2010年7月1日木曜日

温故知新

バタバタとしながらもう半年が過ぎてしまった。今年は暇が出来て大分楽になるかと思っているが、今のところそう旨い具合に運んでいない。4月以降図書館通いの毎日を期待したのだが、3ヶ月で5日ぐらいで読書量もずいぶん減っている。一昨日ある会社の社長に新社長を紹介して、私はリタイアします、と挨拶をした時「まあ、なんて羨ましい!」と言われた。確かに違いない筈だし自分もそう期待はしたが、掌を返すように旨く行くものではない。最近は内閣の交代も同じだろうと思っている。

今日は起きる直前、右膝からつま先まで激しいこむら返りに襲われた。今までのこむら返りは大体ふくらはぎだけで、つま先の親指から揉みほぐしていけば大体すぐ直っていたものだ。しかし今朝のそれはつま先まで硬直して痛く、揉みほぐす事も出来ない。午前中整体に飛び込みマッサージを受けながら質問するが、整体士も原因について明確な返事が出来ない。リタイアしても疲労の蓄積は続いていると勝手に解釈することにした。

昨日食事をした友人10歳ほど若いが、は毎日6km程ジョギングか歩く事にしているそうだ。小生も歩く事については心がけており、毎日延べで3~4kmは歩いている筈だ。それで疲労が溜まるとは情けない。これからのコンディションの整え方についても考える必要がありそうだ。整体の後、日本橋の方まで仕事に行き、帰ってからまた新社長と二人で新規案件のプレゼンについて業務引き継ぎを兼ねた打ち合せ。

嘗て行ったプレゼンや見積りを引っ繰り返しながらの事である。設立以来7年しか経っていない会社ではあるが、時代の変化に伴う競合環境の変化については改めて感じるところが大きい。故事来歴との整合性を取りながら新規ニーズにこたえていく必要があるが、過去の事には責任の無い新社長には厳しい面と、成程と思う事の両面があるに違いない。

どっちにせよ温故知新で局面を打開していくのを祈るような気持ちだ。

2010年6月30日水曜日

余暇利用

歴史好きの友人と昼飯を食った。歳は少し下だが歴史の話になると実に生き生きしている。「ところで、これからの毎日をどのようにお過ごしになりますか?」と聞かれ「今までと同じで、毎日好きな事をして生きていくさ。」と答えたものの、考えてみれば変な答えだった。今でも毎日好きな事ばかりして生きている訳ではない。したくは無いがしなければならない事があるから、やりたい事が存在する訳で「何もしなくて結構」と言われると、やりたい事が見つからなくなってしまう可能性は十分にある。

彼も小生も少しではあるが仕事らしき事に関わりながら好きな事が出来る時間が持てるようになった身分だ。互いに結構な事で、小生にとって当面最大の趣味はこの日記かもしれない。昨日は高校時代の同窓生が何人かで、ロスからニューヨークまでアメリカ大陸横断ドライブに挑戦してニューヨークの手前ニュージャージーに着いたとの便りがあった。ホテルの予約もせず10日以上使った気儘旅だったらしい。若い頃から外国で仕事をしてきた人たちにとっては、こんなしゃれたドライブをしたり豪華客船での世界旅行をするのはきっと当然の事なんだろう。


若い頃から「俺はサリバン女史のいないヘレンケラーだ」と自嘲していたが、どうも海外旅行は苦手だ。言葉もさることながら食事も恐ろしい。10日以上好きな事ばかりして遊べるのは一寸羨ましくもあるが、生憎と上記の通りその素地が無いので、そんな優雅な過ごし方の発想が湧かない。ものを知らない事が幸いなのかどうか、ある程度拘束された生活の中でチマチマと小刻みのフリータイムが増えるのを楽しみに、今年はウィークデイに3日ぐらい休んで山登りをしてみたいと思っている。特に行く先とか日程を決めている訳ではないが、夢としては少し小さすぎるかな?

2010年6月29日火曜日

大宴会をしてしまった

昨日は当社社長交代のお披露目の名目でクライアント関係のキーパーソン2人を会食にお招きした。ところが先方から「ご苦労様でした」と書かれた熨斗をつけたお土産を頂戴したり、2次会3次会と引きずられて結局帰宅が目出度く午前様と相成った。こんな事はここ10年ほど経験した事がないので婆さんがびっくりして「どうかなってしまったのでは?」と心配をしてくれたそうだ。おまけにお土産の熨斗を見て「こんな熨斗は初めて見た。」との事。勿論小生だって生まれて初めての事だ。

結局昨晩は風呂に入って寝たのが1時半、本当に久しぶりの事なので、今朝起きるのがつらかった。そこに持ってきて今日は朝からレシピ撮影の立ち合いで、新社長に撮影の段取り全てとスタッフ全員を引き継がなくてはならない。二人とも眠い目をこすりながら一時もさぼる事が出来ず1日を過ごす事になってしまった。今夜はテレビでサッカー日本代表の試合が11時からあるそうだが、孫と同居している訳ではないので中継を見る必要もない。しかし明日は月末で事務量が増え、翌1日はレポート提出とかいろいろあってクライアントを訪問しなければならない。

決まり切った事ながら月末と月初は何かと忙しい時なのである。よりによってこんな時に宴会の予定なんか入れなくてもと思うが、先方がお忙しくて1か月前から申し込んでやっと予定して頂けたのが昨日だ。先方も決してお若いとは言えないのに立派なものだたと改めて感心してしまった。こちらは健康を意識しすぎて却って体がなまってしまった。今は早く帰宅して休みたい一心である。

2010年6月28日月曜日

悔しいけど、歳だ

蒸し暑さはひどいが、梅雨の割には東京は雨が少ないようだ。ポスターの掲示板は目に着くが、参議院の選挙戦が始まっている割にはメディアの報道もサッカーや相撲興行の話題が中心で、政治関係は比較的少ないような気がする。確かに野党が小政党に分裂している事も、それぞれの主張も大差がない。であれば嘗て小沢氏がしたように、一致結束して反民主連合を立ち上げて共通マニフェストでも起こせばいいように思う。小党に分裂する意味はどこにあるのだろう?

なんたって小学6年生の孫が先週金曜日の早朝3時半に「おかぁ、始まるよ」と言って娘を叩き起こしたそうだからびっくりだ。これはパブリックビューイングをして親子で盛り上がりたい訳でもなく、単に一人でリビングにいるのが怖いからのようだ。要するに母親はいい迷惑。FIFAワールドカップサッカー会場になっている南アフリカだが、首都はてっきり「ヨハネスブルグ」とばかり思い込んでいた。正しくは「プレトリア」なる別の場所らしい。明日日本と対決する事になる南米の「パラグアイ」なんて国がある事も初めて知った。世界は広いと言う事を知るだけでもこのイベントの意味があるかもしれない。

小生が週末に通う碁会所だが、最近とみに客が減ってきている。碁会所はいろいろな人と対局できるのが本来の楽しみだが、最近の対局相手は殆ど決まってしまっている。当然他の組み合わせも同様である。家内の友人のご主人も顔を見せなくなった。昨日帰宅してその話題になった。「席料900円がやはり高過ぎるのかなぁ。」と言うと、家内もびっくりして「900円もするの?それは来なくなるわけよ。きっともっと安い所が近くに沢山ある筈だから、聞いておいてあげる。」との事だ。小生もそろそろ分を弁える必要があるのかもしれない。

足腰の衰えを気にして毎日極力歩くよう心がけてはいるが、足腰に少し痛みが出ると引くまでにかなりの時間を要するようになっている。今回は片足立ち1分に挑戦して、最後に少しよろめいた時に踏ん張った途端に走った痛みがもう5日も引かない。無理をするとロクな事にならない年齢である事をもっと自覚しなければいけない。今日は夕方も出かけてしまうので朝のうちに日記も上げてしまう。夜は久し振りに宴会をするが、酒も程々にしなければなるまい。

2010年6月25日金曜日

FIFA ワールドカップ予選リーグ突破

5月25日の日記にこう書いた。
>実は昨日の日韓のサッカー試合の結果で書こうと思っていたのだが、話があらぬ方向に行ってしまった。勿論中継は見ていないし、試合内容について云々する事は全く出来ない。書きたかったのは、試合には勝つか負けるしかない事と勝っても負けても見ている人はそれなりに楽しい筈だと言う事。選手たちもこれだけ負ければ却って気が楽になって良かった、と婆さんと話した事だった。<

婆さんが好きなアイススケート以外スポーツに関してテレビ中継を見る事は殆ど無いのだが、WBCの優勝やイチロー・石川遼・宮里藍達が世界で活躍している事は人並みに嬉しく思っている。今朝も5時半にテレビをつけると丁度本田選手がインタビューに答えているところだった。普段だったら不良ぽくって憎たらしげな顔に見るかもしれないが、何故か爽やかに感じてしまうのは普通の感覚(単なる凡人の付和雷同)を持っている証拠かもしれない。

サッカーについては何も分からないのだが、チームが一丸となっているような気がする。それよりも国民が一丸になっているような気がしてならない。つい1か月前までは、駅売りの新聞スタンドには「岡田更迭」のフンドシが大々的に下がっていたものだ。それが今日は「デンマークを撃破」に変わり、更に高みを目指せと国威発揚を煽っている。これは国民の盛り上がりが先にあってメディアが追随しているのかもしれない。

しかし沖縄問題なんかを考えた時、メディアは本当に沖縄に米軍海兵隊が居てほしいと思っているのだろうか?素人考えで考えれば社民党や当初鳩山さんが言ったように、、専守防衛思想に反する敵地攻撃用部隊である海兵隊基地が我が国に存在する必要性は無いと思う。当初鳩山さんが県外海外の声を挙げた時、メディアが今日のサッカー日本代表を応援するように「そうだ!そうだ!海兵隊は海外に出てゆけ!」と一斉に声を挙げたらどうなっただろう。

サッカーについて無責任にご都合主義的な紙面を構成するのは結構だが、正に国益に関する事案の場合は無責任な態度を取ってほしくないものだ。何処でどうなったのか分からないが、結局鳩山さんも取敢えずは海外は無理と言う事になってしまった。一説には下記のような説もある。二見伸明氏の6月1日のブログからの引用である

>これからは、だれが総理になろうと、「国外移転」を推進しなければならない。いまは袋叩きだが、今回の「迷走」と叩かれながらも出した結論は、「沖縄」を日本全体の問題に昇華した。これは、鳩山の、本人も意図しない、誰もがなしえなかった業績ではないだろうか。
自民党は、鳩山が沖縄県民との約束を果たそうと、「国外移転」で苦労しているとき、石破元防衛相をアメリカに派遣し、アメリカの、武器商人になり下がった「安保屋」と手を組んで「国外移転」阻止を画策した。まさに売国的行為である。自民党に鳩山総理を非難する資格はまったくない。<

話が又あらぬ方向に行ってしまった。日本代表チームの全員と特に叩かれ続けた岡田監督には今後の活躍を祈念し「あっぱれ」を上げたい。

2010年6月24日木曜日

読後感「早わかり 鎌倉・室町時代」河合 敦 著

学生時代の不勉強がたたって、常識として弁えなければいけない我が国の歴史に暗すぎる。先日「私本太平記」を読んでその事を痛感した。

遅きに失しているが改めてこの時代について体系的に一覧する必要を感じ、易しく書かれたこの本を見つけた。源平のせめぎあいで鎌倉幕府が誕生してからも武士の騒乱が続き、室町幕府が崩壊して戦国時代に突入する迄を6章に分けて、時代の流れを多角的に年表、系図等をふんだんに用いて分かりやすく解説している。

年代的には1100年代の末から1500年代半ばの長丁場になるが、全ての項目を見開き2頁で完結している。しかも何処を開いても見やすく年代・章のテーマ・項目のテーマが表示されている。この他に挿入されている図以外の文章(本文)は約1頁分千字前後であろうか。編集がとても素晴らしい。学校の教科書もこんなものであれば生徒の飲み込みも大分違うのでは、と思ったりしてしまう。

読後の感想は「我が国は千年の昔から随分と血なまぐさい権力抗争に明け暮れているものだ。しかし、その割に進歩がない。もしかしたら天皇制のせいではないだろうか。」が正直なところだ。こんな事を書くと右寄りの人たちから非国民呼ばわりを受けかねない。

ヨーロッパにも国王制が残っている国は沢山ある。しかし、権力抗争の際に国王を錦の御旗として勝ち残った例は少ないのではないだろうか。むしろ現在の政治体制の殆どは市民の力を背景にした革命的な政権交代が生き残り、国王の力を著しく削いでいるのが実態では、と思ったりするのだが。

日本は千年の昔から明治維新は勿論、昭和の軍国主義時代までずっと天皇を担いだ権力者が統治者の位置についている。戦後は一応市民国民主権とは言っているが、安心できるかな。

2010年6月23日水曜日

雨模様だが、さっぱりした。

西日本では今週の頭から大雨が降っていたのに関東地方は昨日まで梅雨前線が掛からなかった。やっと昨夜から前線の影響で激しく降り始めた。何かうっとうしいので、せめて床屋にでも行ってさっぱりする事にした。長年通っている近所の床屋だが、今日は親父と女将さんが留守で息子夫婦だけがてんてこ舞いである。聞くと、親父夫婦はやっと息子夫婦に店を預けて日光旅行に出かけたらしい。

実はここの親父さんは小生と同じ年齢、何故か小生の頭を刈るのを他人に任せるのを嫌っている。こちらは「虎刈りなんかは3日もすれば分からなくなるのだから、いい加減にしておいてくれ。」とはっきり言うのだが、シャンプーの後で再度時間を掛けて微調整をするのが常だ。こちらもいわば暇人だから出来るだけ我慢しているのだが、正直なところ相当イライラしてくる。歳を取れば目も霞み、手先の動きも悪くなるのは当たり前。従って最近は老眼鏡を通して矯めつ眇めつするこの最終工程が長くなる一方だった。

そんな事で今日は若旦那が手際よく仕事をしてくれたので気分が良い。自分の事も含めてだが、職人に限らず年寄りは若い人のやる事がなんとなく手抜きに思えたりして、自分の仕方がベストと思い込みがちである。客からすればそんな事はないのだ。若い人の仕方やり方に共感を覚える事が多々ある事を知らなければいけない。こちらは引退の年を迎えて後継者に仕事の引き継ぎの真っ最中である。

見積りや請求の作り方から記帳の仕方、得意先での挨拶の仕方から服装に至るまで、技術屋さんの青年の手取り足取りと言った毎日だ。来週の月曜日は得意先キーマンと社長交代のご挨拶をかねて食事会をする事になっている。新社長はエチケットに関する本を買い込んで勉強しているそうだ。「そんなに気を遣わなくても良いよ。」とは言ったが、他の面で今日の床屋と同じような事がある可能性は多分にある。あたら若い芽を摘まぬよう、こちらも十分心せずばなるまい。