2013年2月28日木曜日

ハッピーな月末

昨夜は珍しく赤坂で遅くまで遊んで、帰宅が0時を回ってしまった。久しぶりに飲んだので、地下鉄の下車駅を寝過ごしてしまったのである。婆さんに笑われてしまった。「元不良もだらし無くなったものね。」婆さんも怪我が一応治ったので、このところ何をしても機嫌がいい。今朝はまた一段と明るい声で態々事務所に電話が掛けてきた。孫が都立高校の受験にパスしたとのことである。

2年生まではバスケ部のレギュラーで勉強とは無縁だったし、通信簿もかなり悪かったと聞いていた。何を思ったか3年生なる直前に退部して、推薦入学の道を自ら閉じて勉強を始めたようだ。今月初めに日大桜ヶ丘が決まった時は、それだけでもびっくりして、我々祖父母から伯母にあたる長女一家でも大喜びしていた。

東京は広いので高校も沢山ある。普段散歩する範囲内だけでも4校もある。どの高校が良いのかと言ったことも分かり難い。昔のように都立が格上で、私立が格下なんてことも勿論無さそうである。都立も学校群が廃止になって名門校が復活しているとも聞くが、どれが名門かなんて関心がなかったのでまるで知らない。

長女は家庭教師のアルバイト経験があるので、その辺の事情通である。日大桜ヶ丘が決まったと聞いて、びっくりしたらしい。「良かった」と「哲ちゃんを見直した」を連発していた。都立については受かることは考えず、運動後の整理体操みたいものと思えとのご託宣だった由。「通過は無理だろうし、日大桜ヶ丘で十分。」と聞いていた。我々夫婦も先日新聞に掲載された問題を見て、長女の言う通りと納得していたものだ。

当然長女にも連絡は言っているだろうが、彼女のコメントはまだ聞こえてこない。小生もびっくりして、早速ネットで孫が4月から通うことになる高校を検索してみた。都立三田高校と聞いている。検索して提示された1頁目の項目に「偏差値65」とか「三田高校は都立3番手校に属する高校」とのコメントが目につく。古い人間なので偏差値が何を顕すか分からないし、なんだ3番手か、やはり大騒ぎするほどのことは無さそうだと先ず思った。

ところがページを開いてよく見ると、この3番手の下に上位校が書いてある。えぇ、と思って上を見ると、2番手校は9校、トップ校に至っては3校しか書いてない。下にスクロールすると上位校に続いて中堅上位、中堅、中堅下位、下位校と連なっている。都立高校は調べてみると200校近くあるらしい。孫が決めた三田校は、どうも我々傍のものが考えたレベルをはるかに超えたところに位置していることが分かった。

長女ならずとも本当にびっくりしたし、嬉しくなってくる。考えてみるともう1年以上顔を合わせていない。早く顔見て祝いを言ってやりたい。

2013年2月27日水曜日

昨日に続いて 226事件

今朝、婆さんが唐突に変な事を言いだした。「鈴木貫太郎さんて偉かったわね、何よりも奥方が偉い。」「え、鈴木て誰のこと?」思わず聞き返すと、やはり海軍大将で終戦時の総理大臣であった氏のことであった。昨夜は21時のニュースに特段興味がなかったので、21時半前に自室に閉じこもってテレビ東京の「お宝鑑定団」を観てしまったが、その後で、226事件当時のことを鈴木大将夫人が証言しているテープの発見が有ったことを流したらしい。

昨日226についてブログに書いたとは一言も言っていなかったのだが、長年連れ添っただけのことはある。あの半藤一利さんでさえ衝撃的な記録ですねと言っていたわよとのことだ。いつもいい加減な事ばかり書いているが、昨日もまた決定的な間違いを犯しているのではと心配になり、今朝早速にその番組をNHKオンディマンドで視聴した。確かに非常に興味深いドキュメントで、エジプトの気球墜落や補正予算より先にこれを放送しろと言いたくなる。

確かに婆さんが感激して視聴を薦めるだけの価値があった。鈴木貫太郎大将は長いこと昭和天皇の侍従長を務め天皇の信任が厚かったこと、77歳の高齢にも拘らず1945年の4月に総理を引き受け、我が国を終戦に導いて救った人であることぐらい知っていた。でも奥方については何も知らない。終戦当時の軍人の奥方で知っているのは杉山元陸軍大将の奥が有名だ。終戦後の9月のある日、夫人は主人に「まだぐずぐずしているのですか、さっさと自決しなさい。」と促し、大将がピストルで自決して息が切れたのを見届けてから、自身衣装を変え両膝を縛って短剣で喉を突いて自決したこと。

いつの世も女性は強く偉いものだ。鈴木夫人のインタビューの一部が流れたのであるが、録音メディアがテープになっていた。勿論226事件当時にテープが存在することはあり得ないだろう。テープでの録音はソニーの開発と理解してるので、戦後も数年経ってのことだろう。事件当時のことを非常に生々しく語っておられる。大将が寝ている隣の部屋で銃を突きつけられて襲撃の一部始終を見守っていたとのこと。

大将が40数発の弾丸を浴びて血まみれで倒れ伏し、襲撃した兵(10数人いた模様)が引率していた将校の安藤大尉に向かい「隊長、とどめを!」と叫んだ時に、夫人が「とどめだけはやめてください!」と叫び、聞いた安藤大尉が思い止まったとのこと。安藤大尉は鈴木大将と面識もあったらしいが、この一言で大将は九死に一生を拾い、九年後に日本を救うことになった訳だ。
この番組の後で、21日に放送された「BS歴史館 徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?」まで観てしまった。

ここでも知らなかった事実を沢山学んだ。ひとつには当時軍人には選挙権も被選挙権も付与されていなかったこと。故に大正末期から昭和の初めにかけて、徐々に暴力がのさばり初め、226事件で陸軍の下剋上が始まり、老人の知恵が断ち切られ軍部の暴走が決定的になったとされる。それでも尚、疑問は沢山残る。書き始めるときりがない。昨日と同じテーマになってしまったが、これからの政治を考えるためには研究に値する事件テーマだろう。

蛇足ではあるが、鈴木大将の遺訓が母校前橋市立桃井小学校に残っている。
校歌になったり碑が碑が建てられたり、夫人の立派な書もある。
「正直に腹を立てずに撓まず励め 鈴木孝子(たか)」

2013年2月26日火曜日

226事件の日だ

大分昔のことになるが落語家の柳家小さん(5代目)師匠と仕事をしたことがあった。その折に直接226事件当時の思い出を直接伺った。師匠は1915年生まれだから25歳も年上で、当時すでに好々爺の雰囲気を持っていらした。剣道の師範とか怖いイメージは全くなく、あの大雪の早朝非常呼集で整列させられて、なにがなんだか全く分からないまま警視庁前にまで出動して、気がついたら反乱軍になっていたと笑顔で話してくれた。

正面玄関に機関銃を設置したりして非常線を張って警戒にあたったのだが、2等兵の師匠には事情がよく呑み込めなかったらしい。確か3晩ほど駐屯が続いたはずだが、野営の合間に落語をやれと言われたりしたそうだ。正反対の立場にいたのが我が父で、当時は警視庁の巡査さん。新婚ほやほやで長兄が生まれたばかりの時で、非番で家に居たらしい。こちらにも非常呼集が掛かったらしい。大学時代若林に下宿していた時、当時の家を母と一緒に見に行った事がある。三軒茶屋だったのですぐ近くだった。

1962年頃だから1936年からすると既に26年も後のことである。しかし、その家が戦災の被害もなかったようで、両親の新婚家庭の佇まいのまま残っていた。2軒長屋の1軒で母が涙を浮かべんばかりに感激して、住人に事情を説明して許可をもらい、玄関先から中を覗かせてもらったのを記憶している。確か玄関の奥に座敷らしきものは二間しかなかった。今時は無いだろうが、木造平屋の長屋はその頃まで新婚さんの定番住居だったに違いない。

そんな長屋に電話が引かれていたとも思えないが、兎に角呼び出されて、勤務先の警視庁に駆け付けると、小さん師匠たちが非常線を張っているので入れない。已む無く皇宮警察の宿舎に行って、着の身着のまま数日過ごしたように聞いている。黒い警察の外套を着た大勢の同僚とごろ寝している写真を見たような気がする。

事件から77年後の首都の今日、天気は晴れて雪の欠片も見当たらない。小さん師匠たちは反乱軍とされて説得に応じ4日か後には兵営に戻るが、事件を首謀したと断ぜられた現役又は元将校17人は軍法会議で死刑を宣告されて7月には刑が執行されている。この他に自決した現役将校2名がいるので、政府にとっても軍部にとっても大変な大事件である。日本の歴史上大きな意味を持っていたに違いない。

何故ならその翌年には今次大戦の前哨戦であるシナ事変が始まり5年後には本格的対米英戦に入っていく。事件そのものについては、小生を含めてであるが、若手将校たちが政界の腐敗に腹を立てて反乱を起こしたが、天皇の叡慮によって鎮圧された程度の認識だろう。果たしてそれでいいのだろうか?一説には賊軍とされた若手将校は、当時の日本が非常に好戦的な政策に傾斜して柄行くのを憂いていたとも言われている。何か今の世相に似ていないか?

以下は「正しい情報を探すブログ」から引用
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11478602396.html
「蹶起趣意書のベールをかけた腹話的な言い方で、反乱者たちは天皇に請うてこれ以上の外征上の紛争の危険から手を引き、彼の勢力を内政改革と日本の伝統的な大和魂の保持に傾けるように求めていた。」
以下は蹶起文の一部を孫引き
「露支英米との間、一触即発して祖宗遺垂のこの神洲を一擲(いってき)破滅に堕せしむるは火を睹(み)るよりも明かなり。」

2013年2月25日月曜日

古希過ぎて切符取るのも一苦労

上野から池袋までの山手線内で聞こえてきた会話「東京も今日は気温が上がりませんと聞いてきたが。何だこの暑さは!海水浴でもしたくなるじゃねえか、なぁ婆さん。」真冬日が続く東北からのお出ましなんだろう。当方と同世代のご夫婦である。お父さんは手拭いで汗を拭われていた。昼頃の車内だったので確かに気温は少し上がていたが、それでも週末から今日まで凍える寒さである。ところ変われば品替わるだろうが、体感の感じ方も随分異なることが分かって笑い出しそうになった。

寒さにか負けていたが、やっと来週の半ばから志賀高原にスキーに行く決心がついた。電車の時刻を調べてネットで指定席を予約し、切符を受け取りに行く段になって、3割引きの恩恵に与れるジパング倶楽部会員手帳を取り出すと、何と昨年末で期限切れになっている。慌てて電話で問い合わせると、12月に失効していると、新規発行になり、手続きもが面倒くさく、日にちも数日かかるらしい。更に新規会員様なので当初3回目までは2割引きとさせていただくことをご了承くださいと来た。

ご了解いただければ、郵便局で先ず会費を振り込み、その領収書をファックスしてもらえば、会員証を郵送させて頂きます。こんな紋切り型のお姉さんに付き合っても仕方がないので、散歩がてら上野駅の事務局まで足を運んでみた。窓口が3つあって、番号札を引いて待つこと15分ほどだったか、出てきたのがJR東日本を退職したててな感じの初老の小父さん。こちらの話を聞いて「一応古い会員手帳はお持ちでしょうか?一寸拝見させてください。」と対応が先程の電話サポートのお姉さんとは大違いだった。

これは望みが持てそうだと早速提示すると、直ぐに端末をはじいて「成程もう6回も更新いただいていますね。これで初回の赤い表紙の手帳では申し訳ありませんので、有効期限12月で宜しければ普通の更新手帳を発行させて頂きます。」と有難い仰せ。電車賃を使って上野まで来たかいが有った。長野往復を3回、2割引きと3割引きでは4,5千円は違ってくるだろう。新しい手帳持参で喜び勇んで上野駅のチケットオフィスに行ってみたら、何時もの池袋駅とはこれまた大違い。

格段に広くて窓口の数が全然多い。余り待つこともなく順番が来たので、早速新しいジパング会員手帳を取り出して切符の注文に及んだ。ところが、ここでまた新たな失敗。家を出る前に時ネット上から指定席を確保してあったのだが、スケベ根性から1割引きの指定をしてあった。購入確定ボタンの前に赤い字でよく読んでくださいとの注意書きがあった記憶はあるが、いつもの悪い癖で読み飛ばしてしまったのだ。そこに「この割引はジパング会員には適用されない」旨明記されていたらしい。

勿論こちらに非があるのだから、割引は無しで普通に発行してもらえないかと依頼。これがまたコンピュータの難しいところで、ネット上の購入手続きはネット上からしか操作不可能である。勿論その事は十分理解できるので、今日の購入は諦めて帰宅した次第。

2013年2月24日日曜日

家族の話題 ホッとした気分

一昨日の金曜日、婆さんが2週間ぶりに医者でレントゲンを撮ってもらった結果、骨折していた手首がどうやら引っ付いたみたいだ。少しずつ手先を動かすようにと言われたとのこと。肘から手の平まで固定するギブスも外していいらしい。お陰でこちらの主夫業も卒業させてもらうことになった。ご心配頂いた方にはご報告して、改めてお礼を申し上げます。

昨日は都立高校の入学試験日だったそうで、夕刊に試験問題が掲載されていた。毎年のことだろうが今までは見たこともなかったが、婆さんが見ろというので、見る、読むというよりざっと眺めてみた。とてもじゃないが、恐ろしくて読む気にもならないくらいの量である。小さな活字で4ページか5ページにわたっていたと思う。最初は国語だったが、先ず相当な長文を読まなければ始まらない。

限られた時間内に読むだけでも大変そうだ。我が孫がこれらの試験に挑んで問題をこなせるとはとても思えない。月曜日には学校の先生が正解を教えてくれる筈で、本人は正解率の見当がつくだろうとのことだが、祖父母からすると、この問題を見ただけで諦めがついてよかった。既に受かっている私立の日大桜ヶ丘で十分だろうと意見が一致した。普段めったに意見が合わない二人の意見が一致しただけでも目出度いかぎりだ。

序でにこの試験を国会の先生全員に解いてもらい、点数を発表する制度を確立したら面白いだろうな。インチキ臭い資産公開より為になるのではと大笑いをした。新聞やテレビは安倍総理の言動を「選挙前と異なり、総理就任後は非常に慎重に使い分けている。民主党の先生にも見習ってほしいし、アメリカも評価しているだろう。」と言っている。もし国語の試験に「二枚舌の意味を簡略に記せ」と出たら、「安倍総理のこと」と答えを書くだろう。
恐らく正解の筈だろうが、他がまるで駄目でやっぱり落第だろう。

2013年2月23日土曜日

今日という日を何となぞらえよう?

今日は皇太子殿下の52歳の誕生日である。次の天皇陛下であるから国民の祝日ではないが、こぞってお祝い申し上げるべきかもしれない。アメリカも知らない筈はないだろうが、この日に日米首脳会談をセットさせて、我が国の総理に昼飯まで振舞ってくれたそうだ。会談を終えた我が総理は、単独で記者会見を開き、声高らかに「過去3年半失われた日米の絆が復活した。」と胸を張ってくれた。

早朝からテレビでこのニュースを見た小生は、生まれて初めて敗戦国の悲哀をしみじみと感じた。同時に自分には総理の態度について今更怒る資格が無いことにも気づいた。1945年8月15日終戦の詔勅が出た日はまだ幼稚園生。勿論何の感慨も無かった。しかし今日改めて思うのは、戦に敗れた日本人の大部分は、戦に負けただけで、魂を敵国に売り渡すつもりはなかったのだろう。それが証拠には6年間に亘る占領の苦しい時期を耐え忍び、文化伝統を守りながら、僅か20年くらいで世界からも注目されるような復興を遂げたことでも明らかだろう。

大人は皆頑張ったのに、無責任であったのは我々子供たちである。我々が言い過ぎだとすれば個人で結構だ。終戦約20年後大学を卒業するが、この間にあらゆる面でしっかりアメリカ流の考えに洗脳され、英語なんか勉強したのかさせられたのかは別として、知らず知らずのうちに日本の文化から遠のき、嘗て大半の日本人が持っていたと思われる民族の誇りをすっかり忘れてしまった。小生が卒業する前後から、アメリカの大学に留学することが一種の流行になっていく。

その頃は既に20代の若者に敵国感情なんか全く存在せず、正に坂の上を仰ぎ見る気分になっていた者が殆どかもしれない。アメリカに限らず中国なんかも同じかもしれぬが、彼らは我が国と異なり、国家戦略上からの外国との付き合いを、非常に長いスパンで計画している感じがする。戦った敵国を完全に骨抜きにするためには、教育や文化をもって根っこから掛かるやり方。特に中心ターゲットを若年層に定めたすれば天晴である。

こちらは間違いなく大和魂なんてものは忘れ去った。占領時代マッカーサー達は吉田茂とか重光葵とか清瀬一郎とか、何れも軍人ではないが錚々たる文人達の根強い抵抗に会って往生したことだろう。代わりに若者が飴やチョコレートで取り込まれ、すっかり骨を抜かれてしまった。彼等も腹の中では「いくら抵抗しても無駄よ。そのうちにお前の子供たちが我々の靴を舐めるようになる。」と思っていたに違いなく、今日は本当にその事が完成した記念日みたいものだろう。

死に損ないの爺としては「鳩山元総理みたいに馬鹿呼ばわりされてもいけないにしても、そこまで卑屈にならなくてもいいだろう」との思いがある。それにしても靴を舐めさせる儀式を皇太子誕生日にぶつけたことには恐れ入った。先の戦争でのA級戦犯とされた7名の死刑執行日が当時の皇太子、今上天皇の誕生日12月23日であったことと、不自然な巡りあわせを感じてならない。2月23日は2度目の無条件降伏の日として記憶に値する。

とは言っても安倍氏は我々が選んだ総理でもある。宗主国アメリカの機嫌いや信頼を取り戻せたなら素直に喜ぶべきかもしれない。日本は小なりとも未だ名目的には独立国ではある。しかし、地球上には大国が幾つか存在し、覇権争いは益々激化していくことだろう。いっそここまで属国化したなら、アメリカの日本州として加えてもらったほうが分かりやすいかもしれない。憲法改正より簡単かも。

2013年2月22日金曜日

勝てば官軍はいいけれど

中国では人類の生存を脅かしかねないヤバイ物質が空気中に蔓延しているらしい。日本への影響も多大で、純白に見える雪も溶かしてみると、水底に得体のしれない黒い滓が沈殿するらしい。困ったものだが、空気の話は最近専らこのPM2.5に集中している感がある。一時話題を浚っていた、地球温暖化現象の原因とされた炭酸ガスは何処に行ってしまったのだろう?中国の映像を見ている限り、彼国における炭酸ガス排出は増加の一方ではなかろうか。

地球全体でのそれがどんな傾向にあるか?鳩山元総理が国連で高らかに発表したように、日本がどんなに削減努力をしようが、残念ながら地球全体の排出量は、少しも改善されていないのではないかと心配になってくる。本当のところは知らないのだが、未だ増加傾向にあるとすると、近年の冬の寒さは一体どう説明されるのだろう。ヒマラヤやヨーロッパアルプスの氷河が縮小している話はよく聞く。だからこそ、地球規模のことは個人的判断で断ずることが出来ない。

今年日本が異常に寒いのは偏西風の流れが平年と異なり、大きく蛇行しているとも言っている。そもそも偏西風が何故今年大きく蛇行するのか、そこを教えてほしいものだ。でも、これも意地悪な質問で、偉い気象学専門家にも答えは簡単に見つけられないのだろう。どこかでアメリカの学者だったか、雲の出来る原因すら厳密には解明できていないようなことを言っていた。

マスメディアには結果を見てから後付の解説を偉そうに述べる傾向がある。メディアの無責任さについては、受け手の我々は承知して気を付けるべきだ。地球温暖化問題についてメディアが沈静化している原因の一つにエネルギー事情もある可能性が高そうだ。原子力発電は当分見込めず、輸入に頼るガスや石油火力もコスト上昇で芳しくない。必然的に石炭火力見直しもある。それで意識的に地球温暖化問題に対して目を背けているとしたら、余りにもご都合主義に過ぎる。

どうでもいいことかもしれないが、メディアのご都合主義に関連してもう少し批判すると、スタートしたばかりの新政権を特別けなす必要もないが、ベンチャラが過ぎるのは余り感心できない。経済面で新政権への期待から円安株高になっているのは事実で、このことについては、新政権の政策の一環として評価する論調が主流を占めても当然かも。まだ何も見えない外交に関しても、新政権の意欲を積極的に取り上げるのを善しとしよう。

但し、政治報道の際、与党の先生方が慣用句にしている「民主党政権が滅茶苦茶にした日本経済立て直し」とか「民主党政権が壊した日米の信頼関係回復」を報道の枕詞に使っている。芸能番組ならいざ知らず、どんな検証や証拠を見出してのことだろうか。確かに民主党の政策には大きな瑕疵が沢山あっただろう。政治家は勝てば官軍だから何言ってもいいが、報道関係者が無責任に使うべき言葉ではなかろう。重傷を負って生命の危機に瀕している者に対してそこまで言うかである。

たまたま一昨日の新聞に「オバマ氏は野田前総理をとても信頼していた」との控えめな記事を見つけたので、少しホッとした気分になっていた今朝、又安倍訪米に関してお定まりの枕詞を聞いて残念である。日露交渉にしても森特使派遣の道筋を誰が付けたかはメディアは何も言わない。これも新党大地と民主党政権がつけた道を、新政権が引き継いで進んでいるに過ぎないことは明らかなのに、一言あっても罰は当たるまい。