2012年12月25日火曜日

クリスマス

今日はキリスト教のお祭りクリスマス。死んだら葬ってもらう墓が決まっている上に、娘たちの結婚式を神前にて行った小生からすると、世界最大か2番目の一神教の教祖様のお誕生日を人並みに言祝いで、ケーキでも食わせてもらえば有難いが、普段から甘いものを食い過ぎとて食わせてもらえなかった。残念なり。

キリスト様と娘と婿を契らせてもらった神様のどちらが偉いか、比較しても仕方ないかもしれないが、神様の方はお名前を忘れてしまった。娘は二人だが各々別の神社のお世話になっている。異教徒である小生が名前はおろか誕生日まで知っているのだからキリスト様の方が偉いのかもしれない。でも偉すぎて神頼みは何となくし難いし、してもご利益が薄いような気がする。

幼少の頃より何回となく、己の努力が足りないところを神様仏様にお縋りして凌いできたので、神社仏閣には祀られている主を知らずとも手を合わせたり柏手を打ってきた。でもキリスト教の教会があるからと言って、結婚式や葬式の用も無いのに扉をくぐった事はない。恐らく大方の日本人は皆同じだろう。

その罪滅ぼしで年に一度だけ、聖歌を聞いて祈る格好をつけていると考えれば辻褄が合いそうだ。善いか悪いかは別として、日本人の宗教心は本当にいい加減で無節操と言われても仕方ない。しかしその割には日本人がとりわけ野蛮かと言えばそうでもない。アメリカのように何億丁とも言われる銃が国内に氾濫する文明国の方が余程物騒で野蛮に思われる。

最近は少し乱れてきているとの指摘もあるが、日本人の礼儀の正しさ、丁寧な言葉遣い、公私のけじめ、他人への思いやり、自然に対する恐れ等々。宗教心がいい加減と指摘されても、宗教心があるとされるキリスト教徒やイスラム教徒に何一つ引けを取らないと思う。

ただ一つだけ少し問題かと思うことがある。我が同胞は、神様仏様を友人知人と同列に捉えるところがあることは多くの識者が指摘しているし、小生にもそれは否定できない。故に重要な意思決定をする時、どうしても他人の意見と目線が気になってしまう。常に己が宇宙でたった一人の絶対神と直接契約して繋がっていると思えば、もっと強い意志を発揮できるかもしれぬ。

残念ながらこちらは典型的日本人だ。

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