朝はまだ寒いが草や樹木には大分初夏の佇まいが感じられるようにいなってきた。昨日は昭和の日と言うこともあり、テレビは盛んに昭和100年を宣伝している。昭和15年生まれなのでそれなりの感慨も無くは無いが、昭和63年生まれの人でも既に40歳目前。今更親の世代が良かったなんてマスコミに言われても仕方あるまい。彼等だって彼らなりに現在頑張っているのだ。内心親たちに言いたいこともあるだろう。
父は明治38年の5月生まれだから完全な明治の人と言えるかもしれぬ。母は明治45年2月生まれで、父は殆ど大正と昭和しか知らない苦労知らずのお嬢さん、と冷やかしていた。更に、小生が満3歳にやっとなった夏7月のことで、父が熊本県庁からバリ島の司政官として赴任することが決まり、母は取り敢えず長野の実家に戻ることになった。まだ零歳児の弟がいたこともあり、引っ越しが大変だろうと母方の祖母が三男の小生を事前に引き取りに来てくれた。祖母に連れられ熊本の家を出る時、何となく夕方のような気がするが、ギャー泣きしていたような記憶がかすかに残っている。
熊本から長野までの列車の旅は当時何時間かかったか分からないが、長野駅に着いた時はもう陽が高く、人力車に乗った祖母の膝上に抱きかかえられていた記憶がかすかに残っている。その祖母は明治20年の生まれ(誕生月は知らない)、当然祖父母の両親は江戸時代の人だ。その後母や兄たちと再会したのは大分日が経ってからのこと。長野の実家にはお手伝いさんは居なくて、伯父さん家族も居たはずだが全く思い出せない。不思議なもので、同居人を思い出せないのは祖母がそれを感じさせないよう付ききりで世話をしてくれていたのだろう。
これは昭和17年7月か8月のことだ。三つ子の魂とは三歳児の脳に刻まれた記憶をさす言葉と思うが、兎に角小生の記憶にはこの祖母と一緒の記憶、聞かされた話が脳の底辺にあることだけは間違いない。