2025年5月27日火曜日

父の思い出

 5月も間もなく終了、じめじめした梅雨を経て暑い夏がやってくることだろう。数日前にも書いた通り、昨日が父の誕生日だったので終日父のことを思い出していた。父はいつも笑いながら「私はウルトラ・コンサバティブ、超保守主義者だ。」と言っていた。1905年明治38年生まれだったので、確かに生涯下着のパンツは一度も履かず、越中褌で過ごしたりしたところはそうかもしれぬが、我々子供達には「時代が変わったのだから英語を勉強した方が良い。」とか、高校を卒業した時には「運転免許をを取っておいた方が何かの役に立つ。」と薦めたりしてくれたものだ。

今にして不思議に思うことはそう言いながらも、勉強や将来の学歴に関して自分の母校である「東大を目指せ」とは一度も言わなかったことがある。従って中学校の2年生くらい頃かと思うが、成績が芳しくなくなってきたので期末に貰ってくる通信簿を隠すようになったが、文句を言われなくなったが何故か見せろと言われなかった。代わりでもないが始終言っていたのが「浩然の気」。川や山で遊んでいてもこれを養っていれば良しとしてくれていたのかもしれない。父自身が小中学時代何度も落第しているからかもしれぬが、子供に競争心を植え付けることには賛成せず、所詮は長い人生を生き抜くのは子供自身。嫌でも長い競争が待っている。敢えて今それを言っても始まらないことと思っていたのかもしれぬ。

兎に角、人は先ず規則正しい生活をして健康であるべきで「健全な精神は健全な身体に宿る」がモットー。もう一つ言い聞かされたことはないが、ユーモア精神が旺盛だった。先に書いた超保守主義者もそうだが、言っていることと実際の生活や行動とはかけ離れていることが多かった。別に寄せ芸人をラジオで聞くわけでもないが、善光寺の門前町だった長野市なので、当時参道には日常的に香具師が店を張って怪しげな商品を口上宜しく売っていた。我々子供は面白がってそこを取り巻いていたが、父もたまには見物していたようで、ある日安いズボンを買い込んで帰り母に叱られていたこと覚えている。

毎晩晩酌は欠かさなかったし、朝の養命酒も欠かさず飲んでいた父。大した趣味は無かったが、現在小生がネット碁に入れ込むのも父の影響だろう。何はともあれ92歳の大往生。何とか真似たいものだが果たしてそう上手くいくかどうかだ。

2 件のコメント:

YOPIKO さんのコメント...

きっと長生きされますよ。お父様との思い出があって羨ましいです。結婚する前に実の両親は他界してますので、5月生まれの私も長生きしたいです。

senkawa爺 さんのコメント...

YOPIKOさん
コメントを有り難うございます。
個人的な思いだけを書いてしまいましたが、貴方さまが長生きされることを祈ります。