2009年10月7日水曜日

クリエイティビティー

「クオリティー・オブ・ライフ」と言う言葉を初めて聞いたのは、昭和51年(1976年)米国西海岸にあるスタンフォード・リサーチ・インスティテュートなるシンクタンクで何かのセミナーに参加した時のことだ。某民間放送の招待とは言え私がアメリカ旅行をするぐらいだから、日本人全体の生活も経済的にかなりゆとりが出始めていたと思う。意味が良く理解できない私に講師が更に説明を加えてくれた。要は「これからは経済的な豊かさだけではなくて、生活にクリエイティビティーが求められるようになるのです。」この説明を聞いてますます混乱した記憶が鮮明に残っている。

未だに生活は毎日同じ事の繰り返しで、あまりクリエイティブではない。しかし非常に稀な事ではあるが、今日は国立新美術館に行って展覧会を見てきた。一陽展に長野の山友が入選したので見に行ったのだ。平日で雨模様なのに結構な人は入っている。とは言っても上野の国宝○○展なんかに比べるとゆっくり鑑賞できるのが良い。1階から2階にかけて確か16個ほどのブースに沢山の絵画や彫刻が展示されている。これほどクリエイティブな空間は無いだろう。

普段はカレンダーの絵ぐらいしか見ていないので、先ずその壮観大きさに圧倒される。どの絵もそれなりに面白い。どの絵を見ても色がきれいだ。いろんな賞が貼りつけてある作品は成程と思うのもあるし、どこが評価されたのかよく分からないものあった。いつも思うのだが私は抽象的な絵画や彫刻の良さが殆ど理解できない。どうすればこんな状況をイメージし、且つ表現出来るのかとタイトルと作品を見比べていつも首をひねってしまう。クリエイティビティーに縁無き者は考える事が浅ましい。

そしてまた余計なお世話だろうが次の2点も心配になって来る。作者はこの絵を何処で描いているのだろうか?この絵を何処に飾るのかな?又はどのように保管するのだろう?友人の絵も展覧会場で見ていると決して大きい方ではないが(それでも100号)我が家の食卓より大きく見える。ここで時間をたっぷり過ごす事が出来たのは楽しかったが、これだけの絵を飾れる壁空間のある家って日本にどれくらいあるかなぁ、なんて余計な事をすぐ考えてしまうのだ。

2009年10月6日火曜日

偶然・・こういう事もある

朝から冷たい雨が降っているので外出すのが億劫になる人が多いだろう、と勝手に決め込み、友人が出展している作品を観るために昼休みに国立新美術館に出かけた。地下鉄も空いていたし、乃木坂のホームを歩いて行ても殆ど人が居ない。しめしめと思いながら改札に掛ると「本日国立新美術館は休館日です」と言う看板が掲示されている。またまた得意のがってん太郎をやってしまった。ここに来るまで地下鉄で2度も乗り換えるので結構な距離があり階段も多い。

健康のための散歩だったと思って引き返す際に飯田橋から乗った地下鉄有楽町線、中吊り広告を見るために一駅立っていたが、空いているので腰を下ろそうと思ってベンチによると目の前の女性が少し身をずらしてくれた。何気なく座ったが、トンネルに入って窓に映し出される隣の女性を見ているとどこかで会ったような気がする。そしてすぐに気がついたのだが、先日の選挙で投票した民主党の議員だ。よく分からないのだが襟に何か光るバッジをつけているようでもある。

ところが投票しておきながら肝心の名前が思い出せない。池袋の一駅前の東池袋のホームに入った時に思い切って声を掛けた。「人違いでしたら済みません。もしかして民主党の・・?」案の定すかさず「そうです。江端です。」と答えてくれた。「やっぱり!先日はあなたに投票しましたよ。」「それはありがとうございます。」名刺を交換したら家も近いらしい。すぐ電車が動き出して次の池袋で互いに下車して改札で別れるまでの1分か2分の事である。

「4年後になるか、相手も死に物狂いで掛ってくるでしょうから次が大変でしょう、頑張ってください。」「はい、今回も自民党の根強さが良く分かりました。頑張ります。」安っぽいカバンと500円のビニール傘を持った何処にも居そうな普通のおばさんだったが少し上品だったかな、印象は悪くなかった。ライバル小池百合子地下鉄で遭遇する事は金輪際ないだろうが、遭遇しても声はかけなかったろう。

2009年10月2日金曜日

平野 貞夫 著 「わが友・小沢一郎 」

ネット上で著者については毀誉褒貶半ばするとまでは言わぬが、結構批判的な意見も多い。しかしこれを読む限り、著者の小沢氏に対する思い入れは本物であるような気もする。

小沢一郎と言う人物は原則を重んじはするが単なる原理主義者ではないし、非情のように見られがちだが情にも結構厚いようだ。何よりも日本に議会制民主主義を根付かせる事に全身全霊で打ち込んでいる数少ない政治家の一人である事が伺える。何事も相当緻密に考え、準備を周到にしているのだろう。

我がままで傲慢と見られるのは言い訳を一切しない故みたいだ。どこまで信ずべきかは分からないが、全て信じたい。性格的に共感するところが多いせいかな?

2009年9月30日水曜日

308議席の危険性

小沢一郎の盟友で平野貞夫と言う人が居て、彼とサンデープロジェクトのレギュラー出演者の高野孟と対談を聞いた。この中で平野が面白い事を言っている。一番面白かったのは敵は常に身内に有りと言う事で、細川政権を潰したのは武村正義だというのだ。彼は小沢が8党派を纏めた時に総理にしてもらえると思っていたらしい。それが細川に行ってしまったので野中広務なんかと組んで政治改革を止めてしまったのだそうだ。従って彼は今でも正義漢面をして、小沢二重権力構造をしきりに吹聴しているのだそうだ。

これを別にすると、民主党の大量獲得議席への危険性について警鐘を乱打している。理由の一つは権力の不正な行使である。今回の選挙について、自公政権に対する国民の不満は多々あったろうが、選挙直前で小沢の秘書を逮捕した事。もしこれが無くて小沢と戦っていれば、麻生氏もこれほど負ける事はなかった筈。又、小沢の秘書逮捕の後に出てきた自民党側の同じ問題に検察が同様の対応をしていたならば、これ又そう簡単には負けなかったろう。

更に、参議院で与野党の勢力逆転したにも拘らず、自公政権は衆議院での再可決を繰り返した。この事で国民は自公政権の権力行使の仕方に非常に危険なものを感じ取った筈だ。マスコミの分析には出てこないが、それが今度の大敗に直結している事を理解しなければいけない。民主党はこの事を良く良く弁えないととんでもない事になる。

二つ目の理由、民主党の議員は若くて優秀とされる人が多いが、政治家としての発想と感性に欠けるきらいがある。換言すると民主党は脱官僚依存政治をうたいながら、最も官僚的な政党であるとも言える。何とか塾とか、外資とか、官庁とかから出てきた優秀とされる人間が多いが、これが殆ど偏差値教育で培養されてきた人種なので、論理的ではあるが人間の機微に疎いのが心配である。

今朝も婆さんと岡田外相について話をした。以下の事をテレビで放送していたらしい「岡田さんは常に割り勘、誕生日とかにワインを貰っても送料を添えて送り返すそうだ。周辺が心配して、酒席で女性を両脇に侍らすよう段取りしても、これを全く無視して無粋な話に終始してしまった。第一お金持ちでありながら若い時から決してぜいたくはさせてもらえなかった。」との事だ。

今朝我が家では、家の爺さんや麻生氏と違って真面目なのは大いに結構じゃないかと言う話だったのだが、平野氏に言わせると<乳母日傘で育ち、命を賭けたような恋愛もした事が無い人間>これが怖いのだそうだ。面白い話だったので早速本屋に行って彼の「わが友・小沢一郎」を買ってきた。

2009年9月28日月曜日

新政権発足

民主党に政権が移行したお陰で実に様々な事が見え始めている。今までと言っては悪いかも知れないが、少なくともここ10数年、特に森内閣以降ぐらいの政権与党はいったい何をやって来たのだろう?極端に言えば官僚の言いなりになって、国民のためには何もしてこなかったようなものだろう。官僚は企業と同じようなもので組織の存続が自己目的化してしている事は言うまでも無い。

企業が存続を図るには市場の変化に柔軟に対応する必要があるが、役所は国民生活の実態を観察するより政治家の鼻息や顔色を窺っていさえすればいいのだ。民主党の最高顧問渡辺恒三がいみじくも「嘗て最初に厚生大臣を拝命したが、仕事は厚生省の国会対策委員長のようなものだった。」とテレビで語っていた。政治家は国民のためでなく役人のために存在していたのだろう。

更にこの上にどう仕様も無いマスメディアの存在がある。田原総一郎が番組の中で政治家亀井静香に対して「あんた達は権力をもっているが、私たちは何も無い。聞く権利だけが我々に付与されている唯一の権利だ。」と偉そうに言っていたが、なれ合いの猿芝居の中で何をほざくかと全く笑わせてくれる。国民を一定の方向に誘導すると言う意味で、今やテレビメディアに生きている人間は、田原なんかは特にそうだが自分は最大の権力者と内心思っている筈である。

確かにこれまで私のような愚民は新聞やテレビにかなりミスリードされてきた事は事実として否定できない。しかし、最近新政権の閣僚やそのスタッフがテレビカメラの前で、「私たちはまだそんな数字を発表していません、又は、私たちは現在こういった方向で作業中でこのように考えています。」と堂々としゃべり司会者を慌てさせる場面が多くなった。内閣の記者会見をオープンにすると言っていた事も外務省を筆頭に実現しそうな雰囲気でもある。

これまでメディアに出てくる人間は、自分だけがファーストハンドの情報を豊富に持っていて、その一端をここで披瀝すれば・・・・と言う事でもったいをつけて偉そうにしていた。数日前インターネットの情報で、田中良紹が「なぜ記者はバカになるのか」について面白い事を書いている。

>以下省略して引用
「記者って何であんなバカな質問ばかりするのですか」と聞かれた。
前に「頭が悪くないと新聞やテレビの記者にはなれない」とコラムに書いた私は、「だから新聞やテレビの報道を信ずる方がおかしいのです。新聞やテレビを見ないようにして、潰れる寸前まで行かせないと、彼らはまともにはなれないのです」と答える事にしている。
当たり前の話だが、高給の記者が真面目に仕事をするはずはない。嫌われても他人と競争をし、リス   クを犯して真相に迫るより、右を見て左を見て、みんなと同じ事をした方がずっと楽だ。世間が羨ましがる地位と収入を捨ててまで危険な事はしたくない。何よりも記者はサラリーマンなのである。

現在でも八場ダムの工事中止なんかについては偏重報道が相変わらず続いている。インターネットで新聞テレビが報道しない情報を見ていると以下の記事があった。

>以下省略して引用
これはかつて長妻昭=厚労省が07年に国交省から得た資料として公表して話題になった数字だが、今になって改めてこのように報じられると再度驚いて、「これじゃあ簡単には建設を止められないわけだよな」と妙に納得してしまった。
(財)国土技術センター、(財)ダム水源地環境整備センター、(財)ダム技術センターなど八ッ場ダムに関わる公益法人7団体に04年現在で25人、同ダムの建設工事を落札した土建会社やコンサルタント会社など企業37社に03〜05年の間に52人、さらに随意契約業者57社には99人、合計176人の国交省OBが天下っているという。これは、04年前後の数年間でそうだったという話だから、発端から57年も経っている長い歴史の中で一体何人の天下り官僚がこの愚劣極まりない計画でメシを食ってきたのだろうか。恐らく1000人は下るまい。

政権交代で政治家の動きは徐々に変わり始めている。メディアも反省をして変わってほしいものだ。

2009年9月24日木曜日

上高地から奥穂高岳に


今朝は天気も日本晴れで実に気持ちが良い。と言うのは昨日までの5連休をフルに使って北アルプスの奥穂岳まで行って無事帰ってきたからだ。山に行くとき一人で出かけるのは慣れているとは言っても、流石に穂高連峰の最高峰で、しかも初めてとなると余り気安く行けない。先日鹿島槍で世話になった青年に計画を示して教えを乞うた。彼が計画を年寄り向きに修正してくれたり他にもいろいろアドバイスをくれた。特に大事な事は、先週の甲斐駒の時のように道を間違えた時には必ず元に戻る事、路線変更をしない事である。これが実に役に立ったし、山小屋の会話でも同じ事が常に話題になっていた。

19日、予想通りに台風は日本を直撃することなく小笠原から北に進路を取ったので朝から快晴。列車や19日の上高地アルペンホテルと20日の山小屋の予約は先週の水曜日だったが運良く全て予約が取れた。但し20日の涸沢小屋は、120定員の所既に200人は予約が入っているのを承知で来てくれとの事。3泊目の穂高岳山荘は予約を受けないシステムのようなので、これは予約なし。帰りの列車も指定は取らずに自由席特急券にしておく。この日は昼過ぎに予定通り順調にホテルに到着、チェックインには時間が早すぎたので上高地を散策、明日から目指す穂高の山並みが美しいがどれが奥穂なのかは分からない。ただ頂きの高さには圧倒され、あんなところに登るのかと思うといささか不思議な感じもする。

20日早朝、昨日貰った弁当を暗いホールでそそくさと済ませ、明るくなってきた6時前に出発。横尾橋までは何度も歩いているので勝手が分かるが、そこから先は未知の世界。横尾橋で軽いトイレ休憩をしただけで兎に角黙々と歩き続ける。基本的に平坦であれば2時間、山道は50分で10分休憩が理想的なペースだが、調子が良いので少しペースが速かったかもしれない。横尾橋から小1時間で本格的登りになる本谷橋と言うポイントがあり、ここで一息とガイドブックにあったが余りに人が多いのでここもパス、10:30頃には涸沢の裾に着いてしまった。穂高連峰に少しは近づいている筈だが、標高差は益々大きく感じる。

更に1時間ちょっと、11:30には涸沢小屋に到着チェックインをする。今日初めての客のようである。今回の山行きでしみじみ思うのは、山小屋は出来るだけ早い時間にチェックインをするのが何かと都合が良い事だ。この日も結果的に相当な混雑になるのだが、早いチェックインのお陰で比較的良い場所が確保できて、先ずはテラスでのんびり昼前から生ビールを呷る。隣のテーブルに居た女性に記念写真のシャッタを切ってもらう。彼女は今朝6時夜行バスで上高地に着いて、明日北穂高に登るのだそうだ。暫くするとぞくぞくと登山者が登って来る。混み合う前に入口に近い場所の指定の布団でにゆっくり骨休めが出来た。 夜は布団1枚に二人と言う感じ。予約無しの人は布団1枚に3人以上だったようだ。

21日、朝から無風快晴。既に暗いうちからヘッドライトを頼りに出発する人が多い。兎に角冒険をしてはいけないので、6時少し前の明るくなるのを待って出発。寒さもそれほどではない、少なくともタイツやステテコもはかず、Tシャツも半袖のままで上に木綿のシャツと薄いヤッケを1枚羽織るだけで十分だった。7:30には穂高岳山荘に到着、すぐにチェックイン。番頭さんが宿泊料を1000円上積みすると、「特別な個室で布団1枚確保できるサービスがあります。」との事。勿論そうしてもらう。

これが実は大正解。当日は大変な混雑になるのだが、このサービスを受ける事が出来たのは僅かに13人、内4人は連泊の人だから実質9人しかいない。この日の宿泊人数はどうやら700人(定員の3倍以上?)を超えていたようである。経験者でないとこの混みようは想像が難しいだろう。夜になると廊下から食堂まで人間と荷物で足の踏み場が無くなるのだ。ともあれ、部屋の扉から他と違う誰もいない個室に入ってゆっくりと頂上アタックの準備、と言ってもサブザックに水と食料と雨合羽を詰め替えるだけ。

7:45分山頂アタックを開始する。アタックと言う言葉に相応しく最初から梯子などが出てきて、狭くてきつい登りから始まる。既にここは相当な混雑で、山荘の横で順番を待つ必要がある。順番待ちで前を見ると昨日涸沢小屋で写真を撮り合った女性が立っている。確か昨日は一人で「明日は北穂に行きます。」と言っていた人だ。お互い顔を合わせてびっくり、「思い切ってこちらに来てしまいました。」との事。この人、昨日の話ではかなり山に行っているようだし、コースを変更するところなんか誰かに似ている。追い越し禁止道路を行くようなものなので、喋りながら一緒に行くが歩き方が全然力強い。約1時間ほどで山頂、又昨日のように写真を撮り合う。


山頂から360度の景色はもう何とも言えない壮観だ。水分を補給したり甘いものを食べたりしながら北アルプス最高地点からの眺望を心行くまで楽しむ。この時の気分は何と表現していいか分からない。二人で話をしたりしていると、何かの拍子にもう一人青年が話に入って来た。彼も山に一人で来ている口だ。山はすぐに友達が出来る。彼ら二人は涸沢にザックを置いてきているので、今夜は彼の方は涸沢ヒュッテに彼女は涸沢小屋に戻る予定だそうだ。兎に角穂高岳山荘まで3人して一緒に降り、山荘のテラスでのんびり話している時のことだ。突然「ラクー!」と言う大声が響く。

声の方を見ると、一抱えほどの大岩石が音と共に登山者の列のすぐ脇を落ちてくる。どの辺から落ち始まったかは確認していない。見た時は最後の一瞬であるが、この岩が直登の列の一番下に居た人の方に寄って来た。正に目を覆いたくなったが、狙われたその人は一瞬体をひねったようで、倒れはしたが直撃は避けたように見えた。どんな大騒ぎなるかと思ったが、周りは意外にシーンとしている。思わず「事故が発生だぁ。」と小屋に向かって大声を上げてしまった。それでやっとと言う感じで番頭が出て来て、登山者の列に声をかけていたが、倒れた人は自力で起きたようで番頭はそこまで登ってい行かない。

3人してこの事件を見ていたのは時間にすれば10分程の事だったかも知れない。暫くすると倒れた人より少し上から女性が3人、腕から出血している人が二人に両脇を抱えられて降りてきた。倒れた男性が降りてこないうちに再び列が動き出す。眼鏡を必要としない若い二人も「あの人もどうやら登り始めたようだ。」との事。しかし私には凄いショックだった。夜になって分かるのだが、山荘のテラスで大勢見ていた人の中で。同室の一人、高知県から来たおじさんが山頂アタックを取りやめたとの事だった。もし私も同じ立場にいたらそうしただろう。個室の夜の懇談ではこのルートは槍ヶ岳や剣岳(実は行った事が無い)のように登り降りを別にすべきだ、と言う事で意見が一致。一人が早速小屋に掛け合いに出かけたが超満員の状況で相手にして貰えなかった。

昼近くになったので二人は涸沢に降る事になり、部屋に戻ると隣の布団に新たに二人の客が寝ていた。暫くして一人起きて来て互に挨拶、正に文字通りの四方山話を始める。この方は東京の開業医で同行しいるのは大学2年生の息子さんで、初めての親子登山との事。大学時代は毎年夏に徳沢にある大学の診療所に来ていたので、この辺は良くご存じのようだ。しかも先月も一人で奥穂に来て例のヘリコプター墜落現場のジャンダルム迄行って来たとの事。互にこの特等室に入る事が出来た事を喜び合う。山の事ばかりでなく、先生は医療行政に関する現場からの意見を述べて、小泉竹中路線のご粗末さなどについても二人の意見が一致して大いに盛り上がる。

夕方になると先に述べた高知県からの単独登山者に石川県からの単独登山者が加わる。更に夕方遅くに凄い大きな荷物を背負ったご夫婦が入室。プロの写真家で今日はジャンダルムに三脚を立てて笠が岳の写真を撮ってきたとの事。経験からジャンダルムへの危険性よく知っているお医者さんが感嘆の声を上げる。又この先生がアマチュアながら大の写真好き、プロの道具を手に取らせて貰い、同じニコン派と言いう事で、また意気投合してカメラ談議で盛り上がる。後から入って来たもう一人は岡山県の人だったが、これ又写真好きで、話がそっちで益々盛り上がった。この岡山の人は昼前の落石事故の折に現場に居あわせ、落石そのものではないが、はじかれた礫を受け顔面を負傷、絆創膏で応急手当をして、奥穂と更にジャンダルム迄足を伸ばしてきたとの事。早速お医者さんが抗生物質や化膿止めを投薬。

小屋全体は火事場のような騒ぎになっているが、この部屋だけは別世界で、余裕をもって全員が和気藹藹で楽しい語りが続く。更にその後、娘さん一人を連れたご夫婦が登場するが、早速に2段ベッドの上で固まって身繕いをして下には降りてこなかった。残り二人分が空いているのだが5時前になると夕食のアナウンス、これもこの部屋がトップに呼ばれる。部屋から出ると廊下も足の踏み場がない程で、昼サービスに使っている食堂から土間、懇談室に至るまで人が溢れて疲れたような顔をした人達がボーと座っている。まだチェックインが出来ない人もいるようだ。恐らく今夜の夕食は9時過ぎまで掛るだろうと言う声も聞こえる。その後食堂を片づけて、遅くチェックインした人の寝るスペースを作るのだそうだ。

夕食がすんで真っ暗になってから夫婦一組が入ってきた。岐阜県から来た連泊組で「昨日北穂からここまで来て1泊、今日は前穂まで往復してきました。」これで山好き11人が揃った事になる。皆それぞれベテランだから、話を聞いていると面白い。こちらは隣のお医者さん親子に明日一緒に降ってくれと頼んで、その上に筋肉を和らげる精神安定剤まで貰って早々に寝てしまった。小さいながらも布団一組が確保されているので、山小屋とは思えないほど十分な睡眠をとる事になった。

22日、雨が今にも降りそうな気配。降り始める前に比較的山荘に近いザイテングラード(支稜線・支尾根)なる難所を越してしまおうと衆議一決、3人で6時に出発。お医者さんが荷物を置いてある涸沢ヒュッテを目指す。丁度ヒュッテ直前で雨が本格的に降ってきたので、ヒュッテで雨合羽を完全装備、上高地に向かう。道を急いで12:30上高地の合羽橋に到着。お医者さん親子は今夜は帝国ホテルを予約しているが、チェックインには少し早いと言う事で弁当を広げる。こちらも残りものを食ったりしながらストックをしまったりして一休み。お医者さんは、「明日11時にタクシーを呼んでいますから松本まで一緒にいかがですか」と親切なお話。勿論喜んでお願いをする。

彼らと別れて、大勢の観光客の中をぶらぶらと上高地アルペンホテルに向かって歩いてくると、すれ違いの中から「おやっ、また!」と声を掛けられる。何と昨日奥穂で一緒になったお二人さんではないか。二人は涸沢を我々と同じような時刻に出発して早くにここに到着、風呂で汗を流してバス待ちの時間つぶしに同じくぶらぶらしていたらしい。偶然とは言えチェックインするホテルの直前で出会うとはご縁ですね、3分違っていたら永遠のすれ違いでした。互に時間がたっぷりあるので、昨日撮らなかった互いの写真を撮り合い。青年が名刺を呉れたのでこちらも名刺をお渡しする。女性は名刺が無いのでメールで写真を送ると言ってくれた。

兎に角天気に恵まれ、楽しい人達との出会いがあり素晴らしい登山であった。その夜ホテルで相部屋、食事が同じテーブルになった青年は博多の人で奥穂から西穂経由で降りてきたとの事。流石に日本アルプスと言うだけあって、ここは全国から山好きが集まってくる事が良く分かる。23日は11時にお医者さんが呼んだタクシーに同乗、松本には1時間ちょっとで到着、指定は勿論終日満席だが丁度12:57分発のスーパーあずさに楽勝で席を確保、4時には無事帰宅した。帰宅が早かったし、夕べホテルで十分休んで疲れも無く体の調子が良いので、いつも婆さんにしてもらっている靴洗いを、自分ですると言ったら婆さんがびっくりしていた。

65歳から山登りを始めて5年、今度の山行きで山登りが少し分かったと言うか、己の考え方が大分変ったような気がする。山荘でお医者さんの息子さんから「山登りは何で楽しいのですか?」と聞かれ改めて考えた。取りあえずは「山に来ると英気と言うか、いわゆる新鮮な気が貰えるからです。」と答え「なるほど癒しみたいものですね。」この場はこの程度の会話で終わった。

上手く説明は出来ないが、山歩きは心身の健康上一番と言えるほど年寄りにとっても楽しいレジャーであるのは間違いない、来年春70歳の坂を越しても折を見て続けたい。しかし・・・・・・・楽しさの裏に潜む危険も併せて考えなければいけない。
思えば一昨年も昨年も自分自身危険な目にあっているではないか、今年は自身では辛うじて難を逃れているが、7月針の木雪渓での同行者の事故と今回の事故目撃(気丈に降りてきたおばさんが、1時間後には小屋で青い顔をして横たわっていた姿が目に焼き付いている)が記憶に新しい。一人歩きは、いろんな人と友達になれて、車に同乗させてもらえるようなメリットもあるので止める心算も無いが、全て自己責任である事だけは肝に銘じ、今後は次の3カ条を順守したい。

1.これからは危険度の高い山、難しいとされる山や場所には近づかない事にする。
2.縦走など体力的にきつく無理な計画をしない。 年相応の計画を作る事。
3.必ず山頂を目指すと言う考えはしない。

今年はもうそんなに山に行く機会は多くないだろう、と今は思うが。5月に田舎の従弟が、刈り取りが済んだら蓼科山に誘うよ、と言ってくれたが約束は果たされるのだろうか?後は整体の担当者が来月奥多摩のどこか一緒に行きませんか?があったな。昨日婆さんが「10月の連休はどこに行くのですか?紅葉はこの辺ではどこが良いの?」と聞いていた。「碁会所の大会を2カ月連続でさぼっているしなぁ」と生返事をしたが、まだ今年は2か月近くシーズンが残っている。でも今日のように爽やかな秋日和はどのくらいあるのかな?

2009年9月16日水曜日

馬鹿は死ななきゃ直らない

今日は鳩山内閣が正式に発足した。日本の将来にとってハッピーな日である事を心から祈る。鳩山氏にある種の爽やかさを感じるのは小生だけだろうか?今朝も婆さんと話したのだが、雑誌文芸春秋10月号の記事によると、鳩山さんは政策立案能力に欠けるような事を言っている。しかしそんな事はどうでも良いではないか。民主党には政策通が可なり居るようにも見える。政党リーダーに必要な資質は政策立案能力ではなくて統率力だろう。剛腕と言われる小沢氏を取り込んでいるだけでも評価したい。尤も小沢氏に言わせれば、彼が鳩山氏を取り込んでいると言う事だろう。

この日にしたり顔で政権担当能力を云々するコメンテータがいたが、よく言うものだ。国民が選択した内閣ではないか、嘘でもいいから一国民として祝いがなぜ言えぬ?

もう一言言っておきたいのは麻生内閣の引き際の醜さ。およそ日本人の美学からは隔絶した立ち居振る舞いは何とも言いようがない。これまでの1年間、日本人としてはなにかマンガか冗談の世界で弄ばれたような気がして空しい限りだ。本当に馬鹿は死ななきゃ直らない。