2025年5月31日土曜日

在日外国人

 日本語は外国人にとってみると、覚えるのに易しいのか難しいのか一度聞いてみたいものだ。平仮名は48字で発音は1字1音だから覚えるのは簡単かもしれない。話もひらがなで発音すれば良いわけだから簡単だろう。しかし漢字が混ざると途端に難しくなる。幾重もの読み方から意味まで複雑怪奇。構文も覚えた名詞を適当に並べれば大概の意味は通じる。動詞の変化も殆ど無い。接続詞とか助詞など、難しいことを言い出すと際限無いが、これらを全部無視しても何とか意味は通じると思う。

東南アジア方面から来る多くの外国人労働者、留学生はこれまで減り続けていたと聞くが、アメリカが留学生を制限し始めた。少子化で経営難が常態化している日本の大学も奮起一番留学生獲得を目指すことが出来れば起死回生がなるかもだ。清潔で安全な日本、物価が高くても労賃はそれなりに高いだろう。ただ今日のテレビで北海道の介護施設関係者が「外国人を教育して折角育てても、働き始めて1年もすると5年契約を無視して関東方面に転職してしまう人材が多い。」と嘆いていた。これは確かに問題かもしれぬ。

豊島区池袋界隈の外国人はどのくらいいるか知らぬが、AUショップだけでなく世話になっている外国人は多い。スポーツの世界では昔から外国人が大勢活躍している。国技である相撲の世界何ぞ何年かぶりで日本人横綱誕生なんて騒ぐほどだ。兎に角感覚的にはすごく多く感じる。街を歩いていての感じでは1割を優に超えていると思うが、この傾向は益々高くなっていくのだろう。

2025年5月30日金曜日

環境の異常

 今日の東京は最高気温が17度、札幌が28度とのこと。午前中に寒かったので暖房を入れてしまった。これはいくら何でも異常だ。少なくとも18歳で東京に出てきて以来記憶に無い。スイスでは氷河が崩落して一つの村が全滅したとのことだが、そこに溜まった土石湖が再び崩壊して被害が更に拡大する可能性もあるらしい。昨日テレビで観た数千年前の隕石による被害の痕跡。何でもヨルダンの死海の近くで、旧約聖書に書かれたソドムの崩壊と相通じるものがあるそうだ。4千年前も今と同じで人間が傲慢になり過ぎていたのかもしれぬ。

大騒ぎしている米や他の作物に悪影響が出ないことを祈るが、今年は何か悪影響が出るかもしれぬ。今日はたまたま雨が降っているが、水は天から貰い水~だからどこかの国のように干ばつ被害なんかが発生することは勘弁願いたいものだ。

閑話休題:次々と異なことばかり仰るアメリカのトランプ大統領、如何なる恨みがあるか知らぬが大学を虐め始めた。アメリカの大学は留学生を減らせか無くせか知らぬがおかしな無茶ぶりだ。幸い我が家は外国留学とは無関係。次女はアメリカオハイオ州立大学に留学して大分成長したので、孫にも大学生当時留学を期待したが、本人たちが全然その気にならなかった。しかし世界にはアイビーリーグ留学を夢見る若い人も多い筈。今朝ハーバート大学卒業式の報道でスピーチをした中国からの女子の留学生曰く「私はここで学んだことは、如何なる事態であろうと冷静に対処することです。」卒業生代表だけに上手いことを言うものと感心した。

習近平氏も娘さんをハーバートに留学させているとのことだ。

2025年5月29日木曜日

マスコミ報道

 できるだけ余計な心配をしたくないので、報道はあまり真剣に観たり聞いたりしたくないが、それでも毎日かなりの情報を見分せざるを得ない。この中から自分と関係の薄いものを排除して関係のありそうなことを残す。脳内の記憶装置がどんな構造か見えないので結構難しい。世間の多くの人がスマホを常時手にしているが、スマホにどんな情報を期待してるのだろうか?一度友人たちにも聞いてみたいと思っている。

目下、小生が一番気にしている情報は朝晩のテレビでの気象予報。ご承知の通り、これは最近素晴らしく精度が上がりよく当たる。明日は最高気温が18度3月末並みの低さなので冬ものを着ることを薦めている。寒さは嫌だが、予め教えてくれることは有り難いことだ。

国会の議論で、年金に関することに関しては注意して見聞きしているが、結局小生の年金がどうなるかは理解できていない。ガソリン価格の問題も自動車は無縁だし、灯油ストーブも使用しなくなったので無縁のこと。夏場の電気ガス料金が下がることが決められたとの報道もある。諸物価高騰の折から有り難いが、恒久的対策が無くて大丈夫なんだろうか。米の価格問題も賑やかだが、これもほぼ無縁の話。問題は昨年長野県産の米が品切れになって、一時価格が高い京都府産米を購入せざるを得なかった時期が2回ほどあった。寧ろそっちの方が少し心配だ。

国際ニュースも毎日欠かさずテレビで観ているが、理解しやすいのは中国のニュース。欧米のニュースは彼らの考えがどうしても理解できない。韓国人の考えは少し欧米の人たちに似てるところがあるように思う。香港のニュースは毎日観るが、台湾のニュースをNHKが全く取り上げない理由が分からない。

2025年5月28日水曜日

母の思い出

母の思い出

家族のことを連続して書くのもどうかと思うが、ご容赦願いたい。このブログを読んでくれてる家族親族は多くないが、小生が今になって両親や祖父母について知りたいと思うように小生他界後に読む気が起きる人が居てほしいと思い、昨日は父のことを大分書いたので、今日は母についても書いておきたくなった。母からは父と大分異なる人生の楽しみを教わった。男ばかりの5人兄弟だったので、幼い頃にお勝手での料理とか裁縫からミシンの扱い方を少し習ったりしたが、これは大した問題ではない。やはり一番は読書の楽しさだ。母自身か幼いころからかなりの読書家だったように思う。両親や兄弟姉妹の関係があるかもしれぬ。

何れにせよ母方の実家にはいろいろな本があった。既に子供向け絵本は無かったが、母自身が編集に与った妹の遺稿集があったりした。ずっと以前にブログにも書いたがタイトルが「小さな野花」。非売品ではあるが昭和7年10月20日発行で現在でも国立国会図書館に存在している。先の大戦で父が南方バリ島勤務になった時から残留家族は長野にあった母の実家に転居、その後終戦に伴い更に祖母や伯父達と祖母の実家である松代町に転居して父が復員してきた昭和22年まで3年近く暮らした。この家は場所も馬場町と古めかしい江戸時代からの武家屋敷、庭には大きな泉水、柿の木だけで7,8本、梅や柏、ぶどう棚。東北と南東の角にはそれぞれ神が祀られ、西には大きな蔵、その前には古い駕籠が置かれて、子供心にも興味尽きない場所だった。

門を出ると目の前が堰(せぎ:小川)なっていて、洗面はそこで済ますが、飲み水は毎朝数軒先の家の井戸に貰いに行って台所の大甕に移さねばならず、これが子供の仕事だった。しかし家の中には大きな本棚があってそこに夏目漱石全集を中心に多くの本が納められていたことを覚えている。母に薦められて小学生時代に読んだ本は子供向け「小公子」と「心に太陽を唇に歌を」と「家なき子」と「イソップ物語」を挙げたい。少し大きくなって、多分中学高学年か高校に入った頃薦められた本に「狭き門」がある。著者はドイツのアンドレ・ジイド、訳者は記憶に無い。この本の内容は殆ど記憶に無いが、望みは安易に手に入らぬし、手にいれようとするなとの警告だったように記憶している。

他に父と決定的な違いは旅行好きなこだ。残念ながら字数過多で書くことが出来ず申し訳ない。

2025年5月27日火曜日

父の思い出

 5月も間もなく終了、じめじめした梅雨を経て暑い夏がやってくることだろう。数日前にも書いた通り、昨日が父の誕生日だったので終日父のことを思い出していた。父はいつも笑いながら「私はウルトラ・コンサバティブ、超保守主義者だ。」と言っていた。1905年明治38年生まれだったので、確かに生涯下着のパンツは一度も履かず、越中褌で過ごしたりしたところはそうかもしれぬが、我々子供達には「時代が変わったのだから英語を勉強した方が良い。」とか、高校を卒業した時には「運転免許をを取っておいた方が何かの役に立つ。」と薦めたりしてくれたものだ。

今にして不思議に思うことはそう言いながらも、勉強や将来の学歴に関して自分の母校である「東大を目指せ」とは一度も言わなかったことがある。従って中学校の2年生くらい頃かと思うが、成績が芳しくなくなってきたので期末に貰ってくる通信簿を隠すようになったが、文句を言われなくなったが何故か見せろと言われなかった。代わりでもないが始終言っていたのが「浩然の気」。川や山で遊んでいてもこれを養っていれば良しとしてくれていたのかもしれない。父自身が小中学時代何度も落第しているからかもしれぬが、子供に競争心を植え付けることには賛成せず、所詮は長い人生を生き抜くのは子供自身。嫌でも長い競争が待っている。敢えて今それを言っても始まらないことと思っていたのかもしれぬ。

兎に角、人は先ず規則正しい生活をして健康であるべきで「健全な精神は健全な身体に宿る」がモットー。もう一つ言い聞かされたことはないが、ユーモア精神が旺盛だった。先に書いた超保守主義者もそうだが、言っていることと実際の生活や行動とはかけ離れていることが多かった。別に寄せ芸人をラジオで聞くわけでもないが、善光寺の門前町だった長野市なので、当時参道には日常的に香具師が店を張って怪しげな商品を口上宜しく売っていた。我々子供は面白がってそこを取り巻いていたが、父もたまには見物していたようで、ある日安いズボンを買い込んで帰り母に叱られていたこと覚えている。

毎晩晩酌は欠かさなかったし、朝の養命酒も欠かさず飲んでいた父。大した趣味は無かったが、現在小生がネット碁に入れ込むのも父の影響だろう。何はともあれ92歳の大往生。何とか真似たいものだが果たしてそう上手くいくかどうかだ。

2025年5月26日月曜日

諸物価

昨日の大相撲千秋楽、残念ながら大の里は全勝できなかった。しかし横綱豊昇龍が先輩の意地を見せて上手捻りを決めたことは流石で、天晴!と拍手だ。併せて敢闘賞の 安青錦、佐田の海 技能賞の霧島、若隆景も立派だ。特に佐田の海は3回目の受賞とのことだが、インタビューを聞いていても謙虚そのもの、年齢も既に38歳。でもまだ頑張れそう。前頭13枚目とあまり上位にはいないので今場所取り組みを観たことは無かったのが残念。昨日も書いたが力士諸氏は兎に角ちょっとのことでは壊れない身体作りが第一、それぞれが頑張って来場所からも良い取り組みを見せてほしい。

相撲以外にニュースの殆どが、高騰しつつある米価格を小泉新農水大臣が下げて見せると言う手品じみた話と、トランプアメリカ大統領の日鉄によるUSスティールの買収を認めたとのハッタリめいたことばかり。製鉄事業は全く門外漢なので何とも言えないが、国内で製鉄事業を拡大する余地が無いのだろうか?ならば人件費の安い他の地域、例えば東南アジアとかオーストラリアなんかに新規工場を建設した方が長い目で見て得じゃないかなんて思うのはやはり素人なんだろう。ま、どうでもいいことだ。

米は毎日食している。今食べているのは先月末に買ったもの。因みにクラフト紙に貼られているラベルを確認してみた。内容は次の通り。購入先の米穀店;金子米穀店 住所と電話番号は 略 名称:精米 とあって原料玄米が表記されている。単一原料玄米(農産物検査済) 長野県産/コシヒカリ/6年産 安曇野市 内容量 5㎏ 因みに料金は3550円。ただ、これはその約1か月前も同じだったと思うが、店頭には表示されていない。代わりに奥の方に60キロ入りの大袋が幾つも積み上げてあった。

どうしてか聞くと、積んであるのは学校に納める分で、小分けはいつも購入してもらっているお得意さんにお分けする分しか仕入れできないのです。要するに安い米は品薄らしい。全国ベースでの生産量はそんなに変わらないと思うが何かがアンバランスになっているのだろう。先ほど明日持ってきてくれと注文したら4250円で勘弁してくれとのこと。2割近い値上がりだが、店頭に出していないものを買っているのだから我慢するしかないだろう。

飯屋の値上げも痛いが、万事この調子だろうから仕方あるまい。かと言っていくら安くても家畜だって食わないかもしれぬ古々々米の飯なんて誰がどのようにして食うのだろう? 

2025年5月25日日曜日

今日は日曜

 幾ら歳をとっても生来の慌て者、さらに最近はアルツハイマーが進んでいるのか物忘れが激しい。何れも仕方ないだろうが、考えなくてはいけないと思うことがある。昨夜の恒例高校同期の友人とのLINE懇談会で話題になった今後の生き方だ。皆今日は元気だが明日以降は何が起きるか分からない。だから心配し始めれば切りが無い。いろいろな思いがあろうが小生としては、どうでも良いことは考えずに毎日をできるだけ楽しく過ごしていきたい。と言っても最近は足元さえふらついておぼつかぬ有様だ。

ま、できるだけ嫌なことは考えずに行こう。今日は日曜日ブログもいい加減でやめておくことにする。一つ思い出したことがある。明日月曜日は父の誕生日、と言いうこと火曜日は日本海大海戦で日本がロシアに完勝した日だ。120年前は快晴だったらしい、明日と明後日、120年前と同じように天気が晴れれば良いな。

2025年5月24日土曜日

5月場所最終版

 俄相撲ファンの小生、今場所は13日間毎夕方5:30迄には、何があっても帰宅してその日の最終版の取り組み4~5番をテレビで観戦し続けた。金曜日に優勝が決まることはやはり相当珍しいことのようだ。このところ日本人横綱不在と解説の北の富士さんがいなくなって少し寂しかったが、来場所から2横綱、一人は若い日本人だから相撲人気は益々盛り上がるだろう。

とは言ってもまだ今場所は2日も残っている。優勝を決めた大関大の里の対戦相手は今日が関脇大栄翔、明日は横綱豊昇龍 。個人的には地元の小学生と同じで全勝をしてほしいが、高校時代まで相撲をして全国大会まで行ったことがある詳しい詳しい人(接骨院の院長先生)に聞くと、約20~30人くらいでしょうか幕内力士の実力差は番付とは異なり皆紙一重とのこと。1対1の勝負で15日間、勝ち通すなんて奇蹟みたいものだろう。

立ち合いでのぶつかりは、普通の人間なら死んでも不思議は無いそうだ。褌一丁の素裸で時速数十キロで走ってくる軽トラックを受け止めるのと同じことらしい。柔道やレスリングと異なりマットは敷かれず、固い土が待っている。そこに叩きつけられるばかりか、時には数十センチ下の土俵下に落とされる。でも救急車が来たという話はあまり聞かない。軽い骨折は日常的にあるようだが、それで休場なんてことは許されずテーピングをして翌日も取り組みに臨むようだ。

相撲は国技とされているが、確かに国際的に普及は難しいかもしれぬ。土俵と力士だけでは成り立ちがたい。ルールも単純なようで実に奥深い。行司とは審判かどうか?立ち合いを合わせるのは行司か他の誰か?小生も知らぬが知る人は少ないかもしれぬ。国技館や大阪の会場で何度か現場で観たこともあるが、最近は専らテレビ。専門家の解説付きだから興味深いとも言える。こちらは面白がって観ているが、ローマ時代の剣闘士の戦いやスペインやメキシコの闘牛を野蛮だなんて言えた者じゃない。兎に角力士の日常は身体作りが基本だろうが、どの力士も怪我が無いことを祈りたい。

2025年5月23日金曜日

令和の米騒動

 諸物価高騰の折から米の小売価格問題が大きな政治問題化している。米の値上がりは米味噌を主食にする小生にとってもきついが、現代は代用品が多数ある時代。麺類、パン類の値上がりだって同じ問題の筈だ。この問題で首になった江藤大臣にしても後任の小泉大臣も首相から与えられた宿題「米の市場価格を安くしろ」をどう受け止めているのだろう?もし小生が当事者であれば「小生には無理です。」と担当を辞退する。消費者が高いと思うなら買わなきゃ良いだけじゃないか。

言いたいのは果たして農水官僚の努力で出来ることなのであろうか?米の消費量は減ったとは言え、日本人を養ってきた貴重な主食食材。生産は恐らく北は北海道から南は沖縄まで広い地域にまたがり、その収穫の時期は日本では大部分が年に1回、夏の終わりから秋口にかけて行われる。農家の減少傾向もあって現在生産は機械化が進み大量生産が可能になったと言っても植物の種のこと、いつ何が起きるか分からぬから農水省は備蓄米を制度として設け、これを100万トンとしている。

小生現役時代は広告屋であるが、長いこと米と麦の普及拡大に携わってきた。普及拡大ですよ、念のため。そのせいでもあるまいが、米の消費量に対し生産が過剰となった。当たり前のことで、嘗ては米作りが出来なかった北海道が今や有数の米生産地だ。外国に農林省があるかどうか知らぬが、日本は昔から市民が安く食事ができるよう、役所まで作って食料の供給には気配りをしている。食料不足の時代は良いが豊かになれば煩わしい。食品の小売価格はどのように決まるものかはよく分からない。生鮮食品、加工食品を含め現代は無数があり、それぞれがちょっとしたことで微妙に変化する。気を見るに敏な人は大儲けすることだろう。

時代が変わっているのだから、主食であろうと官僚が市場介入なんかやめてしまえと思う時もある。役所だって勿論分かっているから徐々に介入は減らしてはいる。今度の騒動は政治が米価格問題を取り上げたことだ。そして農水省を槍玉にあげているが、前の江藤大臣じゃないが「そんなこと言われても俺は知らぬ。」と言いたかったのだろう。一昔前であれば米の販売店は若干農水省が管理出来たろうが、現代はもう誰がどうやって仕入れ売っているのか農水大臣では分かるまい。だからと言って備蓄米を勝手に市場に出そうとしたのは根本的に間違っている。救いようが無い馬鹿揃いだ。

2025年5月22日木曜日

国会報道

 普段から世の中の大きな流れにはできるだけついて行けるようにと思って、毎日テレビのニュースだけは几帳面に観続けている。その一環で、昨日は午後3時から行われた国会中継いわゆる党首討論を約1時間丸々観続けてしまった。質問に立ったのは野党の3党首、立憲の野田氏、維新の前原氏、国民の玉木氏の3人だけ。何故3人だけなのか?他党の党首が少し可哀そうにも思う。まだ陽も高いし時間をもっと取っても良かったのでは?その辺が国会の国会たる所以かもしれぬ。要するに庶民感覚とかけ離れている。

兎も角討論と言っても3人の質問者は時宜を得た質問をぶつけたのだろう、石破首相は防戦一方、言い訳に終始していたように思う。もっと問題は個人的なことで、問題点の殆どが極めて身近な問題であったにも関わらず、討論の意味を殆ど理解できなかったことだ。ついで書けば、夜になってとBSの番組が揃ってこの問題を取り上げたが、詳しい解説を聞けば聞くほど意味が分からなくなる。

野田氏が取り上げた年金と社会保障の問題は国民全体にとっても極めて重要な事らしいが、既に納付期間をとっくの昔に終わり安いとされる給金を頼りに生き続けている身だ。どうも今後はこれ以上に給付が悪くなりそうとのことらしいがもう知ったことではない。

前原氏の質問に関して印象に残っているのは「政府は取れるところから取る」との発言。社会保険料は何でも国会の審議無しでどんどん値上げが出来るらしい。維新が野党でありながら予算成立に賛成に回ったが、その時交わした政府との約束が何も守られていないと詰め寄っていたこと。小生に言わせれば「そんなこと決まっているじゃないか、政権側はその場を乗り切ればそれで十分、男と女じゃあるまいし、騙される方が馬鹿なだけ。」

玉木氏は今日更迭された農水大臣絡みで「米の値段をどうするつもり?」と訊いていた。これに対する返答が振るっている。何でも5キロ3千円台に戻らなければ責任を取るとの応え。出来もしない事に関して平気で見えを切る図太さ。これぞ政治家の真骨頂か。嗚呼

2025年5月21日水曜日

読後感「完本 小林一茶」井上ひさし著

 書店で手にし、内容をあまり吟味せずに一茶の伝記かと思い、買ってしまった。著者のことも少し知っていたつもりだったが、井上氏がこれ程までに資料の読み込みに力量ある劇作家、劇団<こまつ座>主催者とは知らなかった。芝居は家内が好きだったので何度か付き合ったが小生はそんなに詳しくないし、最近は全く観劇経験は無い。著者は、ここに書かれた「小林一茶」を何度も公演して芝居好きの人から好評を博していたようだ。

その脚本に入る前に一茶をめぐりいくつかの文章を掲げている。詳伝風でもあるし著者の思いを一茶との会話で表現したりで、実に興味深い。こまつ座の事務所、即ち著者の仕事場は現在の柳町にあった。信州から出てきた一茶が最初に住み着き俳句で飯を食う<業俳>活動を開始したのもこの界隈であったとのこと。俳句を詠みそれを記録して稼業にするには著者の想像として並々ならぬ努力が必要だったろうと書いている。

江戸時代に在ってはこの文化人を後援するお金持ちもいたらしい。名前を夏目成美と言う札差の大旦那。一茶はこの人物の世話になりながら貧乏長屋で暮らしていたとのこと。この人物も実在していた。時代考証は実に念がいっている。一茶自身が日記を克明に記していたこともあり、著者の考証に随分役立ったようだ。日記には一茶の女房のことが詳しく記され、特に毎夜のセックスについてまで記されていたらしい。

そこから発想したかどうかは分からぬが、著者は芝居の脚本を実に複雑な人間の表と裏の顔。また社会の表と裏をの関係を丁寧に書き込んでいく。しかし所詮は俳句の世界、今の出版界のように俳句に値段が付くわけもない。その点同じ芸事でも美術関係の方が少し益しだったのかもしれぬと勝手に想像したりした。その戯曲に入る前、著者は同じ俳人の金子兜太氏との対談2章をを設けている。これも興味深い、特に一茶より少し後で出てきた松尾芭蕉の時代になると、スポンサーも得体の知れない下町の札差から大名へと替わり、詠まれる俳句も大分優雅になってきていること等。興味深かった。

兎に角、文章を書いて生業とした著者は、ちょっと筋が悪い下町のお金持ちの世話になりながら生涯貧乏で終わってしまった一茶に特別な感情、思い入れがあったのかもしれぬ。

2025年5月20日火曜日

前提条件の差

 自分自身相当な単細胞、単純で慌て者だ。しかしこれに輪をかけていると思うのがアメリカ大統領のトランプ氏。しかしどういう風の吹きまわしか知らぬが、アメリカ国内で絶大な権力を手中にした。そこで先ず野党民主党の勢力を徹底的に排除。合衆国であるにも関わらずアメリカ全部を共和党一色に染め上げたいようだ。実態はよく分からないが、少なくとも人口だけでも日本の倍以上の3億人以上。ましてや複雑な人種構成、歴史が浅いとは言っても300年や400年の厚みはあるだろう。そう簡単に多くの人の考え方を変えることは不可能な筈。

政治スローガンが「アメリカを再び偉大に!」ときた。日本が大間違い勘違いをした「大東亜共栄圏構想」と同じだ。若い人たちは殆ど知らないだろうが、北はオホーツク海の当時千島列島、樺太と漢字で表現されていた極寒地帯から赤道以南まで」。東は日付変更線近くから西はインドネシア辺りまでに亘る太平洋上とユーラシア大陸の広範な地域、広さで言えば現在のアメリカとカナダを合わせたくらいの広さに当たる広範な地域を勢力圏にしようと軍事作戦を展開した昔のこと。

現在トランプ政権はスケール的には遥かに大きく、地球の半分くらいを勢力圏をおけると考えているかもしれぬ。要するにどちらも相当な勘違いであることは間違いなく、正気な人は譬え共和党のトランプ政権内の要人であろうと、風呂敷の拡げ過ぎに気づいている筈だ。そりゃそうだろう、幾ら便利でも拡がり過ぎた風呂敷は手掛かりを見つけにくくなって収拾が着かなくなるに決まっている。

トランプ大統領としてもある意味必死かどうか、手掛かりを経済的にアメリカを追い上げてきている中国を槍玉にあげて叩き潰そうとしているようだ。追う側の中国は、その辺のことは十分承知のようで、これまでアメリカからの輸入に依存していた高生産性製品を徐々に自国生産に切り替える準備を進めているとのこと。例えば航空機なんか良い例だろう。しかし産業全体が高生産性に移行してしまった先進国側では自国の労働力を低生産性労働に切り替えることが難しいのは当たり前。

中国で100円で生産できていた物をアメリカで同額生産は不可能だろう。労働生産性の前提条件を無視した議論には所詮無理がある。

2025年5月19日月曜日

無駄な一日

 朝起床した時より午後の方が寒く感じる不思議な天気。雲は低く垂れこめているが、午後3時半未だ雨は降り始めてはいない。しかし今週の天気予報にお日様マークが皆無なので、沖縄をすっ飛ばして南九州を襲った梅雨が首都圏に来ても不思議は無いかもだ。兎に角終日パッとしない。何か変わったことをしようにも面白そうなことは何も見つからない。従って今日はブログも中途半端なままお休みにする。

2025年5月18日日曜日

バランス感覚

 政治に関してこれまでもいろいろ論って書いてきたが、現在の石破政権の振る舞いは余りにも酷い、酷すぎはしないか。消費税に対する考え方、年金改革の問題など政策課題に関する無能無策、産業振興や人口問題への対応も勿論だ。特に腹立たしいのは学術会議への対応。この期に及んで尚、学術会議を政府の管理下に置いて防衛産業振興に役立てようとする浅ましさ。確かに戦争は世界各地で起きてはいる。

しかし覇権とか領土の拡張とは無縁の日本がまともな外交、即ちアメリカ一辺倒の外交方針を見直し、真に独立した主権国家として当たり前に振舞う限り、どこの国からも急に存在を脅かされることにはならない筈。戦争をしている国をよく観察してみろ、何れも欲と欲のぶつかり合いではないか。日本も嘗ては分不相応な欲を書いて大火傷をしたことを忘れてはいけない。

政治を志す者はそのことだけはしっかり心に刻み、国民全体の安寧を維持するために何が必要か、バランス感覚を磨くべきだ。政治に大きな影響を与えるマスコミも反省すべき点が多い。それは放送のニュース解説や政治討論会、或いは紙媒体の論説の類ではなくて日々の報道の在り方に関わっている。報道各社が言うところのおかしな公平性が、NHK党など不思議な選挙活動を産み出した。政治家個人が首を傾げたくなるような論理を振り回したり行動するのは仕方ない。問題はそれに関する報道の在り方。

そうは言っても結局はその受け止め方が問題だから、己の問題とするしかなさそうだ。

2025年5月17日土曜日

将来不安

 今日は昨日から見れば未来、梅雨入りした九州と似たような雨降りになったくらいのことで、大きな問題もなく時間が過ぎていく。明日以降のことあまり心配しても仕方ないが、ウェブ上にはいろいろな情報がある。その一つ取り上げてみよう。今年の7月に日本の太平洋岸で嘗ての東北大震災のような大地震や津波が起きると予言した漫画小説がアジア諸国で評判になってるそうだ。恐ろしいことに台湾や香港では7月の日本への旅行が激減して航空便が減便になっているとのこと。グーグルのAIに訊ねての回答は次の通り。

「その話題になっているのは、たつき諒さんという漫画家が描いた『私が見た未来』という作品とその予言です。この漫画は1999年に出版され、作者のたつきさんが過去に見た夢に基づいて、未来に起こる出来事を予言しているとされています。特に、2011年の東日本大震災を予言していたとされることから、注目を集めました。そして、この漫画の2021年に издаден 完全版の中で、たつきさんは「本当の『大災難』は2025年7月にやってくる」と予言しているとされています。具体的な場所や規模については明確には書かれていませんが、南海トラフ巨大地震のような大災害と結びつけて解釈する人もいるようです。」引用終わり

漫画の力も恐ろしいが、もっと恐ろしいと思うのはやはりウェブ上のこと。特に人口数を超えて幅広く利用されているスマホ。小生も人並みに持ち歩いてはいるが、電車の中やましては飯屋などの人前で手にすることは無い。滅多に無いが、仮に電話が来ても切ってしまう。知人友人からの電話であれば後で確認してこちらからかけ直すだけのこと。NHKは毎日のように番組「私は騙されない」で電話による詐欺被害急増を警告している。電話がきっかけでスマホを手に街角に置かれた銀行のATMに誘導され、銀行の預金残高をごっそり持っていかれた経験があるだけに余計心配だ。

更に最近よく聞く「マッチング○○」何がどうなるか知らぬが、ウエブ上でのマッチングなんて碌な結果にならないと思うが、機械音痴の取り越し苦労かもしれぬがちょっと気になっている。

2025年5月16日金曜日

面白き事

 世の中に面白いことはそう沢山は無いと思い始めたりしてたが、最近になってそれは大変な思い違いで、面白いことは沢山あることを知らなかっただけと気づき始めた。平たく言えば絵画とか音楽の趣味を持たなかっただけのことで、小学生以来絵を描くことも、楽器を使って音を楽しむことも一切せずに、川や山を無目的に歩くだけで楽しみを知らなかっただけのことに気がついた。

季節は春は過ぎてしまったが、花や小鳥にちょっと関心があればもっと楽しみ方が有ったろうに少し残念な気がする。数日前何気なく観たNHKの番組「3か月でマスターする絵を描く(4)絵の中を歩ける!? 奥行きのある風景」を改めて今朝NHK+で見直してしまったが見れば見るほど面白い。流行歌だってそうだ、夕べ何れも故人だが谷村新司が小椋佳をインタビューする歌番組を観ても似たような思い。

下らぬブログを毎日書いているが、自分でも感心できないのは書き綴る言葉に新鮮さが無いせいだろうと改めて気がついた。井上ひさし氏の小林一茶を読んでも全く同感だ。たった17文字でも人の心をとらえることが出来る人もいれば、数多の言葉を連ねても他人にも己にも何一つ感動を与えられない駄文。自分でも呆れてしまうが、今日もまた駄文を綴っているのが面白いし、平和だから結構だろう。

2025年5月15日木曜日

今必要な政策は?

 日本政府は有識者会議が好きなようだ。しかし有識者とはどのような人物をさすのかが問題で、どの会議にも決まって顔を出す人物が何人かいる。例えば連合会長の芳野友子氏。芳野氏に関しては何も知らぬので、偉そうに言うつもりはないが、彼女が何故有識者とされるのか知ってる人が居たら是非聞きたいものだ。他には元日本郵政の増田寛也社長なんかも典型だと思うが、彼の経営手腕が日本社会に誇りうるような大組織を作ったとはとても思えない。

特定の案件で深い知識を持っていたとしても、それが政府が抱える幅広い問題解決に毎度資することにはならぬだろう。まして大勢が集まって纏めた意見書なんてものは屁のツッパリにもならないことは初めから分かっている。人口減少に対する政策かどうか知らぬが子育て支援とか、地方再生なんて名目の補助事業とか有識者の意見を聞くまでも無いことだ。石破首相は1週間前に週刊文春ですっぱ抜かれた金銭スキャンダルが相当響いていそうだ。今日発売の同誌も後追い記事がトップ。

どうせ貰うならカタールの国王からボーイングの大型機を贈られるくらいになってほしいものだ。同郷で長年支援を受けた政治好き経営者から、合計すれば高々数百万か精々千万円に届くかどうかを貰っていたことがあるなら、素直に認めて処理を考えた方が良かろうと思うが、ご本人は何とか逃げ切りたいようだ。逃げ切れれば良いが、発行部数が幾ら減っても週刊誌の中では有数の雑誌だ。追及する野党も悪乗りしてないが、そのうちに新聞「赤旗」あたりがその気になったら再来月の参議院選挙はとんでもないことになるだろう。

文春の提灯持ちはこのくらいにするが、本気で取り組むべき政策課題を真面目に考えろだ。

2025年5月14日水曜日

閣僚日米比較

 アメリカのトランプ政権が世界中を騒がせている。彼らに関しては日本のマスコミも懸命に追いかけているつもりだろうが、彼等の行動力にはとても及ばない。日本から見ての毀誉褒貶と日本的価値観からの善悪は様々だろうが、そのスピード感は感心するばかりだ。俗に口八丁手八丁と言われるが、観察している小生からすれば評価する時間を与えられなくてもどかしい。

比較して日本政府の政策。物価対策とか米の流通問題などに加えて対米貿易問題、一見すると多くありそうで、実際にはこれから検討しますとか、秋ごろには何とかとかで先が見通せることは皆無に等しい。またアメリカの比較で思うのが決定的なリーダーの不在。議員内閣制の日本では首相が国のリーダーであるべきだと思うが、石破氏にはリーダーらしさが全く見られない。ある時は林官房長官、またある時は盛山幹事長がマスコミのインタビューで首相以上に偉そうに発言をする。

政策課題に関する閣僚の発言も、時には政調会長なんかがテレビのインタビューに応じたりする。リーダー不在、責任者不明の嫌な感じを創り出しているのはテレビ局側にも責任があるかもしれぬ。兎に角日本政府の政治的発言は上から下に至るまで全て逃げ腰、及び腰であるのがどうも気になって仕方ない。日本の記者会見なんて外国のそれに比べればまるで学生新聞のインタビュー。何をびくついているのかさっぱり分からない。

政府閣僚に言いたい、己が信ずるところ抱いて政治家になった以上、もっと責任ある発言をすべきで、出来ないならば職を辞すべきだ。

2025年5月13日火曜日

貧乏暮らし

 心身ともに活力がめっきり減ってきている我が身。この先何をよすがに生きるべきかを考えてしまう機会が多い。数日前と言っても月刊文藝春秋の発売日だったからもう10日以上前になるが、ふと見つけた「完本 小林一茶」なる井上ひさし氏の文庫本。小林一茶のの伝記は小学4年頃父が東京土産に買ってきてくれた子供向けを読んで以来、一茶の生家が近かったこともあり何となく親しみを感じるようになった。だから大人向け評伝かな思って購入した。

まだ読み終わっていないが、この本には深い感銘を受けてしまった。と言うのはイメージにある普通の評伝とは大分異なり、一茶の生き方をかなり丁寧に書き込まれているからだ。作者の井上氏は文化功労章を受賞した大作家だから経済的な貧乏生活とは無縁だったかもしれぬが、昭和9年生まれなので6歳年上。戦中戦後の苦労経験の他に、家柄が良かったにも拘らず物心ついた時から母子家庭だったそうだから複雑な心理状態であったことは否めないだろう。

作者のことは措くとして、主人公の一茶は作者によって「放浪漂泊の乞食俳諧師」と位置付けられている。小学生の頃に北信濃に残されている一茶の住まいを見学した時にも思ったのは<こんな小汚い土蔵の中でよく生活したものだ>だった。作者に言わせれば一茶は息を吐くように次から次へと俳句を産み出す才能はあったし、弟子もいた。しかし彼の身上は権力に媚びず、寧ろ馬鹿にしながら自らの貧乏を自慢したかったのかもしれぬ。

小生は自慢できるほどの貧乏ではない。しかし少しひねくれた目で世の中の才能ある人や、権力者たちを観るのが習慣化していることはご案内の通りだ。この先何日生きるか分からないが、この癖は直らないだろし、直すつもりもない。

2025年5月12日月曜日

営業職

 普通の暮らしのリズムを崩すのは良くないと思いながらも、昨日はブログ書きをさぼってしまった。最近頭の回転が大分鈍くなってきたみたいで、あまり思いつくことが無いみたいだ。昨日は母の日、母がいる冥土も大分近づいているので、感想や感激は殆ど無い。今日も特別の思い付きは無いが、夢の中で思ったことが一つだけある。

最近は世界的に人手不足に悩む経営者が多いようだ。特に3Kと言われる労働者が際立って不足し、これを補う外国人労働者の増加とそれに制限を加えたい市民との間でいろいろな摩擦が出ているようだ。日本も例外ではないと思う。大体3K労働を低賃金で賄いたいという考えがそもそも間違っていると思うが、今日は労働職種をこれと違う角度から考えたい。

現役時代は長いこと広告代理店に在職して、ずーと営業職だった。そしてこの営業職が広告代理店では結構重要な職種であった。しかし現代を考えると、間違ているかもしれぬが営業なんて職種は不要にありつつあるかもしれないと思ったりしている。しょっちゅう顧客を回って御用聞きをするなんて行為が効率優先の現代には向いていないような気がし始めた。昔は新規顧客の獲得はある意味で功労賞ものだったが、現代は会社の方が顧客を選別しているだろうと思っている。

更に考えを発展させれば何も広告代理店には限るまい。相当な企業が似たようなポジションにあるのではなかろうか?黙っていても顧客が近寄ってくるような企業でなければ長続きしないと思う。小生の時代は「営業とは足で稼ぐ、或いは飲み食いで稼げた。」しかし現代は「頭脳で稼ぐ」のだからいわゆる営業マンは要らないかもしれない。

2025年5月10日土曜日

最近の報道から

 昨日から今日にかけての報道は新ローマ法王誕生と、ロシアの戦勝記念行事の中継が大きかった。前者に関し信徒約10億人と報道されたので、意外に少ないと思ってGoogleのAIGemini聞いてみた。応えで分かったのはカソリック系だけでプロテスタント系はカウントから除外されてるらしい。ひっくるめるとキリスト教: 約23億8000万人、イスラム教: 約19億人、仏教: 約5億人とのこと。

キリスト教徒とイスラム教徒だけでも1神教の信者が世界人口の約半数になる。宗教問題を時々考えるが、生き物の中で宗教や神、そして神の代理人を信じるのは人間だけだろう。面白いものだ、親しい友人の中にも敢えて無宗教を自認する人がいる。小生はその正反対で夥しいほど多神崇拝主義。苦しい時の神頼みを絵に描いたようなものだ。霊験が現れる訳がない。

人間社会も似たようなもので、国家のトップリーダーともなれば国民をある意味で洗脳して自らを神の代理人に押し上げたくなる気持ちも少し分かるような気がする。アメリカのトランプ大統領、北朝鮮の朝鮮労働党総書記、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席なんて面々も神の代理人になれるつもりでいるのかもしれぬ。

話題を変えて:アメリカとの関税交渉。イギリスは一応の結論を得たようだが、慌てた日本は連休返上で大騒ぎをしたが、糠に釘をさしたとようなもので一向に進む気配が伺えない。区切り無き交渉は民間企業の損を増すばかり、大手企業は今年度の決算予想を修正し始めているが、自動車最大手のトヨタはそれでも3兆円以上の営業利益を確保している。一方の家電、嘗ての大手パナソニックは年度内に1万人の人員削減との報道。自動車業界も何時かは同じことになるかもしれぬ。

2025年5月9日金曜日

又も政治と金

 昨日の昼食時に読んだ「週刊文春」の最新号、トップ記事は石破首相の元支援者が石破氏あてパーティー券購入などで3000万円ほど貢いだが、首相の収支報告書に一切記載されていなとの暴露記事だった。興味深く読んだが、夕方のニュース報道では、官邸記者団の質問に首相は「報道にあるような事実はまったくない。実態のない事務所とか、パーティー券の購入とか、そういうことがあるように書いてあったがまったく覚えはない。秘書にも確認したが、まったくそのような事実はない」と述べ、全面的に否定しました。」と応え、今日になってもそれ以上の進展は特に報道されていない。

しかし文春も活字にした以上は相当な裏付け調査をしたうえでのことだろう。野党も追及の構えは見せている。しかしテレビや新聞などマスコミ各社は静観の構え。何かと問題の多い自民党の政治と金の問題。今日はこれくらいしか書けないが、来週以降注意深く見守る必要がありそうだ。

2025年5月8日木曜日

米国の本質と取るべき他策

 何ごとによらず<過ぎる>ことは良くない。アメリカの短い歴史の中で、アメリカ人たちは先人を含めそれを繰り返してきた。典型的なことが領土の拡大、イギリスからの独立戦争勝利で独立を果たしたアメリカは当初13州で構成されていた。それが現在は50州の大国だ。経緯を詳しく書かないが、ルイジアナ州をフランスから買収したことは非難に当たらないかもしれぬが、その後は隣国メキシコと何度も戦争しながら南部の州を拡大していく。要するにアメリカの領土拡大主義は前世紀半ばまで続いて、ハワイ王朝を滅ぼしてハワイ州を加えたのは1959年とのこと。思わず嘘だろうと思ったがどうも本当らしい。

子供の頃から観ている映画の西部劇、100年ちょっと前でも原住民を悪者に仕立てて、白人には彼らを殺す権利があるような描き方で、占領地日本の青少年だから教育されてきた。つい最近までその路線での思考が続いていたが、最近アメリカ人の本質が徐々に見えるようなって考え方も大分変ってきている。アメリカの領土拡大欲望は20世紀から21世紀になっても相変わらずだ。要するに国家の本質かもしれぬ。日本も安政時代の蒸気船による脅しをかけられて横浜を開港せざるを得なかったように、その頃から領土拡張のターゲットにされ続け、80年前の終戦でその目標が半ば達成されて今日に至っているようなものだろう。

そういったことを考えれば、輸出の目玉になっている自動車や鉄鋼、アルミなどに藪から棒に高関税を吹っ掛けられたなんてことは大した問題としない方が良い。交渉で「何とか少し負けて、、」なんて頼むからアメリカは図に乗る一方だ。相手にせず対アメリカ輸出が減少することを前提に他策を考えるべきだ。アメリカの国力はGDPなる数字では世界一かもしれぬが、人口は高々3億人。世界に商機は他にいくらでもある。そろそろアメリカ一辺倒から脱却することも考慮した方が良い。

2025年5月7日水曜日

忘れてる問題

 日本は毎年子供の数が減り続けているとのこと。実に由々しき問題だ。現在の小中学生児童の学力を心配するより青年男女が結婚をしたがらず、しても子供を作ろうとしない根本問題について対策を講じることが必要だろう。アメリカの関税政策等は、政府がどんなにバタバタしても1年以内には落ち着くところに落ち着かざるを得ない短期の問題にすぎない。所詮は官僚レベルの案件ではないか。マスコミが政治問題のようにして大騒ぎすることが間違っている。

政治家も少子化対策をしばしば口にするが、とても根本を考えているようには見受けられない。逆の見方で言えば、官僚に考えろと言っても無理なように思う。何故ならば官僚は常に60歳以下の若い人の集まりだ。中には子沢山もいるかもしれぬが、殆どは4人家族よりちんまりした所帯持ちだろう。それぞれの個人が思いを巡らせても、所詮は大阪の橋下徹氏のような大家族は特殊ケースとの思いに行き着き、何の問題も発見できずになりそうだ。

どう考えても結局行きつく先は経済問題。しかしそれは問題の解決にならない。小生に良い考えがが有る訳でもないが、今の若い人たちが結婚をどのように考えているか、深く考える必要がありそうだ。昔は貧乏人の子沢山と言われたこともある。

2025年5月6日火曜日

政治目標?

 俚諺に「急いては事を仕損じる」と言うが、昔の人は本当に譬えが上手だ。3月28日のブログで「ちりめん本」のタイトルで書いたばかりだが、今朝改めて1900年のパリ万博に出展してして世界にその名を知らしめたちりめん本と制作者である長谷川武次郎に関するテレビ番組を観てしまった。

今日は改めて日本の文化論は取り上げず、政治について少し書いておきたい。政治家は寿命の短いことが気になるのか、どうもせっかちが多いように思う。未だ新年度が始まったばかりなのに、落ち着きのないこと夥し過ぎる。マスコミでも同様で、早くも次期政権の予想が取りざたされてる。確かに石破内閣の寿命はもう長くないかもしれぬが、次期首相に誰がなろうと小生のような小市民は関係の無いことでもあるし、誰がなっても生活が急に良くなる政権なんか産まれる訳もあるまい。1%の可能性も無いと思うが、よしんば野党に政権が代わってもだ。

政治家は選挙の時に有権者が喜びそうなことをいろいろ言ってくれる。いわゆる選挙公約だ。しかしそれが実現されて生活が変わった実感を持つ人はどれほどいるだろう?殆どいないに違いない。有権者たちも又同じで、選挙と言うお祭り騒ぎを楽しんでいるだけではないだろうか?目先が少し変わってしまうが、ローマ法王の選挙にしても同じこと。長持ちしそうな人を選ぶのことは難しい。民主主義の根幹は選挙にあるとのこと、しかし、その民主主義そのものが、その存在意義が疑われる時代。長持ちする政治はどこにあるのだろう?

内政であれ、外交でも同じと思うが、本当の友人を一人でも多く作るにはことを急いではいけないと思う。政治家一人一人に聞いてみたい「あなたは本当に仲良くしたいと思う人は誰ですか?」

2025年5月5日月曜日

黄金週間も終わる

 今日は子供の日だが、嘗て二人いた子供はとうの昔に他家に嫁いでしまった。幸い甥家族が故郷の長野に居るので、墓守は彼等に任せているので墓の心配は要らぬが、家仕舞いは心配する必要がありそうだ。日常のことでも様々な用事を思いつくが、そんな詰まらぬ心配は措いて、五月晴れを楽しむ方が良いに決まっている。殆どの同輩も同じと思うが、現在は子供時代に想像もできなかった豊かな暮らし。

人間は不足が無くても常に不満だらけ。なるべくそうならないようにしたい。サラリーマンの連休は明日で終わるが、こちらの連休はどこまでも続く。夏風邪の咳が止まらないので、連休明けに一度医者にでも行く必要がありそうだ。

2025年5月4日日曜日

流行りもの

 特に気にしてる訳でもないが、先日予告したので、今日書いておきたい。最近の服装や髪型、化粧などを含むファッション、流行のことだ。小学生時代は、未だ日本は衣食住が不足していたので、碌な食い物も、着る物も無かった。住宅はなおさらのことだ。父が県庁の役人をしていたので、官舎住まいだから住宅の心配はなかったが、食い物や衣類は両親も子供5人を抱えて大変だったと思う。今記憶に残っているのは、いつも腰に手拭いをぶら下げていたこと。

これは実に有用で、文字通り手拭き、汗拭き、泳いだ後の身体拭きになるのは勿論だが、簡単に引き裂けるので、下駄の鼻緒が切れた時、即席の鼻緒を撚って作ったことが何度もあった。ハンカチやタオルなど無かった時代のことで、どこの子であれ似たようなものだったろう。髪型当然丸刈り、毎月庭先で父が5人の子供の頭を順番に刈ってくれた。着ているものは全て木綿。しかし冬になると、母が編んでくれたセーターがあり、その上から木綿製で折り襟のしわくちゃの学生服を着ていた。足も木綿の足袋で雪の多い日にはゴム長靴で登校したが、普段は下駄履きだったと思う。

少しお金持ちの商家の子供の中には外套を着ている子供なんかが居て、少し羨ましく思った記憶もある。それでも中学校に上がってからは生活も大分豊かになり服装も徐々に変わってゆくが、中で覚えたのが、ズボンの寝押し。今でも外出する時はズボンの前後に線が通っていないと気になるが、木綿のズボンをはいていた時代からそれを気にしていたのだから、結構な洒落者だ。

高校時代も学生帽には白線が2本入り、どこに行くにもこれを誇らしげに被っていたが、寝押しの習慣は続けていたような気がする。当時石原裕次郎なんてスターが生まれ、その影響もあったのだろう、足が短い小生も自分で母愛用のミシンを使って、ズボンの裾を細くして喜んでいた。相変わらず冬でも外套は買ってもらえなかったが、4学年上の兄が、父が使っていた仕立て屋で外套を作って貰えたので、東京から帰宅した時にそれを着用に及ばせてもらい喜んでいたから我ながら可愛いものだ。

要するに子供心にも、他人と変わったファッションを身に着けるのが楽しかったが、現代は右を見ても左を見ても皆同じ格好をしてるように見え、面白くない。

2025年5月3日土曜日

平和憲法

 昨日の悪天気が嘘のような素晴らしい天気。連休後半が始まるのにうってつけの好天の憲法記念日だ。敗戦から既に85年、人生の殆どを新憲法下で平和を堪能してきたとも言える。よく読んだこともない憲法には感謝すべきだろう。確かに詳しく読んだことは無いし、成立の経緯もいろいろ言われている。しかし、この憲法は日本が武器をもって戦わない国であることを国民のみならず世界に向け発信してきたからに他ならない。もって瞑すべきだ。

しかしこの憲法が施行1947年5月3日とのこと。もう小学校に上がっていたのだからもう少し詳しい感想を書きたいが、当時について何も感慨の無いことが些か残念なところだ。しかし武器をもって他国と戦わないことを定めた憲法をつくりながら、日本は3年後の1950年に警察予備隊(1952年に保安隊、1954年に自衛隊となる)なる軍隊もどき組織をいとも簡単に作ってしまう。

この辺のことに関しては明確な記憶がある。終戦直後我が家に暫く居候していた産婆さん母子(三井さん)がいた。子供と言っても年齢は既に中学生で確か<はじめさん>と呼んでいた。彼らは激戦地サイパン島から逃げてきた人で、お父さんは現地で亡くなったと聞いていた。我が父が南方から復員してきてからも、お母さんの産婆さんは母の手伝いでよく我が家に来てくれていたので三井さん親子とは親しく付き合っていた。

1950年当時三井ハジメさんは父の紹介で県庁の職員になっていた筈だ。しかし警察予備隊の隊員募集が始まると、ハジメさんは直ぐに応募して確か滋賀県の部隊に入隊して長野から出る挨拶に来たのでよく覚えている。今思えば、ハジメさんは10歳くらいは年長だったのだろう。暫く家には手紙が来ていたが、私自身は読んだことは無い。当時思っていたのは、先の大戦で相当な苦労に遭遇しても又子供世代になるとやはり戦争に行くのだ、と言う印象のみが記憶に刻まれている。

現代は戦後80年の歳月の流れで、世界各地で社会が戦前復帰の傾向が顕在化してきている。日本は1947年に制定された日本国憲法も一見すれば健在だが、「憲法9条は、冷静が終結した1989年から、なし崩し的に否定、死文化されてきている」と言う識者もいる。ただでさえ不勉強で、ボケが一層進んだ小生には、その理由なんかよく分からないが、憲法9条は大切にと思うのみだ。

2025年5月2日金曜日

面白き事

 世の中に面白いことはそう沢山は無いと思い始めたりしてたが、最近になってそれは大変な思い違いで、面白いことは沢山あることを知らなかっただけと気づき始めた。平たく言えば絵画とか音楽の趣味を持たなかっただけのことで、小学生以来絵を描くことも、楽器を使って音を楽しむことも一切せずに、川や山を無目的に歩くだけで楽しみを知らなかっただけのことに気がついた。

季節は春は過ぎてしまったが、花や小鳥にちょっと関心があればもっと楽しみ方が有ったろうに少し残念な気がする。数日前何気なく観たNHKの番組「3か月でマスターする絵を描く(4)絵の中を歩ける!? 奥行きのある風景」を改めて今朝NHK+で見直してしまったが見れば見るほど面白い。流行歌だってそうだ、夕べ,、何れも故人だが谷村新司が小椋佳をインタビューする歌番組を観ても似たような思いだった。

谷村氏が美空ひばりの大ヒットになった「愛燦燦」誕生秘話を小椋氏から引き出してくれたが歌詞、いわゆる言葉を紡ぎだす才能と言うものは素晴らしいものと感心。ブログを毎日書いていても自分でも感心できないのは、書き綴る言葉に新鮮さが無いせいだろうと改めて気がついた次第。井上ひさし氏の小林一茶を読んでも全く同感だ。たった17文字でも人の心をとらえることが出来る人もいれば、数多の言葉を連ねても他人にも己にも何一つ感動を与えられない駄文。自分でも呆れてしまうが、今日もまた駄文を綴っているのが楽しく、人畜無害であれば結構だろう。

特に話題は無し

 午後1時過ぎた頃から、初夏のゴールデンウイークとはとても思えない冷たい雨になってしまった。ブログを上げたら夕飯に出掛けなくてはならぬが、歩いて行く気がしない。珍しいがたまにはこういう日もあるのだろう。明日からの4連休の天気は回復すると天気予報が言っている。ま、それを信じることにしたい。ブログのネタも無い。午後2時間以上ずーっと見続けたジョン・ウェインの古い西部劇が面白かった。

そう毎日面白いことばかりは続かない。報道相変わらずアメリカのトランプ大統領の話ばかり。関連して日本は日銀が来年にかけて景気が悪化すると断定したようだ。あなた方に言われなくても皆そう思っているだろう。朝の時点では、今日は世相をテーマにファッションと男女の身だしなみについて書こうと思っていたが、明日かそれ以降に譲る。

2025年5月1日木曜日

最近の報道から

 今日はまた月替わり、<夏も近づくく八十八夜~>とのこと。大型連休とてあまり変わった話は無いが、昨日からのニュースで気になったことが少しあった。一つは北朝鮮拉致被害者家族がアメリカを訪問して、担当の政府高官に協力を要請し、成果があったと発言したこと。トランプ氏が第1次政権時代に金正恩と直接面会した事実はあるが、今や北朝鮮はロシアのプーチン大統領と昵懇の仲、依頼すべきはプーチン氏のように思う。とは言ってもロシアと日本は殆ど互いに敵国状態、やはり無理筋なんだろう。

アメリカトランプ大統領は正に殿のご乱心状態。アメリカが豊かになる道なら他国のことは知ったことは無い。とばかり近い将来経済関係でアメリカを追い越しそうな中国経済の弱体化を狙って非論理的関税戦争の拳を振り上げた。アメリカの経済学者でさえ、自国経済への悪影響必死と警鐘を鳴らすが、殿には全く効き目が無い。中国も出血覚悟で喧嘩を買って出ている。ロシアや中国は外国との戦争で人民が死ぬことにあまり重大な関心示さないのが少し怖いところ。トランプ氏も負けを認めない事を信条としてるようなので、世界経済への影響は相当大きくなりそうだ。ただでさえ貿易収支の赤字が出始めてる日本、どう対処すべきか考えてる政治家が果たして何人いるかだ。

3番目もやはりアメリカ絡みになってしまうが、昨日のベトナム戦勝50周年記念行事。先日石破首相が訪問したばかりだが、外務省の担当は、この行事のあることについてどのように解説したのだろう?いつもアメリカ側に立っている日本のことだから、明白な祝意は言いにくいのかもしれぬが、パレード参観の貴賓席にはアメリカ大使も座っていたようだが、日本大使に関してはマスコミは何も言っていない。何れにしてもアメリカは第2次大戦以降諸外国でいろいろ負け戦を懲りずに繰り返しているが、ベトナム戦争程みっともない負け戦は無い。何と言ってもグリーンベレーなる言葉を覚えてしまうくらい、映画などによる前宣伝がすごすぎたので余計負け方のまずさが目立った記憶がある。北ベトナム軍を指揮したホーチミン氏は当時でもかなり年配だったようだが、如何なる経歴で勝ち戦をものにしたか、誰か解説してほしいものだ。