いつの間にかまわりに敬意を表すべき人がいなくなり。こちらが敬意を表される立場になってしまった。しかし親族の中には未だ先輩が数人おられる。もちろんご無沙汰ばかりなので詳しい消息は分からない。不謹慎の極みだが今朝半分夢心地の続きで己の親類を考えてみたい。今は亡き次兄が生前大事にしろと作成してくれた系図もどこかにあるかもしれぬが、所在が不明で申し訳ない。
小生は5人兄弟の3番目。父も確か5人兄弟の5男、母も5人兄弟姉妹の長女だったように思う。従って伯叔父伯叔母も多く、強く記憶に残る人も何人かいるものの全員の姓名は正確に書けない。従兄弟、従姉妹に至ると猶更だ。やはり年賀状を止めてしまったことが大きく響いていると思う。更に5男であり在上田市の本家を離れて寺まで長野に移した父の影響も大きい。しかし父は子供である小生に対し、上田の伯父さんたちの家に務めて出向くよう仕向けてくれていたようにも思う。そのお陰で、かなり大きくなってからも上田市の父の実家で従兄弟、従姉妹の接待に与ることが出来た。
母は戦中戦後父が復員してくる時まで、上田の皆さんから冷たくあしらわれた悔しい思いもあったのだろう、上田の冠婚葬祭には殆ど出なかったように記憶する。その代わり父は未だ小学生の小生を連れまわしてくれたものだ。父は実家とは離れて長野市に本拠を移した際どうしたか知らぬが、小生は未だに本籍は上田市内に残し、従兄弟たちと一定の付き合いをしてきた。しかし先に書いた通り年賀状のやり取り止めてしまったので、彼らがこちらを疎んじても仕方がない。
家内の葬儀は小生が取り仕切り、一定の親戚が参列してくれたが小生の葬式は寂しいものになるだろう。
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