2020年12月14日月曜日

会話の無い社会

 本日は今年最後のお仕事、歯科医の定期検診。コロナ対策で予約数を絞っているのか、客数が昨年に比べると大分少ない気がする。ケアしてくれる歯科医か看護師か分からないが、これも新顔。所要時間は毎回40分としたものだったが、これも半分程度で終わってしまった。「普段よくケアしていらっしゃるのでまた半年後で結構です。」このセリフも初めて聞いた。これまでは「3ヶ月か4ヶ月後にまた診させてください。」が常套句だったが、こちらが勝手に半年にしてただけ。

受付もこの半年で大分変わっていて、診察券をカウンターに置くと見慣れた受付嬢が「アルコール消毒と検温をお願いします。」とのこと。なるほど眼の前にそれらしき装置がある。検温は置かれた機械に手をかざすだけ、消毒はどこを押せばアルコールが出るか分からず、瞬間戸惑うと受付嬢が「手を出せば自動で消毒液が噴射されます。」とのアドバイス。診療後の精算も診察券を機械にかざして金額を確認のうえ、機械とのやり取りで精算。受付嬢とのやり取りがすっかり短くなってしまった。

毎年暮れには卓上カレンダーを貰っていたが、これも用意が無いようだ。受付で待機する客数が少ないこともあるからか、待合席に常時あった新聞雑誌は全く無くなった。歯科医とすれば投資はそれなりの物入りだったかもしれぬが、逆に合理化できたことも少なくないだろう。どちらにせよ前から繁盛していたからすぐ元を取ってお釣りが来るだろう。

他人事ではなくてこちらも今年はコロナのせいで不愉快なことは多かったが、学んだことも多いとしなければならぬだろう。どれだけ身についたか分からぬが、我慢と辛抱が一番かな。今日の歯科医でもそうだが、とにかく無駄なおしゃべりというものが無い世界に放り込まれてしまった。馴染みの店で食事をする時のほんの二言三言が唯一の救いだから容易じゃない。

明日は1年ぶりで友人と会食する約束がある。前回会食したのは別の友人とだが9月の初め、ここからでも3ヶ月ぶりだ。時節柄遅くまではいけないだろうが、それでも2時間位はゆっくり話ができそうなので楽しみだ。

2020年12月13日日曜日

外国語の学習

 中学に入学したばかりの頃、英語が面白くて高校くらいまでは一所懸命単語を覚える努力をした記憶がある。しかし昔から記憶力が貧弱だったみたいで、6年間勉強しても物にならず、英語の読み書きも会話も全くダメである。小学生時代は漠然であるが外国に憧れていたが、我が人生では外国で活躍する夢は1度も実現しなかった。観光目的で英語圏の国へ旅行した経験もいくらかあるが、英語を話せた記憶はゼロに近い。だから英語が出来る人が羨ましくてしかたない。

それはともかくとして、いつも不思議に思っているのが昔の人の外国語習得方法。歴史に残る最古参は奴国王だが、これは古すぎて年代の特定が難しすぎる。はっきりしているのは百済と協同して戦った坂上田村麻呂と言えば8世紀から9世紀初頭に活躍したの貴族らしいが、この頃既に大陸の国(百済)と協定を結んで東北で夷狄と戦っている。夷狄とは大陸系の民族だったか列島内の民族だったかは分からない。何れにしても大和言葉とは異なる言語を使用していた民族だろう。

9世紀になると大陸との往来はより活発になり、最澄や空海といった坊さんが大陸に留学して勉強すらしている。現代人がアメリカのハーバート大学に留学する以上に大変だったに違いない。明治維新以降になると同じく坊さんの河口慧海がチベットやネパールに単身乗り込んで多くの経典を持ち帰っている。彼らが外国人と折衝するに手真似だけでは通じる筈もない。文字の読み書きが物を言ったに違いない。

ここからは勝手な類推になるが、大陸の文化を日本に最初に齎したのは朝鮮半島の民族で、文字を持ち込んでくれたようだ。仏教伝来を「ほっとけほっとけゴミや(538年)さん」と習ったように6世紀半ばには半島から仏教と文字が大量に流れ込んできたのだろう。だが日本人昔から喋りが不得意だったのかもしれぬ。字を習い、これを日本の言語の当てて仮名を作り上げていったに違いない。英語を聞いて「ザットイズハボツクス」とカタカナで当てたようなものだ。

小生は間違いなく大和民族の血を引き継いでいる、と妙なところで安心している次第。

2020年12月12日土曜日

弱点の克服

 毎日何となく書き綴ってきたこのブログで、自分には難しすぎることなどを含め偉そうに書いている。今日は年末だからという訳でもないが自分のことについて少し書きたい。今朝も少し喉が痛くてコロナが心配になった。とにかく毎日池袋迄を往復彷徨っているのだから、いつ感染しても不思議は無い。風邪薬の「改元」でも飲もうかと思ったが、薬に頼りすぎるのもいけないと思って取り敢えずは放置している。

しかし、こまま行って無事来年の誕生日4月になれば目出度く81才、80の坂を超すことになる。峠を目前にして思うのはよくぞここまで来たものだとの感慨と、思いはこれまで耐えてきた自分の身体の弱み。子供の頃からカラ元気だけは人一倍だったものの、身体は極めて弱く、小学生時代からあらゆる種類のお医者さんの世話になってきた。内科は勿論だが耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科、眼科に加え外科もしょっちゅう。

居間の戸棚に鎮座していた薬箱には包帯やガーゼの他にオキシフル、ヨードチンキ、赤チンキ、正露丸、熊の胆、メンソレータムが入っていたような気がする。子供心にちょっとした怪我とか腹下しは自分で薬箱から必要品を取り出す知恵もついたものだ。両親は比較的健康だったが、父も消化器には少し自信が無かったのか、養命酒や整腸剤のミヤリサンを毎朝飲んだりしてたし、万座温泉に1ヶ月ほど役所を休んで湯治に行ってたこともある。腸が弱いのが親譲りだ。

長じてサラリーマン生活に入ってからも、毎冬1度は風邪をひくの当たり前で、風邪薬持参でスキーに行った記憶もある。入院を要するような大きな病気も度々あったが、不思議なことになんとか持ち堪えた。遥かに元気そのものだった友人が何人か既に亡くなっている。一病息災はよく聞くが、十以上の病気を患い、現代風に言えば基礎疾患とも言える前立腺がんを抱えながら、新型コロナという厄介な疫病を避けて生き延びるために、素人ながら己の弱点をよく知り、克服するよう努力したいと考えた。

基本はやはり規則正しい生活で、食事と運動と睡眠をバランスよく取ることだろう。食事は1日に30種類以上の食材を2回か3回に分けて摂取すること、運動は1日1万歩は歩くこと、睡眠は0時を挟んで最低6時間(理想は7時間かな)は寝ること。次に大切なのがお腹の調子を保つためだが、過ぎないこと。食べすぎ飲み過ぎは禁物。お陰でこのところ嘗て弱点であったお腹の調子が、だいぶ良くなっているような気がする。

2020年12月11日金曜日

年越しの準備

 12月も10日を過ぎると、温暖とされる東京でも朝晩は流石に寒くなってきた。と言っても精々10度を少し下回る程度だ。晴れさえすれば昼間はかなり暖かい。小一時間歩くと汗が滲んでくる。基本的に地上を歩く時はマスクをしないが、地下街ではするようにしているので息苦しかったり、眼鏡が曇ったりするので大変だ。マスクも50枚入りが千円を切るようになっているので購入しようかと思ったが、今日はやめた。

どうも根がケチで、1日の出費が3千円を超すと精神的に急速にブレーキが掛かる。その前に、トイレに貼るための1枚ものカレンダーを貰うために、年末にしか行かない長野の八十二銀行に行って預金通帳に1年分の公共料金の支出を印刷してきた。年間支出が大凡30万円くらいかと思っていたが、10万円もオーバーしていたせいもある。昼飯の他に月間文藝春秋新年号や来年の小手帳を買ったりしたので出費が3千円を超えてしまったからである。

ケチな話になったが、マスクなんて3枚もあれば十分と教えてくれたのが下の娘。不織布であろうと何度も洗って使い回せばいいそうだ。上の娘はいつも端切れで作った自家製のマスクをしているし、ケチは我が家の良き伝統かもしれぬ。年末恒例の買い物としては孫たち用のお年玉を入れるポチ袋。これについても毎年不思議に思うのだが、鳩居堂にもイトー屋にも<お年玉>と印刷されたポチ袋が見当たらないことだ。

年賀状は昔にやめているので、これで年越しの準備が終わったようなものだ。

2020年12月10日木曜日

後期高齢者

 平均寿命に達しているので、この先何年生きることになるか、そう長くはないと思うが予想できない。うまく行けば後2年ぐらいはいきるかもしれない。そんな年寄が来年のことを言えば鬼に笑われてしまう。しかし他に書くべきことも無かったので、鬼さんに笑われることを承知で書いておく。しかも再来年のことだ。

昨日首相と公明党の山口代表が会談をして、再来年10月から後期高齢者の医療費費を引き上げることで合意したとのこと。何故こう言ったことが国会が閉幕してから態とらしく話題になるのかが不思議だが、税金を取りやすいところから取る、を絵に描いたような話だ。マスコミはそういったことについては何も言わない。尤もらしく首相の意向に公明党が異を唱えて、引き上げる対象者の収入で1週間掛けて揉んだことを騒がしく言い募る。正に茶番そのもの、出来レースの極みだろう。

再来年までに野党に政権が移り、アメリカでよくあるように野党がこの決定をひっくり返すことがあれば結構だが、マスコミはそんなことはありえないとの判断だろう。報道によればいわゆる後期高齢者は全国で1815万人程。中で現役並みの収入があり医療費3割負担している人の割合は約30%とのこと。我が友人にも3割負担の人が多いが、残念ながらこちらは1割負担。

昨日の自公両巨頭の会談で目出度く2割負担する仲間に入れてもらうことになる。今回の線引は年収200万円以上、ありがたい年金のお陰で幸いのもその仲間に入れて頂けた訳だ。同じくランクアップされた方は全体の20%だそうだから、1割負担での後期高齢者は全体の半分になる勘定。何年前のことか忘れたが、あの後期高齢者騒ぎは一体何だったのだろう?区役所に行くと、後期高齢者は保険を含め諸々の手続きが75才以下の人と別になっている。

利用者の手続きが複雑になれば、事務を執行する側も余計手間が掛かるだろう。行政改革を大胆に実行なんて言う前に、現行システムの問題を洗い直す必要がありそうだ。今年は医者通いをしないように頑張ってきたので、通年の医療費は未だ1万円になっていない。しかし昨年までは確定申告で10万円以上を申告してきた記憶がある。来年も健康に留意して医者通いはしないように務めるつもりだが、如何せん生身の身体だ。再来年まで生き延びれば20万円以上の支出にもなりかねない。

これまで70円の支払いで済んでいた日大病院放射線科の検診費用金70円也が目出度く140円也になるくらいは笑って済ませるが、歯医者の定期検診は990円は2000円に跳ね上がる。昼飯1回分以上かもしれぬ。兎も角医者通いを少なくして長生きを図ることに注力しよう。

2020年12月9日水曜日

自衛隊の医療支援

 中国かぶれしているみたいで気が引けるが、昨夜から報道されている自衛隊の医療部隊派遣報道には些か、否大いに失望を禁じえない。今朝の段階では大阪市への派遣の詳細は分かっていないので北海道旭川市への派遣報道だけで書いている。防衛大臣が態々テレビカメラの前で発表した内容だ。しかも日曜日だったか一昨日の月曜かは忘れたが、菅首相自ら大阪や旭川の医療崩壊の実態は分かっているとして「自治体からの要請があればすぐに自衛隊を派遣する準備は整っている。」と断言したことも記憶にある。

どれもこれもふざけた話だ。実態について首相まで報告が上がっているなら「自治体からの要請があれば」は余計だろう。実際旭川市の病院からは、既に先週市に対して自衛隊の派遣要請をしたものの道段階の判断で一度断られている。事程左様に政府の発表は、実態とかけ離れたものが多すぎる。自衛隊の医療人材には余裕が乏しいなら、そうとはっきり言うべきだ。だから派遣される自衛隊員だって気の毒だし、要請した方だって「そうか、ならば他の方策を考えなきゃいかんな。」となるではないか。

出来もしないことを出来ると言うことほど罪は重い。政府が頼りにしてきた分科会長の尾身会長が日曜日のNHK日曜討論に出演して次のように言い放ったそうだ。日刊ゲンダイからの引用である。「実は日本がしのいできた理由のひとつに、クラスターを早く見つけて感染源を(特定した)ということがあるんですけど、もう保健所が疲弊して、クラスターの感染源を見つけるという方法が取れなくなっている。」即ち日本が感染拡大を阻止してきた切り札である「クラスター対策」を、もう使えなくなった――と白状したのだ。要するに「敗北宣言」である。この発言には、出演していたコロナ担当の西村経済再生相もビックリしたのか、こわばった表情を隠さなかった。引用終わり。

重傷者や死者の数が少ないと高をくくってきた罰が当たったかどうかは措いても、東大の児玉龍彦氏が7月の半ばに参議院で参考人として述べた時の資料をデスクトップに置いてあるが、だんだんそれが本当になってきた。学術会議に年間10億円の政府支出ケチる自民党のことだ。経済活動の下振れをなんとか抑えたいつもりらしいが、打ち出した政策もご粗末で経済的にも悲惨な状況は深まるばかり。自民党幹部までがバカにしている中国は経済活動もだいぶ回復して、少なくとも今年度もプラス成長になるらしい。彼らが初動で何をしたか、上海から武漢に送り込まれた医療チームの女性医師の記録は共産党の宣伝にしても感動的だ。(11月24日の読後感を是非参照願いたい)

重傷者数と死亡者数は児玉氏の言うとおりになってきた。地獄を見るまで気が付かないのはアホと言うほかない。

2020年12月8日火曜日

雑感「開戦の日」

 昭和15年生まれだから、記憶に残るところは精々20年の終戦の日頃からしか無い。教育を受け始めたのが更に2年後からだから、誕生する前の日本近代史は殆ど知らないに等しい。ただ誕生翌年の今日12月8日に、日本が対米英蘭(だったかな)に向け宣戦布告を発したことだけは知っている。それから80年余りの歳月を経た今日思うのは何も知らずに来た日本近代史のことだ。

昭和15年は西暦1940年、明治時代が幕を開けたのが1868年だから明治元年から小生が誕生するまでの時間は72年、既に年齢より短くなってしまった。今朝の朝日新聞には真珠湾攻撃に参加した102歳の方のコメントが掲載されている。真珠湾攻撃についても新たな事実を知ることになったが、それ以前の大正時代や昭和初期のことを知らなすぎると痛感している。日本人は何故大陸で長年戦争を続けていたのだろう?

近代史の専門家に尋ねれば簡単に教えてもらえるのかもしれぬ。明治大正そして昭和の初期時代、我が国は貧しかったかもしれぬが、多民族が居住する大陸に攻め込んでまで領土拡大の必要性は何処から来たのかが知りたい。最初に朝鮮半島や台湾を、やがては大陸の内部に浸透して領土は拡大したようにも見えるが、ロシア時代のロシアとはそこそこ勝った戦もあるが、ソ連時代になるともうボロ負け。大陸での戦も相手が複雑過ぎて結局誰にも勝てなかったようなものではなかろうか。

国内的には戦争ではなく事変だなんてごまかして国民を騙し続けても、軍を投入しているのだから戦争そのものだ。今の政府も国民を騙すことに関しては、当時の政府に引けを取らない。政府は代わるたびに成長してほしいが、99代にしてなお成長を期し難いとは情けない限り。国民が内閣を作っているのだから、国民性によほど問題があるのかもしれない。

毎年12月8日には先の大戦に関して思いを書いてるはずだが、昨年は8日の記述が無くて9日に「開戦の日:昨日のことではあるけど忘れてはならないこと。あったことを無かった事にしてはいけない。」とだけ書いてあり、一昨年は戦争に散った先人に思いを馳せている。平和な時代にボーッと生きた年寄りには子や孫に伝えるべき話が見つからない。