2012年12月26日水曜日

報道姿勢 何年経っても

このブログに態々1項を設けてマスコミ批判めいた事を書き綴っている。それは現代のマスメディアが社会の木鐸精神を忘れ、あまりに無責任無節操な報道をしているとの思いからである。ところが昨日たまたま昭和25年の文藝春秋新年号に掲載された豊田副武氏の手記を読む機会があった。豊田氏とは先の大戦終戦時(昭和20年)に帝国海軍の指揮命令系統トップである軍令部総長という地位にあった人である。

余談になるが、当時の陸軍のトップは阿南惟幾氏で彼は終戦当日に割腹自殺を遂げている。対するに開戦責任については罪が重いとされる海軍のトップ豊田氏は、極東裁判では戦犯容疑者として一旦逮捕されながらも無罪となっている。この辺の事情はまるきりの子供みたい存在であった小生には計りかねるので措くことにしたい。終戦に関する限り、敗戦已む無しの情報をいち早くゲットした海軍の方が、何となく要領よく立ち回った感が無いでもない。

豊田氏が連合艦隊司令長官から軍令部総長に就任したのは昭和20年5月29日、明らかに終戦工作向け人事である(と自ら書いている)。6月6日から天皇臨席のもと軍と政府のトップによって構成される「最高戦争指導会議」に出席。ここから実際の終戦8月15日迄、延々2か月半に亘る小田原評定が長引いた。その間に日本が被った損害を思うと慙愧に堪えない。己の組織を優先して国家国民を二の次に見た当時の指導者については言いたいことは山ほどある。しかし今日の趣旨とは違うのでここも省略しよう。

書きたいと思ったのは当時のマスメディアのことである。具体的には終戦を勧告してきたポツダム宣言についてだ。連合国側は、これを昭和20年7月26日に発表した。同時にアメリカのダレス国務長官が、スイスの駐在武官宛てに正式な申し入れを行っている。これを受けて日本で開かれた28日の最高戦争指導会議が、これを「黙殺」と決定。当日に鈴木総理の記者会見が開かれて、その趣旨の決定があったことを発表している。

当時の新聞まで確認してこなかったが、多分ポツダム宣言については書かなかったか、書いても政府発表の通り「こんなものは黙殺すべし」と書いたに違いない。マスコミは開戦以来大本営発表に沿って戦争報道を行い、国民を戦争に煽り立ててきたのも全くどうかと思う。これに百歩譲ったとしても、20年の7月の時点であった連合軍の勧告について、「政府が黙殺」と発表した時に誰一人質問すらしなかったのだろうか?

記者会見で政府批判は出来ないにしても、質問はできるだろう。「黙殺がどのような結果を招来すると予測しているのか?」位は聞いても罰は当たるまい。28日の時点で何らかのアクションが起こされていればあの原爆は?と考えても詮無いこと。現代は当時に比べれば言論の自由がかなり保証されている筈。「アベノミクス」と怪しげな言葉が踊るが、報道は殆ど権力にすり寄っている。総理記者会見でこれについて疑問を呈する記者が出ないのが不思議でならない。

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