2025年4月27日日曜日

同種同根であっても

 そろそろ半袖の季節、夏が始まろうと言うのに鼻水やら喉の痛みやらで夏風邪がなかなか治らず困ったものだ。自分の身体も考えれば不思議に思うが、考えすぎても良くないので取り敢えず措くとしよう。昨夜も恒例の高校同期の友人4人とリモート雑談会をして改めて思った。似たような境遇にある5人であっても、それぞれの思いは大分違うものだと言うこと。

特に昨日はローマ法王の葬式でもあったことから、それぞれの宗教観の話題に及び、小学校時代からの仲良しとの違いが興味深かった。彼とはスキー仲間で趣味も似てると思っていたが、現在の宗教観は全く異なる。現在のと態々前置きしたのは、数年前までは小生も彼と似たような考えだったと思ったからだ。彼は今でも自ら無宗教と言って憚らない。家には立派な仏壇が有るそうだが、仏壇の扉を開けるのは1年に2度盆暮れだけのようだ。小生は幼いころから仏壇も神棚も置かない家で育ち、結婚後も妻を亡くすまでそのスタイルを踏襲していた。

しかし家内の他界後に急に宗旨が変わり、今では毎朝仏壇を開いて水とお茶を取り換え、線香をあげて手を合わせる俄仏教徒に変身している。彼も奥方が先に亡くなれば、お子さんは全員外国に居るから恐らくそうなるだろう。たまたま今は百花繚乱の良い季節、花も咲いても遠からず萎んだり枯れて地に落ちていく。花も人間も生き物であるからそれが運命、即ち定めだ。

それと最近思うのが、生き物は同種同根であっても個性の多様性。毎朝食材の野菜、特にジャガイモやトマトを洗ってるときに思う。同じ畑から生まれてる筈の野菜であっても姿形、味わいに微妙な差があること。これも不思議と言えば不思議。自分の都合だけで世の中が回らないことは不思議でも何でもないごく当たり前のことなんだろう。アメリカのトランプ大統領は生涯気がつかないかもしれぬ。

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