2013年2月27日水曜日

昨日に続いて 226事件

今朝、婆さんが唐突に変な事を言いだした。「鈴木貫太郎さんて偉かったわね、何よりも奥方が偉い。」「え、鈴木て誰のこと?」思わず聞き返すと、やはり海軍大将で終戦時の総理大臣であった氏のことであった。昨夜は21時のニュースに特段興味がなかったので、21時半前に自室に閉じこもってテレビ東京の「お宝鑑定団」を観てしまったが、その後で、226事件当時のことを鈴木大将夫人が証言しているテープの発見が有ったことを流したらしい。

昨日226についてブログに書いたとは一言も言っていなかったのだが、長年連れ添っただけのことはある。あの半藤一利さんでさえ衝撃的な記録ですねと言っていたわよとのことだ。いつもいい加減な事ばかり書いているが、昨日もまた決定的な間違いを犯しているのではと心配になり、今朝早速にその番組をNHKオンディマンドで視聴した。確かに非常に興味深いドキュメントで、エジプトの気球墜落や補正予算より先にこれを放送しろと言いたくなる。

確かに婆さんが感激して視聴を薦めるだけの価値があった。鈴木貫太郎大将は長いこと昭和天皇の侍従長を務め天皇の信任が厚かったこと、77歳の高齢にも拘らず1945年の4月に総理を引き受け、我が国を終戦に導いて救った人であることぐらい知っていた。でも奥方については何も知らない。終戦当時の軍人の奥方で知っているのは杉山元陸軍大将の奥が有名だ。終戦後の9月のある日、夫人は主人に「まだぐずぐずしているのですか、さっさと自決しなさい。」と促し、大将がピストルで自決して息が切れたのを見届けてから、自身衣装を変え両膝を縛って短剣で喉を突いて自決したこと。

いつの世も女性は強く偉いものだ。鈴木夫人のインタビューの一部が流れたのであるが、録音メディアがテープになっていた。勿論226事件当時にテープが存在することはあり得ないだろう。テープでの録音はソニーの開発と理解してるので、戦後も数年経ってのことだろう。事件当時のことを非常に生々しく語っておられる。大将が寝ている隣の部屋で銃を突きつけられて襲撃の一部始終を見守っていたとのこと。

大将が40数発の弾丸を浴びて血まみれで倒れ伏し、襲撃した兵(10数人いた模様)が引率していた将校の安藤大尉に向かい「隊長、とどめを!」と叫んだ時に、夫人が「とどめだけはやめてください!」と叫び、聞いた安藤大尉が思い止まったとのこと。安藤大尉は鈴木大将と面識もあったらしいが、この一言で大将は九死に一生を拾い、九年後に日本を救うことになった訳だ。
この番組の後で、21日に放送された「BS歴史館 徹底検証 二・二六事件~日本をどう変えたのか?」まで観てしまった。

ここでも知らなかった事実を沢山学んだ。ひとつには当時軍人には選挙権も被選挙権も付与されていなかったこと。故に大正末期から昭和の初めにかけて、徐々に暴力がのさばり初め、226事件で陸軍の下剋上が始まり、老人の知恵が断ち切られ軍部の暴走が決定的になったとされる。それでも尚、疑問は沢山残る。書き始めるときりがない。昨日と同じテーマになってしまったが、これからの政治を考えるためには研究に値する事件テーマだろう。

蛇足ではあるが、鈴木大将の遺訓が母校前橋市立桃井小学校に残っている。
校歌になったり碑が碑が建てられたり、夫人の立派な書もある。
「正直に腹を立てずに撓まず励め 鈴木孝子(たか)」

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