2025年5月4日日曜日

流行りもの

 特に気にしてる訳でもないが、先日予告したので、今日書いておきたい。最近の服装や髪型、化粧などを含むファッション、流行のことだ。小学生時代は、未だ日本は衣食住が不足していたので、碌な食い物も、着る物も無かった。住宅はなおさらのことだ。父が県庁の役人をしていたので、官舎住まいだから住宅の心配はなかったが、食い物や衣類は両親も子供5人を抱えて大変だったと思う。今記憶に残っているのは、いつも腰に手拭いをぶら下げていたこと。

これは実に有用で、文字通り手拭き、汗拭き、泳いだ後の身体拭きになるのは勿論だが、簡単に引き裂けるので、下駄の鼻緒が切れた時、即席の鼻緒を撚って作ったことが何度もあった。ハンカチやタオルなど無かった時代のことで、どこの子であれ似たようなものだったろう。髪型当然丸刈り、毎月庭先で父が5人の子供の頭を順番に刈ってくれた。着ているものは全て木綿。しかし冬になると、母が編んでくれたセーターがあり、その上から木綿製で折り襟のしわくちゃの学生服を着ていた。足も木綿の足袋で雪の多い日にはゴム長靴で登校したが、普段は下駄履きだったと思う。

少しお金持ちの商家の子供の中には外套を着ている子供なんかが居て、少し羨ましく思った記憶もある。それでも中学校に上がってからは生活も大分豊かになり服装も徐々に変わってゆくが、中で覚えたのが、ズボンの寝押し。今でも外出する時はズボンの前後に線が通っていないと気になるが、木綿のズボンをはいていた時代からそれを気にしていたのだから、結構な洒落者だ。

高校時代も学生帽には白線が2本入り、どこに行くにもこれを誇らしげに被っていたが、寝押しの習慣は続けていたような気がする。当時石原裕次郎なんてスターが生まれ、その影響もあったのだろう、足が短い小生も自分で母愛用のミシンを使って、ズボンの裾を細くして喜んでいた。相変わらず冬でも外套は買ってもらえなかったが、4学年上の兄が、父が使っていた仕立て屋で外套を作って貰えたので、東京から帰宅した時にそれを着用に及ばせてもらい喜んでいたから我ながら可愛いものだ。

要するに子供心にも、他人と変わったファッションを身に着けるのが楽しかったが、現代は右を見ても左を見ても皆同じ格好をしてるように見え、面白くない。

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