世は挙げて人工知能(AI)が持てはやされる時代になった。お馬鹿な小生としては大いにお世話になった方が良いかもしれぬが、どうも使い勝手が悪いと言うか、使い方が理解できていないようでお世話になる機会は少ない。しかし囲碁に興味があることもあり、AIが驚異的発展をして世界中のプロ棋士を打ち負かすまでになっていることは知っている。想像するにチェスや将棋の世界でも似たような現象はあるかもしれない。
その上最近は対話型AIと言う奴が大流行で、AIと恋愛関係になったとか、AIと相談して自殺してしまったなんて事件が起きたりしているようだ。小生もブログ書きの途中で辞書や辞典を調べるより簡単とばかり同じパソコンのAIを呼んで教えてもらうこともある。昔の豆単辞書のようなものだ。AIには政治問題のように応えにくい問題もあるようだが、それでもネット上に存在する膨大な言語を学習してるようなので、歳のせいで辞書の小さい文字が読めなくなっている小生には便利であることは否定できない。
孫の一人が学生時代に6年間AIに嵌っていたようだが、最近はあまりこれをよく言わなくなった。理由は分からないが、何でも日本の研究は遅れ過ぎているとのことらしい。コンピュータの原理も分からないボケ老人が心配しても始まらぬがAIが進歩すれば何時かは人間の知能に近づくことになるのだろうか?そんな疑問が少しあった昨日か一昨日のこと、NHKのBSだったと思うが「タモリ山中伸弥の!?(ビックリハテナ)」という番組を観ることが出来た。
結論的にはAI専門の学者は5年か10年で人間にかなり近づくようなことを言っていたが、小生は「永遠に無理だろう」と思った。テレビではコンピュータの学習速度が向上すれば何とかなるとお考えのようだが、とても無理だろう。何故か、世の中には無用の雑音が多すぎる。有用必要と思っていたことも全く無用になることが多い。これらを断捨離する能力をコンピュータの能力に加えることが難しすぎるように思うからだ。だからと言って間違いと失敗の経験は全てゴミ箱ともいかぬだろう。
万物の霊長に優るものを作ろうなんて無理に決まっている。
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