八朔と言う夏みかんがあるが、今日は正に8月の朔日。80年前の15日は天皇陛下自らがラジオ放送でポツダム宣言受諾をして、連合国側に無条件降伏を伝えたと発表した。言いたいのは近代史を考える重大な月であること。誰も明日以降のことに重大な関心を寄せることを非難するつもりは無いが、たまには過去のことに思いを馳せるのも必要ではなかろうか。物価高騰で食料品が高くなっているのは事実。嘆きたくなるのも理解できる。
小生は1940年の生まれなので1945年当時の食糧事情は詳しく記憶している。現在のガザの子ども達ほどではないだろうが、家に米が無いので野草や雑穀をよく食わされた。それでも有り難いことに栄養失調なんて病気にはなった記憶が無い。母や同居していた祖母や叔母の苦労が心にしみる。45年か翌年の46年だったか記憶が曖昧だが、ただ同居していた叔父が亡くなる間際「リンゴが食べたい」とて祖母が散々苦労したが調達できなかったことがあった。
今となれば、真冬でも夏野菜がスーパーに並び、リンゴも通年で入手可能だろう。ましてや缶詰などの加工食品であれば入手困難なんて考えられない。当時は甘いものと言えば、近くのお宅で庭に野菜を植えたりミツバチを一箱飼っている家があり、蜂蜜を舐めさせて貰った記憶が残っている。父が47年に南方から復員してきて長野県庁に就職が決まったので松代と言う田舎町から我が家は長野市に移転。その頃から赤いザラメの砂糖が配給されるようになった。これで母が作ってくれたカルメ焼きの美味かったことも忘れられない。
それでも長野は軍需工場が少なかったからだろう、戦争末期になっても空襲があったのは記憶では一晩だけ。死者は殆ど無かったのではと思っている。原爆の被災地は勿論だが、東京などの大都市における被害は酷いものだ。中国で戦時中の日本陸軍の残虐さを描いた映画「731部隊」の封切が7月31日予定だったのが延期されたとの報道もある。中国政府が来月に予定している戦勝80年記念行事との関係をどのように慮ったか知らぬが、日本の現代人は余りにも過去の戦争犯罪に無関心だ。
外国人との付き合い方が云々される現在、今日の問題も大事だろうが少し前のことを思い出している次第。