2025年9月30日火曜日

月末

 今日で9月も終わり、少し涼しくなってきたこともあり、やっと夏場の暑さは乗り越えたかの感じもある。明日からは10月、月が替わるとしなければならぬこともある。先ずは毎年恒例にしているインフルエンザと新型コロナのワクチン接種。できるだけ早いうちに行くことにしたい。月末にはスマホの機種変更手続き。これは否応なしで出向く必要がある。スマホは購入してから丸2年、これをしないと月額料金が跳ね上がる仕組みになっている。税金や社会保険料は政府が勝手に決めて知らぬ間に支払額が増えていることがあるが、これは国民である以上文句は言えない。

小手帳に書かれているもう1件は、19日に予定されている日吉で行われる三田祭と称する大学の同窓会。いつの間にか学年幹事を仰せ付けられて、その責任上数年行ってるが、これはもうそろそろ止めようかなんて思ったりだ。高校の同期生はまだ元気な友人が沢山いるが、大学の同級生は小生含めて三人だけ。しかも一人は昔野球部員だったもののここ数年はすっかり体が弱って娘さんがいつも付き添ってきている。

もちろん酒は三人とも飲むには飲むが、正直こちらは日吉まで出向いての昼酒は些かきつくなってきている。昨年は帰りしなに学園近くに住む昔就職先まで共にした友人に声をかけてしばし昔話をしたが、彼は幸い酒を飲まないのでコーヒーを飲みながらのことだった。しかしこの日は慶應の年次を問わない同窓会でどこの店も満員状態落ち着かなかった。大学の記念日行事なんてものも段々鬱陶しくなってきた。そもそも<懐旧>なんてこと自体性に合わない性格かもしれぬ。

2025年9月29日月曜日

池袋のこと

夏の暑さは未だ続いているが、大相撲秋場所も目出度く終了。次回はもう年末の九州場所だ。<歳月人を待たず>だから、残り少なくなった人生でなすべきことを改めて考える時期が来たようだ。授かった身体髪膚はどうやら余り毀傷せずに今日に至っている。孝の始めとして先祖の皆さん認めて頂ければ幸いだ。それにしても最近は身体のいろいろな部位に敢えて入れ墨などしている親不孝者が多い。特に女性に多いのが気になるところ。

実は昨日は池袋のふくろ祭りで神輿の渡御が行われるハイライトの日。夕方出掛けたが、舞台装置は例年同様広場に組みあがっていたが、時間が早すぎたのか、熱気が例年と全く異なって冷ややかなものだった。区長が女性に替わったせいでもあるまいにと、頭を捻ってみたが思いつかない。都心はご案内の通り人の出入りが激しい。だから田舎のように伝統行事を大事に後世につなぐなんて意識を持った人は少なくなる一方だろうし、それはやむを得ないことかもしれぬ。

東口の西武百貨店はとうの昔に昔の姿が替わっているのに比べれば、西口の東武百貨店はよく昔を保っていることをむしろ喜ぶべきかもしれぬ。伝統維持の理由の一つには東武鉄道が昔の国鉄現在のJRと上手に共存してきたこともあろう。今年ずっと閉鎖されていた国立芸術劇場も今月半ばに改修が終わって再開している。丸井の本店ビルの再開発ももう完成間近。要するに西口はもう開発の余地が殆ど無いに等しい。

替わって東口は膨大な開発余地があるので、開発事業者が注目しているのは東口方面だろう。兎に角大都市東京は、小生の生涯を遥かに越えて発展し続けそうだ。 

2025年9月28日日曜日

今後のこと

昨夜も恒例高校同期生5人でのリモートミーティングに参加した。開始が19:30で21時までと決めているので1時間半しか無いが、昨夜は大半がアップル社のスマホ(アイフォンと言うらしい)新製品の話題だったので、小生には全く無関係で少し寂しかった。小生もパソコンを毎日使っているので、友人が手持ちのスマホについてあれこれ言うのは理解できる。

しかし中でスマホやパソコンに詳しく、パソコンは自分で組み立てたと自慢している友人が、未だにOSがwindows10だと聞いて違和感を禁じえなかった。小生のパソコンは日頃化世話になっている技術者に薦められたレノボのThinkPAd E16なる代物。時々更新の通知が来るので、その度に几帳面に更新を繰り返している。そのせいだと思うが動きは非常に安定していると思う。要するにパソコンなんて代物、土台原理も分からないし、実際の使道も殆ど分からない。ただ普段使い勝手が良ければそれで満足してるだけ。

やがて使えなくなる日も来るだろうが、それはその時のこと。やはり昨夜の話題で金融関係の口座管理が関連で話題になった。死んだときに子供たちが口座をうまく引き継げるかどうか心配する友人が多い。その気持ちもよく分かる、小生の父も同じ心配をしてくれたのだろう、生前からたまに会う度に父は資産内容を説明して、その引き継ぎ方を詳しく説明してくれた。今思い出すと、確か公正証書化された遺言書を裁判所だったかに持参して、父の資産口座の封印を解く段取りが必要だったように思う。

そんなことも思い出しながら、これからのことを少し考える必要がありそうだが、そんなに難しいことではないだろう。 

2025年9月27日土曜日

政治劣化

 相も変わらず半袖シャツ1枚でも汗ばむような日が続いている。どういう訳か理由は分からない。今月は台風シーズンでアジアの諸国では大きな被害が出た国が多いが、日本は被害が比較的少なかっただけ良かったと思うべきかもしれぬ。月が替わると新しい内閣が発足することになっている。どんな内閣が出来ても我が暮らしが楽になることは無いだろう。ま、昔から楽な暮らしには縁遠いから気にしないことにしよう。

思えばここ数年日本は内閣が目まぐるしく変わる不思議な国だ。内閣がクルクル変わるのは国民が政治に熱心だからではない。長いこと政権を握ってきた自民党が経年劣化で足腰が弱ってきたからだろう。恐らく当分の間ダッチロールが続くのだろう。親類に政治に関心のあった甥っ子が一人だけいたがどうしているかな?自民党支持だったと思うが、政治に関与しても碌なことは無い。もっと他のことに集中した方が良いかもだ。

伝統ある自民党でさえ党員数は90万人そこそこ、小生も昔は野党民主党に年会費を払っていた時代もあるが、最近はもう払っていない。友人たちとの会話で政治がテーマになることは多いが、国内にしろ外国しろ政治はどうして他人事にすぎない。

反対に個人的な問題で、今朝テレビを観ていて、へ~と思ったのは東京都は焼き場の料金がずば抜けて高いこと。何でも1体当たり平均9万円とかで大阪の7倍とか以上言っていた。焼き場は皆公営かと思っていたが、そうではないらしい。死後のことなんかどうでもいいが、葬式費用は保険会社から300万円しか受け取れないので子供たちは可哀そうだ。

2025年9月26日金曜日

世間知らず

 季節外れの夏日、朝から長袖で居たが流石に昼前半袖に着替えた。異常気象と関係は無いが日本の株価は過去最高、アメリカはトランプ大統領によれば「黄金時代」とのこと。共に結構なことだと思うが、株と無縁の日本の庶民や関税の引き上げで物価高に悩むアメリカの庶民は果たしてどう思うだろうか?

昨日の木曜日いつものように紀尾井町のレストランまで行って週刊文春最新号(10/1)を読んだ。内容的には特筆するようなことは無いが、このレストランのフロアスタッフが店長の他一人だけで、いつになく忙しそうだった。帰りしなに店長に聞くとスタッフが集まらないとのこと。少し高級なレストランだが「時給1500円くらい出してもダメなの?」と聞いたら「最近はラーメン屋でも1700~1800円だそうです。」との返事。

株のことも分からないし、ましてやアメリカのことなんか皆目分からない。日本の物価高騰も勿論分からない。要するに分からないことだらけこの世である。

2025年9月25日木曜日

祖母のこと

 今年の秋の彼岸は20日から26日迄の1週間、従って明日で終わる。昨日長野市在住の従妹からメールで連絡があった。彼女は先日の墓参りにも付き合ってくれたが、敬虔なクリスチャンでもある。曰く「一昨日主人と娘の3人で松代にある菩提寺西楽寺のお施餓鬼法要に行ってきました。今年は祖母の50回忌でした。早いものですね。彼女を知る人は少なくなりましたが、お兄さん、どうぞお元気で。」彼女は早くに両親を亡くし、我が家の妹同様に育ったので、未だに<お兄さん>と呼んでくれている。

祖母の50回忌とは知らなかったが、小生も祖母には大変な世話になっている。昭和18年の夏、当時熊本県庁に奉職していた父が急に海軍行政官としてバリ島に赴任することなった。当時は私の下に弟が生まれたばかりで母も大忙し、長野から手伝いに来てくれていた祖母が小生を暫く長野で預かることが決まったようだ。ある日の夕方祖母に引きつられて外に出た小生は玄関先で大泣きした記憶があるが、祖母にあやされて汽車に乗り、翌朝長野に到着。駅から祖母に抱かれて人力車で善光寺より少し高い位置にあった母の実家に到着した。

その後母や兄たちが到着したのは恐らく小学校の2学期が始まるタイミングだった筈。それまでの間毎晩祖母が添い寝をしてくれ、多くの話を聞いたに違いない。具体的な記憶は殆ど無いが、俗に<三つ子の魂百まで>と言うではないか。恐らく我が魂には祖母の影響が色濃く残っているに違いない。

2025年9月24日水曜日

秋晴れ

 気持ちが良い秋晴れの朝、燃えるゴミ出しを終わって郵便受けを覗くと封書が3通。一番大きいのが国勢調査用紙、2番目が年金基金からの毎年恒例の調査用紙で、もう1通は隔月に送られてくる水道料金の確定通知。水道料金は7月と大差が無いのでそのまま通知類をしまっている7月分の上に。年金基金への返信はすぐに記入して最寄りのポストに投函。家内生存中に切手を貼らずに投函して返送され、家内から叱られたことを思い出しながら切手(110円)を貼り、間違いないかを確認してからのことだ。

帰宅して国勢調査はインターネットで回答。何となく秋を実感したような気分。季節的なことだけでなくて個人的にも人生の晩年をしみじみ感じてしまう。今月は特に半ばの16日だったかと思うがネット碁に嵌り過ぎて体調を崩し、と言うか寿命を縮めてしまった思いが強い。残された時間がどのくらいになるか分からないが、今後は馬鹿をしないよう謹んで暮さねばならぬ気がする。

2025年9月23日火曜日

知らなかった

 昨日アメリカのユタ州で大統領も出席してある個人の大葬儀が行われた。参列者が全国から集まり10万人を超えたらしい。故人はチャーリー・カーク氏と言う31歳の青年。氏は若い人に人気があり、トランプ氏を応援していて、今回の大統領選挙に大いに貢献したと報じられている。従って葬儀には大統領自身のみならず多数の閣僚が出席して弔辞を述べていたらしい。兎に角アメリカ国内では超有名人だったようだが、小生は一度も情報に接したことは無かった。

昨日以降インターネットには故人に関する情報が溢れている。彼の妻は「犯人を許す。」と言い、大統領は「死刑」を望んでいる。故人は敵対する人の意見もよく聞くことを薦めていたようだ。情報化時代で外国関連情報も毎日マスコミやネットで接しているが、知らない情報が圧倒的に多いことを改めて思い知った。

2025年9月22日月曜日

いい加減にしろ!

国内では何だかよく分からないが、政府が機能不全で異常なまで長い政治空白が続いている。しかし国際的には今日からニューヨークで国連創設80周年記念ハイレベル会合が開催される。石破首相が出席の予定らしいが、目的は何だろう?今回の目玉議題は言うまでも無くパレスティナの国家承認である。最初に言い出したのはフランスだったようだが、G7の国々が同様の意向を唱え始めた。イギリスもトランプ大統領を態々2度目の国賓として招いたのもそのことを伝えるためだったのではと言われている。欧州では未だユダヤ人虐待のトラウマが残るドイツとイタリアは態度表明をしていない。

重要閣僚の反乱で明白な死に体となっている首相が国連総会に出席して、日本もパレスティナ国家承認に加わるなら少しは話が分かる。しかし国家承認に加わる意思は無いらしい。ならば何故行かねばならぬか?終戦80年の節目に感想も言えず、小僧みたいな部下の反乱で首相の座を追われてしまった。もはやどこの国からも相手にされない日本の首相、本当に哀れ、全て身から出た錆と言ってしまえばそれまでだが。それでもマスコミは23日から25日にかけて渡米国連総会出席と報じている。

反乱閣僚が鬨の声を上げる最中今更なにをしたいのか?せめて「閣僚の総裁選出馬を止める理由は無い。」なんて綺麗ごとを言わずに、官房長官と農水大臣の首を切れ。政界は馬鹿と阿呆の騙しあいとのことだが、ケジメの無いこと夥しい。救いようが無い話だ。 

2025年9月21日日曜日

広告宣伝

 今朝も暫く雨模様だったので少し安心したが、9時頃になると強い日差し。相変わらずの残暑でがっかりだ。しかし今年は異常なことが多いのでびっくりしないことにする。世間の騒ぎで気になるのは広告の多さ。広告業界で仕事をしてきたので、広告が大抵インチキだとは思っていたが、こうまで生活に邪魔な物とは思わなかった。テレビコマーシャルは本編と同時には放送されないから広告であることが分かるので、ある程度の嘘っぽさは仕方が無い。しかしインターネット上には本編とコマーシャルの境が無い。

最近はなるべく観ないようにしているが、YouTubeなんて代物。表示されてる件数は極端に言えば無限大。活字媒体であれば少なくとも発行者や著者、発行年月日はどこかに必ず表記されている。ところがインターネット上には発信者不明な情報が殆ど。行政機関も研究してはいるだろうが、利便性だけを追求してインターネットを利用することを止めたらどうだろうか?今では結構なお年寄りでもスマホなる機械を手にされているし、小生も常に持ち歩いている。これに期待する機能は他のご老人の期待値は知らぬが、小生は携帯電話と歩行数測定だけ。広告とは言えぬかもしれぬが、商品や飯屋の評価はしたことも無いし見ようとも思わない。

広告屋として仕事をしていた時、広告の効果は当てにならぬとは自覚していたが、世の中に害を及ぼすことはあるまいと思っていた。しかし昨今インターネット上に表示されている情報、これは広告活動であるか広報なのか判然としないが、有害なものが少なく無いようだ。嫌な時代になったものだ。

2025年9月20日土曜日

政党の再生

 <暑さ寒さも彼岸まで>の譬え通りやっと大分涼しくなった。自然と言えば自然でごく当たり前のことだ。余り当たり前でないのは日本の政界。政権与党が国民の支持を得られず議会での過半数を維持できなくなってしまった。慌てたのが自民党、党首の首を挿げ替えて何とかしたいようだが、果たしてどうなることやら。過半数は失っても替わりは幾らでもいるとばかりコップの中で大騒ぎを始めた。マスコミはコップの中の争いを良きネタとばかりに騒ぎ立ているが、表紙を変えれば党勢が立ち直るものだろうか?

自民党の場合は旧社会党なんかと異なり、人材も豊富で経済基盤も桁違いだろうから党員はそう簡単に潰れないと思っているに違いない。しかし250年続いた徳川政権だって潰れる時には案外脆く潰れてしまった。

暑さにやられて頭が回らないので今日これでおしまいとさせてもらう。

2025年9月19日金曜日

歴史認識

 少中学時代のどこかで習い、今でも記憶している日本史は、2千年以上昔の縄文式土器時代、稲作が始まり、集落が形成されるようになった弥生式土器時代の古代。更に時が進み、奈良・平安時代のどこかで朝廷が出現したが、幕府の権力争いが激しく室町・鎌倉・安土桃山・戦国・と言った時代を経て江戸時代に至り、ここで少し世の中が安定したが、再び明治維新と呼ばれる内乱が生じて20年がかりでやっと国家の形が整ったとの理解だ。今考えると教え方が中途半端だったか、受け止めるこちらの責任であるかは判然としない。

昭和15年(1940年)生まれの小生は、自国の歴史は中途半端な知識なので頭の中での整理が難しい。従って大学入試で歴史問題に関しては世界史を選択した。世界史は教科書的にもすっきっり纏まって覚えやすかったような気がしたからだ。

兎も角、普通の日本人からすれば日本史はあまり重要な記憶知識ではないと思う。昨日の中国での大騒ぎ、即ち抗日戦争が始まったとされる柳条湖事件などについては、「え、何それ?」てなことだろう。同時に封切された映画「731」もチンプンカンプンでピンとこない筈だ。対ロシアでも同じこと、司馬遼太郎氏のファンであれば日本海海戦でロシアに日本がロシア海軍を破ったことや、陸上で乃木希典将軍が活躍してことくらいは知識的には知っていることだろう。でも大分昔になるが、世話になっていた人が言っていた。「切手になってる東郷平八郎ぐらいは教科書に出てきて当然じゃないかね。」

どこの国でも青少年に対し、自国の歴史に関してはいろいろ教え方に違いはあろうが教える努力をしている筈。日本は天皇誕生日でさえクルクル変わり、上皇になった途端忘れるように仕向けている。保守政権が長く続いてるにもかかわらず不思議な国だ。

2025年9月18日木曜日

体調不良

 午後3時過ぎ大手町では土砂降りの報道があるが、ここ豊島区は暑い夏の日差しが続いている。暑さは我慢できる筈だが、昨日から身体の調子が大分悪い。急に背中が丸まって85歳の老人らしい姿になったばかりでなく、歩くのも難儀になって来た。木曜日は紀尾井町のレスtランで昼食と決めているので毎週往復1万2千歩はルーチンだったが、今日往復地下鉄に乗車。しかも歩数計に使っているスマホも忘れて、今日も行くだけは行ったが、食欲も湧かない。仕方なく普段注文している日替わりメニューからパスタに変更したがそれも完食できなかった。

レストランのマスターが心配して「腹筋と背筋を強化すればよいですよ。」とアドバイスをくれたが、とてもそれどころではない。これを書いたら少し昼寝でもしてみようかと思ったりしてるが、果たしてどうなることやらだ。

2025年9月16日火曜日

自民党総裁選挙

 余り自慢できないが昔から不真面目な人間で、毎日面白いことを探し回っているところがある。残念なことに最近面白いニュースが少ないのが残念だ。報道の大部分が自民党総裁選となっている今週、更に来週にかかる訳だ。候補者全員が優秀な人物であるのは良しとして、何で似たようなことしか言えないのか?自民党だっていつかは倒産したり消滅しても不思議じゃないだろう。そもそも長く続き過ぎてるし、候補者が似たようなことしか言わないから全く面白みがない。

昔を思い出すと、何十年も前には「ニッカ、サントリー、オールドパー」などと言われ、各陣営が現金のバラマキ競争をした時代もある。自民党には昔から多数の派閥があり、総裁選の度に激しい票集めが行われてきている。総裁選は陣笠代議士の稼ぎ場だったとのこと。綺麗ごとを言っても、現代でもあまり変わりは無いだろう。愛嬌があっていいじゃないか。政策論議なんか素人は聴いても分からないし、喋ってる本人だって分かっちゃいない筈。こんなつまらぬ選挙はサッサとやめて早いとこ又1年限りの元首相を作ってくれだ。

2025年9月15日月曜日

敬老の日

 いつの間にかまわりに敬意を表すべき人がいなくなり。こちらが敬意を表される立場になってしまった。しかし親族の中には未だ先輩が数人おられる。もちろんご無沙汰ばかりなので詳しい消息は分からない。不謹慎の極みだが今朝半分夢心地の続きで己の親類を考えてみたい。今は亡き次兄が生前大事にしろと作成してくれた系図もどこかにあるかもしれぬが、所在が不明で申し訳ない。

小生は5人兄弟の3番目。父も確か5人兄弟の5男、母も5人兄弟姉妹の長女だったように思う。従って伯叔父伯叔母も多く、強く記憶に残る人も何人かいるものの全員の姓名は正確に書けない。従兄弟、従姉妹に至ると猶更だ。やはり年賀状を止めてしまったことが大きく響いていると思う。更に5男であり在上田市の本家を離れて寺まで長野に移した父の影響も大きい。しかし父は子供である小生に対し、上田の伯父さんたちの家に務めて出向くよう仕向けてくれていたようにも思う。そのお陰で、かなり大きくなってからも上田市の父の実家で従兄弟、従姉妹の接待に与ることが出来た。

母は戦中戦後父が復員してくる時まで、上田の皆さんから冷たくあしらわれた悔しい思いもあったのだろう、上田の冠婚葬祭には殆ど出なかったように記憶する。その代わり父は未だ小学生の小生を連れまわしてくれたものだ。父は実家とは離れて長野市に本拠を移した際どうしたか知らぬが、小生は未だに本籍は上田市内に残し、従兄弟たちと一定の付き合いをしてきた。しかし先に書いた通り年賀状のやり取り止めてしまったので、彼らがこちらを疎んじても仕方がない。

家内の葬儀は小生が取り仕切り、一定の親戚が参列してくれたが小生の葬式は寂しいものになるだろう。

2025年9月14日日曜日

黄昏

黄昏

昨日と今日は我が町の氏神様長崎神社の御祭禮。昼少し前に買い物がてら町の中央に置かれた詰所の近くを覗いたが何とも寂しい風景だった。子供が少なくなってるせいだろう。爺さんが一人ぽつねんと座っていた。例年であれば若い衆も加わり酒盛りが始まっていても良い時刻なのになあ~と思いながら帰宅すると間もなく、自宅前に大人神輿がやってきた。昔は先ず子供神輿がやって来るのが相場だったが、子供が居ないのでいきなり大人の登場だ。

玄関先に出て見守っていると、昔正面で蕎麦屋を営んでいた家の後家さんがやって来て昔話。昔はどの家にも提灯がぶら下がり賑やかだったし、我が家も大鍋で味噌煮込みを作り若い衆の酒の肴にしたし、蕎麦屋さんも朝から麦茶をたくさん用意したなどと昔話に花が咲いた。我が家も2か月先に立ち退く話をすると、彼女も近いうちに埼玉県の老人ホーム行かざるを得ないとか。息子の嫁さんとどうもしっくりいかないし、孫も二人既に大学生で生意気で困るとか。老人二人の黄昏話が尽きなかった。 

2025年9月13日土曜日

今昔物語

 昔から天候不順の年はあった筈だが、今年の異常高温、大雨、突風等を思いかせば、まだ年は終わっていないが天候不順の年であってもおかしくない。ただ不安なのは、来年以降も同じようなことになりかねないとの観測があること。未来は誰にも分からないとしたものだが、幸か不幸か最近は天気予報がよく当たる。若い時スキーにのめり込み、高校時代から大学卒業まで7年間、冬休みと春休みは毎冬志賀高原の標高1300メートル地点にあった山小屋でアルバイトをさせてもらった。

記憶では1回だけクリスマスになっても雪が少なく笹が見えていた年があったが、その他は毎年12月になれば順調に雪が降り、4月4日の誕生日くらいまでは山小屋付近で十分スキーが楽しめた。更にもっと昔の小中学時代は、長野市内でも今では自動車道路になっている場所でスキーが出来て遊べる日が数日あった。地球全体が暖まっているのは疑いないのだろう。台風が近海で発生するようになっているのだから、日本はや立派な亜熱帯だ。

農業のあり方も考えなくてはならぬだろう、もちろん漁業や林業も同じこと。農林水産業と無縁の農水大臣が就任していることは結構かもしれない。天候気象の変化はさることながら、社会のありようも大きく変わった。正直に言えば小生も世の中には男性と女性しかいない、性別で役割も当然異なると思っていた口だ。しかし現実はどうも違うようだ。今日も引っ越し関係である会社の女性社員が来てくれて、我が家を隅から隅までチェックしてくれた。

まだ若い営業部員、たった一人で乗り込んできて短時間のうちに費用の概算見積もり迄説明。極めて合理的、小生の感覚で営業と言えば頭脳でなく胃の腑で稼ぐだったが、全く異なる。池袋近くの独居老人からもビジネスチャンスを目指すのだが、その脳内には広い世界が描かれていることがよく理解できた。

2025年9月12日金曜日

近所の騒動

 やっと日中でもエアコンが不要の陽気となった。昨夜は久しぶりに上掛けに毛布を出した。体調も少しは良くなってくれればだ。今月は「敬老の日」がある。小生も十分なご老人、世間から敬って頂けるようなことは殆ど無い筈だが、最近電車の中で必ずと言えるくらい席を譲られるようになった。有り難いが少し悲しい気もする。

ところで最近多くの方が感じてると思うが、これまで見たことも聞いたことも無い物騒な事件が多発してる。先日の静岡県牧之原市の竜巻被害などが典型だし、全国的に頻発している集中豪雨被害。幸い都内は自然災害被害は少ないが、先月終わりから始まった向かいの3階建てビルの解体工事。朝8時から夕方5時近くまで、重機1台と3人か4人で精々で鉄骨を折り曲げ捩じ切りして残骸をダンプカーに積み込む、その音の凄まじいこと隣の奥方家に居られず毎日何処かに避難されている。

音の凄さもさることながら、家が揺らぐ地響きが不気味。得60年以上の老朽化している我が家も巻き添えになったらと心配するが、最近の解体技術は大したものだ。今は屋上部分は殆ど瓦礫の山となり、最近は地下部分に工事が移ったようだ。親方らしき人物は顔を出さない日もあるが、先日の話では今月いっぱいで終わらせる予定なのでご辛抱願いたいとのこと。

2025年9月11日木曜日

首相の常識

 自信をもって常識を弁えているとは言い難いかもしれぬが、85年の歳月を経てやっと少しは孔子様が仰る「矩を超えず」が少しずつ分かってきたような気がする。論語によれば「七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず」だから普通の人より10年以上遅れているが、分かり始めたとすれば結構なことだ。自分のことは気がつきにくいが、他人の粗はすぐに気がつく。昨日思ったのは自民党総裁選絡みのこと。真っ先に名乗りを上げた茂木氏は優秀な人のようだが、未だ弱点らしきものが聞こえてこない。

対する林芳正官房長官、学歴職歴共に茂木氏に劣るところは全く見られない。茂木氏が評価されている交渉力にしても大きな違いは無いだろう。一点気になるのは林氏が常にノーネクタイでテレビ映像に出てくること。昨日だったか一昨日だったか忘れたが、外国の大使か首脳級の人との会見(二人の背景に両国国旗がが映っていた)の時もノーネクタイだった。細かいことは気にしない方が良いかもしれぬが、小生は気になる。実際の戦いで誰が勝つせよ、総理になるのは常識的な人物であってほしいものだ。

今日の昼、木曜日恒例で紀尾井町のレストランだ「週刊文春」最新号をざっと読んできた。中でトップに取り上げられていたのがやはり総裁選。文春は小泉氏と高市氏を取り上げていたが、お二人とも常識もさることながら、首相にはまだ経験不足の感じがする。

2025年9月10日水曜日

認知症

 朝は快晴だったが予報通り昼から急変、土砂降りに代わった。<女心と秋の空>だから当たり前かもしれぬ。何れにせよこの辺でもう少し気温が下がってくれるとありがたいが、相変わらず何も掛けずに寝る夜が続いている。石破氏が自民党総裁を辞めると言ったが、総理は辞めたわけではないらしい。正式に成年を迎えられた秋篠宮悠仁親王殿下の公式行事に首相として列席してるのを見るとどこか変な気持ちがする。

死んでいても葬式が終わるまで生きているとして扱う事らしい。党内はそれでもいいだろうが、国の公式行事、それも目出度い行事であれば穢れた者として出席は遠慮すべきだろう。が、そう言った自然の配慮が出来ないから、下々でも訳の分からぬ犯罪が横行する。古い物言いになるが物事にはやはりケジメは必要だ。今日は歌手橋幸夫氏の葬儀があってニュースとして取り上げられた。

昭和30年代後半港区赤坂にあった会社のビルに橋氏の事務所があってよくエレベータで一緒になったことを思い出している。氏は小生と同じくらいの年かと思っていたが3歳も下だった。生涯歌手として活躍していたので、病気なんかしていられないだろうと思ったが、数年前からアルツハイマー型認知症だったとのこと。家族構成は知らぬが、忙しく働いていれば病気ならぬと思っていたが、そうでもないようだ。どう気をつけたら良いものか分からぬが、あまり深く考えないことにする。

2025年9月9日火曜日

引っ越し準備

 なかなか涼しくならないが、もう暫くのことだろう。夕方の散歩は陽が落ちるのが早くなってきているので助かっている。ヤクザの集団でも同じで政党も大きくなりすぎて仲間割れが始まった。党首選に出馬を予定している全員が「党内一致」を唱えているのだから面白いものだ。日本もヨーロッパ並みに少数政党が乱立したと思えば間違いなさそうだ。石破政権も11ヵ月だったそうだが、フランスなんか最近は政権が半年と持たなくなっている。

我が家の売却に関しやっと測量と隣地との接地点確認が終わったようだ。登記上面積との違いが当然あって、これを契約にどのように反映させるかとか未だ面倒くさい手続きがあるらしい。しかし当方としてはそろそろ引っ越しの準備もしなければならない。ずっとこれらの手続きで世話になっている住友不動産から撤去業者と引っ越し業者を2社ずつを紹介された。撤去業者に見積もりを依頼したが、1社からは営業と会える日を3日取ってくれとのこと。理由は現地確認の上情報を持ち帰って社内で検討の上見積もりを作成するとのこと。丁寧なことだが、その気持ちも分からなくはない。

家内の他界以来かなり断捨離はしてきたが、それでも収納場所の多い一軒家、かなりのものがあると思う。撤去については結構な費用を要するかもしれぬ。撤去が終われば引っ越しだが、こちらも2社紹介されている。前者は見積もりに差が出ると思うが、引っ越し費用は大した費用にならないと思うので、合い見積もりが一寸可哀相な気もしている。何れにしてもこれは先の話だ。

2025年9月8日月曜日

首相の辞任

 基本的に無職の独居老人の小生。毎日が日曜日だが昨日の日曜は夕方6時からテレビを観て驚いた。石破首相が自民党総裁を辞任するとのこと。何でも今日の月曜になれば、総裁選実行に関する党員に対する意向確認が行われ、結果党が分裂する危険があるとの判断で、悔しさはあるが泣く泣く決断したらしい。自民党は最近のことなのか昔からかは知らぬが、下らぬことでは全員一致してきたかもしれぬが、党内に派閥があって互いに金の分捕り合戦を繰り返している汚い政治集団。何を今更寝言を言うのかだ。

参議院選挙の敗北から既に50日も経つにも拘らず。少なくても政治と金の問題は一向に解決の兆しは無い。これは選挙民である国民の側にも責任の一端はあろう。自民党に政権を預けることで自らの生計が一層豊かになることが保証される国民が少なくはないことかもしれぬ。公的年金で生計を立てている立場からすれば、お上の情けで生かされているとの考え方もあるが、元を糺せば全てこちらから巻き上げられた税金。物価高騰の折から税金を少し安くしろと言いたい。

与党政治家かいつも口にする「財源論」は聞き飽きた。民の竈の煙を見ずにコップの中で醜い仲間喧嘩を繰り返しいている与党自民党、いい加減に退場して一旦空中分解してはどうか。野党は既に何度も空中分解を繰り返しているから少数政党の乱立になろう。結果生じる政治現象がどうなるかは分からぬが、比較第一党が大きすぎない方が面白いだろう。昨夜から今日の昼までテレビを観て思ったこと、石破氏は最初から最後まで嘘つきだった。

2025年9月6日土曜日

経済連携

 久しぶりに朝から雨音を聞いてなにかホッとした。台風が近づいているらしいが、これも秋の証拠ごく自然だろう。夏は夏らしくとも言うが今年の夏は少し常軌を逸した暑さだった。小生もそうだが頭の回転が狂って当たり前。この辺で少し頭を冷やしてもらわねばなるまい。政権が不安定なので俄に実現は難しかろうが、日本もBRICS(ブリックス)に参加との噂がある。

もともとはブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ5ヶ国の経済連携の枠組みだったが参加国も10か国になっているとのこと。日本も米欧一辺倒から抜け出し新たな世界秩序に参加できれば将来に向け結構なことだと思ったりしている。

昨日上げたつもりだが、何故か日付が26日になっていた。今朝6日になって修正したがが、ボケが激しい。今日と明日は休みます。

2025年9月4日木曜日

平和と戦争

 この数日の報道を見聞きしながら思うことがある。大東亜戦争突入の前年に生まれたせいもあろう。人類は国家なる集団を作って生存を計る実に興味深い動物で、たまたま小生は日本国に産まれ85年の歳月を過ごしてきた。現在の世界には万遍なく人類が生存し、その数は80億人を超え、国家の数も200近いとされている。10歳に満たない頃聞いた話では支那に4億の民が居たりしたが、GoogleのAIに聞くと、1940年当時の世界人口は正確な統計は無いようだが約23億人、日本人口は約7300万人。現在と比較すると、世界人口は当時の約3.6倍、日本人口は約1.7倍に増えているそうだ。

小生が誕生する大分前、明治維新以来かと思うが、日本は世界のあちこちでやたらと戦争を仕掛けてきた。欧米でも同じようなもので、あちこちで戦争による殺し合いで領土を拡大したりされたりの騒ぎは続き、現代でも未だ続いているとも言える。戦争で国家を作り上げる歴史は4大文明発祥以来のものだろうが、エジプトは現代どちらかと言えば小国、中東は大分裂していて目立つような国家は存在していない。この地方は石油などの埋蔵資源が豊富だが、人類が定着しやすい食料供給が難しいのだろう。

しかしガンジス川河畔のインドと長江、黄河を有する中国は何れ劣らぬ大国になっている。更に考慮すべきは18世紀まで未開地とされた北アメリカ。現在はアメリカ合衆国とカナダと言うことになっているが、前者が世界で筆頭の軍事大国になった。しかし先月末から今月初めにかけて中国の天津で上海協力機構の首脳会議が開催され、インドのモディ首相と中国の習近平主席が固い握手を交わして世界平和への協力を言っている。

そして昨日は北京で抗日戦争勝利80年と謳った大イベントが行われて、主催者習近平氏が世界平和への貢献を謳いあげた。アメリカは特段の動きが無いが、国内の引き締めに忙しいのだろう。日本は戦勝を祝う彼らに彼らに結構な材料を提供した形だ。しかしマスコミは台風情報を大きく取り上げるばかり。本当にこれでいいのだろうか?

明日以降の世界情勢は誰にも分からないにしてもだ。個人的には北京の晩さん会に招待された鳩山由紀夫氏に意見を聞きたいと思っている。

2025年9月3日水曜日

常識に沿って

 面白いと思っている言葉に<反省だけなら猿でもできる>がある。政府自民党の自己反省は大変な長時間を掛けてやっと纏まったらしい。詳しく知らぬが、国政選挙に2度も負けて衆参両院で公明党の力を借りても過半数を得られていないのだから、何を書いても仕方ない。たまたま昨日は80年前に日本政府代表がアメリカの軍艦に赴いて降伏文書にサインした日だ。この世界大戦の発端が中国にあったことは誰でも知ってるかどうか分からないが、少なくとも国会議員クラスの人物は知っているだろう。

高校時代によく聞かされた話に<傾向と対策>があるように、今の政治劣化の傾向を少なくても石破首相は理解できていない。相変わらず「地位に未練は無いが、もう暫く政権維持をして務めを果たす。」なんて矛盾だらけの日本語を並べて居直っている。どうすればこんなに非合理な言葉をそのまま受け止めるのか?確かに世論調査の支持率は少し上がり気味で得あるのも事実。先の大戦末期日本全体の空気が澱み、誰も敗戦を予想しなかったことと同じこと。

権力も能力も失ったレイムダック状態の政権。後悔先に立たずと同じで、後から考えれば誰もが不思議に思うだろう。当たり前のことが当たり前に行われていないだけだ。難しく考える必要は無い、常識に沿って考えを纏めよう。

2025年9月2日火曜日

AI時代

 世は挙げて人工知能(AI)が持てはやされる時代になった。お馬鹿な小生としては大いにお世話になった方が良いかもしれぬが、どうも使い勝手が悪いと言うか、使い方が理解できていないようでお世話になる機会は少ない。しかし囲碁に興味があることもあり、AIが驚異的発展をして世界中のプロ棋士を打ち負かすまでになっていることは知っている。想像するにチェスや将棋の世界でも似たような現象はあるかもしれない。

その上最近は対話型AIと言う奴が大流行で、AIと恋愛関係になったとか、AIと相談して自殺してしまったなんて事件が起きたりしているようだ。小生もブログ書きの途中で辞書や辞典を調べるより簡単とばかり同じパソコンのAIを呼んで教えてもらうこともある。昔の豆単辞書のようなものだ。AIには政治問題のように応えにくい問題もあるようだが、それでもネット上に存在する膨大な言語を学習してるようなので、歳のせいで辞書の小さい文字が読めなくなっている小生には便利であることは否定できない。

孫の一人が学生時代に6年間AIに嵌っていたようだが、最近はあまりこれをよく言わなくなった。理由は分からないが、何でも日本の研究は遅れ過ぎているとのことらしい。コンピュータの原理も分からないボケ老人が心配しても始まらぬがAIが進歩すれば何時かは人間の知能に近づくことになるのだろうか?そんな疑問が少しあった昨日か一昨日のこと、NHKのBSだったと思うが「タモリ山中伸弥の!?(ビックリハテナ)」という番組を観ることが出来た。

結論的にはAI専門の学者は5年か10年で人間にかなり近づくようなことを言っていたが、小生は「永遠に無理だろう」と思った。テレビではコンピュータの学習速度が向上すれば何とかなるとお考えのようだが、とても無理だろう。何故か、世の中には無用の雑音が多すぎる。有用必要と思っていたことも全く無用になることが多い。これらを断捨離する能力をコンピュータの能力に加えることが難しすぎるように思うからだ。だからと言って間違いと失敗の経験は全てゴミ箱ともいかぬだろう。

万物の霊長に優るものを作ろうなんて無理に決まっている。

2025年9月1日月曜日

月初

102年前の関東大震災は、小生誕生以前のことなので何も記憶は無い。寧ろ1995年1月17日の阪神淡路大震災と2011年3月11日東北大震災の記憶が鮮明で、昨年1月1日の能登半島大地震に至っている。要するに我が日本は成立の過程からして地震と火山活動の被害からは逃げられない運命を背負っていることに他ならないのだろう。報道でいつも南海トラフ大地震のみが特筆大書されることの方とがむしろ不思議にさえ思える。特に今月は普通であれば台風が多い筈。、自然は災害をもたらすこともあるが、替わりに日本には温泉も豊富だし、瑞穂の収穫が可能だから感謝しなければいけない面もある。

考えようでは人的災害の方が大きいかもしれぬ。こっちはいろいろあると思うが、今日は論わない。兎に角順番を間違わず対処してもらいたい。今日から9月、月名は<長月>とされているが、夜が長くなる意味だろうか?本当の由来は知らぬ。ただ月日の経つ速さを感るのみだ。