今年も実質今日で最後、明日早朝からお伊勢さん初詣のバスツアーに参加する。何十年も前から伊勢神宮初詣は東海道新幹線を利用して日帰りにしていたが、起業した会社から引退を決めた一昨年からバスツアーに切り替えた。最初の一昨年は31日の夜行日帰りで確か9千円だったと記憶する。安いのは有りがたいが、流石にきつい。昨年、31日朝出発でビジネスホテルで一泊できる1万5千円のツアーを発見して、こちらに切り替えた。
大晦日に外宮を参拝して元日内宮を参拝するのだが、今度は時間に余裕があり過ぎて、鳥羽の真珠センターや魚市場などしょうも無いところで下された挙句、鳥羽港から伊良子までフェリーに乗せられたりする。お参りを済ませ、孫どものお札など買い求めたらさっさと江戸に帰りたいのだがそうはいかない。昨年は新宿着が21時近くだった記憶する。
最も早く帰宅しても家には誰もいない。どうせ夕飯を心配するなら、サービスエリアの店が簡単でいいかもしれぬ。何れにせよ経済性(新幹線で日帰りすれば経費3万円では上がらない)を優先しているのだから、ツアーの内容に文句を言えた義理ではない。この初詣もいつまで続けるのかなぁと考えているが、今のところ決心がつかない。今回は、一番上の孫が来年高校受験なので、「よくお願いしてきてくださいよ。」と念を押されている。その伝からすれば来年はその弟ということになる。
先のことはあまり考えても仕方ない。出来ることは、何らかの理由で出来なくなるまで続ければいいのか。振り返って今年を思ってみよう。何よりも天地の神々とご先祖に感謝すべきは健康で過ごせたことだ。ひょっとすると丸1年間風邪をひかなかったようだ。医療費を詳細にチェックした訳ではないが、生まれてこの方風邪をひかなかった年は一度無い筈で、これは相当珍しい。仕事が無い代わりに健康おたくになった効果かも知れない。
これを健康と言っても、体力は順調に落ちているのを実感している。昨年も暮れに雪が多かったし寒かった。その寒さの中12月23日に三つ峠で山歩きをし、直ぐ29、30日と志賀高原でスキーをしてから、31日バスツアーで伊勢に出発している。今月寒さで家にちじこまっていたことと比べると別人の感がある。だから風邪もひかずに済んでいるのかもしれない。来年も只管健康に留意するだけで、無理をしないだけの人生としたらあまり面白くなさそうだ。
少しは楽しく面白いことをと考えましたが、相も変らぬつまらぬ話になってしまいました。来年も同様では困りますが、今のところいいアイディアはありません。にも拘らず、小生にとって唯一の楽しみであるこのブログにお付き合頂いたことを厚く御礼申し上げます。
末筆ながら、来年が皆様にとって良い年であることを願ってやみません。
2012年12月30日日曜日
2012年12月28日金曜日
たった一人での納会
今週は月曜日が休日だったことで週末が早く来てしまった。同時に世の中は御用納め、あっという間の1年間だった。昨年までは人並みに挨拶回りに行く先もあったが、今年は何もない。気楽と言えば気楽だが、世の中の動きと波長が合わないのも少しも気にしないと言えば嘘になる。仕方なしに昼飯時に一人で納会としゃれ込んだ。
現役時代は昼までに男子は挨拶回り、女子がオフィスの掃除をして寿司やサンドウィッチを買いに走り、1時前後から冷酒とビールで乾杯したものよ、と思いつつ一人淋しく和牛ステーキと赤ワインを1杯だけ飲んだ。これから毎年こんな事では味気なさすぎる。来年の暮れにはも少し賑やかになってほしいが少し贅沢かな。
本当は今年少し仕事を手伝ったNPOの友人二人と忘年会もしたかったが、今年はあれよあれよという間に御用納めになってしまった。友人二人とせめて今日の昼飯でもと誘ったが、二人とも忙しすぎて時間が取れない。今年は彼らの働きを間近に見てきたが、ある意味で驚異的である。何十年と関わってきた広告営業なるものが、如何にいい加減なものであったかを改めて思い知らされた。
NPOの目的は大学に眠っている研究成果を意欲ある企業(主に中小企業を目指しているが、稀に1部上場企業もある)に結び付けて実用化し、世に出すことにある。言うは易くしてとはこのことのようだ。世に出ず眠ったままの状態の研究成果も意欲的な企業も極言するとごまんとあることを先ず知った。しかし、実用化にのためにはフィージビリティースタディーと一口に言えば簡単に聞こえるが、企業側での更なる何重にも実証テストが必要となる。その度に開発した学者と企業側の合同検討会が行われるが、これを仕切るのが我が友人の大きな役目になる。
学者先生と企業側の拘るところが大きく異なるのは当たり前のこと。文書を保存するだけの小生には、試験結果の種類や検討会の議事録を見ても殆どチンプンカンプンである。ここを調整していくのだから体力知力共に相当ななプレッシャーの筈である。同時並行的に商品化のためには、市場分析の必要性も勿論ある。悪名高い許認可に関する役所との折衝、特許申請に関わる弁理士や弁護士との折衝も頻繁にしなくてはならない。
現在の同時並行で進行しているプロジェクトが数件あるので、友人二人は正に八面六臂の大活躍で東奔西走の1年だったと言える。しかもこの1年でNPOに入ったお金は雀の涙にもならないくらい。事業化されれば企業側からコンサル料が入ることになるが、全て成功報酬の形になっているので現時点では全て自腹である。事務局を仰せつかった小生は1銭も出していないし、むしろ代表を引退した会社に仕事を頂いてしまった。
来年は友人の努力が実り、いくつかの事業が実際に動き出しそうな気配がある。関連して小生にも新たな仕事ができる事を期待して新年を迎えよう。
相変わらず他人頼みの年の瀬だ。
現役時代は昼までに男子は挨拶回り、女子がオフィスの掃除をして寿司やサンドウィッチを買いに走り、1時前後から冷酒とビールで乾杯したものよ、と思いつつ一人淋しく和牛ステーキと赤ワインを1杯だけ飲んだ。これから毎年こんな事では味気なさすぎる。来年の暮れにはも少し賑やかになってほしいが少し贅沢かな。
本当は今年少し仕事を手伝ったNPOの友人二人と忘年会もしたかったが、今年はあれよあれよという間に御用納めになってしまった。友人二人とせめて今日の昼飯でもと誘ったが、二人とも忙しすぎて時間が取れない。今年は彼らの働きを間近に見てきたが、ある意味で驚異的である。何十年と関わってきた広告営業なるものが、如何にいい加減なものであったかを改めて思い知らされた。
NPOの目的は大学に眠っている研究成果を意欲ある企業(主に中小企業を目指しているが、稀に1部上場企業もある)に結び付けて実用化し、世に出すことにある。言うは易くしてとはこのことのようだ。世に出ず眠ったままの状態の研究成果も意欲的な企業も極言するとごまんとあることを先ず知った。しかし、実用化にのためにはフィージビリティースタディーと一口に言えば簡単に聞こえるが、企業側での更なる何重にも実証テストが必要となる。その度に開発した学者と企業側の合同検討会が行われるが、これを仕切るのが我が友人の大きな役目になる。
学者先生と企業側の拘るところが大きく異なるのは当たり前のこと。文書を保存するだけの小生には、試験結果の種類や検討会の議事録を見ても殆どチンプンカンプンである。ここを調整していくのだから体力知力共に相当ななプレッシャーの筈である。同時並行的に商品化のためには、市場分析の必要性も勿論ある。悪名高い許認可に関する役所との折衝、特許申請に関わる弁理士や弁護士との折衝も頻繁にしなくてはならない。
現在の同時並行で進行しているプロジェクトが数件あるので、友人二人は正に八面六臂の大活躍で東奔西走の1年だったと言える。しかもこの1年でNPOに入ったお金は雀の涙にもならないくらい。事業化されれば企業側からコンサル料が入ることになるが、全て成功報酬の形になっているので現時点では全て自腹である。事務局を仰せつかった小生は1銭も出していないし、むしろ代表を引退した会社に仕事を頂いてしまった。
来年は友人の努力が実り、いくつかの事業が実際に動き出しそうな気配がある。関連して小生にも新たな仕事ができる事を期待して新年を迎えよう。
相変わらず他人頼みの年の瀬だ。
2012年12月27日木曜日
正月は休みか?
サンデー毎日の人間にとって正月は休みとは言えない。しかし世の中の殆どがお休みになるので、暇つぶしを考えるのが却って面倒くさい。つい忘れてしまっていたが、もう明日で普通の会社や官庁は御用納めだ。ご用初めは5日と言う職場も多いので9連休になる人がきっと多い筈だ。関連して少し気になるのが、若い独身者のレジャー志向だ。全く大きなお世話だろうが、最近は車の運転はしない、酒は飲まない若い人が多いと聞く。給料が上がらない、上がりそうにないとなれば賢い選択かもしれれない。
それは良しとして、普段の休日もさることながら大型連休にはどんな行動をとるのか聞いてみたい。勝手に想像すれば、若くても結婚さえしていれば、二人でどこかに出かける相談になるだろう。まして子供もいれば(核家族であればなおさら)祖父さん祖母さんのところに里帰り行動が日本人の必然ようだ。最近はお父さんの実家にお母さんの実家と丁寧に廻る家族も多いようで、これには大型連休は最適だし、連休が経済をある程度活性化させる筈。
働き盛りの若い夫婦にとって、里帰りの経費は馬鹿にならない。祖父母はこんな時こそ溜め込んだ中から、若い夫婦にたんまりお小遣いを渡すべきだ。
問題は独身の若い人たち、いくら不景気だからと言っても、この間ずっと家でテレビを見続ける訳にもいかず、さりとて余りお金がかかることはしたくないと困っている人はどうするのがベストか?少なからずの人数だと思うが、テレビのコメンテータではないので適切な答えなりアドバイスは何もない。
思うに小生も諸般の事情があって、独身の若者と似たようなものだ。辛うじて大晦日から元日はお伊勢参りをし、2日に土産を家内の実家にご挨拶に伺う。お陰で3日間は潰せるが、年のせいかスキーに出かける気にもならない。残りの6日間は相も変らぬネット碁でもして過ごすしか考えられない。全く脳が無い話だ。現代の若い人にはきっと、我々の時代とは異なる安くて楽しい遊びがあるのかもしれぬ。教えてほしいものだ。
それは良しとして、普段の休日もさることながら大型連休にはどんな行動をとるのか聞いてみたい。勝手に想像すれば、若くても結婚さえしていれば、二人でどこかに出かける相談になるだろう。まして子供もいれば(核家族であればなおさら)祖父さん祖母さんのところに里帰り行動が日本人の必然ようだ。最近はお父さんの実家にお母さんの実家と丁寧に廻る家族も多いようで、これには大型連休は最適だし、連休が経済をある程度活性化させる筈。
働き盛りの若い夫婦にとって、里帰りの経費は馬鹿にならない。祖父母はこんな時こそ溜め込んだ中から、若い夫婦にたんまりお小遣いを渡すべきだ。
問題は独身の若い人たち、いくら不景気だからと言っても、この間ずっと家でテレビを見続ける訳にもいかず、さりとて余りお金がかかることはしたくないと困っている人はどうするのがベストか?少なからずの人数だと思うが、テレビのコメンテータではないので適切な答えなりアドバイスは何もない。
思うに小生も諸般の事情があって、独身の若者と似たようなものだ。辛うじて大晦日から元日はお伊勢参りをし、2日に土産を家内の実家にご挨拶に伺う。お陰で3日間は潰せるが、年のせいかスキーに出かける気にもならない。残りの6日間は相も変らぬネット碁でもして過ごすしか考えられない。全く脳が無い話だ。現代の若い人にはきっと、我々の時代とは異なる安くて楽しい遊びがあるのかもしれぬ。教えてほしいものだ。
2012年12月26日水曜日
報道姿勢 何年経っても
このブログに態々1項を設けてマスコミ批判めいた事を書き綴っている。それは現代のマスメディアが社会の木鐸精神を忘れ、あまりに無責任無節操な報道をしているとの思いからである。ところが昨日たまたま昭和25年の文藝春秋新年号に掲載された豊田副武氏の手記を読む機会があった。豊田氏とは先の大戦終戦時(昭和20年)に帝国海軍の指揮命令系統トップである軍令部総長という地位にあった人である。
余談になるが、当時の陸軍のトップは阿南惟幾氏で彼は終戦当日に割腹自殺を遂げている。対するに開戦責任については罪が重いとされる海軍のトップ豊田氏は、極東裁判では戦犯容疑者として一旦逮捕されながらも無罪となっている。この辺の事情はまるきりの子供みたい存在であった小生には計りかねるので措くことにしたい。終戦に関する限り、敗戦已む無しの情報をいち早くゲットした海軍の方が、何となく要領よく立ち回った感が無いでもない。
豊田氏が連合艦隊司令長官から軍令部総長に就任したのは昭和20年5月29日、明らかに終戦工作向け人事である(と自ら書いている)。6月6日から天皇臨席のもと軍と政府のトップによって構成される「最高戦争指導会議」に出席。ここから実際の終戦8月15日迄、延々2か月半に亘る小田原評定が長引いた。その間に日本が被った損害を思うと慙愧に堪えない。己の組織を優先して国家国民を二の次に見た当時の指導者については言いたいことは山ほどある。しかし今日の趣旨とは違うのでここも省略しよう。
書きたいと思ったのは当時のマスメディアのことである。具体的には終戦を勧告してきたポツダム宣言についてだ。連合国側は、これを昭和20年7月26日に発表した。同時にアメリカのダレス国務長官が、スイスの駐在武官宛てに正式な申し入れを行っている。これを受けて日本で開かれた28日の最高戦争指導会議が、これを「黙殺」と決定。当日に鈴木総理の記者会見が開かれて、その趣旨の決定があったことを発表している。
当時の新聞まで確認してこなかったが、多分ポツダム宣言については書かなかったか、書いても政府発表の通り「こんなものは黙殺すべし」と書いたに違いない。マスコミは開戦以来大本営発表に沿って戦争報道を行い、国民を戦争に煽り立ててきたのも全くどうかと思う。これに百歩譲ったとしても、20年の7月の時点であった連合軍の勧告について、「政府が黙殺」と発表した時に誰一人質問すらしなかったのだろうか?
記者会見で政府批判は出来ないにしても、質問はできるだろう。「黙殺がどのような結果を招来すると予測しているのか?」位は聞いても罰は当たるまい。28日の時点で何らかのアクションが起こされていればあの原爆は?と考えても詮無いこと。現代は当時に比べれば言論の自由がかなり保証されている筈。「アベノミクス」と怪しげな言葉が踊るが、報道は殆ど権力にすり寄っている。総理記者会見でこれについて疑問を呈する記者が出ないのが不思議でならない。
余談になるが、当時の陸軍のトップは阿南惟幾氏で彼は終戦当日に割腹自殺を遂げている。対するに開戦責任については罪が重いとされる海軍のトップ豊田氏は、極東裁判では戦犯容疑者として一旦逮捕されながらも無罪となっている。この辺の事情はまるきりの子供みたい存在であった小生には計りかねるので措くことにしたい。終戦に関する限り、敗戦已む無しの情報をいち早くゲットした海軍の方が、何となく要領よく立ち回った感が無いでもない。
豊田氏が連合艦隊司令長官から軍令部総長に就任したのは昭和20年5月29日、明らかに終戦工作向け人事である(と自ら書いている)。6月6日から天皇臨席のもと軍と政府のトップによって構成される「最高戦争指導会議」に出席。ここから実際の終戦8月15日迄、延々2か月半に亘る小田原評定が長引いた。その間に日本が被った損害を思うと慙愧に堪えない。己の組織を優先して国家国民を二の次に見た当時の指導者については言いたいことは山ほどある。しかし今日の趣旨とは違うのでここも省略しよう。
書きたいと思ったのは当時のマスメディアのことである。具体的には終戦を勧告してきたポツダム宣言についてだ。連合国側は、これを昭和20年7月26日に発表した。同時にアメリカのダレス国務長官が、スイスの駐在武官宛てに正式な申し入れを行っている。これを受けて日本で開かれた28日の最高戦争指導会議が、これを「黙殺」と決定。当日に鈴木総理の記者会見が開かれて、その趣旨の決定があったことを発表している。
当時の新聞まで確認してこなかったが、多分ポツダム宣言については書かなかったか、書いても政府発表の通り「こんなものは黙殺すべし」と書いたに違いない。マスコミは開戦以来大本営発表に沿って戦争報道を行い、国民を戦争に煽り立ててきたのも全くどうかと思う。これに百歩譲ったとしても、20年の7月の時点であった連合軍の勧告について、「政府が黙殺」と発表した時に誰一人質問すらしなかったのだろうか?
記者会見で政府批判は出来ないにしても、質問はできるだろう。「黙殺がどのような結果を招来すると予測しているのか?」位は聞いても罰は当たるまい。28日の時点で何らかのアクションが起こされていればあの原爆は?と考えても詮無いこと。現代は当時に比べれば言論の自由がかなり保証されている筈。「アベノミクス」と怪しげな言葉が踊るが、報道は殆ど権力にすり寄っている。総理記者会見でこれについて疑問を呈する記者が出ないのが不思議でならない。
2012年12月25日火曜日
クリスマス
今日はキリスト教のお祭りクリスマス。死んだら葬ってもらう墓が決まっている上に、娘たちの結婚式を神前にて行った小生からすると、世界最大か2番目の一神教の教祖様のお誕生日を人並みに言祝いで、ケーキでも食わせてもらえば有難いが、普段から甘いものを食い過ぎとて食わせてもらえなかった。残念なり。
キリスト様と娘と婿を契らせてもらった神様のどちらが偉いか、比較しても仕方ないかもしれないが、神様の方はお名前を忘れてしまった。娘は二人だが各々別の神社のお世話になっている。異教徒である小生が名前はおろか誕生日まで知っているのだからキリスト様の方が偉いのかもしれない。でも偉すぎて神頼みは何となくし難いし、してもご利益が薄いような気がする。
幼少の頃より何回となく、己の努力が足りないところを神様仏様にお縋りして凌いできたので、神社仏閣には祀られている主を知らずとも手を合わせたり柏手を打ってきた。でもキリスト教の教会があるからと言って、結婚式や葬式の用も無いのに扉をくぐった事はない。恐らく大方の日本人は皆同じだろう。
その罪滅ぼしで年に一度だけ、聖歌を聞いて祈る格好をつけていると考えれば辻褄が合いそうだ。善いか悪いかは別として、日本人の宗教心は本当にいい加減で無節操と言われても仕方ない。しかしその割には日本人がとりわけ野蛮かと言えばそうでもない。アメリカのように何億丁とも言われる銃が国内に氾濫する文明国の方が余程物騒で野蛮に思われる。
最近は少し乱れてきているとの指摘もあるが、日本人の礼儀の正しさ、丁寧な言葉遣い、公私のけじめ、他人への思いやり、自然に対する恐れ等々。宗教心がいい加減と指摘されても、宗教心があるとされるキリスト教徒やイスラム教徒に何一つ引けを取らないと思う。
ただ一つだけ少し問題かと思うことがある。我が同胞は、神様仏様を友人知人と同列に捉えるところがあることは多くの識者が指摘しているし、小生にもそれは否定できない。故に重要な意思決定をする時、どうしても他人の意見と目線が気になってしまう。常に己が宇宙でたった一人の絶対神と直接契約して繋がっていると思えば、もっと強い意志を発揮できるかもしれぬ。
残念ながらこちらは典型的日本人だ。
キリスト様と娘と婿を契らせてもらった神様のどちらが偉いか、比較しても仕方ないかもしれないが、神様の方はお名前を忘れてしまった。娘は二人だが各々別の神社のお世話になっている。異教徒である小生が名前はおろか誕生日まで知っているのだからキリスト様の方が偉いのかもしれない。でも偉すぎて神頼みは何となくし難いし、してもご利益が薄いような気がする。
幼少の頃より何回となく、己の努力が足りないところを神様仏様にお縋りして凌いできたので、神社仏閣には祀られている主を知らずとも手を合わせたり柏手を打ってきた。でもキリスト教の教会があるからと言って、結婚式や葬式の用も無いのに扉をくぐった事はない。恐らく大方の日本人は皆同じだろう。
その罪滅ぼしで年に一度だけ、聖歌を聞いて祈る格好をつけていると考えれば辻褄が合いそうだ。善いか悪いかは別として、日本人の宗教心は本当にいい加減で無節操と言われても仕方ない。しかしその割には日本人がとりわけ野蛮かと言えばそうでもない。アメリカのように何億丁とも言われる銃が国内に氾濫する文明国の方が余程物騒で野蛮に思われる。
最近は少し乱れてきているとの指摘もあるが、日本人の礼儀の正しさ、丁寧な言葉遣い、公私のけじめ、他人への思いやり、自然に対する恐れ等々。宗教心がいい加減と指摘されても、宗教心があるとされるキリスト教徒やイスラム教徒に何一つ引けを取らないと思う。
ただ一つだけ少し問題かと思うことがある。我が同胞は、神様仏様を友人知人と同列に捉えるところがあることは多くの識者が指摘しているし、小生にもそれは否定できない。故に重要な意思決定をする時、どうしても他人の意見と目線が気になってしまう。常に己が宇宙でたった一人の絶対神と直接契約して繋がっていると思えば、もっと強い意志を発揮できるかもしれぬ。
残念ながらこちらは典型的日本人だ。
2012年12月24日月曜日
足るを知る
来週発足する自公政権の経済政策が非常に危なっかしいものであることは多くの人が指摘している。新しい与党内には多数の人材がいるのだから、中にはブレーキを踏む人も居るはずだが、組閣早々に10兆円規模の補正予算を組むことは間違いなさそうだ。口先ではばら撒きはしないと言いながらも、実際に予算を編成するのは官僚そのもの。実態的には彼らに予算を大盤振る舞いするのだから、一種のばら撒きとしか言いようがない。
受けて立つ官僚は待ってましたとばかりに己の田に水を引くことだけ考えることになる。この結果思わぬところで商売にありつく企業が出るのは当たり前。それをもって景気が良くなったとするならこんな楽な経済対策は他にない、誰にでもできることだろう。これはテレビインタビューに答えた市井の一老人の言葉である。只でさえ年間百兆円に膨れ上がっている政府予算を何の必要があってさらに膨張させねばならぬか。
入ってくる税の見込みがないまま徒に借金を増やす、現在の予算でも既に20兆円を超す費用が借金の利払いに充てられている事くらい小生でも知っている。借金を重ねるのは馬鹿な極道息子と相場が決まっていたが、これからは富山県警の警部補でもあるまいに、親父が借金をしまくると家族に向かって宣言しているようなものだ。とどのつまりに殺人を犯して自殺を図るなんて事態にならぬようご注意申し上げたい。
以前も少し書いたが、昭和20年第30年代と多くのご同輩同様貧乏な生活を体験しているせいか、年金暮らしになって諸事倹約するようになった現在でも、自分の生活に対する不満は全くない。現役時代に可能だったことも手元不如意になったら、しないで済むだけの話。その結果今までお付き合い頂いた方々から多少疎んぜられようと、そういう年齢に達したからと諦めればいいだけだ。しないで済むとはものぐさ太郎には有り難い話でもある。
この3連休はゆっくり寝ていたので小生は見ることが出来なかったが家内が、昨日の早朝5時から始まるNHK「演芸図鑑」の対談ゲストとして出演した作家の山本一力氏が良い事を言ったとのこと。即ち、日本人は昔から「足るを知る」価値観をとても大事にしてきた筈だが、最近この価値観が非常に薄れたと言うか忘れられている。聞いて尤もなことだと思う。
我が家のことはさて置き、この日本で新たに借金を増やしてまで手当をしなければならないこととは一体なんだろう?家にあるものを大事に使うように、国でも暫くは新しいものは道路やダムに限らず、一切作らない覚悟を決めると何か不都合があるのだろうか?
受けて立つ官僚は待ってましたとばかりに己の田に水を引くことだけ考えることになる。この結果思わぬところで商売にありつく企業が出るのは当たり前。それをもって景気が良くなったとするならこんな楽な経済対策は他にない、誰にでもできることだろう。これはテレビインタビューに答えた市井の一老人の言葉である。只でさえ年間百兆円に膨れ上がっている政府予算を何の必要があってさらに膨張させねばならぬか。
入ってくる税の見込みがないまま徒に借金を増やす、現在の予算でも既に20兆円を超す費用が借金の利払いに充てられている事くらい小生でも知っている。借金を重ねるのは馬鹿な極道息子と相場が決まっていたが、これからは富山県警の警部補でもあるまいに、親父が借金をしまくると家族に向かって宣言しているようなものだ。とどのつまりに殺人を犯して自殺を図るなんて事態にならぬようご注意申し上げたい。
以前も少し書いたが、昭和20年第30年代と多くのご同輩同様貧乏な生活を体験しているせいか、年金暮らしになって諸事倹約するようになった現在でも、自分の生活に対する不満は全くない。現役時代に可能だったことも手元不如意になったら、しないで済むだけの話。その結果今までお付き合い頂いた方々から多少疎んぜられようと、そういう年齢に達したからと諦めればいいだけだ。しないで済むとはものぐさ太郎には有り難い話でもある。
この3連休はゆっくり寝ていたので小生は見ることが出来なかったが家内が、昨日の早朝5時から始まるNHK「演芸図鑑」の対談ゲストとして出演した作家の山本一力氏が良い事を言ったとのこと。即ち、日本人は昔から「足るを知る」価値観をとても大事にしてきた筈だが、最近この価値観が非常に薄れたと言うか忘れられている。聞いて尤もなことだと思う。
我が家のことはさて置き、この日本で新たに借金を増やしてまで手当をしなければならないこととは一体なんだろう?家にあるものを大事に使うように、国でも暫くは新しいものは道路やダムに限らず、一切作らない覚悟を決めると何か不都合があるのだろうか?
2012年12月23日日曜日
天皇誕生日
どこの家にも国旗は掲揚されていないが、今日は天皇誕生日の祝日。皇居には祝賀の人が大勢詰めかけているらしい。皆さん日の丸の小旗を持っていらっしゃるが、ご家庭の門前にも国旗を掲揚していらっしゃるのだろうか?アメリカあたりに行くと、なんでもない日にあちこちに星条旗が掲げられているのを目にする。あれも最初は不思議に思ったが、考えてみれば幼い頃からアメリカ人であることを意識させるには有効かもしれない。
幼稚園、小学校から大学は勿論、公共的な建物では毎日国旗を掲揚すれば善いと思う。しかし、なまじ文科省なんて役所があるので、却って学校ではやり難くそうだ。天皇の存在と役割については憲法で規定されているが、多くの国民はその内容を知らず、一人天皇陛下だけがそれを深く理解され、忠実にその役割を果たされていると聞く。察するに陛下には私人としての時間が殆ど無きに等しいのではないか。
満79歳になられた陛下は今年心臓の手術を受けられているし、身体も相当弱っていて不思議はない。周りの者どもも公務を少し減らすことを進言しているようではあるが、陛下はもう暫くこのまま公務を続けると仰っているようだ。直接存じ上げているのは昭和天皇と今上天皇のお二方だけだが、我が国の天皇陛下は、俗な言葉で言うと少し真面目すぎるかもしれない。
2670年以上の長年に亘り日本を作った神の代理人として、国家の祭祀を司っている自覚の成せることではあろう。だから拝むだけでも有難がる人が多いのだ。この雰囲気は日本人のDNAに埋め込まれた独特の宗教観から湧いているのだろうから否定しても始まらない。誕生日を寿ぐ気持ちは勿論あるが、お身体を大事にして頂きたい。憲法に摂政の規定がどのように書かれているか知らぬが、身体をいたわる意味からも皇太子に地位を譲られてはと思ってしまう。
論点が少し飛躍するが、天皇と皇室については様々な議論が絶えない。中には首相公選で総理を元首になんて意見もあるらしい。ここ20年くらいの首相を思い浮かべるとゾッとしないので、「何をぬかすか、この不逞者め!」と一刀両したくなる気持ちもあるが、天皇サイドから見るとこいつらも赤子の一人。無視はできぬ意見だろう。個人的には天皇陛下には京都にお帰り頂き、少し政府と距離を取られた方がいいとも思っている。
天皇制についての議論は結構だし、小生歴史は詳しくない。ただ思いはたった一つ、1945年の終戦で日本の独立が守られたのは、日本に天皇の存在があったればこそだ。これからどんな国難が襲ってくるか分からない。その時のためと言ってはあまりに恐れ多いかもしれないが、陛下と皇室の弥栄を祈念。
幼稚園、小学校から大学は勿論、公共的な建物では毎日国旗を掲揚すれば善いと思う。しかし、なまじ文科省なんて役所があるので、却って学校ではやり難くそうだ。天皇の存在と役割については憲法で規定されているが、多くの国民はその内容を知らず、一人天皇陛下だけがそれを深く理解され、忠実にその役割を果たされていると聞く。察するに陛下には私人としての時間が殆ど無きに等しいのではないか。
満79歳になられた陛下は今年心臓の手術を受けられているし、身体も相当弱っていて不思議はない。周りの者どもも公務を少し減らすことを進言しているようではあるが、陛下はもう暫くこのまま公務を続けると仰っているようだ。直接存じ上げているのは昭和天皇と今上天皇のお二方だけだが、我が国の天皇陛下は、俗な言葉で言うと少し真面目すぎるかもしれない。
2670年以上の長年に亘り日本を作った神の代理人として、国家の祭祀を司っている自覚の成せることではあろう。だから拝むだけでも有難がる人が多いのだ。この雰囲気は日本人のDNAに埋め込まれた独特の宗教観から湧いているのだろうから否定しても始まらない。誕生日を寿ぐ気持ちは勿論あるが、お身体を大事にして頂きたい。憲法に摂政の規定がどのように書かれているか知らぬが、身体をいたわる意味からも皇太子に地位を譲られてはと思ってしまう。
論点が少し飛躍するが、天皇と皇室については様々な議論が絶えない。中には首相公選で総理を元首になんて意見もあるらしい。ここ20年くらいの首相を思い浮かべるとゾッとしないので、「何をぬかすか、この不逞者め!」と一刀両したくなる気持ちもあるが、天皇サイドから見るとこいつらも赤子の一人。無視はできぬ意見だろう。個人的には天皇陛下には京都にお帰り頂き、少し政府と距離を取られた方がいいとも思っている。
天皇制についての議論は結構だし、小生歴史は詳しくない。ただ思いはたった一つ、1945年の終戦で日本の独立が守られたのは、日本に天皇の存在があったればこそだ。これからどんな国難が襲ってくるか分からない。その時のためと言ってはあまりに恐れ多いかもしれないが、陛下と皇室の弥栄を祈念。
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