2025年8月13日水曜日

連休明け

3日間休養を取って大分すっきりした。個人的連休明けの今日書いておきたいこの夏の怪。昔日本に憧れて日本人となった小泉八雲氏が好んだ日本の怪談、夏にうってつけだと思う。昨日思ったのが、株高と世論調査での内閣支持率の高騰。識者の尤もらしい説明もあるが、日本人て人が良いのかお目出度いのか分からなくなる。どちらも個人的には無関係でどうでもいいことだ。

三日休養して良かったと思っている最大なことは。長いこと抜け出せなかった悪弊、ネット碁への深入りから抜け出せたこと。小人閑居して不善をなすの典型だった。3日間しないで済んだのだから今後しばらくやらないでいられることを期待したい。代わりに何をするかが少し心配でもあるが、読書でも散歩でも何でもいいような気がしている。探せばきっと何かが見つかるだろう。 

2025年8月12日火曜日

今日も休み

 夏休みのせいで街は人も車も少ない。小生の夏休みは今日で終わりにするつもり。

2025年8月11日月曜日

ブログ休日2日目

 一般的に今日までは3連休、中には10連休の人も多いとのこと。しかし天気が悪くて何とも不景気な<山の日>だ。

2025年8月9日土曜日

立秋過ぎて

 鹿児島県や秋田県では梅雨末期のような大雨が続いている。現地は大変だと思うが、NHKは、これもどうかと思うが、朝5時の早朝から田舎の防災無線のような放送を繰り返し放送している。ただ立秋も過ぎたせいか、今朝東京には少しばかりの涼しさが届いた。庭のドクダミが勢いを増してきたので庭師を頼もうか思案していたところ、先日隣のお婆さんが「そのくらい自分で引き抜きなさい。」と言っていたことを思い出して、久しぶりに庭の雑草取り。昨日で土地の測量立ち合いが終了したが、立ち合いの際ずっと考えていたことをごみ出しの日の今日に合わせて実行してみた次第。幸い汗もかかずに終えることが出来た。

連休ムードの来週が過ぎれば東京でも少しは秋らしくなるだろう。今日からは全国的に夏休みムード、小生も行く飯屋が休んだりするので困っている。ところが盆と無関係の外国ではビックニュースが飛び込んできた。言うだけ番町のアメリカ・トランプ大統領がいよいよロシア・プーチン大統がとアラスカで直接会談の予定が本格化してるらしい。内容は未だ明らかになっていないが、15日と言われている。戦争が終結に向かうなら結構なことだ。

国のリーダーもいろいろで、日本の石破首相は自民党内でさんざ叩かれても未だ辞めない。日本文化の特徴に<サムライの潔さ>があったと思うが、潔さでは現代政治の意思決定は難しいのだろう。小生はけち臭い話だが、JRの運賃が夏休みシーズンに割引が無いので、盆が終わってから引っ越しの報告を兼ねて墓参りに行く予定。

2025年8月8日金曜日

将来への希望

 記憶を辿れば小生が生まれたのは1940年。小学校や中学校は信州大学の付属で生徒数は少なかったが、それでも1学年200人はいた。高校は長野高校、1学年400人を超えていた。人口も1940年当時は8000万人弱、その後人口は増えて2008年に1億3千万人弱まで伸びたもののその後減り続けて現在は1億2千万人強。2050年には9千万人となると言われている。

もちろん小生にも責任の一端があることは認めなくてはならぬ。5人兄弟に生まれながら子供が二人しかいないからだ。世の中にいろいろな統計があり、名前を知っているだけのGDP(国内総生産)が世界で4位とか言われるが、人口が減り続ける中でこんなものが上向きに転じることは先ずあるまい。先の大戦で亡くなった人の数は300万人を超えると言われているが正確には分かっていない筈。

物心ついてから今日まで生活が豊かになったことは紛れもない事実。しかし働き盛りの40歳後半から下の世代は豊かさの実感は異なって当たり前。人生後半のことを含め心配は尽きぬだろう。国家の指導者層にはいろいろな年代の優秀な人物が参集している筈。議論しているテーマは多岐にわたるが、是非将来を含め根本問題に思いを寄せてもらいたい。誰かが言った「今だけ、俺だけ、金だけ」ではどうにもならぬ。

先の大戦への反省も大事、目先も大切かもしれぬ。しかし将来も考えてくれ。

2025年8月7日木曜日

夏休みムード

 今日はほぼ日本中が終日雨模様にも拘らず、東京だけは降りそうでなかなか降ってこない。雨はそれなりに厄介だが何とか気温がお裾分けのように下がって有り難かった。お裾分け繋がりで、朝一番のメールで銀行から「振り込みがありました」との通知。訝しく思って確認したら詐欺ではなくて本当の話、区からの正式な通知。理由は定かに思い出せぬが、金2万円也。働きの無い独居老人には非常に有り難いことだ。

最近は有り難い話が少ないので今日はここでやめようと思ったが、他人事ながら世相を感じたので一言余計なことを書いておく。夏休みのことだ。子供や学生が夏休みに入っているので町全体が何となく静かだ。ところが昼飯を食いに行った紀尾井町のレストランでのこと、一応ビジネス街にあって普段は普通の勤め人が多く、12時には満員状態の店だが、今日は客数が極端に少なかった。

都心のビジネス街故外国人も多い場所柄ではあるが、普段はやはり日本人が中心の店。店長曰く「日本も段々外国並みになってきましたね。因みに弊社も来週は1週間丸々休業させて頂きます。」旧盆の13~15日を考えると、12日の1日をオープンしても食材ロスの方が大きくなってしまうとのこと。来週の木曜14日は来店目的の一つである<週刊文春>も、今日発売号が合併号で来週は休刊となっている。日本人のライフスタイルも随分変わってきたものだ。そのうちに8月いっぱいは夏休みなんてことになるだろう。

2025年8月6日水曜日

原子爆弾

 例年のことではあるが、広島市の原爆被害者慰霊祭を45分間テレビで観続けた。今までは全員黙祷の際は立ち上がっていたような気がするが、今年はソファーで足を組んだままだった。原爆被害国民の一人として、日本政府の安全保障上の理由と言う屁理屈でアメリカの核政策を非難しない態度にこれまでも不愉快を禁じえなかったが、今年は何故かその思いが一層強くなったからかもしれぬ。挨拶の中では広島県知事の挨拶が一番良かった。知らなかった人なのでネットで検索すると評判は必ずしも良いとは言えない。

小生も核兵器への思いがだんだん変わってきて、核兵器の廃絶はほぼ絶望的と思い始めている。ならばどうするかだが、日本一国の思いをもっと世界に拡散するため、早いとこ欧米で核被害国が出ることを願っている。勿論復讐心もあるので、アメリカのどこかに原爆が投下されるのが一番好ましい。ワシントンやニューヨークのような大都市だと被害がどうなるか分からぬが、大ビルが林立しているので意外と人的被害が少ないかもしれぬ。

小生としても無用の都市破壊と殺人は極力低い方がよいので、最初に開発と実験が粉われたニューメキシコの平坦な田舎町でもよい。実行するのは当然ロシア、アメリカは即座に報復するだろうから被害は確実に拡大する。戦争の終息に何時間、何日、何年に及ぶかは塑像が出来ぬ。言えるのは戦争終結後に全世界の人が核廃絶をもっと真剣に考えることになるだろう。あの世が近くなると人間考えもかなり変わるものだ。

2025年8月5日火曜日

健康診断受診

 今朝は朝飯を抜いて区の健康診断を受診してきた。記憶では受診前に体温を計るか、事前に自宅で測定した値を聞かれたような記憶があったが、今年からだと思うが体温測定は無かった。何故だろう?因みに出掛ける前の測定値は35.5度。尿検査と血液検査は大病院とは異なり、数日後に郵便で紙が送られてくる。身長や体重は昨年と大差ないし、血圧は123と70だからマアマアだと思う。問題は高齢になると誰にも起きると言われる脳梗塞。こればかりは区の定期検診では分からない。

脳梗塞の特徴は身体の片側に不自由が生ずるようだが、今のところ片側が特におかしいとの自覚は無いが、安心はできないだろう。自己診断基準は睡眠の満足度、排便、排尿の量と色の確認だ。ま、昼間は無理をせずにエアコンの効いた室内で過ごし、涼しくなったら少し散歩でもしながら生きていくしかあるまい。

2025年8月4日月曜日

危険な暑さが続く

 毎日ブログで愚にもつかぬ事を書き散らしている。自らに課している生活習慣の一環なのでご容赦願いたい。生活習慣も暑さのせいか、今朝は約1時間も起床が遅れてしまった。実際に起きたのは5時だったが、いつも通りの4時とばかり思い込んで、悠々と支度を続けているうちに暫くしてちょっと変だと気がついた。つけたテレビが映し出した映像が見慣れたものと異なっていたからだ。

毎朝一番で見るのはNHK第1と決めているので、5時のニュースも6時のニュースも似たようなものだが微妙に趣が異なっている。しかし昨夜就寝前に19時台のニュースを確認しているので大体のところは変わっていない。スポーツで女子英国オープンで日本の何とかと言う選手が<優勝しそうだ>から<優秀しました>に変わったくらいだ。しかしBSの海外ニュースは6時台と8時台では明らかに異なる。6時台はBBCから始まり、シンガポール、韓国、中国、タイ、香港、オーストラリア、ベトナム、インド、カタールのアルジャジーラと幅広いが、8時台はフランスやドイツから始まり欧州関係は若干拡がりがあるが、世界規模では大分狭まってしまう。

しかしどっちにしても大したことではない。今週から8月が本格的に始まるので、夏負けせずに何をするか考えなくてはいけない。先ずは区の健康診断、この日は朝食を抜かなくてはいけない。これも厄介だが、受診の必須条件。今日は新宿で囲碁の指導を受ける日だ。帰りにはスーパーに寄って買い物もしなければならない。

これを書いている現在は未だ11時前。頭の回転が上がらないのは仕方ないが、ま、頑張って池袋駅までは歩いてみたい。

2025年8月3日日曜日

快楽の極み

 小生普段の就寝時刻はだいたい8時前後だが、土曜日の夜は9時まで高校同期生とのリモート懇談をする約束があるので、1時間遅れの9時過ぎになる。しかし不思議なことに起床時刻は普段と大差が無い。4時前には目が覚めるからよくしたものだ。歳とれば誰しも同じと思うが、楽しみは少ない筈で、小生にとって最近の最大の快楽は睡眠に他ならない。特に土曜の夜は眠気に満ちていると言うべきか、横になったらあっという間に眠り始めて、上手くいけば約4時間、悪くても3時間以上はたっぷり眠ることが出来る。

この間は夢も見ない。一旦起きて小用を済ませた後、明け方近くになると、今度は逆に夢を見ることが多い。それも最近はロマンティックなことは殆ど無くて、誰かの葬式とか病床の友人を見舞うとか目出度くも無い夢が多い。たまには誰かの婚礼とか目出度い夢でも見たいが、そうすると必ずこの世のには既にいない筈の人物が登場してしまう。そういう年頃なんだろう。

それと昨晩の懇談で思い出したが、誰かが言い出した。「今年も秋になって涼しくなったら八ヶ岳山麓でゴルフをしたい。」これにはびっくり、リゾートでのゴルフはどうしても自家用車が必要。懇談に参加している友人たちは全員自家用車を運転しているようだ。話の中では亡き友の記憶違いなんかが話題になった直後のことだ。前から思っているのだが、小生もゴルフを楽しんだ時期はある。最初の会社では社用車が与えられていたので、よく自分で運転して遠くまで出かけた。しかし今思うと、酔っ払い運転など危険なこともしたものだ。

2度目の会社では千葉県のクラブに会員登録してくれたので、早起きしてJR内房線に乗って倶楽部バスが待っている五井の駅まで何度か通ったこともある。しかし今ではもうゴルフはお腹一杯、兎に角心地よい睡眠がほしいだけだ。

2025年8月2日土曜日

基本に戻れ

 台風のお陰と言う言い方は少し変かもしれぬが、乾ききっていた庭の雑草に少し生気が蘇って来たように感じる。夢の中で土砂降りの音は轟いていたようにも思うが、熟睡していたに違いない。臨時国会が開かれたが会期は本の1日か2日、政府は口癖のように政治の停滞は許されないようなことを言うが、だったらもっと真面目に国会審議をすればいいじゃないか、不思議で仕方ない。今の石破政権を頼りなく思うのは自民党内の皆さんだけではない筈。

未だ参議院選の総括が終わらないそうだが、敗因は明らか、政治と金の問題が広く国民に浸透して「こりゃ自民党にお灸を据えなきゃいかん」と多くの人が思い始めただけのこと。この根本問題をそのままにして置く限り、如何なる政策変更でも信用が取り戻せる筈が無い。極端に言えば「今後所得税を少し上げますが、代わりに企業献金は受け取りません。」とでも言ってみたらどうか。

サラリーマンの手取りが増えないのに企業だけは内部留保を増やしている。難しい理屈は聞かなくて誰にも分ってることではないか。どう考えても金持ちを優遇して庶民からはできるだけ毟り取る、考えが余りにも明白。国家国民なんて訳の分からぬ言葉遣いはやめて、もっと社会の実態をみつめ、企業に甘かったところを修正して、政府もできる限り質素簡略化をする。これが出来れば庶民は苦しくても着いて来る筈。古来行われてきた政策の基本原理だ。

2025年8月1日金曜日

少し前のこと

 八朔と言う夏みかんがあるが、今日は正に8月の朔日。80年前の15日は天皇陛下自らがラジオ放送でポツダム宣言受諾をして、連合国側に無条件降伏を伝えたと発表した。言いたいのは近代史を考える重大な月であること。誰も明日以降のことに重大な関心を寄せることを非難するつもりは無いが、たまには過去のことに思いを馳せるのも必要ではなかろうか。物価高騰で食料品が高くなっているのは事実。嘆きたくなるのも理解できる。

小生は1940年の生まれなので1945年当時の食糧事情は詳しく記憶している。現在のガザの子ども達ほどではないだろうが、家に米が無いので野草や雑穀をよく食わされた。それでも有り難いことに栄養失調なんて病気にはなった記憶が無い。母や同居していた祖母や叔母の苦労が心にしみる。45年か翌年の46年だったか記憶が曖昧だが、ただ同居していた叔父が亡くなる間際「リンゴが食べたい」とて祖母が散々苦労したが調達できなかったことがあった。

今となれば、真冬でも夏野菜がスーパーに並び、リンゴも通年で入手可能だろう。ましてや缶詰などの加工食品であれば入手困難なんて考えられない。当時は甘いものと言えば、近くのお宅で庭に野菜を植えたりミツバチを一箱飼っている家があり、蜂蜜を舐めさせて貰った記憶が残っている。父が47年に南方から復員してきて長野県庁に就職が決まったので松代と言う田舎町から我が家は長野市に移転。その頃から赤いザラメの砂糖が配給されるようになった。これで母が作ってくれたカルメ焼きの美味かったことも忘れられない。

それでも長野は軍需工場が少なかったからだろう、戦争末期になっても空襲があったのは記憶では一晩だけ。死者は殆ど無かったのではと思っている。原爆の被災地は勿論だが、東京などの大都市における被害は酷いものだ。中国で戦時中の日本陸軍の残虐さを描いた映画「731部隊」の封切が7月31日予定だったのが延期されたとの報道もある。中国政府が来月に予定している戦勝80年記念行事との関係をどのように慮ったか知らぬが、日本の現代人は余りにも過去の戦争犯罪に無関心だ。

外国人との付き合い方が云々される現在、今日の問題も大事だろうが少し前のことを思い出している次第。