は自民党の大ファンで、東京の下町の方で自民党応援のボランティア活動や区議の応援を活発にしているようだ。年齢的には家の娘たちと似たような年齢の筈だから40歳少し超えたくらいのことだろう。政治には白け気分が漂う年代かとも思うので、好みの良し悪しは別として、政治に関心を持つのは悪くないと思っている。

多分兄たちもそうだったろうと思っているが、元来我が家は父が自らウルトラ保守と言うくらいだから伝統的に保守派なのかもしれない。小生は元々政治にさしたる関心が無かったので、サラリーマン現役時代まではその傾向に抵抗はなかった。反保守、反自民に転じたのは会社を辞めて一人になってからのことだ。時間が出来てマスコミ報道やネット情報、読書などの機会が増えたせいだろう。心細いのを今更政治のせいにしてはいけないと思いながらも、生活を年金だけに頼らざるを得ない状態になったこともある。

経済的心細さは自業自得の面が大いにあるので特筆大書しないが、反戦平和主義については甥っ子の議論を聞いて、年代ギャップの恐ろしさを感じた。彼曰く「集団的自衛権問題で憲法解釈の変更を悪いと言う人が居るが、これはおかしいでしょう。そんなことを言えばですよ、そもそも自衛隊そのものが大いなる憲法違反でしょうが。」日本人は昔から憲法を融通無碍に解釈してきているのだから、今頃改まって騒いでも仕方ないでしょう。時代に即応すべきと力説する。

アメリカ留学の経験があるので「叔父さんが言う程アメリカ人は悪くないですよ。」ともしきりに言う。確かにアメリカ人の大部分は中国人やロシア人の大部分と同じように、個人的には善良な人たちに違いあるまい。しかし国家となると、別個の有機体としての人格を持つのもこれまた必然であろう。それをどのように理解解釈するかが問題であるが、甥っ子との解釈の違いが単なる個人的な相違なのか、或いは戦争経験の有無と関連した世代間ギャップなのか。

議論を深めて追及したい気もしたが、葬儀の場でいい年をした爺が言い返すのは憚られた。

2014年10月21日火曜日

事実関係は無視か?

今朝の朝日新聞で小渕前経産大臣の件について、検察幹部のコメントがさらりと掲載されているのを見て仰天した。二人のコメントとしてあり、先ず一人は「政治資金規正法違反又は公職選挙法違反の可能性無しとしない。」とあり、続く二人目が「単に馬鹿な秘書が杜撰な会計処理をしただけのことで、問題とするに当たらないかもしれない。」と述べたとしている。「お馬鹿な秘書がした些細の間違いだからゴメンね。」で済むなら検察はおろか警察も要らないだろう。

役職も氏名も特定していないから本当に取材したかどうかも分からないが、朝日新聞もここまで政権にすり寄らなくてはならぬかと思うと本当に情けなくなる。昨日の午後から今朝に至るまで、マスコミは女性閣僚二人の同時辞任で大いに盛り上がっているが、何となく釈然としない。何故ならば、松島氏のうちわ問題は事実関係が以前から歴然としているので、彼女なり内閣の判断について如何様な論評があろうと、マスコミの受け止めとして素直に聞いておくことができる。

しかし小渕氏の件については、先週の週刊新潮発売からそろそろ1週間も経とうと言うのに事実関係が未だにはっきりしない。辞任会見を長々やっても「事実関係については第3者に調査をお願いするつもりだから待ってちょうだい。取り敢えずはゴメンね。」だけで全く無意味なものだ。メディアの方もそれで許すつもりかどうかは知らぬが、何となく当事者のキャラクタ報道だけに終始しているのは何としても頂けない。

いち早く地元の城代家老の中之条町町長が「私が悪うございました。」と名乗り出た報道はしても、事実関係については一言のコメントも取れていない。むしろ取りようによっては、代議士自身はクリーンであったが、選挙の厳しさを初心で何も分からなかったので、ある意味可哀そうかもしれないとも取られかねない。市民のインタビューにはこれが如実に出てきてしまう。一方でこれまた何を考えているのか分からぬが、1日で二人の閣僚を辞任させて、後任を素早く決めたことを、第1次安倍内閣時代の辞任ドミノからの学習効果に基づく危機管理と持ち上げてみたりしている。

その延長線なのだろうが、昨日夕方には総理自身がテレビのぶら下がりインタビューで任命責任について言及、はっきりと「ごめんなさい」を言っている。これを視聴者がどのように受け止めるかであるが、大方の受け止めは、何を謝ったのか定かでないまま、即責任を認めて素直に謝るのは現政権の良いところ、となりかねない。兎に角政権側は全員殊勝らしく謝って、2大臣の首を切ったダメージが軽減されるなら安いものだ。大臣の代わりなんぞは掃いて捨てるほど居るのが実態だろう

マスコミとしては意図せざるところかも知らぬが、完全に政権の思惑に嵌り、辞職や後任の人事報道に流れ、肝心の事実関係の追及はすっかり疎かになっている。当事者が辞職してしまえば、マスコミは彼女から遠のくのが見え見えである。小渕氏の辞任は代議士の秘書に対する監督不行き届きの結果として単純化され、彼女が罪に問われず政治家として復活できるとすれば、政治家稼業は気楽なものだ。そして根底に日本の司法制度とマスコミの無責任さが存在していると思うのだが、直しようが無いのだろうか?

2014年10月20日月曜日

先週のこと

先週は良い天気で行楽日和が続いたが、個人的には大変な1週間になってしまった。14日昼少し前頃、永田町の国会図書館で読書中に携帯が鳴った。読書室から飛び出して携帯をとると長野の弟からである。「先ほど義姉が病院で急に亡くなったので直ぐに来てくれ。」とのこと。おっとり刀で千川の事務所にとって返し、背広に着かえて東京駅に着いたのが13時頃。13:08に乗り損ねると次は14:08発で1時間も無駄になる。

ところが、新幹線のホームにはカードのタッチでは入れない。改札機脇に控える職員に「兄弟の死に目に会うか合わぬかの境目」だと掛け合うと、事後精算と書かれたメモで改札をパスさせてくれた。便利を図ってくれた事には感謝すべきだろうが、JRの事後精算は現金のみで、通常切符購入の際に3割引きなるジパング倶楽部のカードでも割引は一切効かないことを学習した。昨日も大宮で下車するつもりでいたが、足の不自由な婆さん同伴だったので東京駅まで乗り越すと、大宮―東京間の特急運賃精算で千円強支払うことになってしまった。火曜日に学習したばかりで知ってはいたが、何とも口惜しい話だ。

義姉は小生の1歳上で75歳、長年刺繍教室をやったりソロプチミストとして内外で活躍する非常に行動的な人であった。7年前に兄が亡くなり甥や姪も東京の方に出ていたので一人暮らしではあったが、元気にしていた筈であった。小生も今年になって4月と8月2回も兄弟姉妹で食事を共にしている。ただ、姪に聞くと却って無理が祟っていたのか、身体は大分疲労されていたようではある。先週連休前の7日に姪が長野に戻り、昼には焼肉を食べたり、8日の午前中には刺繍の教室で指導をしたりした後で、急に具合が悪いと言うので姪が病院まで連れて行くと、そのまま入院と言われた。

何でも腹水がたまっているので、それを抜くと言うことだったらしい。母を入院させた後、姪も一旦東京の自宅に戻ったところ、14日早朝病院からの電話で至急来てくれとの連絡、10時半頃に駆けつけたが結局間に合わなかった。死因は肺にも水が溜まってそれを抜く手術に入りかけたが、食道に逆流した血か何かが詰まってしまったとのこと。結局死因もあまりはっきりしない感じがある。でも死んでしまえば、はいそれまで、であっけないものだ。

こちらが長野に到着した3時過ぎには亡骸が自宅に戻り、弟と姪が既に葬儀の段取りを進めていてくれた。なんでも義姉が生前から姪に対し、兄と同じように通夜は自宅で、葬儀を菩提寺でと言い残していたとのこと。ところが寺での葬儀は結構小難しい問題がいろいろある。結局通夜は明日15日18時から、翌16日朝出棺して長野市営の焼き場で骨上げ、2日置いて日曜日の2時半から寺での葬儀、お斎は市内のホテルで4時半からと決まる。

こちらは15日病院での検査が入っていたので火曜日夜いったん帰宅、翌15日の午後通夜に間に合うように長野に帰って16日の骨上げを済まして又帰宅。
昨日19日に婆さんの他に娘まで引き連れて3度目の長野入りをして夜帰宅となった。1週間足らずの間に3回長野を往復した事になる。しかもその間、16日のこちらの出棺の時刻に幼馴染の葬式が重なったので、15日には友人の自宅を弔問して線香を上げさせてもらった。葬式のダブルヘッダは洒落にもならぬが、死の至近弾が身の回りに落ちてくる感じで寒々した気分だ。

この間報道に接する時間が非常に少なかったが、なにやら女性閣僚2人が辞任とのことで安倍政権が一寸した騒ぎになっている。多分旅の途中で読んだと思うが、現内閣を田舎の食堂のカレーライスに喩えて書いてあった。支持率が落ちないのは積極的支持ではなく、他の選択肢が無い故のこと。鄙びた田舎の食堂であってもカレーライスを注文しておけば、そんなに大きな間違いが無いとしたものらしい。上手いこと言う人が居るものだ。

2014年10月15日水曜日

突然ですが暫く休みます

今は未だ事務所ですが、今日はこれから病院に行って検査があり、その後故郷の長野に急いで行かなくてはなりません。

昨日兄嫁が急逝しました。
昼前に弟から急に電話があり、先ほど突然亡くなったとのこと。
取るものも取り敢えず駆けつけましたが、昨日は仮通夜で今夜が通夜になります。

葬儀はお寺さんの事情とか暦の都合とかいろいろありまして大変です。土曜日が葬儀となりましたので日曜日までパソコンを立ち上げられなくなりそうです。

2014年10月13日月曜日

健康寿命

今日は台風19号の影響で、「体育の日」には程遠い悪天候になってしまった。つい先日弟から「男性の平均健康寿命は71.2歳」と聞かされ、平均健康寿命を初めて知った。何でも介護を受けず自立して生活できている人の平均年齢であるらしい。婆さんも知っていたくらいだから、知らない人の方が少ないかもしれぬが、兎に角知らなかったし、意外に若い年齢であることに驚きもした。

そしたら先週金曜日発売になった「文藝春秋」11月号に、関連する記事が掲載されていたので興味深く読んだ。慶応大学医学部の出身で現在は大学病院は退職されているようだが、癌についてユニークな発言を続けてきた近藤誠氏の寄稿文である。タイトルに「健康診断が私たちを不幸にする」<「健康長寿」医者も薬も信じるな>とある。近藤先生の著書は書店で立ち読みする程度で、1冊も読んだことは無いが、癌になっても余り気にすることなく放っておけ、見たい主張をされていると理解している。

先ず平均健康寿命であるが、平均寿命との差が男性で9.1年、女性は12.7年(2010年)とあるから弟の言っていたことは本当なんだろう。更に興味深かったことは、世界1とばかり思っていた日本人の平均寿命を男女別に見ると男女差が7年と大きく、男性の寿命はきわだって短いそうだ。平均値の世界ランクはどうでも良いが、自立して生活できる年齢が思っていたよりずっと若く、介護を必要とする年寄りが多いことには考えさせられるものがある。

毎年区から案内の来る無料検診を几帳面に受けて、定期的医者通いをしている身からすると、近藤先生のご趣旨には全く反している立場ではある。しかし先生の説くところを読むと成程と思うところも沢山ある。先生によれば、日本は藪医者を製造しすぎたが故に、厚生省や薬屋がグルになって老人の要介護者を増やしているみたいに論じている。勿論それを真に受けるつもりはないが、健康寿命と本当の寿命を出来るだけ接近させることは大事なことだ。

最近友人の訃報を聞いた時にも思ったが、只長生きすれば善いと言うものではないだろう。人間の最後を自分で決めることはできないし、その時になってみないと分からないが、意思表示が困難になっても長期間に亘り他人の意思だけで生かされるのは辛いかもしれぬ。これも本当かどうか分からないが、欧米では自分の手で食物を口に運べなくなると、あと無理して食物を体内に注入する医療は流行らないと書いている。

統計的に見れば、こちらも間もなく介護が必要になる年齢のようである。介護する側の宗教観とかいろいろあって難しい問題であるが、自分も楽で且つ近しい人たちや国家に余計な迷惑は出来るだけ掛けずに済ます方法が上手く見つかればいいのだが、難しそうだ。取り敢えずは今の生活を出来るだけ長く続けるしかあるまい。最後に終末医療の関係で書いてあったが、人間水の補給を絶てば病人は2日と持たずに亡くなってしまうそうだ。お医者さんだけに妙に説得力があった。

2014年10月12日日曜日

若き官邸記者たちよ

先週本年度のノーベル物理学賞について、赤崎勇名城大終身教授、天野浩名古屋大教授、中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の3氏が、青色LEDの開発で受賞することに決まったことは日本人として喜ばしく、慶賀に堪えないところである。引き続いて文学賞は村上春樹氏に、或いは平和賞には憲法9条を守り続けている日本人全体になんて前評判もあったようだ。両方とも噂倒れに終わったが、一番ほっとしたのが安倍総理とのこと。

そりゃそうだと思う。憲法9条を実質的になし崩しにしている張本人が総理大臣であれば、査定する側も今の時点で日本人を評価する訳にはいかぬだろう。村上春樹氏の小説は難しくて、どうしてそんなに評価が高いかよく分からないのだが、村上氏は原発政策だけではなく、現政権の方針にかなり批判的な発言を繰り返しているらしい。もし受賞したらお祝いの電話も掛けにくかったろうが、その必要が無くなってホッとしていると噂されるようでは情けない話だ。

先週は久し振りに臨時国会が開かれて衆参両院で予算委員会も行われた。未だ40日ほど会期があるようだが、実にお座なりの開催であることが指摘されている。通常国会が閉会した6月末から今国会の始まりまで、100日もの間が空いている。しかも前国会閉会直後に集団的自衛権に関する憲法解釈を閣議決定で覆す暴挙を行いながら、今国会には法案も出さず本格的議論はしないとうそぶいている。消費税増税に関しても、今国会終了後の12月初旬に総理が適切に判断するとして本格的議論から逃げている。

野党からの質問を空回りさせる狙いであることは見え見えであっても恬として恥じていない風情だ。野党の質問が下らないとばかりに、マスコミ報道が盛り上がらず天災の報道ばかりが特筆大書され続ける情けなさである。閣僚の揚げ足取りは下らないと言えば、確かにその通りだ。しかし、この2年近くの安倍内閣を見る限り、一昔前であれば間違いなく辞任に至ったであろう閣僚が全員無傷で安穏としているのも異常であるし、内閣が先頭に立って朝日新聞を世の中から葬り去ろうとシャカリキになるのも如何なものかとも思う。

政高党低とよく言われるが、何も松島法務大臣の答弁ばかりではないが、よくもあれだけ支離滅裂な詭弁や嘘を並べ立てて世の中が通るものと、ある意味感心して見ているが、総理自身の答弁が一番詭弁に終始しているのだから、何とも致し方が無い。せめてマスコミにはもう少し頑張ってほしいが、官邸担当の記者が、各社押しなべて若手しか投入しないことに問題があるのだろうか?

総理の記者会見なんかになると、テレビ出ているような小父さんが前に並んで代表面で質問している。聞いていて恥ずかしくなるような質問ばかりだ。若き記者諸君よ、大臣に嫌われようと会社で上司に怒られようと良いではないか。勉強不足も気にするな。会社なんか潰れても食っていく道なんか自ずと開けるものだ。特に朝日新聞の記者であれば、倍返しの精神、或いは中村修二先生のように怒りをバネに、納得できないことは納得できないとして突っ込んでもらいたいものだ。

2014年10月11日土曜日

よさこい踊り

我が地元でもある池袋西口は秋祭りが2度に分けて行われる。1回目は9月の最終週土日で、見ものとしては神輿が中心。2度目が今日明日で踊りの祭典となっている。そのメインになっているのが「東京よさこい」(今回で15回目)で、これには全国から100以上のチームが参加して、昼前から実演が始まったらしい。週の初めから19号台風の接近が報じられて関係者は大いに心配されたろうが、幸い進行スピードが上がらなかったので少なくとも今日のところは雨に祟られずに済みそうだ。

土日は必ず池袋西口を通るので先々週の神輿も数台は見ることが出来たし、今日もプール帰りの足を止めてよさこい3チームの演技に見入って拍手を送ってきた。今回参加しているよさこいチームは111あるようだが、無料で配られていたプログラムで見る限り殆どが地域単位でで結成されているみたいだ。例外的には東京農業大学とか早稲田大学等大学の同好会みたいものもあるが。今日見たのはどこのチームかはっきり覚えていないが、1チームは埼玉県朝霞から来ていたような気がする。

このよさこいチームのダンスと言うか演技を毎年のように観ているが、曲も振り付けも皆それぞれでオリジナルのようだ。どんな人がチームを作り、曲や演技の構成を考えるのだろうか?素人には難しいと思うのだが。今日見た3チームとも、音頭を取っていたのは何れも相当なおっさん、どう見ても50は過ぎていよう。でっ腹で大きな胴間声を出している。踊り手は大体3~40人は楽に居ると思うが、男女とも結構若い人が多い。近くででよくよく見れば婆さんも居るには居るが、少なくとも爺さんと表現できそうな人はいない。居るとすれば音頭取りだけである。

大体男女ともに同じような濃い化粧をして、スタイルの良い若い女性をを中心にするような構成が多いようだ。演技も遠くからの鑑賞に堪えるようにだろうか、かなり大きく激しい動きだから相当練習を積んでいると思う。10分前後だと思うが、演技もさることながら顔の表情が又良い、テレビ出て来るAKB48ではないが、人前で踊ることを心から楽しんでいる風情だ。だからこちらも楽しくなるのだろう。

土建屋の社長が趣味で人間を集めればこんなチームが出来るかも、と思ったりするが、どう見ても押し着せではなさそうだ。お金が掛かっても踊りたいとの意思が無ければあゝはいかぬだろう。本当にどのようにしてチームが出来たかは分からぬままだが、よさこいチームは全国ベースで見れば相当の数になる筈だ。今日のプログラムで見ると、遠くは長崎、富山、愛知、静岡県から参加しているチームもある。多分旅費も自前なんだろう。

それでもあんなに楽しそうな笑顔を見せてくれるのだから、よほど嬉しいに違いない。お陰ですっかり明るい気持ちになることが出来た。

2014年10月10日金曜日

幼馴染が逝ってしまった

人にはDNAに組み込まれた寿命があるとのこと。余り深く知りたくないが、寿命が何処かで終わるのは逃れようがない。今朝故郷に在住で、小学校から高校まで一緒だった古い友人の訃報が届いた。暫く会ってはいなかったが、特に体調を崩しているとの噂も聞いていなかったのでびっくりしてしまった。しかし、70歳代半ばにもなれば彼岸に渡ることに不思議は無い。現在の平均年齢が80歳前後であっても、70数年前、生まれたての頃の平均寿命は恐らく60歳以下だったと思う。

現在生きているのがむしろ目出度いことで、論理的には半数ぐらいは亡くなっていて当たり前かもしれない。実際は、このところ学生時代同期生の訃報がかなり増えてはいても、小中学校から大学まで押しなべても生存者が未だ75%くらいはいるように思う。このことをむしろ不思議に思う方が自然かもしれぬ。これからは先に逝った友人誘われて、続々と後に続き、何時か順番が巡ってくると考えると背筋が寒くもなるが、やむを得ないことなんだろう。

それにしても、親しかった友人が亡くなった現実を思うのは寂しいことだ。幼い頃の思い出が次から次へと湧いてくる。身体が小さくて弱かった小生に比べ、立派な体格で運動神経も発達していた彼。古い商店で自宅の土間が広くてコンクリートが打ってあり、卓球台が置いてあったので、いつも大勢が集まっていた。志賀高原山麓の渋温泉に別荘があり、そこへも何回か泊りがけで連れて行ってもらった。

小学生の頃だったろうか、パチンコ屋や射的屋で遊んだのが何故かばれて、学校で怒られたこともある。橇遊びや竹スキーを卒業して板のスキーを始めた頃になると、市内から大分上の小門ヶ原までよく登った。スキーを担いで登るのだが、多分2時間以上かかったかもしれない。小生は途中でバテテ、彼によく荷物を担いでもらったものだ。志賀高原の丸池スキー場に初めて行った時も一緒だった筈だ。

高校に入ると、やはり彼に誘われて山岳部に入部した。しかし、ここでも毎日のトレーニングに顎をだして、3か月で退部してしまったが、彼は最後まで頑張って国体に出て優勝する程のリーダーに成長した。少なくとも成人する頃までは小生とは肉体的にも出来が違うと思っていたが、人間とは不思議なものだ。

現代風に言えば、逝くにはまだ早いと言うことになるのかもしれぬ。しかし冷静に考えると、昔は70歳を過ぎた爺様なんてざらにはいなかったように思う。自分が後に続きたくないから、まだ早いと思うだけのことだろう。

2014年10月9日木曜日

日光3名瀑巡り

 再び台風が日本列島直撃コースに乗っているようで空模様がおかしくなってきているが、昨日は秋晴れで素晴らしい1日だった。秋空に誘われて奥日光に滝巡りをしてきた。全山錦織りなす紅葉の見ごろまでは至っていないが、秋の気配を十分に堪能できた1日だった。

男体山(バスの車窓から)
日光はもっと近いと勘違いしていたこともあってもあって、目的地の湯の滝でバスを降りたら既に12時半を過ぎていた。昼飯もそこそこに龍頭の滝まで戦場ヶ原の草紅葉の中を歩き、龍頭の滝から華厳の滝までは又バスを利用せざるを得なかった。
湯滝

流頭の滝

華厳の滝
交通の便が良いので平日にも拘らず外国人観光客と小学生の遠足で賑わっていた。しかし奥多摩に比べれば遥かに標高が高いので、空気が余程澄んで爽やかな感じがある。少し時間に追われた感が無きにしもであったが、ハイキングコースも豊富な様子なので、1泊するつもりで来ればビューポイントとハイキングコースには事欠かないだろう。昨日歩いた戦場ヶ原のコースの3分の2は下の写真のように立派な木道が整備されている。

湯川の流れ

湯滝から湯川に沿って木道が設置されている

戦場ヶ原の草紅葉とススキは秋たけなわの風情

戦場ヶ原から男体山を望む

奥日光の高原が、お年寄りのハイキングには絶好の場所だと言うことがよく分かった。

2014年10月7日火曜日

秋の遠足

心配した昨日の台風18号も午前中には太平洋に抜けたようで、豊島区の我が家には大した被害も無く、今日は朝から秋らしく爽やかな1日になった。空の鱗雲がすっかり秋を感じさせる。都会では自然が感じられないので、リタイアしたら田舎住まいを希望する人も多いし、嘗てはそんな希望が無かったとは言い切れない。しかし、最近では全くそんなことは思わなくなってしまった。確かに清流や木々に囲まれた自然に適うものではないが、ご近所の玄関口や垣ね越しに見る草花等、都会の佇まいのなかにそれなりの季節感を感じることで満足するようになってしまった。

理由は極めて簡単、自然災害の少ないことと医者とか買い物の利便性につきる。大自然の季節感を感じたいならば電車かバス旅行をすればよい。台風19号の発生が報じられているが、本州への接近は今度の日曜日以降とのことで、今週はこれから数日お天気続きらしい。昨年までであれば山に行くことを考えたところだろうが、今年からは宗旨を変えることにした。電車とバスに乗って日光中禅寺湖方面にハイキングに出かけようと思っている。東京から近いのに未だ一度も行ったことが無い。

何十年も前に日光の東照宮だけは行ったことがあるが、有名な華厳の滝も中禅寺湖も見たことが無い。紅葉には少し早いかもしれぬが、秋風に吹かれて高原を散策するのも又一興だろう。交通の便を確認すると、いつも家を出る時刻に出発(池袋発8:27)していつもより1時間ほど早く(18:30~19:00くらいか)帰宅できそうだ。観光案内から「戦場ヶ原自然研究路コース」を選んでみた。殆ど平坦で距離6.3km所要時間2時間35分となっている。

このコースは龍頭の滝と湯滝の間なので、日光3名瀑のうち最も有名な華厳の滝が入っていない。これも見ることにすると、湖畔を3kmほど歩かなくてはならないが、バスの時刻などの加減でどうなるか分からない。こんなことを考えながら一日が終わるが、山行きの計画と同じで、計画を立てるのが楽しみの一つでもある。天気だけは良さそうなので、明日のブログは休むことになるでしょう。

2014年10月6日月曜日

日本のマスメディア

日本でも1960年代までは、度々大きなデモが発生して政治を動かすことがあった。1962年に大学を出ているのだが、残念なことに全くのノンポリと言うよりむしろお馬鹿さんで、社会と言うものを十分理解できていなかったせいでもあろう、一度も参加したことが無い。返す返すも残念だ。少し大人になるのが早かった友人には砂川基地闘争からデモに参加した人さえいる。当然ながら全学連も全盛時期は過ぎても未だ活動していた時代なので、学連に参加してデモをした人もいるだろうし、学連に参加しなくても60年安保の反対デモは、正に国民的盛り上がりだったので、在京の友人で小生同様に一度もデモ参加の経験が無い方が少ないかもしれぬ。

親しい友人が「一度くらいは国会周辺に行ってみた方が良いよ。」態々中野の下宿から国会に向かう途中、新宿のぼろアパートに寄ってくれて誘ってくれたことがあるのだが、その時も麻雀のメンバーに入っているからと言って断ってしまった。どうせ日本はアメリカに支配されているのだから、英語が必要な時代になっている程度の意識はあったのだろうが、アメリカと日本の関係がどうのこうのなんて考えてみなかった。恐らく現代の大学生と比べれば、社会常識では昨今のお馬鹿タレント以下だったかもしれない。

慙愧の念を以て当時を振り返ると、メディアへの接触不足で情報量が非常に不足していたことがあるように思う。部屋に携帯ラジオが1台あって時々はニュースを聞いていたかもしれぬし、兄と同居していたので新聞も取っていたかもしれぬ。しかし政治の動向に関する関心は全く無く、ゼネストがあれば交通機関が止るので学校に行く必要が無い程度の話で、選挙に行った記憶も無い。wikipediaで1960年を検索して主な出来事を改めて見直しても、思い出すのは社会党党首の浅沼稲次郎暗殺事件くらいで、これについては暫くして映画館のニュースで何度も見たことを思いだす。

小生が平均的或いはまともな成人であったか否かは別にして、現代に比べれば情報量が格段に少ない時代であったにも拘らず、1960年代に日本であれだけ大規模な民衆デモが起ったことはある意味で驚異的だと思う。当時あのデモを誘発するにマスメディアはどんな役目を果たしたのだろうか?友人が家まで迎えに来てくれたことを書いたのは、電話すらまともに無かったことを知ってもらうためだ。当時のマスメディアの筆頭は新聞とラジオだろう。ひょっとすると田舎の実家にテレビが置かれた頃だったかもしれぬ。もしマスメディアが何らかの役割を果たしていたとすれば、当時のメディアには社会の木鐸として機能する心意気が残っていたと言える。

最近の香港とかクーデターで鎮圧される前のタイとかでは今年も度々大規模なデモが発生している。香港やタイには日本のような巨大なマスコミは存在しないそうだ。テレビは多数チャンネルあっても、報道を優先するのは政府系のものが多いらしい。従って民衆の多くはマスコミ報道を疑ってかかる習性が身にしみついているとのこと。従って中東なんかでも似たようなことらしいが、現代は民衆の多くがソーシャルメディアに頼って情報とか事実を求めるらしい。その意味ではスマホを若い人が使いこなすことは喜ぶべきかもしれぬ。

日本は幸か不幸かマスコミが未だに社会の木鐸として機能しているのだろうか?事実を正しく或いは権力に阿らない報道を続けているのだろうか?日本ではマスメディアに比べソーシャルメディアの発信する情報力の方がはるかに低い。果たしてこれが喜ばしいことなのかどうかが問題だ。

2014年10月5日日曜日

冗談??野中広務氏の発言

3ヵ月もの間政治的には全くの空白期間があって、やっと臨時国会が開催され、先週末には予算委員会が始まった。ところが安倍政権は所信表明からして、目下の最大重要課題とされる集団的自衛権に関する憲法解釈変更問題については、完全に知らぬ顔の半兵衛さんを決め込んでいる。法案準備が間に合わないのでと言いながら、一方ではアメリカと実務的な日米防衛協力指針の見直しに着手して、着々と新しい集団的自衛方針に則ったものを既成事実化しつつある。

従来の指針では自衛隊が出動できる範囲を周辺事態と言う概念で歯止めをかけていたが、今回の見直しで周辺事態の概念自体を削除することなった。しかもこの見直しの中間報告が今週8日に外務防衛次官会議で取りまとめられ、同日発表の予定とのこと。この異常な現実に野党が国会で突っ込まないのもおかしいが、韓国がいち早く反応して懸念を表明した。そこで更に異常な事態になっている。アメリカの国防次官補が8日以前に韓国を訪問して、日本での発表前に見直し内容を説明する訳である。

日本の防衛政策を、日本政府が国民に知らせる前に、韓国世論に配慮しアメリカの担当者がて事前に韓国政府に説明するというのだ。これを異常と言わずしてどうする。全くもって国会や野党ばかりでなく、国民軽視にも程が有ろう。心底怒りが湧いてきたところに、今朝のTBS「時事放談」に出演した野中広務氏が凄い発言をした。司会者の「次期総選挙はいつごろと予測されますか?」の問いかけに答えて「難しい問題を全て先送りして、ズバリ今年の11月ですね。」

冗談で言ったのかどうか、司会の御厨貴氏や同席した子分格の古賀誠氏もさすがに唖然とした表情を笑でごまかした感じだった。古賀氏は常識的に考えれば来年11月頃だろうとのこと。昨日昼前にテレビ東京の番組に出演した民主党副代表岡田克也氏は来年7月か8月頃と言う。その来年の夏との前提でも、民主党の準備体制は全然遅れていると、司会の田勢康弘氏に指摘されるくらいだ。選挙は敵が一番困る時にぶつけるのが常道とされているそうだ。

いくら安倍氏でも経済指標も悪化し始めているし、株価や支持率の見通しが定かでないので、年内解散をする筈は無いと大多数が思っているとすれば、野中氏の予想もまんざら冗談では済まぬかもしれぬ。臨時国会末まで株価や支持率が改善されなければ、その先1年待ってもその傾向が逆転する可能性は低いだろう。ならば、「都合の悪いことは一切先送りして、敵の体制が全く不備のうちに」には妙な説得力があった。

2014年10月4日土曜日

アベノミクス「5つの誤算」

昨日衆議院の予算員会が開かれたのに、テレビの報道からはどんな討論があったのか皆目わからない。今朝の新聞を読んでも、野党から経済を含む内政から外交に至るまで、野党からは万般の質問が出されたが、政権側は何ら痛痒を感じていないかの如く、質問者の名前と内容、対する回答がごく簡単に書かれているだけで、報道関係者にとってはコメントするに値しないかのような扱いになっている。

現政権の看板政策、アベノミクスと称する経済政策があまり順調でないらしいことは何となく肌身にも感じているが、御岳山の事故のお陰かどうか、何れにしても報道の取り上げ方に疑問を感じざるを得ない。そこで、今日は野党の先陣を務めた前原誠司氏の質問を最初から終りまで約50分じっくり聞いてみた。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44162&media_type=
前原氏は先ず「『アベノミクスがうまくいっている』というが、『5つの誤算』が出てきているのではないか」と指摘。

「5つの誤算」とは、(1)輸出が伸びていない(2)量的緩和で金利を下げたにもかかわらず、法人向けの貸出しが伸びず、企業の内部留保が積み上がっている(3)名目賃金は上がっているが、実質賃金や実質可処分所得は減少している(4)物価上昇は「悪いインフレ(=コストプッシュ型インフレ)」になっている(5)財政出動による公共事業の増大が、かえって人手不足や入札不調を招き、震災復興などに悪影響を及ぼしている――ことだと説明。

何れも事実に基づく根拠が示されているので、成程そう言う事かと非常に分かりやすい。特に(1)の輸出については昨年4月の党首討論で、安倍総理は13年度は4.6兆円、今年度末には8兆円プラスになると胸を張ったらしい。ところが円安がこれだけ進行しているのに輸出が伸びていないのは既に報道にもあるが、昨年度の黒字は8千億円で今年度は上期で既に5千億円の赤字になっている。要するに前原氏指摘の通り輸出は伸びていないらしい。

以下(5)迄データの事実を突き付けられ、総理以下が「いや~参りました。ごめん、ごめん。」とはならないのが国会である。事実関係の確認を求められると質問をはぐらかす回答が難しい。違う数字を持ち出して強弁することになる。何としても異次元の金融緩和や財政状況を無視した財政出動によるアベノミクスの失敗を認める訳にはいかないらしい。多くの国民にとっては迷惑な話だが、マスコミは庶民の立場に立っていないことがよく分かった。

アベノミクスのお陰で景気の好循環がずうっと継続しているとの強弁の中で、財務省が持ち出したらしいが最近よく使われる新しい単語に「総雇用者所得」があって、案の定総理も使っていた。要するに、雇用の改善で奥さんがパートに出れば家庭の所得は増えるが、二人分の所得を2で割るので一人あたりの所得は減る。野党はそれを理解していないとの論法である。確かに昨年度の雇用者数は全国で47万人増えているが、正規雇用が46万人減って、非正規が93万人増えている。非正規雇用が増える一方の社会でハッピーな家庭が増えるとは俄かに信じがたい。

前原氏の質問にもあったが、非正規雇用で結婚できない若者が増えているのも実態ではないだろうか。もう一つどうしても納得できないのが、株価と景気好循環の関連について、総理は飽く迄も資産効果が上がって消費拡大に結び付くことに飽く迄固執するが、どうすればこれを信じられるか分からない。前原氏の歯切れ良さに比べると総理は発音が悪い上に、言っていることに無理があるので余計みっともない。これで総理が勤まるのだから平和な日本かもしれぬ。

2014年10月3日金曜日

物価に関する感想

今年は秋の訪れが比較的早くて、今朝の気象情報では日光中禅寺湖辺りでは紅葉が始まっているとのことだった。ところが今日の日中の暑さは真夏並みで、やはり天然自然はそう好都合には参らぬことを実感せざるを得ない。先週の初めころに、半袖シャツを全部仕舞って長袖を出してくれと婆さんに頼んだのだが、半袖を半分くらい残してあった。長年の知恵なんだろうが、一寸脱帽だ。

東京では衣替えが過ぎても、半袖シャツ1枚で歩く日があって初めて残暑と言えるのだろう。正に残暑たけなわの風情だが、今週はいろんなものが値上がりしている上に、野菜の出来が余り良くないらしい。毎日のようにぬか漬けのキュウリが出て来るが、どうもシャキッとしないのは材料そのものが出来の悪いせいらしい。諸物価の値上がりに関して、婆さんは相当実感しているみたいである。

農村で米の価格が下がって生産農家が大変との報道が多い故、米の価格ぐらいは下がっているかと聞くと、値下がりの方はあまり反映されていない様子。自分でスーパーに行くことは先ず無いので、物価高騰の実感は無かったが、今日久し振りに書店で文庫本2冊買って初めて思った。書籍も確かに値上がりしている。たまたま買ってしまったのが気晴らしに読もうと思った下らない小説。料金をよく確認しないで手にしてしまったが、カウンターに持っていくと2冊で2052円。

裏表紙に価格が3桁で印字されていたのだが、よくよく見ると950円である。これに消費税が76円乗ると目出度く1000円を超えてしまう。上下巻になると消費税だけでも152円、結構バカにできない数字になってしまう。この手の書籍は7~800円との思い込みがあったが、今や文庫本でも1000円以下で買える本が殆ど無いみたいだ。今後は書店で、余り気軽に衝動買いをしないよう気を付けなくてはいけない。

2014年10月2日木曜日

他人事ながら

後期高齢者近くまで長生きさせて頂いたお陰で、余計なことではあるが孫の将来について心配することがある。孫2人が目下高校1年と2年生になってしまった。高校2年生ともなると、進学或いは就職に関して考え始めなくてはならぬらしい。具体的には何も聞いていないが、仮に大学なり専門学校なりに進学するとしても、問題だなぁと思うのは、学業を終えて社会に出る時のことである。

他人の人生なんか余計なお世話で、子供でさえどうか思うのに孫の心配をしても意味無いかとも思うが、余程暇な証拠だろう。たまたま古い友人から電話が来て、9か月前の肺癌手術からリハビリを経て無事社会復帰できそうだとのこと。たまたま彼の大学卒業時、求められて就職の世話をした。その時代に在籍していた中小企業関連の中小企業である。小生はその会社を25年勤めて辞めたが、彼も似たような経歴で、50歳近くになってから独立したと記憶する。

人生なんてものは人それぞれで、本人が満足していればいいだけのことで、他人が口を挟むべきものではないかもしれぬ。彼も趣味が豊かで、独立してから趣味の合間に仕事をしながら悠々自適、病魔に侵されたのが残念だが、ほぼ満足すべき人生だったと思う。しかし、他の友人達を見渡すと、優雅な老後即ち悠々自適で快適な生活を送っているように見える人の多くは、やはり公的機関や東証1部に上場されているような大企業出身者が多いのも事実。

少し残念ではあるもの、当たり前かもしれぬが、電話が来た彼や小生のように中小企業出身の年金暮らしは、経済的にそんなにハッピーとはいかない仕掛けのようだ。老後が優雅な諸君は、小生等が遊び呆けていた若い時代に苦労したからこそ現在があると思えば、それなりに辻褄はあっている。そこで、孫たちも公的機関や大企業に就職できれば目出度いのだが、こればかりは全く見当がつかない。

更に考え始めれば、良かったと思って就職した大企業でも、運が悪いと会社が潰れたり、分社化と称して外に放り出されたりすることがあるので、油断が出来ない。考えが堂々めぐりして、やはり孫のことなど心配すべきことではないとの結論に至った。心配の対象になった上の孫、暫く会っていないが、現在3泊か4泊かの修学旅行でマレーシアに行っているのだそうだ。世の中変われば変わるものだ。

2014年10月1日水曜日

ネット情報の真贋

此度の御岳山噴火による遭難被害者のことを思うと、山好きの一人として本当に胸が痛む。又2千メートルを超える山中の過酷な環境下で救援に当たっている消防・警察・自衛隊の皆さんには心底から敬意を表したい。

故郷の長野県には多くの火山がある。浅間山が最も有名かと思うが、幸か不幸か浅間山登山の経験はない。火山最初の経験は中学生時代の遠足で、志賀高原から群馬県側の白根山を通って万座温泉まで歩いた時のことだ。初めて嗅ぐ火山特有の硫黄の臭いと、火口池の碧色に感動した記憶がある。長じて箱根山や上高地の焼岳等、火山の噴煙を比較的近くで見る機会はあったが、余り近くに近付いた経験が無い。数年前に御岳山にも登ったことがある。山頂直下に池が見えて、この池も濃い碧だったように思うが、活火山との意識は全く無かった。

地下から吹き上げる水蒸気に最も近付いたのは、志賀高原の麓で有名な地獄谷の温泉噴出孔で、ここには小学校の時から何度も行っている。日本は世界の10%の火山が集中しているそうで、温泉も多く、大方の日本人にとっては地中から吹き上げる煙や水蒸気は見慣れた光景で、むしろ親しんできたのかもしれぬ。しかし今回の御岳山の噴火で、改めて自然の怖さを思い知った。富士山なんかはきついので2度と行く気にならないのでいいが、富士山の小規模噴火は既に頻発しているようだが、大噴火の可能性も大とされているようだ。

これが100年後なのか明日なのか、専門の学者さんでも判定が難しいらしい。
地震や津波もそうだが、家に居ても被災する可能性をゼロにすることはできない。その時は諦めるしかないだろうが、少しでも危険な兆候を感じたら、敢えてそこには近付かないことだろう。今日ネットを見ると、そんなことを示唆する記事があった。9月11日にNHK東海が、「御嶽山で火山性の地震が増えていること、気象庁が火口付近で火山灰などの噴出に注意するよう呼びかけている。」と報道したとのこと。大マスコミは気象庁からの警告が皆無だったとばかり報道するが、皆無だったは違うみたいだ。

それを聴いた名古屋のある地震マニアが、9月12日と9月20日の<Q&Aサイト「ヤフー知恵袋」>に「岐阜県御岳山の噴火について教えて下さい。」とか「岐阜県御岳山の登山道で今回の噴火で影響がある道は有りますか?」と質問したとのこと。それに対する回答が「今回とはいつの話? 今年噴火はしてないでしょう!」と書かれると、質問者はすぐに「9月に入って噴火してますよ。」と切り返したそうだ。

質問した地震マニアさんは、9月11日のNHK東海の報道を素直に信じただけのことらしい。木曽は経済圏で言えば完全に名古屋経済圏なので、東京や大阪のメディアがスルーした気象庁の発表を名古屋のNHKが取り上げるのは不思議は無い。ネット情報は、片山さつき参院議員が<ツイッター>で発信したとされる「御嶽山の観測体制が民主党政権で弱まった。」ように与太情報が多いとも言われるが、中にはこんなマニアックなやり取りもあるようだ。これをマスメディアが取り上げていればとの悔いもあるが、それは無理なことだろう。

2014年9月30日火曜日

少し異常ではないか

昨日の総理施政方針演説を読んで、中身の無さにあきれている人が多いことだろう。具体的施策としては、原発再稼働にかける意気込み以外は何も無いと言っても過言であるまい。国会開催直前の1週間はアメリカで遊んでいたのだから、国会開催を前に自ら真剣に考えた施政方針など出て来る筈もあるまい。それにしても通常国会終了以来、あれほど大騒ぎした集団的自衛権に関する憲法解釈変更の閣議決定について一言も触れていない。このことを問題視するメディアが皆無であるのも異常ではないか。

異常と言えば、日本が杖とも柱とも頼むアメリカとの関係が現在どうなっているのだろうか?総理が1週間もニューヨークに長期滞在したにも拘らず、大統領はおろか政権の主だった人と顔合わせがあったとの報道は皆無である。オバマ政権が外交的には中東問題なんかで忙しく、国内的には中間選挙の準備で日本のことなんか構っていられないのか。同時期にワシントンで開かれていたTPP日米閣僚交渉から帰国した甘利担当大臣が、少しも妥協しない米国の姿勢を批判したと報じられている。アメリカは、アメリカを批判する者を許さない国柄なので、この一言でTPP交渉は完全に終わった。と言うう人さえいる。

終われば終わったで喜ぶ人もいるだろうし、アメリカがそんなに恐ろしい国かどうかは分からない。少なくとも日本国総理がアメリカ滞在中であれば、大統領の側近から「何とかしてよ。」ぐらいは言ってきそうなものだが、総理へのアプローチがゼロと言うのは、大統領周辺から安倍総理は見捨てられてしまっているのかと心配にもなってくる。素人考えで言えば、このことは少し異常ではないかと勘繰ってしまう。

更にもう一つ加えると、マスメディアでは大きく報じられていないが、先週文春の記事にこんなことが書かれたらしい。天木直人氏のメルマガ(9月28日)で知ったのだが、総理が一部の記者との懇談で、「デフレの正体」や「里山資本主義」の著者であり、アベノミクスは間違いだと一貫して言い続けているエコノミスト(日本総合研究所主席研究員)藻谷浩介氏を、「モタニ?アイツだけは許さない。あの馬鹿っ!俺に喧嘩売っているのか」とグラスを片手に総理が吐き捨てたというのだ。これも一介の経済学者に対する国の最高権力者の態度として、やや常軌を逸してはいないだろうか。

文春の記事によれば藻谷氏はこう述べている。「いやあ、しかし、怖いですよ、総理に嫌われるなんて、直接議論した事もないのに、ここまで嫌われるのは、ちょっと理解できないです。しばらく身の処し方に気を配った方がいいですかね・・・」

これを受けて日刊ゲンダイが早速藻谷氏を取材した。内容は至極まともだ。長くなるが、全文を引用したい。
「安倍政権は経済的な“反日”の極み」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/index/news

アベノミクスを批判する専門家は多いが、「(無謀な金融緩和を止められない自分の無力を)懺悔しなければならない」(9月14日毎日新聞)とまで語った人は珍しい。「金融緩和の頓挫した後の世界を生きていく時間の長い若者よ、集団幻想を抜け、事実を語ろう」とも。痛いところを突かれたせいか、安倍首相は「アイツだけは許さない」と怒っている。さっそく、講演会場で直撃した。

■相手をケガさせて「クスリを買え」という手法

――「安倍氏と直接の面識はなく、好き嫌いで批判しているわけではない」と語る藻谷氏。氏が指摘するのは、「アベノミクスの成果」に実体がなく、円安の副作用ばかりが大きくなっているという事実だ。

「原発が止まったから、火力発電所用の石油輸入量が増えて貿易赤字国になった」「国富を流出させないためには再稼働が必要だ」という話を、多くの人が信じ込んでいる。とんでもない話で、真犯人は政権が自分で誘導している「円安」です。

確かに日本の輸入は野田政権の時に66兆円、そして安倍政権の時に77兆円と、1年間で11兆円も増えました。石油・ガス・石炭はそのうちの3兆3000億円、つまり3割で、7割は食品や雑貨やスマホなど、燃料以外の商品の輸入額が円安で膨れ上がってしまったものです。

 燃料代3兆3000億円の増加も円安が原因で、原発停止が理由ではありません。原発は野田政権当時から全部止まっていたのですから。日本の石油や天然ガスの輸入量は国民や企業の省エネ努力のおかげで、原発事故前の2010年も、安倍内閣の昨年も、2億5000万キロリットルと横ばいのままなのです。

 経産省は原発を全部再稼働すれば、化石燃料の輸入額を1兆6000億円程度減らせると言っていますが、昨年の貿易赤字は8兆5000億円ですから焼け石に水。自分で円安にして日本を大赤字にしておいて「原発再稼働」というのは、相手を転ばせてケガさせておいて「さあ、クスリを買え」というような話です。

■いつの間にか中東に貢ぐ国に

――その結果、日本はどれだけ国富が流出しているか。円安に株価上昇で浮かれるのはあまりにも能天気だ。

 国全体で「赤字がかさんでいる」のは、企業や個人の損の合計が、それだけ増えているということ。特にガソリンや電気を使っている企業や個人の儲けがどんどん減っている。株価の上昇で儲けて喜んでいるのはごく一部の人たちで、多くの人はひたすら、中東諸国に貢ぐために働く、というようなはめになっています。

 株が上がったと浮かれている人は、「国全体が赤字になっても、自分だけは儲けることができた」と喜んでいるわけですが、それを「政権の成果」と囃していていいのでしょうか。

 今年上半期の数字から試算すると、今年の貿易赤字は十数兆円に膨らみます。野田政権のときが4兆円台の赤字、鳩山政権の2010年には10兆円の黒字でしたので、日本はものすごい勢いで貿易赤字国に転落しているのです。

ちなみに輸出も増えています。日本のものづくりの国際競争力が落ちているというのはとんでもない誤解で、今よりも輸出が多かったのは、リーマン・ショック前の世界超同時好景気の3年間だけです。ハイテク部品や高機能素材が売れ続けているからです。しかし、日本全体の収支構造が逆ザヤになってしまっているので、輸出が増えるほど輸入も増えて赤字が拡大するのです。

円安政策が対中貿易赤字を招いている
――安倍首相は中国に対して、高飛車に出ている。しかし、その一方で、対中貿易が極端に悪化しているのは皮肉なことだ。

 日本は中国(香港を含む)に対して、一昨年までの12年間、貿易黒字を続けてきました。鳩山政権当時は史上最高の4兆円近い黒字を稼いだのです。それが安倍政権下の昨年、1兆円の赤字に転落してしまった。日本は雑貨でも食品でも部品でも安いものを何でも、コストダウンのために中国から買いまくっていて、そういう構造が円安で裏目に出たのです。

「中国と毅然と対決する」という姿勢の安倍政権の円安政策が、こうした結果を招いている。対中貿易赤字を招くような政策を経済的な「反日」政策だとすると、「安倍政権は反日の極み」で、「鳩山政権が最も親日」という皮肉なことになる。

――里山資本主義を提唱する藻谷氏は、GDPばかり計算していないで、お金に換算できない価値を見直すべきだと訴えている。そうした発想の転換によって、日本は幸せな国になれると提言している。

日本は20年前から、1人当たりのGDPは世界20位以内の水準です。失業率も先進国で最低水準なのに、「もっと稼いでGDPを増やさなければならない」と政治家は叫び、そう言えば、支持率が上がる。そのために刹那的な「マネー資本主義」に走っています。その結果、未来のために残さないといけないものまで使い尽くし、今稼ぐために残してはいけないものを残している。具体的には借金と汚染物質です。

 ようやく表に出始めた原発の廃炉費用を上乗せするだけでも、電気料金はさらに上がっていく。でも廃炉費用の負担が本格的に発生するのは少なくとも2、3年後。使用済み核燃料の負担が出てくるのはその先。それまでに任期が来るメーカーのサラリーマン社長は、「取りあえずは原発再稼働で目先の電気料金が下がってくれればいい」と考える。これが「マネー資本主義」の刹那的な発想です。

マネー資本主義に走る大企業は、人員を減らすことで給料の総額を減らし、原材料を安くするために中国からの輸入量を増やして、配当を確保する。1部上場の大企業は配当を減らすとソニーのように株主総会で叩かれるので減らしません。その分、貿易赤字が増えて、内需は縮んでしまいます。

 アベノミクス以降、日経平均株価は9割も上がったのに、国内の小売販売額は1%しか伸びていない。13年の小売販売額は139兆円で、12年の138兆円とほとんど変わっていないのです。国民や中小零細企業の大多数は、円安で輸入原材料費が上がって経費がかさむばかりで恩恵の実感はありません。

 株が上がって儲けた人がどんどん使えばいいのですが、彼らは金融商品を買うばかりで、国内でモノを買わない。海外にビルが建つだけです。「飢えている人の横で、食べ物を冷蔵庫にしまい込んで腐らせている金持ち」というような行動です。

■仏・伊方式に活路がある

――マネー資本主義に毒されているのは、米国も同様に見える。日本が参考にすべき国はあるのだろうか。

 資源もないのに日本に対して貿易黒字のフランスやイタリアに注目しています。両国とも日本人ほど働いているという話は聞いたことがないのに、日本の方が赤字です。彼らが売り込んでいるのは、ブランド衣料宝飾品に加えて、田舎の産品であるワイン、チーズ、パスタにオリーブオイルなどです。ハイテクではなく、デザインと食文化を売っている。日本だって、里山の恵みをもっと生かして、同じような路線を追求できるはずです。

▽もたに・こうすけ 1964年生まれ、山口県出身。東大法卒。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)を経て、日本総研調査部主席研究員、日本政策投資銀行地域企画部特別顧問。「デフレの正体」など著書多数。

2014年9月29日月曜日

臨時国会のテーマ

本人がしきりに「安倍内閣では」と言うのもいと面白しだが、政権は女性が輝く社会の構築を目指すそうだ。いつ女性を見ても輝いて見えてしまう爺にこれをコメントする資格は無いかもしれぬが、総理の考えには大きな違和感を禁じ得ない。昔から女性が最も美しく輝く時期を第一子誕生後の母の時代としてきた。何も日本だけの話ではないだろし、万国共通の感覚だと思う。特に日本は昔から奥方の功が無ければ旦那の社会的成功は無いものとされ、家族企業の農家に限らず、男女の分業で社会を支えることが普通であった筈である。

才能が有り余る女性の中には良妻賢母として家庭を守るだけに満足せず、社会に出て男性と同じかそれ以上の活躍をされる方も昔から沢山いらっしゃる。これまた昔から万国共通のことであり、びっくりするようなことではない。ところが最近は、旦那が一生懸命頑張ってもなかなか給料が上がらず、夫婦共働きを余儀なくされる家庭が増えているようだ。本当に女性に輝いてもらえる社会を目指すなら、共働きをしなくても済むような豊かな社会を目指すべきだろう。
或いは、女性が働きやすい環境、例えば保育施設や保育士の養成とか小児科や産婦人科の減少を食止める施策を真剣に検討すべきだそうだ。

安い労働力を増やすために、女性の社会進出を促進しようとの魂胆でないかと勘繰りたくなるようなお題目は頂きかねる。子供一人満足にもうけることが出来ない総理がよく言うよとの思いもあり、どんな女性が輝いて見えるのか、総理の女性観を改めて問うてみたいものだ。畏れ多くも皇后陛下ならまだしも、まさか閣僚の女性陣や先日亡くなった土井元衆議院議長や緒方貞子さん達だなんて言ってほしくないものだ。

序でに地方創生についても指摘しておきたい。地方創生と言う言葉自体に違和感がある。昔から田舎には「江戸もん(者)」と称して、僻み半分で東京人を田舎者のくせにと馬鹿にした言い方があった。地方創生はその逆で、はっきり田舎を見下した言い方である。創生なる単語自体あまり聞き慣れた言い回しでないが、創造するするくらいの意味らしい。地方は昔から存在しているから、今更創造は失礼だ。「江戸もん」はもっと故郷の山河に敬意を以て考えるべきである。

先日物故された経済学者の宇沢弘文氏が説くところではないが、交通機関のスピードアップが人間生活をより貧困化に結び付けるような気がしてならない。田中角栄氏の列島改造辺りまでは、日本の民度を平準化する意味で多少の意味があったと認めるにしても、同様の思考から脱しきれない現在の政治家諸氏の頭の悪さには辟易するばかりだ。

思うに、スコットランドの騒動に触発されたのではないが、日本も大久保利通や木戸孝允が目指した中央集権国家体制そのものを根底から見直す時が来ているのかもしれぬ。敵国条項をそのままにして敵連合の仲間入りを焦るより、足元を落ち着いて見つめ直すことを薦めたい。

2014年9月28日日曜日

読後感「秋月悌次郎-老日本の面影」松本健一著

あとがきで著者自身が語っているが、歴史を題材にした小説とか評伝の作家としては司馬遼太郎氏に似ているところがある。事実司馬氏の晩年の10年ほどの間には付き合い(直接会ったのは2,3回だったらしい)もあって、互いに相手の作品には敬意を表し合っていたようだ。しかし、取り上げる人材は極端に異なる。司馬氏は日本の官僚制度の創始者である大久保利通を高く評価し、著者は西郷隆盛が好きと言い切っている。

自分が著者を知るきっかけは、彼が「評伝 佐久間象山」を著したことにある。佐久間象山は、故郷の長野や母校の長野高校で幕末最大の偉人(開国=革命思想家)として尊敬されていた。著者が詳しい評伝を上梓してその根拠を示してくれて以来ファンとなった。本書は初版が1987年となっているので2000年に出版された「評伝 佐久間象山」より遥か前の作品である。主人公の秋月悌次郎は1824年生まれの会津藩士。18歳にして藩の推挙で江戸に上り、経術と漢学を極めたとある。

江戸時代の武士は誰も幼いころから四書を学んだようだが、秋月の場合はそれが徹底して、朱子学が身に沁みついていたと言うことだろう。朱子学が身に着くと言っても、現代社会に生きる我々には何のことか分かり難い。簡単に言えば学問の要諦は「道を知り仁義道徳に沿った生涯を送ること」に尽きるのかもしれぬ。江戸での学問は長期間に亘り、26歳の時には昌平黌(当時唯一の国立学問所と言うべきか)寄宿舎の寮長となり幕府から手当てを貰っている。

結局昌平黌在席は11年に及び、その後諸国漫遊をして西は薩摩まで足を延ばし、その間各地で当時の一流の論客と知り合っている。帰国後は藩主松平容保に重用されて目付、学校奉行、勘定奉行などの重職を経て、藩の公用人(国務相又は外務大臣と言ったところか)に取り立てられている。それだけ全国に顔が売れていたと言うことだろう。

時は恰も幕末の風雲急を告げる時代。藩主容保は京都守護職を命ぜられ、その下で秋月は公用人としての名前を上げていくことになる。幕末の情勢がどのように動いたかについて講談本の知識では、とても窺い知ることは出来ぬ複雑さである。尊王攘夷が薩長土肥で開国佐幕が会津や水戸だと簡単に2分出来るものではない。長州が禁門の変で一旦朝敵になったのを坂本竜馬の活躍で薩長連合が成立した話は有名だが、どうも300諸侯のどれをとっても天皇制無視は言っていないようだし、開国と攘夷も後で取ってつけた感が無きにしもである。

察するに天皇家を日本の象徴又は旗印にすることについては、諸藩は一致していたのだろう。察するに当時の孝明天皇と弟の明治天皇派なんてことはあったかもしれぬ。こんなことを書くのは、本書から松平容保が孝明天皇から大変信頼されていたと知ったからである。当時、幕府をどうするかについて諸藩の動きは複雑で、一時は秋月たちの奔走で会薩同盟が出来掛かった時期があるらしい。時代背景は兎も角、結局薩長主導の討幕が半ば成功して明治になり、江戸城引き渡しから、東北同盟の抵抗による戊辰戦争に会津も加わり、東北同盟は何れも悲惨な敗戦となる。

会津藩も白虎隊の話ではないが、実に悲惨な敗戦の日を迎えるのだが、この降伏儀式の会津藩側代表が公用人秋月悌次郎で、マッカサーの役どころが薩摩の人きり半次郎こと桐野利秋。秋月は命を取られず終身刑で青森に流さたが、結局3年ほどで恩赦となる。新政府には彼の学識を評価する沢山いたのだろう。郷里に帰っていたところを再び江戸に呼び出されて、新政府に仕えて東京では1高、東大、熊本の5高の教授などを歴任、晩年は東京で1900年75歳で亡くなっている。

秋月の経歴を長々書いてしまったが、著者が言いたいのはその経歴ではなくて、生き方の問題。本の初めは70歳に近い秋月の5高時代の話から始まっている。当時の5高は校長が加納治五郎、ラフカディオ・ハーンも同僚である。秋月はここで倫理と漢学の教授になっている。ハーンは秋月を「神のような人」とさえ言っている。白く長い髭を生やした温和な老人といった風情ではある。5高時代の秋月の様々なエピソードを積み重ねていくと、「人は誠心によって過不足なく各々の分を尽くすならば、別に名を挙げずともよい。それによって「中庸の道」に通じてゆき、天命にかなう。」と信じた生き方が鮮やかに浮かび上がってくる。

明治維新当時の侍のうち、生き残ったのは2流の人物ばかりとの説もある。確かに歴史に埋もれて忘れ去られている存在には違いないが、秋月のことなどを改めて教えられると、幕末激動の時代を生きた武士階級の知識人が目指したものが何であったかが、おぼろげながら見えてくる気がする。秋月の場合もそうだが、頭でっかちになっている訳ではない。藩の公用人であったのも事実だし、一方で戦争の際は会津城攻防戦の軍事目付でもある。

触れることが出来なかったが、後半に秋月と非常に親しかった長州藩の奥平謙輔のことが書かれている。彼は西南戦争の1年前明治9年長州の前原一誠が起こした萩の乱の軍事長官格で、結局は捕まって首を刎ねられているが、維新当時は皇軍側にいて、秋月が降伏側の公用人として登場して捕まったことを知って大いに心配してすぐ書状を書いている。それが6年後には立場が逆転してしまう時代である。

互いに詩人でもあり、著者の松本氏も又詩心が厚い。要所要所で秋月、奥平の詩作を引用して、解説を加えているのが松本健一氏の又良いところでもある。人の上に立つ人間の生きざまを考えさせられた思いの1冊であった。