スマホの依存症になる若者たちが増えているようだが、自分もパソコンの依存症みたいでお恥ずかしい限りだ。しかし考えてみるとこのインターネットなる代物、誰が考えたか、どのような仕掛けになっているか、皆目分からないが恐ろしいものだ。先ず碁会所に行かなくても四六時中囲碁が打てる。しかも手合いが同レベルの対局相手を瞬時に選んで組み合わせてくれる。時によってはその相手が地球の裏側に居ることさえある。
今や当たり前のこととして何の疑問も抱かずにいるが、20年位前には想像すらしなかったことだ。まるで鎌倉か室町時代の日本のような国の取り合いや殺し合いを演じている遠い砂漠にすむ民族でさえ、この通信システムを利用していることも不思議でならない。現代の戦争は兵器の発達で、人間はおろか都市そのものが滅茶苦茶に破壊されるように見えるのだが、そんな中でどのようにして、重要度から言えば比較的低いインフラと思われる通信環境が確保されるのだろう?
通信機能は基本的に線が繋がっていないとうまく機能しない、と小学生以下の知識で考えていたが、よく考えてみると、ポケットに入っている携帯電話は線が無いのに話が出来ている。パソコンも少し前まではしっかり電話線で繋がっていたが、最近はその電話線が家庭内の1か所まで来ているが、そこから複数のパソコンに無線で繋がっている。要するに必ずしも線は必要ないのかもしれない。砂漠の民族の中には、平和国家のボケ老人とは比べものにならぬ高い電子工学知識を持つものが居るのだろう。
金星まで飛ばしたロケットを無線で操縦する時代だ。諸外国は一様にこの分野の強化に励み、北朝鮮なんかも相当力を入れていると仄聞する。ある意味で凄く結構なことではないか。無線で相手国の通信システムを乗っ取ることが出来れば、大勢の人間を殺傷せずに相手国の戦闘能力を無力化できるだろう。原子爆弾なんかの開発をやめて、そっちに傾注すること薦めたいが、まあできない理由があるのだろう。
つい先日、携帯に不愉快な電話が来たので、その番号の着信拒否設定をしようと、あれこれボタンを弄っているうちに<全機能停止>が表示されて、何処を触っても一切反応しなくなってしまった。結局ドコモショップに出向いて解除してもらう羽目に。若いお兄さんが目の前でものの5分と掛からずに解除してくれた。序でに着信拒否の設定もしてもらったが、暗証番号の入力を求められて、また慌ててしまった。設定した覚えがないと言っても「いえ、必ずして頂いています。これはと思う番号で試してください。」とのこと。
銀行などで使う度に更新を求められる番号を入力すると合っていた。暗証番号は一定期間で必ず更新しましょう、なんて言われても誰が更新なんかするものか、である。
2015年1月31日土曜日
2015年1月30日金曜日
気の持ちようだ
終日雪になったり霙になったりで気温が全く上がらない。パソコンでニュースを見ていると気分まで落ち込みかねない。外に出ると道が滑ってあぶないので、流石に池袋まで歩くのはやめて久し振りに地下鉄で行ってみた。店も空いているだろうと思いきや、やはり都会の集客力は凄いものだ。時間帯も良かったのだろうが、デパートの食堂はどこも超満員で入場待ちの行列が出来ている。懐も寒いのだが、こんな日こそお腹も気持ちも暖かくしなければいけないと思って、和風スパゲッティ―屋で昼にしては豪華に食べてしまった。
スパゲッティ―も美味かったが、2杯も飲んだほうじ茶とデザートのあんころ団子で何とも言えず暖かくなった。明日は明るい日になることだろう。最近つくづく思うのだが何事も気の持ちようだ。昨日メジャー野球選手のイチロー君がマリーンズに移籍とのことで球団の記者会見が日本で開かれた。彼曰く「25才でも40歳に見える人もいるし、40歳になっても25歳の若さを保っている人もいる。私はそれを目指して頑張りたい。」彼のみならず最近の運動選手は大概とてもしっかりして、実にうまいことを言う。
オジサンやオバサン選手は当然にしても、10代20代の選手の話に感心することが多い。イチロー君に触発されたわけでもないが、来週は古い友人たちと志賀高原でスキーをすることになっている。寒いとばかり言っていられない。元気を出さずばなるまい。それにしても国民を勇気づけてくれるのが運動選手ばかりで、政治家の話を聞いていると情けなくなるのは困ったことだ。
スパゲッティ―も美味かったが、2杯も飲んだほうじ茶とデザートのあんころ団子で何とも言えず暖かくなった。明日は明るい日になることだろう。最近つくづく思うのだが何事も気の持ちようだ。昨日メジャー野球選手のイチロー君がマリーンズに移籍とのことで球団の記者会見が日本で開かれた。彼曰く「25才でも40歳に見える人もいるし、40歳になっても25歳の若さを保っている人もいる。私はそれを目指して頑張りたい。」彼のみならず最近の運動選手は大概とてもしっかりして、実にうまいことを言う。
オジサンやオバサン選手は当然にしても、10代20代の選手の話に感心することが多い。イチロー君に触発されたわけでもないが、来週は古い友人たちと志賀高原でスキーをすることになっている。寒いとばかり言っていられない。元気を出さずばなるまい。それにしても国民を勇気づけてくれるのが運動選手ばかりで、政治家の話を聞いていると情けなくなるのは困ったことだ。
2015年1月29日木曜日
観劇感想【奇跡の歌姫「渡辺はま子」】
映画は昔から好きだったが、最近は観たい映画に出くわさないので、映画館に足を運ぶのは1年に精々1回か2回ぐらいのものだし、観劇の趣味は昔から無いに等しい。結婚相手がそっちの趣味をお持ちだったので、何回かお付き合いして程度のことである。ところが、この暮れから今月にかけて不思議なことに劇場を何回か訪れることになった。まず最初は孫の幼稚園のクリスマス会、このブログにも書いたが12月中頃だった。次が暮れも押し迫った頃暇つぶしに映画でもと思ったが碌な映画が無かったので、ならばいっそ新歌舞伎座の中を見たいとの好奇心から、何十年かぶりで歌舞伎を4階の立見席から2幕だけ観たものだ。
そして昨日、今度は横浜のみなとみらい地区にあるランドマークホールに赴き、横浜夢座15周年記念公演『奇跡の歌姫「渡辺はま子」』を観劇してきた。真冬の寒い日に滅多に出向かない横浜まで出かけたのは訳がある。大卒後最初に就職した広告会社の制作部長だった先輩が薦めてくれたのだ。この芝居の脚本を手がけた(山崎洋子さん)が同じ会社に勤務していたコピーライターで、昔は部長の部下に当たる人だったとのこと。記憶に無いかと言われても、全く思い出せない。芝居内容も面白いぞとの話もあったので、それではと出かけた次第。
横浜は久し振りでもあり、みなとみらい地区やランドマークタワーについて話には聞いていたが、行ったのは初めてである。新しく作られた都市だけに街全体に異国情緒を感じてしまった。しかし時間的には1時間足らずと意外に近い。東急東横線に乗り入れている東京メトロの副都心線で乗り換えなしで行ける。東横線では嘗ての桜木町駅がみなとみらい駅になったらしくて分かりやすい。下車駅が既にクイーンズスクエア横浜なる大型の複合施設で、その中のタイ飯屋で昼食を摂った。池袋ではお目に掛かれない広い店だったが客が全然少ない。
時間的に13時ではあったが、それにしても席が空き過ぎて、これも異国情緒になっていたのかもしれない。横浜と言えば首都圏の都会の筈だ。それでも都心と外れではこうも違うのか、地方再生なんて掛け声だけでは地域格差の解消なんて容易ではないだろうとしみじみ思う。しかし芝居会場ランドマークホールに行くとこれまたびっくりする豪華さ。大きな複合施設の5階でキャパは400席程度と思うが、満席である。今度は逆に、昨年末池袋で寄席に行った時の寂しさを思い出して複雑な気持ちになってしまう。
余計なことばかり書いてしまった、肝心の芝居について。先ず芝居や役者の良し悪しについては全く論じる資格も無いし、つもりも無い。主役が名前だけはきいたことがある五大路子さん。主役でもあり座長でもあって、15周年とあるから長いことここで演劇活動を続けているのだろう。婆さんはよく知っていて、行くか行くまいかと逡巡してた時に背中を押してくれた。芝居の内容をごく簡単に言えば、戦後の人気歌手渡辺はま子が歌ってヒットした曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」の誕生秘話である。
歌手の名前も曲そのものも微かながら記憶にあり、フィリピンの捕虜収容所と関係があることまでは知っていたが、それ以上のことは全く知らなかった。しかし観劇中に涙が零れ落ちて困るほど心を打つものがあった。話は昭和20年代半ばから後半にかけてのことである。既にすっかり忘却の彼方に沈んでいるが、小学校高学年になっている時代なので、少しの刺激で当時の生活について記憶が甦ってくる。座長も脚本家の山崎さんも当然ながら小生よりはお若い筈。なのによくここまで心のひだを衝いてきたものだ。
一つには歌手「渡辺はま子」の性格や人生そのものが感動的であり、二つ目には座長や脚本家或いは制作に関わる大勢が、そのことに思いを深くしている所以でもあろう。戦後70年の節目と騒がれる現在、戦争、いや戦後ですら記憶に残るところは非常に薄く、知らない人間が遥かに多くなっている。時恰も遠くの国で戦争に巻き込まれた邦人のことに世間の耳目が集まってもいる。少し離れて考えれば、再び戦争に巻き込まれつつあることでもあろう。
経験からすると、人間は苦しく悲しいことはできるだけ早く忘れようとするものらしい。戦中戦後苦労された人の多くは、苦労について語ることが少なかったのではなかろうか。しかし、国家も同じでいいのだろうか?この芝居を観て、忘れてはいけないことがあるとの思いが強い。現在の政治動向を見ていると不安が増すばかりだ。
脚本を書いた作家の山崎さんはパンフレットに一文を寄せ「戦争責任は、すべての大人が担うべきだと、私は思う。」と書いている。一人でも多くの人に観劇を薦めたい芝居だった。
そして昨日、今度は横浜のみなとみらい地区にあるランドマークホールに赴き、横浜夢座15周年記念公演『奇跡の歌姫「渡辺はま子」』を観劇してきた。真冬の寒い日に滅多に出向かない横浜まで出かけたのは訳がある。大卒後最初に就職した広告会社の制作部長だった先輩が薦めてくれたのだ。この芝居の脚本を手がけた(山崎洋子さん)が同じ会社に勤務していたコピーライターで、昔は部長の部下に当たる人だったとのこと。記憶に無いかと言われても、全く思い出せない。芝居内容も面白いぞとの話もあったので、それではと出かけた次第。
横浜は久し振りでもあり、みなとみらい地区やランドマークタワーについて話には聞いていたが、行ったのは初めてである。新しく作られた都市だけに街全体に異国情緒を感じてしまった。しかし時間的には1時間足らずと意外に近い。東急東横線に乗り入れている東京メトロの副都心線で乗り換えなしで行ける。東横線では嘗ての桜木町駅がみなとみらい駅になったらしくて分かりやすい。下車駅が既にクイーンズスクエア横浜なる大型の複合施設で、その中のタイ飯屋で昼食を摂った。池袋ではお目に掛かれない広い店だったが客が全然少ない。
時間的に13時ではあったが、それにしても席が空き過ぎて、これも異国情緒になっていたのかもしれない。横浜と言えば首都圏の都会の筈だ。それでも都心と外れではこうも違うのか、地方再生なんて掛け声だけでは地域格差の解消なんて容易ではないだろうとしみじみ思う。しかし芝居会場ランドマークホールに行くとこれまたびっくりする豪華さ。大きな複合施設の5階でキャパは400席程度と思うが、満席である。今度は逆に、昨年末池袋で寄席に行った時の寂しさを思い出して複雑な気持ちになってしまう。
余計なことばかり書いてしまった、肝心の芝居について。先ず芝居や役者の良し悪しについては全く論じる資格も無いし、つもりも無い。主役が名前だけはきいたことがある五大路子さん。主役でもあり座長でもあって、15周年とあるから長いことここで演劇活動を続けているのだろう。婆さんはよく知っていて、行くか行くまいかと逡巡してた時に背中を押してくれた。芝居の内容をごく簡単に言えば、戦後の人気歌手渡辺はま子が歌ってヒットした曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」の誕生秘話である。
歌手の名前も曲そのものも微かながら記憶にあり、フィリピンの捕虜収容所と関係があることまでは知っていたが、それ以上のことは全く知らなかった。しかし観劇中に涙が零れ落ちて困るほど心を打つものがあった。話は昭和20年代半ばから後半にかけてのことである。既にすっかり忘却の彼方に沈んでいるが、小学校高学年になっている時代なので、少しの刺激で当時の生活について記憶が甦ってくる。座長も脚本家の山崎さんも当然ながら小生よりはお若い筈。なのによくここまで心のひだを衝いてきたものだ。
一つには歌手「渡辺はま子」の性格や人生そのものが感動的であり、二つ目には座長や脚本家或いは制作に関わる大勢が、そのことに思いを深くしている所以でもあろう。戦後70年の節目と騒がれる現在、戦争、いや戦後ですら記憶に残るところは非常に薄く、知らない人間が遥かに多くなっている。時恰も遠くの国で戦争に巻き込まれた邦人のことに世間の耳目が集まってもいる。少し離れて考えれば、再び戦争に巻き込まれつつあることでもあろう。
経験からすると、人間は苦しく悲しいことはできるだけ早く忘れようとするものらしい。戦中戦後苦労された人の多くは、苦労について語ることが少なかったのではなかろうか。しかし、国家も同じでいいのだろうか?この芝居を観て、忘れてはいけないことがあるとの思いが強い。現在の政治動向を見ていると不安が増すばかりだ。
脚本を書いた作家の山崎さんはパンフレットに一文を寄せ「戦争責任は、すべての大人が担うべきだと、私は思う。」と書いている。一人でも多くの人に観劇を薦めたい芝居だった。
2015年1月28日水曜日
島国である故に
日本は太平洋の西端に浮かぶ島国で気候が比較的温暖なことから、昔から自給自足が可能で、自国内を食いつぶして他国を侵略する発想は比較的少なかったと理解している。倭寇の跋扈や豊臣秀吉の朝鮮侵略はむしろ例外で、海外(外国)とは交易を通じて豊かさを求める姿勢が主流であったと思う。従って一部の知識人を別にすれば、海外情報に関しての関心も薄く、海外事情には疎い国民性は仕方あるまい。
と勝手に国民性を規定すれば、自分は典型的な日本人と言える。現在は21世紀となっているが、150年前の19世紀中頃、急に(と日本人は思ったに違いない)欧米人が日本に来て無理難題(と受け止めたと思う)を吹きかけてきた。平均的日本の役人(官僚や政治家と言うべきか)はさぞびっくりしただろう。一般庶民はどうだったか?海外事情なんぞ全く関係ない世界で生きている訳だから、役人の慌てぶりを面白がって見ていたかもしれぬ。
現在の我が身とどこが違うのだろう、何も変わらないようなものだ。欧米人は古来我が国を黄金国ジパングと称して憧れたようだが、気持ちが分からなくもない。現代の兵器を使えば、海に浮かぶ島国でも攻略することは可能だろうが、占領して統治するとなれば相当な補給線を確保する必要があってかなり厄介だろう。侵略が得意の欧米人にとっても、戦争に勝っても本格的侵略は難しいのだろう。1945年の終戦当時もそのような判断がなされたに違いあるまい。
先住日本人にとっては実に有難い地理的条件ではないか。世界情勢をあまり気にせずぬくぬくと生活できる国土に感謝せずにはいられない。現代は通信技術の発達で、一般庶民にも100年以上前とは比べものにならない海外情報がもたらされている。知識人も増え、短いコメントであっても断片的に解説を加えてもらえるので、朧げながらではあるが、海外事情を推意することも可能だ。しかし、断片的な事件が取り上げられて断片的な解説が加えられても、残念ながら(或いは幸いにもかもしれぬ)、欧米を覆っている潮流を感じることはできない。
ある人に言わせれば、今世紀は従来の国家が消滅していく世紀だとも言う。確かに中東からアフリカ、ひいては欧州の混乱を仄聞すると、人種の入り混じる世界では大変なことが起っているのかもしれぬ。昨日報道されたスペインのどこか、NATO軍の空軍基地で起きた戦闘機の墜落事故のニュース「墜落したのはギリシャのF16戦闘機、死亡したのはフランス人9人、ギリシャ人2人で、けが人は20人を超えるとみられる。」普通の日本人には一寸理解難いと言うか、イメージがし難いのではなかろうか。
それが絶海の孤島日本人のせいかもしれぬ。進取の気盛んな政治家にとってはそんな閉鎖性に我慢できず、欧米並みの普通の国となり、世界の中心で輝きたいのだろう。そうなった時に得るものと同時に失うものもありそうだが、計算はできているだろうか。学齢に達する以前には、日本人が世界中で一番優秀な民族であると教えられた。アフリカの土人に南洋の土人、更にはアラビアンナイトの主人公たちも土人と一括りにしていたが、世界から見れば日本人こそ未開人種で、何故かお金だけは沢山持っているように見えているのかもしれぬ。
兎に角「井の中の蛙」の喩えもある。島国故に外国事情も我関せず、独自の言葉だけを使って生きていける、浮世離れした国家でいられるとすれば有難いことだ。
と勝手に国民性を規定すれば、自分は典型的な日本人と言える。現在は21世紀となっているが、150年前の19世紀中頃、急に(と日本人は思ったに違いない)欧米人が日本に来て無理難題(と受け止めたと思う)を吹きかけてきた。平均的日本の役人(官僚や政治家と言うべきか)はさぞびっくりしただろう。一般庶民はどうだったか?海外事情なんぞ全く関係ない世界で生きている訳だから、役人の慌てぶりを面白がって見ていたかもしれぬ。
現在の我が身とどこが違うのだろう、何も変わらないようなものだ。欧米人は古来我が国を黄金国ジパングと称して憧れたようだが、気持ちが分からなくもない。現代の兵器を使えば、海に浮かぶ島国でも攻略することは可能だろうが、占領して統治するとなれば相当な補給線を確保する必要があってかなり厄介だろう。侵略が得意の欧米人にとっても、戦争に勝っても本格的侵略は難しいのだろう。1945年の終戦当時もそのような判断がなされたに違いあるまい。
先住日本人にとっては実に有難い地理的条件ではないか。世界情勢をあまり気にせずぬくぬくと生活できる国土に感謝せずにはいられない。現代は通信技術の発達で、一般庶民にも100年以上前とは比べものにならない海外情報がもたらされている。知識人も増え、短いコメントであっても断片的に解説を加えてもらえるので、朧げながらではあるが、海外事情を推意することも可能だ。しかし、断片的な事件が取り上げられて断片的な解説が加えられても、残念ながら(或いは幸いにもかもしれぬ)、欧米を覆っている潮流を感じることはできない。
ある人に言わせれば、今世紀は従来の国家が消滅していく世紀だとも言う。確かに中東からアフリカ、ひいては欧州の混乱を仄聞すると、人種の入り混じる世界では大変なことが起っているのかもしれぬ。昨日報道されたスペインのどこか、NATO軍の空軍基地で起きた戦闘機の墜落事故のニュース「墜落したのはギリシャのF16戦闘機、死亡したのはフランス人9人、ギリシャ人2人で、けが人は20人を超えるとみられる。」普通の日本人には一寸理解難いと言うか、イメージがし難いのではなかろうか。
それが絶海の孤島日本人のせいかもしれぬ。進取の気盛んな政治家にとってはそんな閉鎖性に我慢できず、欧米並みの普通の国となり、世界の中心で輝きたいのだろう。そうなった時に得るものと同時に失うものもありそうだが、計算はできているだろうか。学齢に達する以前には、日本人が世界中で一番優秀な民族であると教えられた。アフリカの土人に南洋の土人、更にはアラビアンナイトの主人公たちも土人と一括りにしていたが、世界から見れば日本人こそ未開人種で、何故かお金だけは沢山持っているように見えているのかもしれぬ。
兎に角「井の中の蛙」の喩えもある。島国故に外国事情も我関せず、独自の言葉だけを使って生きていける、浮世離れした国家でいられるとすれば有難いことだ。
2015年1月27日火曜日
通常国会開幕
昨日初めて聞いたが1月は逝き、2月は逃げ、3月は去ると知れと言うことがあるらしい。月に一度散髪することにしているので床屋さんに行くと、梅花の綺麗な写真が飾ってあって、同じ年の親爺さんが似たようなことを言っていた。1月早々からパッとしない年である。寝ぼけたように国会が始まったが、総理の所信表明演説すら省略されている。これも珍しいことのようだが、今日の代表質問の頭30分だけ視聴してみた。
質問者は民主党前原議員、15分間の質問に対して総理の回答が15分。イスラム国の人質事件、先の総選挙の意味、補正予算の必要性等で質問内容はまあまあと思えるが、回答が酷い。昨年から人質で脅迫されていた事実も認めないし、他に邦人の人質が居る可能性は承知していないそうだ。承知していないのだから、いる可能性もあると言うことだろうか。阪神神大戸震災20周年の当日を選んで外遊に出発したのは、事務方の日程調整の結果だから仕方ない。有志軍諸国に金をばら撒いたのは、イスラム国の惨禍を逃れた難民約1000万人を救済する国際的な義務からである。
法律に基づいて粛々と行える筈の消費税3%の増税先送りを争点に掲げての選挙の正当性は、税こそ民主主義の基本であるから当然でしょう。そして選挙の投票率が低かったのは、野党が与党を批判するだけでまともな政策提案をしなかったせいで、民主主義を守る上で非常に残念なことであった。後ろに鎮座している衆議院議長の町村氏が、選挙前に「今回の選挙について全く意味が無い」と批判していたことについては当然触れない。
補正予算は27年度予算を小さく見えるように小細工じゃないかとか、地方活性化に名を借りて商品券を配るなんて小細工は過去に何度も失敗しているばら撒きではないか、と少し具体的政策になると「それは考え方が違います。アベノミクス効果を早く達成するために確たる信念でやっています。」全く議論はかみ合わない。前原氏が「27年度予算を2月15日頃に国会に提出して年度内成立を目指す、と仄聞するが重要な予算審議だから、これこそ前例通り衆参各院で1か月ずつ合計2か月の審議を願いたい。」と要求していたが、総理が答える問題ではなかったのだろう、返事が無かったように思う。
質問中総理は全く質問者に目を向けず、只管回答用メモをめくりながら口を動かしているばかり。回答メモは官僚が作成するから予習は必要かもしれぬが、それにしても圧倒的多数を背景に弱い野党なんか相手にしていられない、時間の無駄だの風情がありありである。正に数は力、これではいくら審議に時間を掛けようが、建設的国会運営など望むべくもない。国民は今暫く我慢するしかないのだろうか。
質問者は民主党前原議員、15分間の質問に対して総理の回答が15分。イスラム国の人質事件、先の総選挙の意味、補正予算の必要性等で質問内容はまあまあと思えるが、回答が酷い。昨年から人質で脅迫されていた事実も認めないし、他に邦人の人質が居る可能性は承知していないそうだ。承知していないのだから、いる可能性もあると言うことだろうか。阪神神大戸震災20周年の当日を選んで外遊に出発したのは、事務方の日程調整の結果だから仕方ない。有志軍諸国に金をばら撒いたのは、イスラム国の惨禍を逃れた難民約1000万人を救済する国際的な義務からである。
法律に基づいて粛々と行える筈の消費税3%の増税先送りを争点に掲げての選挙の正当性は、税こそ民主主義の基本であるから当然でしょう。そして選挙の投票率が低かったのは、野党が与党を批判するだけでまともな政策提案をしなかったせいで、民主主義を守る上で非常に残念なことであった。後ろに鎮座している衆議院議長の町村氏が、選挙前に「今回の選挙について全く意味が無い」と批判していたことについては当然触れない。
補正予算は27年度予算を小さく見えるように小細工じゃないかとか、地方活性化に名を借りて商品券を配るなんて小細工は過去に何度も失敗しているばら撒きではないか、と少し具体的政策になると「それは考え方が違います。アベノミクス効果を早く達成するために確たる信念でやっています。」全く議論はかみ合わない。前原氏が「27年度予算を2月15日頃に国会に提出して年度内成立を目指す、と仄聞するが重要な予算審議だから、これこそ前例通り衆参各院で1か月ずつ合計2か月の審議を願いたい。」と要求していたが、総理が答える問題ではなかったのだろう、返事が無かったように思う。
質問中総理は全く質問者に目を向けず、只管回答用メモをめくりながら口を動かしているばかり。回答メモは官僚が作成するから予習は必要かもしれぬが、それにしても圧倒的多数を背景に弱い野党なんか相手にしていられない、時間の無駄だの風情がありありである。正に数は力、これではいくら審議に時間を掛けようが、建設的国会運営など望むべくもない。国民は今暫く我慢するしかないのだろうか。
2015年1月26日月曜日
外国かぶれの農業構造改革=農協改革?
食料自給率が40%を切る日本が果たして農業国と言えるかどうか?確たる自信を持って返答できないが、農林水産業が日本の産業基盤であった時代が長く、そのお陰で現在があることだけは間違いないだろう。我が人生の少なくとも半分以上はそのお陰の時代であり、現役社会人の大部分が食料問題に絡む仕事をさせてもらった。具体的に書けば、社会に出て初めて就職し、結局25年在席した会社が雑誌「家の光」の専属広告代理店だった。
最近ニュースで取り上げられるのでご存知の方も多いと思うが、当時は社団法人として独立していたが、家の光協会は農協の指導機関と位置付けられ、ここが発行する雑誌「家の光」は書店では売られていないが、発行部数的では全国ダントツ1位であった。故に、広告掲載の申し込みも多かった訳である。社団法人は利益を出してはいけない組織だったので、広告部門を株式会社として組織外に出していたと見ていいのだろう。即ち農協組織の末端で25年間食べさせてもらった恩義があるので、今国会の目玉と言われている標題の問題に関心を持っている。
アバウトながら記憶にあるのは、社会人になった昭和38年(1963年)当時の農家戸数は600万戸で単協(農業協同組合)数は1万2千、その上に都道府県の経済活動(事業)別連合会があって、更にその上に経済活動(事業)別の全国連と称する(信用事業だけは農林中央金庫となる)組織が乗り、その全てを「全国農協中央会」が統括する仕組みになったいた。時は正に池田勇人総理の号令一下、高度成長経済にさしかかった時期である。徐々に日本の鉱工業は目覚ましい発展を遂げ、輸出力のついた日本は徐々に食料品も輸入で賄えるようになっていくので、反比例して農家は減り始める。
当時の農協職員数が全国でどのくらいか正確な記憶はないが、最大時は40万人強ぐらいではなかったかと思う。兎に角敗戦で戦争が終わり、1億人近い国民が食べていく食料を確保するのが最優先課題であった時期が10年は続いたと思う。両親の苦労を記憶している方は未だ大分おられることだろう。次元を高めて振り返れば、占領政策で急に自作農に変わった小規模自営農家約600万世帯を取りまとめて生産を指導し、全国3千万か4千万か知らないが、全所帯に産品を効率よく届けるためには、全国で40万人程度の組織が必要であったことは非常によく理解できるだろう。
こちらが社会に出たのは既に昭和も38年なので、農業・農村が変わり始めて農協活動の最盛期が曲がり角に掛かった時だったかもしれぬ。少なくと高校卒業時の昭和34年(1959年)当時の農協やその連合会は、田舎では就職先の有力候補で難関とされていたものだ。聞けば現在農協数は既に700とか、記憶にある1万2千との違いは余りにも大きい。それでも雑誌「家の光」が未だに55万部(昭和38年当時の半分弱といったところ)も発行されていると聞くと、むしろ驚きを感じてしまう。農村と農業が変化するにつれて農協の組織形態と事業内容が変化していることは、何となく知ってはいる。農協自身も苦しんでいるのだろう。
昭和30年代後半には、その官僚的な体質に、既に農村でも批判が芽吹き始めていたのも事実だ。まして現在に至れば、組織人の大半が農業従事者でない可能性もあるだろう。ひょっとすれば、農家の解釈如何にもよるが、農家出身者ですらないかもしれない。甥っ子の一人はかつては長野県下で最も裕福だと言われた農協勤務を、大卒後5年か6年で辞めて、実家から飛び出してしまった。将来が不安だったらしい。農家に残っていのは老人が多いだろうが、それでも農協が存続しているうちは、何とか農業と農村を守ってくれているのだと思う。
従兄弟の一人は先祖伝来の田2ヘクタールを守りながら、近隣農家の耕作地2ヘクタールを預かって4ヘクタール農業を続けている。年齢は小生と同じ70代半ば、娘は二人で東京に出てしまい、一人息子は近くに住むが、現在は会社勤めの傍ら、休日に親父を手伝うだけ。しかし、従兄弟が亡くなれば間違いなく勤めを辞め、跡を継いでくれるだろう。ここ数年は不幸の時にしか会えていないが、従兄弟も米価の値下がりには困っていることだろう。納屋に入っているトラクター等の農機具だけで1千万円とか2千万円と聞いた覚えがある。
何れにせよ日本の農業や、指導的役割を果たしてきた農協に問題があるのは当事者たちはよく分かっている筈である。悩みながらも先祖伝来の土地と農業を守っていることには先ず敬意を表すべきだ。ところが昨年の末頃から急に、政権は経済改革の最優先課題として、何を思いついたか農協改革を言いだした。破綻が見え見えになってきたアベノミクス3本目の矢で、今日から始まる今国会の柱だそうだ。安倍氏の側近で構成される経済財政諮問会議やお気に入りの財界人やご用学者を集めた産業競争力会議での答申を受けてかもしれぬ。
このメンバーに日本の農業の実態を知っている人間がどれほどいるのか?多分一人もいないだろう。外国の事情には詳しく、日本の米が高いことしか知らない連中が、企業が参入しやすくするためには取り敢えず農協組織をぶっ潰してしまえと言っているようだ。そうすれば日本でも米が安く買えるようになったり、農産物の輸出が増えると思っているらしい。その時現在の農村を守っているご老人たちや農協職員にはどうしろと言うのだろう?少しは同胞のこと、或いは先祖のことに思いを致してみろ。
「ビン・ラディンさえ殺せば、アルカイダが雲散霧消してアフガニスタンに平和がもたらされる。」と全く同じ発想にしか思えない。
最近ニュースで取り上げられるのでご存知の方も多いと思うが、当時は社団法人として独立していたが、家の光協会は農協の指導機関と位置付けられ、ここが発行する雑誌「家の光」は書店では売られていないが、発行部数的では全国ダントツ1位であった。故に、広告掲載の申し込みも多かった訳である。社団法人は利益を出してはいけない組織だったので、広告部門を株式会社として組織外に出していたと見ていいのだろう。即ち農協組織の末端で25年間食べさせてもらった恩義があるので、今国会の目玉と言われている標題の問題に関心を持っている。
アバウトながら記憶にあるのは、社会人になった昭和38年(1963年)当時の農家戸数は600万戸で単協(農業協同組合)数は1万2千、その上に都道府県の経済活動(事業)別連合会があって、更にその上に経済活動(事業)別の全国連と称する(信用事業だけは農林中央金庫となる)組織が乗り、その全てを「全国農協中央会」が統括する仕組みになったいた。時は正に池田勇人総理の号令一下、高度成長経済にさしかかった時期である。徐々に日本の鉱工業は目覚ましい発展を遂げ、輸出力のついた日本は徐々に食料品も輸入で賄えるようになっていくので、反比例して農家は減り始める。
当時の農協職員数が全国でどのくらいか正確な記憶はないが、最大時は40万人強ぐらいではなかったかと思う。兎に角敗戦で戦争が終わり、1億人近い国民が食べていく食料を確保するのが最優先課題であった時期が10年は続いたと思う。両親の苦労を記憶している方は未だ大分おられることだろう。次元を高めて振り返れば、占領政策で急に自作農に変わった小規模自営農家約600万世帯を取りまとめて生産を指導し、全国3千万か4千万か知らないが、全所帯に産品を効率よく届けるためには、全国で40万人程度の組織が必要であったことは非常によく理解できるだろう。
こちらが社会に出たのは既に昭和も38年なので、農業・農村が変わり始めて農協活動の最盛期が曲がり角に掛かった時だったかもしれぬ。少なくと高校卒業時の昭和34年(1959年)当時の農協やその連合会は、田舎では就職先の有力候補で難関とされていたものだ。聞けば現在農協数は既に700とか、記憶にある1万2千との違いは余りにも大きい。それでも雑誌「家の光」が未だに55万部(昭和38年当時の半分弱といったところ)も発行されていると聞くと、むしろ驚きを感じてしまう。農村と農業が変化するにつれて農協の組織形態と事業内容が変化していることは、何となく知ってはいる。農協自身も苦しんでいるのだろう。
昭和30年代後半には、その官僚的な体質に、既に農村でも批判が芽吹き始めていたのも事実だ。まして現在に至れば、組織人の大半が農業従事者でない可能性もあるだろう。ひょっとすれば、農家の解釈如何にもよるが、農家出身者ですらないかもしれない。甥っ子の一人はかつては長野県下で最も裕福だと言われた農協勤務を、大卒後5年か6年で辞めて、実家から飛び出してしまった。将来が不安だったらしい。農家に残っていのは老人が多いだろうが、それでも農協が存続しているうちは、何とか農業と農村を守ってくれているのだと思う。
従兄弟の一人は先祖伝来の田2ヘクタールを守りながら、近隣農家の耕作地2ヘクタールを預かって4ヘクタール農業を続けている。年齢は小生と同じ70代半ば、娘は二人で東京に出てしまい、一人息子は近くに住むが、現在は会社勤めの傍ら、休日に親父を手伝うだけ。しかし、従兄弟が亡くなれば間違いなく勤めを辞め、跡を継いでくれるだろう。ここ数年は不幸の時にしか会えていないが、従兄弟も米価の値下がりには困っていることだろう。納屋に入っているトラクター等の農機具だけで1千万円とか2千万円と聞いた覚えがある。
何れにせよ日本の農業や、指導的役割を果たしてきた農協に問題があるのは当事者たちはよく分かっている筈である。悩みながらも先祖伝来の土地と農業を守っていることには先ず敬意を表すべきだ。ところが昨年の末頃から急に、政権は経済改革の最優先課題として、何を思いついたか農協改革を言いだした。破綻が見え見えになってきたアベノミクス3本目の矢で、今日から始まる今国会の柱だそうだ。安倍氏の側近で構成される経済財政諮問会議やお気に入りの財界人やご用学者を集めた産業競争力会議での答申を受けてかもしれぬ。
このメンバーに日本の農業の実態を知っている人間がどれほどいるのか?多分一人もいないだろう。外国の事情には詳しく、日本の米が高いことしか知らない連中が、企業が参入しやすくするためには取り敢えず農協組織をぶっ潰してしまえと言っているようだ。そうすれば日本でも米が安く買えるようになったり、農産物の輸出が増えると思っているらしい。その時現在の農村を守っているご老人たちや農協職員にはどうしろと言うのだろう?少しは同胞のこと、或いは先祖のことに思いを致してみろ。
「ビン・ラディンさえ殺せば、アルカイダが雲散霧消してアフガニスタンに平和がもたらされる。」と全く同じ発想にしか思えない。
2015年1月25日日曜日
人質1名殺害と現政権
テレビに出て来る評論家の大部分は「この非常事態に総理を非難してどうする?国民一致して政府を支えるべきだ。」との論調が圧倒的である。「そうですかねぇ?」と言いたい。一般市民が政権の外交方針に異論があれば、今こそ声を大にすべきだと思う。今言わずにいつ言ったらいいのか。細野民主党政調会長が今朝テレビに出演して「今は原発事故と同じ非常事態だから、与野党を超えて政府を支えなくてはならない。検証は事件が一段落してから、落ち着いて国会内で議論したい。」とのこと。政治家としてはこれが正論だろう。
人質殺害がネットで公開されたのは昨夜の23時頃らしいが、深夜1時過ぎに手洗いに起きた時、婆さんの部屋のテレビがついていたようなので不吉な予感がしていた。案の定今朝5時過ぎにNHKで落語でも観ようと思ってテレビをつけると、落語の筈がニュース一色、悪い予感が的中してしまった。その後のテレビ報道を観ると、殺害予告同様この内容も事前に政府には届いていたもののようだ。形ばかり慌てふためいて見せ、真夜中にリアルタイムでテレビを観ていた家人の話では、緊急関係閣僚会議はものの5分位で、政府一丸となってその後の対策に万全を尽くすとのお決まりポーズ。総理の言葉は会議前と後とで寸分違わぬものだったらしい。
わざとらし過ぎて笑う気にもならぬ。形容詞やら形容動詞やらをやたらにちりばめた総理のお言葉。「痛恨」には深い反省の意味がありそうだが、反省の気持ちが微塵も伝わってこないのは、聞き手のこちらがおかしいのだろうか?総理を支えるマスコミの応援団も好き好んでやっているのだから本望だろう。それにしても脅迫者側を賛美はしたくないが、8500キロ以上離れた日本を事細かにウォッチしている節があるのは否めない。脅迫の段取りもやはり手馴れている。正直に言えば、たとえ世界平和のためだと言っても、怖くて余り関わりたくない。その目的の為に断固闘ったり強く要求できる総理は偉いということだろう。それで支持率が益々高くなれば、こちらの非国民的度合いが比例して高くなるが仕方ないことだ。
人質殺害がネットで公開されたのは昨夜の23時頃らしいが、深夜1時過ぎに手洗いに起きた時、婆さんの部屋のテレビがついていたようなので不吉な予感がしていた。案の定今朝5時過ぎにNHKで落語でも観ようと思ってテレビをつけると、落語の筈がニュース一色、悪い予感が的中してしまった。その後のテレビ報道を観ると、殺害予告同様この内容も事前に政府には届いていたもののようだ。形ばかり慌てふためいて見せ、真夜中にリアルタイムでテレビを観ていた家人の話では、緊急関係閣僚会議はものの5分位で、政府一丸となってその後の対策に万全を尽くすとのお決まりポーズ。総理の言葉は会議前と後とで寸分違わぬものだったらしい。
わざとらし過ぎて笑う気にもならぬ。形容詞やら形容動詞やらをやたらにちりばめた総理のお言葉。「痛恨」には深い反省の意味がありそうだが、反省の気持ちが微塵も伝わってこないのは、聞き手のこちらがおかしいのだろうか?総理を支えるマスコミの応援団も好き好んでやっているのだから本望だろう。それにしても脅迫者側を賛美はしたくないが、8500キロ以上離れた日本を事細かにウォッチしている節があるのは否めない。脅迫の段取りもやはり手馴れている。正直に言えば、たとえ世界平和のためだと言っても、怖くて余り関わりたくない。その目的の為に断固闘ったり強く要求できる総理は偉いということだろう。それで支持率が益々高くなれば、こちらの非国民的度合いが比例して高くなるが仕方ないことだ。
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