今朝は天気も日本晴れで実に気持ちが良い。と言うのは昨日までの5連休をフルに使って北アルプスの奥穂岳まで行って無事帰ってきたからだ。山に行くとき一人で出かけるのは慣れているとは言っても、流石に穂高連峰の最高峰で、しかも初めてとなると余り気安く行けない。先日鹿島槍で世話になった青年に計画を示して教えを乞うた。彼が計画を年寄り向きに修正してくれたり他にもいろいろアドバイスをくれた。特に大事な事は、先週の甲斐駒の時のように道を間違えた時には必ず元に戻る事、路線変更をしない事である。これが実に役に立ったし、山小屋の会話でも同じ事が常に話題になっていた。
19日、予想通りに台風は日本を直撃することなく小笠原から北に進路を取ったので朝から快晴。列車や19日の上高地アルペンホテルと20日の山小屋の予約は先週の水曜日だったが運良く全て予約が取れた。但し20日の涸沢小屋は、120定員の所既に200人は予約が入っているのを承知で来てくれとの事。3泊目の穂高岳山荘は予約を受けないシステムのようなので、これは予約なし。帰りの列車も指定は取らずに自由席特急券にしておく。この日は昼過ぎに予定通り順調にホテルに到着、チェックインには時間が早すぎたので上高地を散策、明日から目指す穂高の山並みが美しいがどれが奥穂なのかは分からない。ただ頂きの高さには圧倒され、あんなところに登るのかと思うといささか不思議な感じもする。
20日早朝、昨日貰った弁当を暗いホールでそそくさと済ませ、明るくなってきた6時前に出発。横尾橋までは何度も歩いているので勝手が分かるが、そこから先は未知の世界。横尾橋で軽いトイレ休憩をしただけで兎に角黙々と歩き続ける。基本的に平坦であれば2時間、山道は50分で10分休憩が理想的なペースだが、調子が良いので少しペースが速かったかもしれない。横尾橋から小1時間で本格的登りになる本谷橋と言うポイントがあり、ここで一息とガイドブックにあったが余りに人が多いのでここもパス、10:30頃には涸沢の裾に着いてしまった。穂高連峰に少しは近づいている筈だが、標高差は益々大きく感じる。
更に1時間ちょっと、11:30には涸沢小屋に到着チェックインをする。今日初めての客のようである。今回の山行きでしみじみ思うのは、山小屋は出来るだけ早い時間にチェックインをするのが何かと都合が良い事だ。この日も結果的に相当な混雑になるのだが、早いチェックインのお陰で比較的良い場所が確保できて、先ずはテラスでのんびり昼前から生ビールを呷る。隣のテーブルに居た女性に記念写真のシャッタを切ってもらう。彼女は今朝6時夜行バスで上高地に着いて、明日北穂高に登るのだそうだ。暫くするとぞくぞくと登山者が登って来る。混み合う前に入口に近い場所の指定の布団でにゆっくり骨休めが出来た。 夜は布団1枚に二人と言う感じ。予約無しの人は布団1枚に3人以上だったようだ。
21日、朝から無風快晴。既に暗いうちからヘッドライトを頼りに出発する人が多い。兎に角冒険をしてはいけないので、6時少し前の明るくなるのを待って出発。寒さもそれほどではない、少なくともタイツやステテコもはかず、Tシャツも半袖のままで上に木綿のシャツと薄いヤッケを1枚羽織るだけで十分だった。7:30には穂高岳山荘に到着、すぐにチェックイン。番頭さんが宿泊料を1000円上積みすると、「特別な個室で布団1枚確保できるサービスがあります。」との事。勿論そうしてもらう。
これが実は大正解。当日は大変な混雑になるのだが、このサービスを受ける事が出来たのは僅かに13人、内4人は連泊の人だから実質9人しかいない。この日の宿泊人数はどうやら700人(定員の3倍以上?)を超えていたようである。経験者でないとこの混みようは想像が難しいだろう。夜になると廊下から食堂まで人間と荷物で足の踏み場が無くなるのだ。ともあれ、部屋の扉から他と違う誰もいない個室に入ってゆっくりと頂上アタックの準備、と言ってもサブザックに水と食料と雨合羽を詰め替えるだけ。
7:45分山頂アタックを開始する。アタックと言う言葉に相応しく最初から梯子などが出てきて、狭くてきつい登りから始まる。既にここは相当な混雑で、山荘の横で順番を待つ必要がある。順番待ちで前を見ると昨日涸沢小屋で写真を撮り合った女性が立っている。確か昨日は一人で「明日は北穂に行きます。」と言っていた人だ。お互い顔を合わせてびっくり、「思い切ってこちらに来てしまいました。」との事。この人、昨日の話ではかなり山に行っているようだし、コースを変更するところなんか誰かに似ている。追い越し禁止道路を行くようなものなので、喋りながら一緒に行くが歩き方が全然力強い。約1時間ほどで山頂、又昨日のように写真を撮り合う。
山頂から360度の景色はもう何とも言えない壮観だ。水分を補給したり甘いものを食べたりしながら北アルプス最高地点からの眺望を心行くまで楽しむ。この時の気分は何と表現していいか分からない。二人で話をしたりしていると、何かの拍子にもう一人青年が話に入って来た。彼も山に一人で来ている口だ。山はすぐに友達が出来る。彼ら二人は涸沢にザックを置いてきているので、今夜は彼の方は涸沢ヒュッテに彼女は涸沢小屋に戻る予定だそうだ。兎に角穂高岳山荘まで3人して一緒に降り、山荘のテラスでのんびり話している時のことだ。突然「ラクー!」と言う大声が響く。
声の方を見ると、一抱えほどの大岩石が音と共に登山者の列のすぐ脇を落ちてくる。どの辺から落ち始まったかは確認していない。見た時は最後の一瞬であるが、この岩が直登の列の一番下に居た人の方に寄って来た。正に目を覆いたくなったが、狙われたその人は一瞬体をひねったようで、倒れはしたが直撃は避けたように見えた。どんな大騒ぎなるかと思ったが、周りは意外にシーンとしている。思わず「事故が発生だぁ。」と小屋に向かって大声を上げてしまった。それでやっとと言う感じで番頭が出て来て、登山者の列に声をかけていたが、倒れた人は自力で起きたようで番頭はそこまで登ってい行かない。
3人してこの事件を見ていたのは時間にすれば10分程の事だったかも知れない。暫くすると倒れた人より少し上から女性が3人、腕から出血している人が二人に両脇を抱えられて降りてきた。倒れた男性が降りてこないうちに再び列が動き出す。眼鏡を必要としない若い二人も「あの人もどうやら登り始めたようだ。」との事。しかし私には凄いショックだった。夜になって分かるのだが、山荘のテラスで大勢見ていた人の中で。同室の一人、高知県から来たおじさんが山頂アタックを取りやめたとの事だった。もし私も同じ立場にいたらそうしただろう。個室の夜の懇談ではこのルートは槍ヶ岳や剣岳(実は行った事が無い)のように登り降りを別にすべきだ、と言う事で意見が一致。一人が早速小屋に掛け合いに出かけたが超満員の状況で相手にして貰えなかった。
昼近くになったので二人は涸沢に降る事になり、部屋に戻ると隣の布団に新たに二人の客が寝ていた。暫くして一人起きて来て互に挨拶、正に文字通りの四方山話を始める。この方は東京の開業医で同行しいるのは大学2年生の息子さんで、初めての親子登山との事。大学時代は毎年夏に徳沢にある大学の診療所に来ていたので、この辺は良くご存じのようだ。しかも先月も一人で奥穂に来て例のヘリコプター墜落現場のジャンダルム迄行って来たとの事。互にこの特等室に入る事が出来た事を喜び合う。山の事ばかりでなく、先生は医療行政に関する現場からの意見を述べて、小泉竹中路線のご粗末さなどについても二人の意見が一致して大いに盛り上がる。
夕方になると先に述べた高知県からの単独登山者に石川県からの単独登山者が加わる。更に夕方遅くに凄い大きな荷物を背負ったご夫婦が入室。プロの写真家で今日はジャンダルムに三脚を立てて笠が岳の写真を撮ってきたとの事。経験からジャンダルムへの危険性よく知っているお医者さんが感嘆の声を上げる。又この先生がアマチュアながら大の写真好き、プロの道具を手に取らせて貰い、同じニコン派と言いう事で、また意気投合してカメラ談議で盛り上がる。後から入って来たもう一人は岡山県の人だったが、これ又写真好きで、話がそっちで益々盛り上がった。この岡山の人は昼前の落石事故の折に現場に居あわせ、落石そのものではないが、はじかれた礫を受け顔面を負傷、絆創膏で応急手当をして、奥穂と更にジャンダルム迄足を伸ばしてきたとの事。早速お医者さんが抗生物質や化膿止めを投薬。
小屋全体は火事場のような騒ぎになっているが、この部屋だけは別世界で、余裕をもって全員が和気藹藹で楽しい語りが続く。更にその後、娘さん一人を連れたご夫婦が登場するが、早速に2段ベッドの上で固まって身繕いをして下には降りてこなかった。残り二人分が空いているのだが5時前になると夕食のアナウンス、これもこの部屋がトップに呼ばれる。部屋から出ると廊下も足の踏み場がない程で、昼サービスに使っている食堂から土間、懇談室に至るまで人が溢れて疲れたような顔をした人達がボーと座っている。まだチェックインが出来ない人もいるようだ。恐らく今夜の夕食は9時過ぎまで掛るだろうと言う声も聞こえる。その後食堂を片づけて、遅くチェックインした人の寝るスペースを作るのだそうだ。
夕食がすんで真っ暗になってから夫婦一組が入ってきた。岐阜県から来た連泊組で「昨日北穂からここまで来て1泊、今日は前穂まで往復してきました。」これで山好き11人が揃った事になる。皆それぞれベテランだから、話を聞いていると面白い。こちらは隣のお医者さん親子に明日一緒に降ってくれと頼んで、その上に筋肉を和らげる精神安定剤まで貰って早々に寝てしまった。小さいながらも布団一組が確保されているので、山小屋とは思えないほど十分な睡眠をとる事になった。
22日、雨が今にも降りそうな気配。降り始める前に比較的山荘に近いザイテングラード(支稜線・支尾根)なる難所を越してしまおうと衆議一決、3人で6時に出発。お医者さんが荷物を置いてある涸沢ヒュッテを目指す。丁度ヒュッテ直前で雨が本格的に降ってきたので、ヒュッテで雨合羽を完全装備、上高地に向かう。道を急いで12:30上高地の合羽橋に到着。お医者さん親子は今夜は帝国ホテルを予約しているが、チェックインには少し早いと言う事で弁当を広げる。こちらも残りものを食ったりしながらストックをしまったりして一休み。お医者さんは、「明日11時にタクシーを呼んでいますから松本まで一緒にいかがですか」と親切なお話。勿論喜んでお願いをする。
彼らと別れて、大勢の観光客の中をぶらぶらと上高地アルペンホテルに向かって歩いてくると、すれ違いの中から「おやっ、また!」と声を掛けられる。何と昨日奥穂で一緒になったお二人さんではないか。二人は涸沢を我々と同じような時刻に出発して早くにここに到着、風呂で汗を流してバス待ちの時間つぶしに同じくぶらぶらしていたらしい。偶然とは言えチェックインするホテルの直前で出会うとはご縁ですね、3分違っていたら永遠のすれ違いでした。互に時間がたっぷりあるので、昨日撮らなかった互いの写真を撮り合い。青年が名刺を呉れたのでこちらも名刺をお渡しする。女性は名刺が無いのでメールで写真を送ると言ってくれた。
兎に角天気に恵まれ、楽しい人達との出会いがあり素晴らしい登山であった。その夜ホテルで相部屋、食事が同じテーブルになった青年は博多の人で奥穂から西穂経由で降りてきたとの事。流石に日本アルプスと言うだけあって、ここは全国から山好きが集まってくる事が良く分かる。23日は11時にお医者さんが呼んだタクシーに同乗、松本には1時間ちょっとで到着、指定は勿論終日満席だが丁度12:57分発のスーパーあずさに楽勝で席を確保、4時には無事帰宅した。帰宅が早かったし、夕べホテルで十分休んで疲れも無く体の調子が良いので、いつも婆さんにしてもらっている靴洗いを、自分ですると言ったら婆さんがびっくりしていた。
65歳から山登りを始めて5年、今度の山行きで山登りが少し分かったと言うか、己の考え方が大分変ったような気がする。山荘でお医者さんの息子さんから「山登りは何で楽しいのですか?」と聞かれ改めて考えた。取りあえずは「山に来ると英気と言うか、いわゆる新鮮な気が貰えるからです。」と答え「なるほど癒しみたいものですね。」この場はこの程度の会話で終わった。
上手く説明は出来ないが、山歩きは心身の健康上一番と言えるほど年寄りにとっても楽しいレジャーであるのは間違いない、来年春70歳の坂を越しても折を見て続けたい。しかし・・・・・・・楽しさの裏に潜む危険も併せて考えなければいけない。
思えば一昨年も昨年も自分自身危険な目にあっているではないか、今年は自身では辛うじて難を逃れているが、7月針の木雪渓での同行者の事故と今回の事故目撃(気丈に降りてきたおばさんが、1時間後には小屋で青い顔をして横たわっていた姿が目に焼き付いている)が記憶に新しい。一人歩きは、いろんな人と友達になれて、車に同乗させてもらえるようなメリットもあるので止める心算も無いが、全て自己責任である事だけは肝に銘じ、今後は次の3カ条を順守したい。
1.これからは危険度の高い山、難しいとされる山や場所には近づかない事にする。
2.縦走など体力的にきつく無理な計画をしない。 年相応の計画を作る事。
3.必ず山頂を目指すと言う考えはしない。
今年はもうそんなに山に行く機会は多くないだろう、と今は思うが。5月に田舎の従弟が、刈り取りが済んだら蓼科山に誘うよ、と言ってくれたが約束は果たされるのだろうか?後は整体の担当者が来月奥多摩のどこか一緒に行きませんか?があったな。昨日婆さんが「10月の連休はどこに行くのですか?紅葉はこの辺ではどこが良いの?」と聞いていた。「碁会所の大会を2カ月連続でさぼっているしなぁ」と生返事をしたが、まだ今年は2か月近くシーズンが残っている。でも今日のように爽やかな秋日和はどのくらいあるのかな?
19日、予想通りに台風は日本を直撃することなく小笠原から北に進路を取ったので朝から快晴。列車や19日の上高地アルペンホテルと20日の山小屋の予約は先週の水曜日だったが運良く全て予約が取れた。但し20日の涸沢小屋は、120定員の所既に200人は予約が入っているのを承知で来てくれとの事。3泊目の穂高岳山荘は予約を受けないシステムのようなので、これは予約なし。帰りの列車も指定は取らずに自由席特急券にしておく。この日は昼過ぎに予定通り順調にホテルに到着、チェックインには時間が早すぎたので上高地を散策、明日から目指す穂高の山並みが美しいがどれが奥穂なのかは分からない。ただ頂きの高さには圧倒され、あんなところに登るのかと思うといささか不思議な感じもする。
20日早朝、昨日貰った弁当を暗いホールでそそくさと済ませ、明るくなってきた6時前に出発。横尾橋までは何度も歩いているので勝手が分かるが、そこから先は未知の世界。横尾橋で軽いトイレ休憩をしただけで兎に角黙々と歩き続ける。基本的に平坦であれば2時間、山道は50分で10分休憩が理想的なペースだが、調子が良いので少しペースが速かったかもしれない。横尾橋から小1時間で本格的登りになる本谷橋と言うポイントがあり、ここで一息とガイドブックにあったが余りに人が多いのでここもパス、10:30頃には涸沢の裾に着いてしまった。穂高連峰に少しは近づいている筈だが、標高差は益々大きく感じる。
更に1時間ちょっと、11:30には涸沢小屋に到着チェックインをする。今日初めての客のようである。今回の山行きでしみじみ思うのは、山小屋は出来るだけ早い時間にチェックインをするのが何かと都合が良い事だ。この日も結果的に相当な混雑になるのだが、早いチェックインのお陰で比較的良い場所が確保できて、先ずはテラスでのんびり昼前から生ビールを呷る。隣のテーブルに居た女性に記念写真のシャッタを切ってもらう。彼女は今朝6時夜行バスで上高地に着いて、明日北穂高に登るのだそうだ。暫くするとぞくぞくと登山者が登って来る。混み合う前に入口に近い場所の指定の布団でにゆっくり骨休めが出来た。 夜は布団1枚に二人と言う感じ。予約無しの人は布団1枚に3人以上だったようだ。
21日、朝から無風快晴。既に暗いうちからヘッドライトを頼りに出発する人が多い。兎に角冒険をしてはいけないので、6時少し前の明るくなるのを待って出発。寒さもそれほどではない、少なくともタイツやステテコもはかず、Tシャツも半袖のままで上に木綿のシャツと薄いヤッケを1枚羽織るだけで十分だった。7:30には穂高岳山荘に到着、すぐにチェックイン。番頭さんが宿泊料を1000円上積みすると、「特別な個室で布団1枚確保できるサービスがあります。」との事。勿論そうしてもらう。
これが実は大正解。当日は大変な混雑になるのだが、このサービスを受ける事が出来たのは僅かに13人、内4人は連泊の人だから実質9人しかいない。この日の宿泊人数はどうやら700人(定員の3倍以上?)を超えていたようである。経験者でないとこの混みようは想像が難しいだろう。夜になると廊下から食堂まで人間と荷物で足の踏み場が無くなるのだ。ともあれ、部屋の扉から他と違う誰もいない個室に入ってゆっくりと頂上アタックの準備、と言ってもサブザックに水と食料と雨合羽を詰め替えるだけ。
7:45分山頂アタックを開始する。アタックと言う言葉に相応しく最初から梯子などが出てきて、狭くてきつい登りから始まる。既にここは相当な混雑で、山荘の横で順番を待つ必要がある。順番待ちで前を見ると昨日涸沢小屋で写真を撮り合った女性が立っている。確か昨日は一人で「明日は北穂に行きます。」と言っていた人だ。お互い顔を合わせてびっくり、「思い切ってこちらに来てしまいました。」との事。この人、昨日の話ではかなり山に行っているようだし、コースを変更するところなんか誰かに似ている。追い越し禁止道路を行くようなものなので、喋りながら一緒に行くが歩き方が全然力強い。約1時間ほどで山頂、又昨日のように写真を撮り合う。
山頂から360度の景色はもう何とも言えない壮観だ。水分を補給したり甘いものを食べたりしながら北アルプス最高地点からの眺望を心行くまで楽しむ。この時の気分は何と表現していいか分からない。二人で話をしたりしていると、何かの拍子にもう一人青年が話に入って来た。彼も山に一人で来ている口だ。山はすぐに友達が出来る。彼ら二人は涸沢にザックを置いてきているので、今夜は彼の方は涸沢ヒュッテに彼女は涸沢小屋に戻る予定だそうだ。兎に角穂高岳山荘まで3人して一緒に降り、山荘のテラスでのんびり話している時のことだ。突然「ラクー!」と言う大声が響く。
声の方を見ると、一抱えほどの大岩石が音と共に登山者の列のすぐ脇を落ちてくる。どの辺から落ち始まったかは確認していない。見た時は最後の一瞬であるが、この岩が直登の列の一番下に居た人の方に寄って来た。正に目を覆いたくなったが、狙われたその人は一瞬体をひねったようで、倒れはしたが直撃は避けたように見えた。どんな大騒ぎなるかと思ったが、周りは意外にシーンとしている。思わず「事故が発生だぁ。」と小屋に向かって大声を上げてしまった。それでやっとと言う感じで番頭が出て来て、登山者の列に声をかけていたが、倒れた人は自力で起きたようで番頭はそこまで登ってい行かない。
3人してこの事件を見ていたのは時間にすれば10分程の事だったかも知れない。暫くすると倒れた人より少し上から女性が3人、腕から出血している人が二人に両脇を抱えられて降りてきた。倒れた男性が降りてこないうちに再び列が動き出す。眼鏡を必要としない若い二人も「あの人もどうやら登り始めたようだ。」との事。しかし私には凄いショックだった。夜になって分かるのだが、山荘のテラスで大勢見ていた人の中で。同室の一人、高知県から来たおじさんが山頂アタックを取りやめたとの事だった。もし私も同じ立場にいたらそうしただろう。個室の夜の懇談ではこのルートは槍ヶ岳や剣岳(実は行った事が無い)のように登り降りを別にすべきだ、と言う事で意見が一致。一人が早速小屋に掛け合いに出かけたが超満員の状況で相手にして貰えなかった。
昼近くになったので二人は涸沢に降る事になり、部屋に戻ると隣の布団に新たに二人の客が寝ていた。暫くして一人起きて来て互に挨拶、正に文字通りの四方山話を始める。この方は東京の開業医で同行しいるのは大学2年生の息子さんで、初めての親子登山との事。大学時代は毎年夏に徳沢にある大学の診療所に来ていたので、この辺は良くご存じのようだ。しかも先月も一人で奥穂に来て例のヘリコプター墜落現場のジャンダルム迄行って来たとの事。互にこの特等室に入る事が出来た事を喜び合う。山の事ばかりでなく、先生は医療行政に関する現場からの意見を述べて、小泉竹中路線のご粗末さなどについても二人の意見が一致して大いに盛り上がる。
夕方になると先に述べた高知県からの単独登山者に石川県からの単独登山者が加わる。更に夕方遅くに凄い大きな荷物を背負ったご夫婦が入室。プロの写真家で今日はジャンダルムに三脚を立てて笠が岳の写真を撮ってきたとの事。経験からジャンダルムへの危険性よく知っているお医者さんが感嘆の声を上げる。又この先生がアマチュアながら大の写真好き、プロの道具を手に取らせて貰い、同じニコン派と言いう事で、また意気投合してカメラ談議で盛り上がる。後から入って来たもう一人は岡山県の人だったが、これ又写真好きで、話がそっちで益々盛り上がった。この岡山の人は昼前の落石事故の折に現場に居あわせ、落石そのものではないが、はじかれた礫を受け顔面を負傷、絆創膏で応急手当をして、奥穂と更にジャンダルム迄足を伸ばしてきたとの事。早速お医者さんが抗生物質や化膿止めを投薬。
小屋全体は火事場のような騒ぎになっているが、この部屋だけは別世界で、余裕をもって全員が和気藹藹で楽しい語りが続く。更にその後、娘さん一人を連れたご夫婦が登場するが、早速に2段ベッドの上で固まって身繕いをして下には降りてこなかった。残り二人分が空いているのだが5時前になると夕食のアナウンス、これもこの部屋がトップに呼ばれる。部屋から出ると廊下も足の踏み場がない程で、昼サービスに使っている食堂から土間、懇談室に至るまで人が溢れて疲れたような顔をした人達がボーと座っている。まだチェックインが出来ない人もいるようだ。恐らく今夜の夕食は9時過ぎまで掛るだろうと言う声も聞こえる。その後食堂を片づけて、遅くチェックインした人の寝るスペースを作るのだそうだ。
夕食がすんで真っ暗になってから夫婦一組が入ってきた。岐阜県から来た連泊組で「昨日北穂からここまで来て1泊、今日は前穂まで往復してきました。」これで山好き11人が揃った事になる。皆それぞれベテランだから、話を聞いていると面白い。こちらは隣のお医者さん親子に明日一緒に降ってくれと頼んで、その上に筋肉を和らげる精神安定剤まで貰って早々に寝てしまった。小さいながらも布団一組が確保されているので、山小屋とは思えないほど十分な睡眠をとる事になった。
22日、雨が今にも降りそうな気配。降り始める前に比較的山荘に近いザイテングラード(支稜線・支尾根)なる難所を越してしまおうと衆議一決、3人で6時に出発。お医者さんが荷物を置いてある涸沢ヒュッテを目指す。丁度ヒュッテ直前で雨が本格的に降ってきたので、ヒュッテで雨合羽を完全装備、上高地に向かう。道を急いで12:30上高地の合羽橋に到着。お医者さん親子は今夜は帝国ホテルを予約しているが、チェックインには少し早いと言う事で弁当を広げる。こちらも残りものを食ったりしながらストックをしまったりして一休み。お医者さんは、「明日11時にタクシーを呼んでいますから松本まで一緒にいかがですか」と親切なお話。勿論喜んでお願いをする。
彼らと別れて、大勢の観光客の中をぶらぶらと上高地アルペンホテルに向かって歩いてくると、すれ違いの中から「おやっ、また!」と声を掛けられる。何と昨日奥穂で一緒になったお二人さんではないか。二人は涸沢を我々と同じような時刻に出発して早くにここに到着、風呂で汗を流してバス待ちの時間つぶしに同じくぶらぶらしていたらしい。偶然とは言えチェックインするホテルの直前で出会うとはご縁ですね、3分違っていたら永遠のすれ違いでした。互に時間がたっぷりあるので、昨日撮らなかった互いの写真を撮り合い。青年が名刺を呉れたのでこちらも名刺をお渡しする。女性は名刺が無いのでメールで写真を送ると言ってくれた。
兎に角天気に恵まれ、楽しい人達との出会いがあり素晴らしい登山であった。その夜ホテルで相部屋、食事が同じテーブルになった青年は博多の人で奥穂から西穂経由で降りてきたとの事。流石に日本アルプスと言うだけあって、ここは全国から山好きが集まってくる事が良く分かる。23日は11時にお医者さんが呼んだタクシーに同乗、松本には1時間ちょっとで到着、指定は勿論終日満席だが丁度12:57分発のスーパーあずさに楽勝で席を確保、4時には無事帰宅した。帰宅が早かったし、夕べホテルで十分休んで疲れも無く体の調子が良いので、いつも婆さんにしてもらっている靴洗いを、自分ですると言ったら婆さんがびっくりしていた。
65歳から山登りを始めて5年、今度の山行きで山登りが少し分かったと言うか、己の考え方が大分変ったような気がする。山荘でお医者さんの息子さんから「山登りは何で楽しいのですか?」と聞かれ改めて考えた。取りあえずは「山に来ると英気と言うか、いわゆる新鮮な気が貰えるからです。」と答え「なるほど癒しみたいものですね。」この場はこの程度の会話で終わった。
上手く説明は出来ないが、山歩きは心身の健康上一番と言えるほど年寄りにとっても楽しいレジャーであるのは間違いない、来年春70歳の坂を越しても折を見て続けたい。しかし・・・・・・・楽しさの裏に潜む危険も併せて考えなければいけない。
思えば一昨年も昨年も自分自身危険な目にあっているではないか、今年は自身では辛うじて難を逃れているが、7月針の木雪渓での同行者の事故と今回の事故目撃(気丈に降りてきたおばさんが、1時間後には小屋で青い顔をして横たわっていた姿が目に焼き付いている)が記憶に新しい。一人歩きは、いろんな人と友達になれて、車に同乗させてもらえるようなメリットもあるので止める心算も無いが、全て自己責任である事だけは肝に銘じ、今後は次の3カ条を順守したい。
1.これからは危険度の高い山、難しいとされる山や場所には近づかない事にする。
2.縦走など体力的にきつく無理な計画をしない。 年相応の計画を作る事。
3.必ず山頂を目指すと言う考えはしない。
今年はもうそんなに山に行く機会は多くないだろう、と今は思うが。5月に田舎の従弟が、刈り取りが済んだら蓼科山に誘うよ、と言ってくれたが約束は果たされるのだろうか?後は整体の担当者が来月奥多摩のどこか一緒に行きませんか?があったな。昨日婆さんが「10月の連休はどこに行くのですか?紅葉はこの辺ではどこが良いの?」と聞いていた。「碁会所の大会を2カ月連続でさぼっているしなぁ」と生返事をしたが、まだ今年は2か月近くシーズンが残っている。でも今日のように爽やかな秋日和はどのくらいあるのかな?
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