2025年8月31日日曜日

自己責任

 8月も終わると言うのに暑さが収まらない。歩行数を控えたりして無理をしないように気を付けているが、疲労が溜まる一方のように感じる。健全な精神は健康な身体に宿る、昔から言い古されてきたが何と言っても自分の身体、他人任せにはできず、全ては自己責任だ。9月に入っても暑さが続くとのこと、諸物価降雨等も同じこと、今少し辛抱する必要がありそうだ。

特にあれをしたいということは無いが、世界秩序の乱れが気になって仕方ない。アメリカ建国200年の1976年にアメリカ東海岸まで行く機会があり、ニューヨークの国連本部も見学した。ここで世界平和が守られているかと感心した記憶があるが、これも今や昔の夢のまた夢。中心にいたアメリカは自国第一主義を唱え世界秩序なんか知ったことか、と他人事。その割にイスラエルと妙に仲が良いことが気になる。イスラエルと相性が悪いイラン、昔はペルシャだろうが歴史は日本同様長い国だ。

歴史の長さではイランも日本も及ばない隣の中国。最近は力をつけて、何かとアメリカに対向する姿勢が目立つ。日本はアメリカとの同盟関係が強固に存在すると思っているのかどうか?どうでもいいが、首相はあと1か月も持つか持たぬか分からぬのに5年先のことを平気で口にして喜んでいる。85歳の小生が5年先のことを約束しても誰も信用しないだろう。当たり前のことだ、選挙で三連敗した責任は何も感じていないようだ。国民はたまったもじゃない。

2025年8月30日土曜日

生活態度の検討

 長年生きてきていろいろな事を学んだ。中で自慢できるようなことは少ないが、少しはましと思うことは掃除と後片付けかもしれぬ。掃除と言っても最近は掃き掃除も雑巾がけもしない。掃き掃除は電気掃除機、拭き掃除は腰より上の台だけだから楽なものだ。朝晩シンクの中の落とし口まで丁寧に洗っている。ましと書いたが、人によっては神経質過ぎると思われても仕方ない。トイレや浴槽の汚れも気にする方かもしれぬ。

もう一つ似たようなことに時間の管理がある。目覚まし時計は使わないが、夜は遅くなっても8時半前には就寝、朝は4時半前には起床するよう心掛けている。このところ暑い日が続いているが、それでも日中1時間半以上、調子が良ければ2時間近く歩く。このところ暑さに少し参ったことと、英国の医学会が高齢者の散歩は1日7千歩で十分と発表してくれたので少し歩行数を落としているが、それでも1日平均7千歩は歩きたい。

これは最大の快楽でもある睡眠と密接な関係があり、昼間十分汗をかいておかないと睡眠の深さが浅くなったりするかと心配するからだ。睡眠に関する専門家の意見は幾つあるようだが、個人的には睡眠に入って約4時間強は熟睡したい。普通零時半頃起きて小用を足すが、この前と後の睡眠は全く性質が異なる。前半は何の夢も記憶も無いが、後半は必ずと言っていいほど下らぬ夢を見る。殆どが仕事が絡むのだから面白くない。時によっては囲碁関係の夢もある。仕事も囲碁も中途半端だったのでフラストレーションがあるのかもしれぬ。

そんなこともあって、最近はネット碁もそろそろ止めようかと考え始めている昨今だ。敷衍して考えればブログ書きなんかもやめた方が健康には良いかもだ。

2025年8月29日金曜日

発酵食品国-長野

 先日海苔の価格高騰について書いた。食物は健康維持にも大事だが、文化にも大きな影響があると思う。現代和食は国際的にも高い評価を得ていて、その代表は<寿司>だろう。これを日本人が毎日のように食してはいないだろうが、日本では発酵食品を好んで食していることは間違いあるまい。調味料の味噌醤油に酢が代表かもしれぬ。外国でも韓国や台湾には似たような食習慣があると思うが、粉食+獣肉+獣乳主体の国とは大分様相が異なる。

となると形成されてきた文化も大分異なって当然。日本でも一般人が鳥や魚を捉えて食す習慣は昔からあったと思うが、四つ足の大型獣を食するようになったのはごく最近明治以降かもしれぬ。とくにアメリカでは早くからバッファローを食用にしてきたとのことだから、国民の性格や文化が荒っぽくなるのはやむを得ないだろう。発酵食品は作るのに時間が掛かる。鉄砲で狙いすましてズドンでは済まない。手間暇かけてやっとのことはご承知の通り。

先の大戦終結からもう80年も経ったが、未だに解決してない問題が多々ありながら黙って見過ごしている我ら日本人。これも国民性と諦めるべきなのだろうか?何でも長野県は発酵食品国とマルコメ味噌屋が大きく書いていた。今朝茶碗とお椀を洗いながら思わず一人で踏み笑いをしてしまった。

2025年8月28日木曜日

近所付き合い

 今朝は10日間続いた猛暑が少し和らいだので有り難い。何と言っても朝食を摂る居間のエアコンが壊れているのだから。今日の夕方には新品に交換してもらえそうなので期待しているところ。ネットで検索した中から適当に選んだだけの会社。電話のやり取りで修理は難しく新品に交換した方が早そうには納得した。ところがこの手続きが一苦労、結局スマホの販売店まで行って店員のサポート受け初めて成立した取引。今日来てもらえる予定時刻は14時から17時と大分幅があるが、文句は言ってられない、兎に角待つだけ。今日は木曜日なので普段であれば紀尾井町のレストランに行くところだが、これも中止はやむを得ない。

都会ゆえのことかもしれぬが、便利な世の中になったものだ。電話一本で大抵のことが出来る。発注した会社は確か東村山の筈だが、自宅界隈の電気屋さんは大変だろう。長い付き合いだから近くの電気屋さんに頼みたいが、状況を確認に来てもらうだけでも一苦労。その上新製品発注となれば数日は確実に必要。料金も割高にならざるを得ない。近くに住む人たちとの絆は壊れてゆくが、時間感覚を優先してしまう。これもやむを得ないことか。

2025年8月27日水曜日

不都合な現実

 立秋はとうの昔に過ぎているが猛暑日が数十日続いているとのこと。これは自然現象だから文句を言う訳にはいかぬ。それでも日々の暮らしは波風が立たぬよう恐る恐る続けているが、世はそんなに甘くない。昨日の朝気がついたのがどこからか聞こえてくる雨音。ブラインドを開けて庭先を確認しても雨の痕跡が見当たらない。続いてやっと気づいたのが足元の床。鴨居の上のエアコンから水滴が滴り落ちて床がびしょびしょ。

慌ててエアコンを切って床の水を拭き取った。その後エアコン会社に電話、修理の可能性について問い合わせ。電話のやり取りでは詳細が見えないのでサービス希望のメールを送れとのこと。尤もなことで、フォームを送ってもらったがエアコンの画像と本人確認のマイナンバーカードの画像添付がどうしてもできない。やり取りの中で、「どう考えても修繕は不可能。新品に交換すべき」との意見。これにはすぐ同意した。しかしメールフォーム送信が出来ない。結局半日後になって工事担当者をそちら迄伺わせましょうと言うことにしてもらった。

今日の夕方工事担当者から電話を貰うことになっているが、実際に来てもらうのはいつのことになるやらだ。不都合な現実は全てスマホを使いこなせない自らの問題。80歳の手習いは瞬間的に理解できてもすぐ忘れるだろうがauショップに行って手習いすべきかどうか悩んでいる。

2025年8月26日火曜日

連休明け

 ブログを2日休むと宣言したのにも関わらず結局3日サボってしまった。暑さのせいと言うことでご容赦願います。休んでいる間いろいろな事をしました。大きなことはやはり1年ぶりの墓参り。長野も東京並みの暑さと言われますが、湿度の違いでしょうか、暑さの程度が全く違うように感じます。毎年似たような感想を書いていると思いますが、市内の北小高い山の上のお墓は、何れ自分も収まると思う場所なので非常に親しみを感じますし、久しぶりに亡き親族と直接会うことが出来たような気持ちで大分すっきりしました。これは偏に同伴してくれた従妹の応援あってのことで、感謝感謝だ。

翌日は千駄ヶ谷にある国立能楽堂で能を観劇をまともに観たのは初めて。謡曲は母が一時習っているのを別の部屋で聞いたことはあるし、事前に受け取った案内書にも詳しく書かれていたが、私は瞑目したまま分からないなりにその世界観に全身で浸ってきた。舞台は三部構成。先ずは「平曲」謡の一人語り伴奏は琵琶。那須与一の物語。或いは高く、或いは低く声がよくとおる。音響設備が完備してるのかななんて思ったりしたが、どうもそうではなさそう。能楽堂の外見はそう大きくは無いが、客席は600とのこと。とった席は脇正面とのことで、横から観る形だが、役者も心得たもので、観劇に不自由は無かった。

第2部は狂言「文蔵」。狂言は平たく言えばコメディー、セリフを正確に聞き取ることが出来ればユーモアもあって面白いのだろうが、途中で笑い声をあげることが出来る人は全体の1割もいたかどうかだった。第3部が本番の「八島」登場人物も多く、笛や坡の類、謡て多い。演者は金春流の宗家一門の人たちで桜間会の幹部たち、見応えは十分だった。受付で次回公演の予約を取っていたが、聞けば次回とは来年のことらしい。全体を通して勉強になったことが一つ、能は普通の芝居と異なり静かに始まり、終わりも静かに終わる。拍手が不必要であること、これも日本の文化の一つかもしれぬ。

閑話休題:金曜日に京橋の海苔屋、山形屋で買い物をした。毎朝愛用している刻みのりが切れそうになったからだ。山形屋が東武百貨店に出店したいた時代から愛用していた一袋500円の品。55グラム入りが、何と50グラムに減量して、しかも1080円とのこと。今年5月に原料が一気に上がったのでとのこと。諸物価高騰はやむを得ないかもしれぬが、年金暮らしにはチョット痛い話。小泉農水大臣の目配りなんて知れたものだ。

2025年8月22日金曜日

言うだけなら簡単

 石破首相に限った話ではないが、政府の前向き発言は俄に信じがたい嘘っぽい発言が多い。「3年間で3万人のAI技術者養成を目指す」なんてのもその一つ。人材育成なんて政府が簡単にできることではあるまい。大学か専門学校かは別として、教育機関や指導者の存在が欠かせないと思うが、日本にその資源が如何ほど存在するか分かっているのだろうか?恐らく何も分かってはいないだろう。

この発言は今日閉幕となるアフリカ開発会議のスピーチで出たように記憶するが、この会議も趣旨は結構だと思うが、その実効性に関しては疑問が多い。アフリカには50ヶ国以上の国家が存在すると思うが、石破首相は今年の会議の中でエリアをさらに拡大して、インドから中東、アフリカにかけての一帯を新たな経済圏と位置づける構想「インド洋・アフリカ経済圏イニシアティブ」を打ち出した。対象国家が何か国になるかは知らないし、知る気も無い。

何れにせよ、こっち方面とビジネスをしたい始めたいと思っている人は、大いに頑張って発奮すれば良いことだ。45年前大阪支社に転勤になった時取引があった「ヤマトシャツ」を思い出す。当時としては画期的でウガンダに拠点をもって活動していた。社長さんがユニークで確かアルゼンチンに長いこと住まわれた経験がおありだったように記憶しているが、ひょっとするともう亡くなられているかもしれぬ。

ビジネスは難しいもので、国内であろうと海外であろうと一旗揚げるのは容易ではあるまい。政府が旗を振っているのでついて行って損をしたなんてことにならぬようご用心だ。小生にも起業の経験は一応あるが、自慢できるほどのことは無かったのが正直なところ。今は生きるだけで精一杯。明日と明後日は久しぶりに息抜き。ブログ書きもお休みにさせて頂くので乞うご了承。

2025年8月21日木曜日

生と死

 昨日の夕方、池袋から帰宅途中後ろから突然女性から苗字を呼ばれてびっくりした。振り返ると昔昼飯を食いに足しげく通った食堂の女将さん。「お元気ですか?」と聞かれ「そうでもありませんが、有難うございます。」と応えたが名前を憶えてくれていたことには感謝だ。

既に1ヵ月以上経つと思うが、売りに出した我が家の測量関係の書類作成が愈々最終段階に入った。今朝も早くから測量事務所の代表が分厚い書類を抱えて来宅、朝から実印を含むハンコ押しを30分以上。慣れぬことなので手先指先が疲れてくるし、下手な自分の住所署名を見るのが辛い。未だ測量関係事務終了とはならぬが、小生の署名押印作業はこれで終わりらしい。

この後2週間ぶりに紀尾井町のレストランに出向く。いつものように池袋までは歩いたが、流石に真昼の陽射しは強い。レストランで読んだ今日発売の週刊文春8月28日号、大した記事は無かったが「バカの壁」で有名になった医学博士養老孟司氏の近況に関する記事が興味深かった。氏は3歳年上の1937年生まれだが、最近は体調を崩して2、3年肺がんなどで死線をさ迷っておられるらしい。とは言うものの、インタビューに応えたのだろう、かなりの長文が掲載されている。

曰く、死も自然に任せるが一番とのこと。氏は4歳か5歳の時父上が亡くなられたとのこと、その時天から「お父さんにさよならを言いなさい。」との声が聞こえたが何故か言えなかったそうだ。生と死は1と0ではありえず、その間で限りなくゼロに接近してると自覚されているらしい。母校東大で手厚い医療を受けておられると思うが、脳科学の第一人者の言葉にしては興味深いものがあった。

2025年8月20日水曜日

只管辛抱

 今日は何も特別なことは無いと思って下らぬ本など読んでいても、大概9時を過ぎると電話が鳴ったりして何かが起きる。そう言えばお盆前にそんな約束だったなと思い出すこともあるが、もうだいぶボケてる独居老人。もう何が起きても仕方ない。出たとこ勝負で凌ぐしかない。午前中に2本電話があったが1本は株屋さん。口座に現金が40万円弱溜まっているとのこと。眠らせておくのは勿体ないから一つの投資信託の銘柄を買い増してくれださい、投資信託の配当金とのこと。議論するのも面倒なので了解した。

もう1本は測量会社からの連絡で、区との境界が確定したので書類に実印が必要とのこと。今日でも問題無いが、先方が予定があるとのこと。明日の9時半に来てもらうことにした。明日は2週間ぶりに紀尾井町のレストランに昼食に出かける予定。2週間とは随分久しぶりに思える。この暑さで帰り道無事飯田橋まで歩けるか少し心配でもある。

日中は暑いのでテレビでも観るのが良さそう。昨日のNHK・BS昼のシネマ「日の名残り」は面白かったが、今日の「浮雲」は初め少し観たが結局途中でやめてしまった。大分出来が違うように思う。兎に角ものを考えるのが面倒くさい。暑さのせいか、年齢のせいか?

2025年8月19日火曜日

平和国家

 現代は通信手段の進歩でニュースの伝わり方が速い。ニュースの中には嘘情報も含まれるから受け手である庶民はその選別の必要に迫られるので少し厄介かもしれぬ。一昔前までは小中学校の教科書記述は厳重な事前審査があるので間違いないとされていたが、社会科などに関してはどうも危うくなっているようだ。小中学の社会科は歴史関連記述があるのでやむを得ないかもしれぬ。

今年は戦後80年の節目。戦後50年から60年70年と首相が談話を発表してきたとのことで、数か月前から今年の8月15日が注目されてきた。結局石破首相からは発表は無かったが、個人的にはそれでよかったと思っている。首相は自民党総裁でもあるから、戦没者慰霊祭で述べた反省なんて文言入りの談話は出せない。もしそれが個人の意思に反するなら黙るしかないだろう。

自民党は議会で少数与党になり、野党でさえ日本ファーストの党が勢力を拡大する昨今だ。日本が今後世界政治の中で如何なる位置を占めるか想像しにくいし、やや手遅れの感が無きにしもだが、失われつつある平和国家の実現は大事にしてもらいたいものだ。

2025年8月18日月曜日

暑さが耐え難い

立秋はとうに過ぎているが相変わらず暑い日が続いている。両隣の車庫には車が無く、雨戸が閉まったままなので別荘からお戻りになっていないのだろう。誰にとっても同じだと思うが、人生は自分が思うほど単純でないし、また願いとは反対方向に進みがちだ。85年間毎日のように迷い、間違いを繰り返しながら今日まで来たものだ。果たしてこんなことでいいのだろうが?迷いは多いがしなければならぬことも沢山ある。

道路を挟んで向かいのビルの取り壊しが始まった。取り壊し業者からはこの長い休暇の前に案内状とご挨拶と書かれた熨斗紙付きタオルが郵便受けに入っていたので仕方ないとするしかない。今日はコメの在庫が少なくなったのでいつもの米屋に電話で注文。いつもの長野安曇野産は未だ新米が収穫されていないのでとのこと。代わりに佐賀県産「七夕コシヒカリ」を購入。5キロ4500円だった。何もかも物価高騰のご時世だが、毎朝食べる飯だけは多少高くても仕方ない。

昼過ぎても出掛ける気にもならずグダグダしていたら、珍しく次女から電話が来た。大した用事は無いのだが、更年期障害で何もする気にならぬとのこと。50代の娘でさえそうなのだから、こちらがやる気が起きないのも無理ないかもしれぬ。

2025年8月17日日曜日

好みの問題

 山好きの日本人であれば当然のこと、そうでなくても生涯に一度は登ってみたくなる富士山。小生も一度だけ登ったことがある。新宿から山梨県側の5合目までバスで行き、昼頃から半日かけて8.5合目の山小屋で夕食をとって仮眠、12時過ぎからヘッドライトの明かりを頼りに歩き、山頂でご来光を拝むごく一般的なルート。満天の星空のもと延々と連なるヘッドライトが美しかったことが良い思い出となっている。

5合目から山頂まで普通であれば10時間以上掛かっても不思議は無いと思うが、世の中には凄い人が居るもので、今発売中の月刊文藝春秋9月号の巻頭コラムに今年82歳の、実川欣伸氏が「富士山のイチロー」のタイトルで一文を寄せている。42歳から登り始めてから約40年間に2240回登頂の言録をお持ちとのこと。最盛期は登り2時間、降りが1時間半で、1日に2回登頂もあるとのこと。

何ごとも10年も続ければ大体一人前になると教わった気もするが、40年とは凄いし、40年にしても凄いと思う。小生も山国信州の出身なので人並みに山好きではあるが、アルプスなど本格的な山は60歳を過ぎてからのこと。好きな山はやはり故郷長野市の飯縄山。都心に最も近い高尾山に飯縄山のご神体が祀られていることを知って、この高尾山も好きになり、双方の山には20数年の間に数回登ったものだ。

学生時代はスキーが好きで、志賀高原に魅せられて一生山で過ごしたいと思った時代もあったが、何のことは無い、現在はすっかり都会派。しかも山歩きは一昨年5月以来どこにも行っていない。但し墓は長野市郊外の見晴らしの良い山の中腹。ここにある先祖代々の墓に入れてもらいたいが、これも子供たち任せのことだ。

2025年8月16日土曜日

米ロ首脳会談

 普通アメリカの記者会見は結構長い時間を掛けるが、今朝アラスカで行われた米ロ首脳会見終了後の記者会見は、珍しく記者の質問を一切受け付けなかった。従ってこの会見の意味や成果は全く分からない。察するところになるが、両首脳が直接会って長時間にわたって話し合い、共同で記者会見を開いたことが一つの成果と見るべきだろう。日本の外務省はウクライナを負けさせてはいけないと考えているようだが、小生はへそ曲がり。

傍から口を出して、勝敗に決着をつけさせたほうが世界の平和に役立つような気がしている。アメリカのトランプ大統領もその気だろうが、この行司役は相当に難しそうだ。米ロがどんなことを話したか知らぬが、ウクライナ領土問題がテーマにならなかったとは考え難い。結局は朝鮮半島の南北境界線のような形にならざるを得ないような気もするが、それでゼレンスキー政権が持つかどうかが分からない。

何れにせよ戦争はまだ暫く続きそうだが、ロシアは攻め手を緩めないだろう。ウクライナも欧州諸国に支援を要請するだろうし、アメリカが支援を続けるかどうかは不明。ウクライナ国民はそろそろこの冬のことが気になり始めているだろうと思うと、日本人で良かったと思わざるを得ない。

2025年8月15日金曜日

今日と言う日

 今日は日本人全員が深く思いを致す日だ。80年前に終戦を迎えた戦争を知らず、また意識しない人が増えていることを善とするかどうかは別問題で、本来は全員が思いを深くすべき筈だ。子供ですら喧嘩をして、自分が怪我をしたとしても相手に怪我をさせたら反省をして当たり前。戦争は子供の喧嘩と異なり、国同士が互いの兵と市民の殺し合いだ。日本軍が始めた戦争をいつからと特定するのは小生には難しすぎる。ごく大雑把に言えば日本軍が中国に進出して南京で大虐殺をしたり、満州国を作ったりした頃からだろう。国際連盟を脱退したり碌なことをしないで1941年12月8日、遂にアメリカ本土であったハワイ・オアフ島の海軍基地を襲撃してしまう。

最近ではアメリカの謀略に引っ掛かったとか、国内の政治体制が悪くて国民に戦争を抑止する機運が生まれなかったと言う人もいるが、そんなことは何の言い訳にもなりはしない。上は天皇から下は一般市民まで、挙げてアジア諸国や英米蘭諸国にまで武力衝突を仕掛け、挙句コテンパンにやっつけられて300万人以上の日本人が世界のあちこちで死屍累々となり、1945年8月15日に国際連合軍に対して無条件降伏を宣言したのだ。10年前の今日、当時の安倍首相は「戦争について何も責任ない子や孫たちが・・・」と述べたとされているが、とんでもないことだ。奈良時代や平安の昔ならいざ知らず、僅か70年やそこらで身内や友人を殺された人たちが犯人を許すと思うのはどうかしている。

毎年この日に行われる戦没者慰霊祭で天皇陛下が述べられる<深い反省>を全国民がかみ締めなければならない。そうでなくば亡くなった方々は浮かばれないだろう。

2025年8月14日木曜日

反省の日々

 今日まではお盆。お迎えの準備も無いが、仏さまが今も我が家に同居されている筈。昨夜も不思議な足音を聞いた気がする。明日は日本が連合国に無条件降伏を宣言した日。記念日とするにはあまりに悲しいが、人それぞれ様々な思いもあろう。ここ数日テレビも終戦関連報道が多いが、個人的には反省するには少し年が若すぎるような気がしないもない。小生より若い人たちにすれば一層のことだろう。

1941年の12月に始まった戦争、始まりは日本軍がハワイやシンガポールを陥落と極めて景気良かったそうだ。しかし半年後の1942年6月ミッドウェイ諸島海域における海軍の大敗北で局面はあっという間に反転。実態とすれば1945年8月15日まで負け戦の連続だったのかもしれぬ。国内の報道はでたらめだから実相を詳しく知る人は殆どいなかったのかもしれぬ。個人的にも父や母から当時のことを聞いた覚えが殆ど無い。

内務官僚で熊本県勤務だっただった父が海軍占領地行政官(海軍司政官)として南太平洋の島に出征したのが1942年の8月。父もミッドウェイ沖の大敗北は知らなかったようだ。当時の日本はかなりの知識人でも戦争の実情何ぞ知らなくても恥では無かったらしい。現代的に当時を振り返ればミッドウェイ海戦の責任は厳しく追及されるべきで、山本五十六大将は元帥どころか予備役に編入されても不思議は無い。ましてや後に戦死した際国葬が行われているが、安倍晋三氏の国葬儀に相通じるものを感じる。


兎に角、個人も社会も原因分析と反省が大切。これが無ければ何でもできる。現代は反省に代わって総括なる言葉がはやっている。反省も総括も時を逸しては意味が無い。

2025年8月13日水曜日

連休明け

3日間休養を取って大分すっきりした。個人的連休明けの今日書いておきたいこの夏の怪。昔日本に憧れて日本人となった小泉八雲氏が好んだ日本の怪談、夏にうってつけだと思う。昨日思ったのが、株高と世論調査での内閣支持率の高騰。識者の尤もらしい説明もあるが、日本人て人が良いのかお目出度いのか分からなくなる。どちらも個人的には無関係でどうでもいいことだ。

三日休養して良かったと思っている最大なことは。長いこと抜け出せなかった悪弊、ネット碁への深入りから抜け出せたこと。小人閑居して不善をなすの典型だった。3日間しないで済んだのだから今後しばらくやらないでいられることを期待したい。代わりに何をするかが少し心配でもあるが、読書でも散歩でも何でもいいような気がしている。探せばきっと何かが見つかるだろう。 

2025年8月12日火曜日

今日も休み

 夏休みのせいで街は人も車も少ない。小生の夏休みは今日で終わりにするつもり。

2025年8月11日月曜日

ブログ休日2日目

 一般的に今日までは3連休、中には10連休の人も多いとのこと。しかし天気が悪くて何とも不景気な<山の日>だ。

2025年8月9日土曜日

立秋過ぎて

 鹿児島県や秋田県では梅雨末期のような大雨が続いている。現地は大変だと思うが、NHKは、これもどうかと思うが、朝5時の早朝から田舎の防災無線のような放送を繰り返し放送している。ただ立秋も過ぎたせいか、今朝東京には少しばかりの涼しさが届いた。庭のドクダミが勢いを増してきたので庭師を頼もうか思案していたところ、先日隣のお婆さんが「そのくらい自分で引き抜きなさい。」と言っていたことを思い出して、久しぶりに庭の雑草取り。昨日で土地の測量立ち合いが終了したが、立ち合いの際ずっと考えていたことをごみ出しの日の今日に合わせて実行してみた次第。幸い汗もかかずに終えることが出来た。

連休ムードの来週が過ぎれば東京でも少しは秋らしくなるだろう。今日からは全国的に夏休みムード、小生も行く飯屋が休んだりするので困っている。ところが盆と無関係の外国ではビックニュースが飛び込んできた。言うだけ番町のアメリカ・トランプ大統領がいよいよロシア・プーチン大統がとアラスカで直接会談の予定が本格化してるらしい。内容は未だ明らかになっていないが、15日と言われている。戦争が終結に向かうなら結構なことだ。

国のリーダーもいろいろで、日本の石破首相は自民党内でさんざ叩かれても未だ辞めない。日本文化の特徴に<サムライの潔さ>があったと思うが、潔さでは現代政治の意思決定は難しいのだろう。小生はけち臭い話だが、JRの運賃が夏休みシーズンに割引が無いので、盆が終わってから引っ越しの報告を兼ねて墓参りに行く予定。

2025年8月8日金曜日

将来への希望

 記憶を辿れば小生が生まれたのは1940年。小学校や中学校は信州大学の付属で生徒数は少なかったが、それでも1学年200人はいた。高校は長野高校、1学年400人を超えていた。人口も1940年当時は8000万人弱、その後人口は増えて2008年に1億3千万人弱まで伸びたもののその後減り続けて現在は1億2千万人強。2050年には9千万人となると言われている。

もちろん小生にも責任の一端があることは認めなくてはならぬ。5人兄弟に生まれながら子供が二人しかいないからだ。世の中にいろいろな統計があり、名前を知っているだけのGDP(国内総生産)が世界で4位とか言われるが、人口が減り続ける中でこんなものが上向きに転じることは先ずあるまい。先の大戦で亡くなった人の数は300万人を超えると言われているが正確には分かっていない筈。

物心ついてから今日まで生活が豊かになったことは紛れもない事実。しかし働き盛りの40歳後半から下の世代は豊かさの実感は異なって当たり前。人生後半のことを含め心配は尽きぬだろう。国家の指導者層にはいろいろな年代の優秀な人物が参集している筈。議論しているテーマは多岐にわたるが、是非将来を含め根本問題に思いを寄せてもらいたい。誰かが言った「今だけ、俺だけ、金だけ」ではどうにもならぬ。

先の大戦への反省も大事、目先も大切かもしれぬ。しかし将来も考えてくれ。

2025年8月7日木曜日

夏休みムード

 今日はほぼ日本中が終日雨模様にも拘らず、東京だけは降りそうでなかなか降ってこない。雨はそれなりに厄介だが何とか気温がお裾分けのように下がって有り難かった。お裾分け繋がりで、朝一番のメールで銀行から「振り込みがありました」との通知。訝しく思って確認したら詐欺ではなくて本当の話、区からの正式な通知。理由は定かに思い出せぬが、金2万円也。働きの無い独居老人には非常に有り難いことだ。

最近は有り難い話が少ないので今日はここでやめようと思ったが、他人事ながら世相を感じたので一言余計なことを書いておく。夏休みのことだ。子供や学生が夏休みに入っているので町全体が何となく静かだ。ところが昼飯を食いに行った紀尾井町のレストランでのこと、一応ビジネス街にあって普段は普通の勤め人が多く、12時には満員状態の店だが、今日は客数が極端に少なかった。

都心のビジネス街故外国人も多い場所柄ではあるが、普段はやはり日本人が中心の店。店長曰く「日本も段々外国並みになってきましたね。因みに弊社も来週は1週間丸々休業させて頂きます。」旧盆の13~15日を考えると、12日の1日をオープンしても食材ロスの方が大きくなってしまうとのこと。来週の木曜14日は来店目的の一つである<週刊文春>も、今日発売号が合併号で来週は休刊となっている。日本人のライフスタイルも随分変わってきたものだ。そのうちに8月いっぱいは夏休みなんてことになるだろう。

2025年8月6日水曜日

原子爆弾

 例年のことではあるが、広島市の原爆被害者慰霊祭を45分間テレビで観続けた。今までは全員黙祷の際は立ち上がっていたような気がするが、今年はソファーで足を組んだままだった。原爆被害国民の一人として、日本政府の安全保障上の理由と言う屁理屈でアメリカの核政策を非難しない態度にこれまでも不愉快を禁じえなかったが、今年は何故かその思いが一層強くなったからかもしれぬ。挨拶の中では広島県知事の挨拶が一番良かった。知らなかった人なのでネットで検索すると評判は必ずしも良いとは言えない。

小生も核兵器への思いがだんだん変わってきて、核兵器の廃絶はほぼ絶望的と思い始めている。ならばどうするかだが、日本一国の思いをもっと世界に拡散するため、早いとこ欧米で核被害国が出ることを願っている。勿論復讐心もあるので、アメリカのどこかに原爆が投下されるのが一番好ましい。ワシントンやニューヨークのような大都市だと被害がどうなるか分からぬが、大ビルが林立しているので意外と人的被害が少ないかもしれぬ。

小生としても無用の都市破壊と殺人は極力低い方がよいので、最初に開発と実験が粉われたニューメキシコの平坦な田舎町でもよい。実行するのは当然ロシア、アメリカは即座に報復するだろうから被害は確実に拡大する。戦争の終息に何時間、何日、何年に及ぶかは塑像が出来ぬ。言えるのは戦争終結後に全世界の人が核廃絶をもっと真剣に考えることになるだろう。あの世が近くなると人間考えもかなり変わるものだ。

2025年8月5日火曜日

健康診断受診

 今朝は朝飯を抜いて区の健康診断を受診してきた。記憶では受診前に体温を計るか、事前に自宅で測定した値を聞かれたような記憶があったが、今年からだと思うが体温測定は無かった。何故だろう?因みに出掛ける前の測定値は35.5度。尿検査と血液検査は大病院とは異なり、数日後に郵便で紙が送られてくる。身長や体重は昨年と大差ないし、血圧は123と70だからマアマアだと思う。問題は高齢になると誰にも起きると言われる脳梗塞。こればかりは区の定期検診では分からない。

脳梗塞の特徴は身体の片側に不自由が生ずるようだが、今のところ片側が特におかしいとの自覚は無いが、安心はできないだろう。自己診断基準は睡眠の満足度、排便、排尿の量と色の確認だ。ま、昼間は無理をせずにエアコンの効いた室内で過ごし、涼しくなったら少し散歩でもしながら生きていくしかあるまい。

2025年8月4日月曜日

危険な暑さが続く

 毎日ブログで愚にもつかぬ事を書き散らしている。自らに課している生活習慣の一環なのでご容赦願いたい。生活習慣も暑さのせいか、今朝は約1時間も起床が遅れてしまった。実際に起きたのは5時だったが、いつも通りの4時とばかり思い込んで、悠々と支度を続けているうちに暫くしてちょっと変だと気がついた。つけたテレビが映し出した映像が見慣れたものと異なっていたからだ。

毎朝一番で見るのはNHK第1と決めているので、5時のニュースも6時のニュースも似たようなものだが微妙に趣が異なっている。しかし昨夜就寝前に19時台のニュースを確認しているので大体のところは変わっていない。スポーツで女子英国オープンで日本の何とかと言う選手が<優勝しそうだ>から<優秀しました>に変わったくらいだ。しかしBSの海外ニュースは6時台と8時台では明らかに異なる。6時台はBBCから始まり、シンガポール、韓国、中国、タイ、香港、オーストラリア、ベトナム、インド、カタールのアルジャジーラと幅広いが、8時台はフランスやドイツから始まり欧州関係は若干拡がりがあるが、世界規模では大分狭まってしまう。

しかしどっちにしても大したことではない。今週から8月が本格的に始まるので、夏負けせずに何をするか考えなくてはいけない。先ずは区の健康診断、この日は朝食を抜かなくてはいけない。これも厄介だが、受診の必須条件。今日は新宿で囲碁の指導を受ける日だ。帰りにはスーパーに寄って買い物もしなければならない。

これを書いている現在は未だ11時前。頭の回転が上がらないのは仕方ないが、ま、頑張って池袋駅までは歩いてみたい。

2025年8月3日日曜日

快楽の極み

 小生普段の就寝時刻はだいたい8時前後だが、土曜日の夜は9時まで高校同期生とのリモート懇談をする約束があるので、1時間遅れの9時過ぎになる。しかし不思議なことに起床時刻は普段と大差が無い。4時前には目が覚めるからよくしたものだ。歳とれば誰しも同じと思うが、楽しみは少ない筈で、小生にとって最近の最大の快楽は睡眠に他ならない。特に土曜の夜は眠気に満ちていると言うべきか、横になったらあっという間に眠り始めて、上手くいけば約4時間、悪くても3時間以上はたっぷり眠ることが出来る。

この間は夢も見ない。一旦起きて小用を済ませた後、明け方近くになると、今度は逆に夢を見ることが多い。それも最近はロマンティックなことは殆ど無くて、誰かの葬式とか病床の友人を見舞うとか目出度くも無い夢が多い。たまには誰かの婚礼とか目出度い夢でも見たいが、そうすると必ずこの世のには既にいない筈の人物が登場してしまう。そういう年頃なんだろう。

それと昨晩の懇談で思い出したが、誰かが言い出した。「今年も秋になって涼しくなったら八ヶ岳山麓でゴルフをしたい。」これにはびっくり、リゾートでのゴルフはどうしても自家用車が必要。懇談に参加している友人たちは全員自家用車を運転しているようだ。話の中では亡き友の記憶違いなんかが話題になった直後のことだ。前から思っているのだが、小生もゴルフを楽しんだ時期はある。最初の会社では社用車が与えられていたので、よく自分で運転して遠くまで出かけた。しかし今思うと、酔っ払い運転など危険なこともしたものだ。

2度目の会社では千葉県のクラブに会員登録してくれたので、早起きしてJR内房線に乗って倶楽部バスが待っている五井の駅まで何度か通ったこともある。しかし今ではもうゴルフはお腹一杯、兎に角心地よい睡眠がほしいだけだ。

2025年8月2日土曜日

基本に戻れ

 台風のお陰と言う言い方は少し変かもしれぬが、乾ききっていた庭の雑草に少し生気が蘇って来たように感じる。夢の中で土砂降りの音は轟いていたようにも思うが、熟睡していたに違いない。臨時国会が開かれたが会期は本の1日か2日、政府は口癖のように政治の停滞は許されないようなことを言うが、だったらもっと真面目に国会審議をすればいいじゃないか、不思議で仕方ない。今の石破政権を頼りなく思うのは自民党内の皆さんだけではない筈。

未だ参議院選の総括が終わらないそうだが、敗因は明らか、政治と金の問題が広く国民に浸透して「こりゃ自民党にお灸を据えなきゃいかん」と多くの人が思い始めただけのこと。この根本問題をそのままにして置く限り、如何なる政策変更でも信用が取り戻せる筈が無い。極端に言えば「今後所得税を少し上げますが、代わりに企業献金は受け取りません。」とでも言ってみたらどうか。

サラリーマンの手取りが増えないのに企業だけは内部留保を増やしている。難しい理屈は聞かなくて誰にも分ってることではないか。どう考えても金持ちを優遇して庶民からはできるだけ毟り取る、考えが余りにも明白。国家国民なんて訳の分からぬ言葉遣いはやめて、もっと社会の実態をみつめ、企業に甘かったところを修正して、政府もできる限り質素簡略化をする。これが出来れば庶民は苦しくても着いて来る筈。古来行われてきた政策の基本原理だ。

2025年8月1日金曜日

少し前のこと

 八朔と言う夏みかんがあるが、今日は正に8月の朔日。80年前の15日は天皇陛下自らがラジオ放送でポツダム宣言受諾をして、連合国側に無条件降伏を伝えたと発表した。言いたいのは近代史を考える重大な月であること。誰も明日以降のことに重大な関心を寄せることを非難するつもりは無いが、たまには過去のことに思いを馳せるのも必要ではなかろうか。物価高騰で食料品が高くなっているのは事実。嘆きたくなるのも理解できる。

小生は1940年の生まれなので1945年当時の食糧事情は詳しく記憶している。現在のガザの子ども達ほどではないだろうが、家に米が無いので野草や雑穀をよく食わされた。それでも有り難いことに栄養失調なんて病気にはなった記憶が無い。母や同居していた祖母や叔母の苦労が心にしみる。45年か翌年の46年だったか記憶が曖昧だが、ただ同居していた叔父が亡くなる間際「リンゴが食べたい」とて祖母が散々苦労したが調達できなかったことがあった。

今となれば、真冬でも夏野菜がスーパーに並び、リンゴも通年で入手可能だろう。ましてや缶詰などの加工食品であれば入手困難なんて考えられない。当時は甘いものと言えば、近くのお宅で庭に野菜を植えたりミツバチを一箱飼っている家があり、蜂蜜を舐めさせて貰った記憶が残っている。父が47年に南方から復員してきて長野県庁に就職が決まったので松代と言う田舎町から我が家は長野市に移転。その頃から赤いザラメの砂糖が配給されるようになった。これで母が作ってくれたカルメ焼きの美味かったことも忘れられない。

それでも長野は軍需工場が少なかったからだろう、戦争末期になっても空襲があったのは記憶では一晩だけ。死者は殆ど無かったのではと思っている。原爆の被災地は勿論だが、東京などの大都市における被害は酷いものだ。中国で戦時中の日本陸軍の残虐さを描いた映画「731部隊」の封切が7月31日予定だったのが延期されたとの報道もある。中国政府が来月に予定している戦勝80年記念行事との関係をどのように慮ったか知らぬが、日本の現代人は余りにも過去の戦争犯罪に無関心だ。

外国人との付き合い方が云々される現在、今日の問題も大事だろうが少し前のことを思い出している次第。