2020年12月21日月曜日

年末の思い

 今年も余すところ10日。買い溜めの習慣がないのでスーパーや池袋のレストランがいつからいつまで店じまいになるのかそろそろ確認せねばならない。大晦日の夜と、元日の朝ぐらいは自宅で料理をしてみようかとも思っている。大晦日は信州の北部では鮭、南部では鰤と決まっているが、流石に魚料理は無理だろう。せめて少し高級な牛肉でも買ってすき焼きをしようかなんて思っている。元日の定番は鶏肉入りのすまし汁での雑煮。餅はスーパーで簡単に入手可能だから、これはなんと出来そうだ。甘党ゆえデザートに干し柿も欠かせない。なんか1年中食い物の心配をしているようでお恥ずかしい限り。

今年は元日から映画館に行ったが、来年はそうは行きそうにない。読書とネット囲碁に依存するしか無さそうだ。19日の土曜日に聞いたが、八ヶ岳山麓に住まいする友人は既にスキーに3日も行ったとのこと。もうスキーは生涯縁を切ろうかと思っていたが、話を聞いてまた虫が少し起き出した。友人曰く「スキーは歩行と違って大した運動量ではない。」動力で高いところに上って、後は引力に引っ張らっれて降りてくるだけではないか。考えればそうかも知れない。正月に一人でスキー場に行くのもありか、なんてことを考え始めた。

正月はJRの割引が効かないから高くつきそうなので結局はやめるかもしれぬが、想像だけでも楽しくなった。子供並みにお正月の楽しみを想像するのも良いが、心配もある。我が親族だけではないかもしれぬが、冬場の特に年末には葬式が多くなる。特に今年は先週から急に本格的寒さがやって来ている。昨日も肺がんを抱えながら頑張っている親しい友人から久しぶりの電話があった。もう三ヵ月も会っていないので心配してたが、やはり調子が大分悪そうだ。

土曜日にリモートで話した友人の一人も、やはり体調が大分悪い。二人ともスポーツ老人と言うべきか、つい最近まではゴルフだ、すきーだ、ヨットだと人も羨む優雅な老後で、時々お付き合いをさせて頂いたものだ。電話をくれた友人は酒を全く飲まないのに今年になっても何回か食事をしてるし、同期の友人は一昨年の冬にはスキーを一緒した。なのに二人共胸水を抱えて会食やスキーどころでは無さそうだ。くれぐれも自重自愛を祈りたい。

2020年12月20日日曜日

政府発表と市民の受け止め

 先の大戦中日本は1941年末の初戦における勝利を、国民に向け大本営発表として大々的に発表した。ところが翌年となり開戦から1年も経たぬうちに方々で負け戦が続出しだし、戦地の犠牲は増えはじめた。にも関わらず大本営発表は相変わらず連日威勢の良い発表を続けた。即ち国民に対して嘘を言い続けたのである。しかし、戦禍が市民が暮らす南方の島々に及ぶようになると、当然ながら嘘は隠しきれない。

それでも発表するにあたっては敗戦による撤退とは言わず転進と言ってみたりしているうちに、島が全滅する事態に追いこまれる。すると今度は玉砕と称して何とか美化したりしたが、結局は3年半以上経って国全体が絶望的敗戦になってしまった。この事実は未だ多くの国民の記憶や見聞の中にあるはずだ。「有ったことを無かったことにするのは出来ない。」は元文科事務次官前川喜平氏が言った有名なセリフだが、事実を嘘で覆い隠すことは不可能に近い。

数少ない報道にしか接し得ない我々庶民が、コロナ禍の実態を知ることは非常に難しい。であれば本来は、政治的指導的立場にある人が出来るだけ正直に実態を説明して市民に協力を求めるべきである。だが何を勘違いしているか知らぬが、彼等は75年以上昔の大本営発表と同じ間違いを繰り返している。発表の担当者は政府であれば官房長官か西村コロナ対策担当大臣、東京都の場合は広報担当居ないようで毎日知事が直接報道記者に向き合っている。

少し気の利いた人であればコロナ禍は既に日本中に拡大していること、特に都市部では市中感染の危険が強まって誰が何時どこで感染しても不思議ではなくなっていること。ヨーロッパ諸国のように都市閉鎖されても仕方ない状況に近づいていることくらいは常識だろう。問題は対応する医療機関の問題だが、病院と比較的縁遠いので分かりにくいが、都知事のセリフには信じがたいことがある。増え続ける患者数に対する病院の対応を、さも自分が医療の当事者のように「準備を拡大しています」と言うことだ。

「都立病院では、」と前置きして言うなら分かるが全都下の医療関係者を掌握できていないくせに偉そうに言うな!である。逼迫ということも最近はよく聞くセリフだが、これも意味不明だ。嘗て玉砕寸前の島の守備責任者が使った言葉だろ。情勢を見れば後は崩壊は時間の問題だ。市民が指導者たちの発表を聞いて安心はしないが、かと言って危機感も持たなくなっている。市民にすれば「我々はやるべきことをやっている」だ。

昨夜の同期とのリモート会議では「俺たちのワクチン接種はいつ頃か?」が話題に上った。欧米では軍が出動してまで対応に追われている。日本では海外製薬企業との契約数量だけが大きく取り上げられているが、国内の受け入れ準備についての報道は皆無。町内のかかりつけ医で接種可能になると思ってはいないが、友人の一人が「いや、日本はそうなると思うよ。」とのこと。心はだいぶ先のことだろうとのことらしい。

2020年12月19日土曜日

会食接待

菅首相の会食回数が多いということを非難する向きが多いようだ。庶民と首相という要職にいる方では事情が違うだろうと思うが、庶民の気持ちは分からぬでもない。ただ興味を覚えたのは日本の会食接待文化と首相の消化器の強健さだ。

親しい人と会う際に、諸外国でもレストランで食事でもてなすことはあろうが、日本の会食は少し異なる。今は環境大臣の奥方に納まっている嘗てのお嬢さん(名前が浮かんでこない)がオリンピック招致委員会でぶち上げた「お・も・て・な・し」は欧米人に意味不明だったろうが、コロナ報道のお陰で少しは理解が進んでいるかもしれぬ。

日本ではビジネスの円滑剤として「食事をしましょう」と誘うことがよくある。菅首相の場合もこれで、殆どの場合、首相が状況を聞きたいと思う人に自ら声をかけて誘っているようだ。首相であれば、例えお茶一杯無くても声を掛ければ大方の人は無条件馳せ参ずると思うが、相当生真面目なんだろう。態々食事で接待するという形を取っている。しかもこれを毎日三度三度ならまだしも、日によっては食事を2回に分けたり、場合によっては3回に分けたりするらしい。

ならば公邸の一室に食堂にふさわしい部屋があるかどうか知らぬが、公邸で会うようにするのが合理的と思うが、会食の場を態々変えてるのも不思議な限り。欧米人にはとても理解できぬだろう。誘われてホットケーキと紅茶の一杯でも接待を受けた側は、相手が相手だけに恩を感じるものらしい。首相側も相手の要望なんかをよく聞くらしく、相手に政策への反映を期待させているようだ。とすれば首相の会食には非難に値するようなことは無いようにも思う。費用がどこから出ている?なんてケチなことも聞くまい。

夜の会食が三座敷なんてこともあるようだが、首相はアルコールを飲まないとのことだから可能なんだろう。食事の回数が毎日5回6回ともなればカロリーオーバーが気になるところだが、体型から推測すればその心配も無さそうだ。よほど克己心が強い人かもしれない。身体に一層気をつけながら頑張って下さいと声援を贈ろう。

日本では庶民にもこの接待文化は根付いている。だから首相の行為は責められないが、庶民は真似をしないほうが良さそうだ。 

2020年12月18日金曜日

早寝早起き

 昼間は南に面した部屋に居ることが多いので、数時間は暖房無しで過ごせるが、朝が本当に寒くなってきた。重い掛け布団が苦手なので、昨夜は山小屋に泊まったときのように靴下を履いたまま寝たくなったくらいだ。しかし今朝もいつもどおりに5時に起きて洗顔などを済ませ、窓を全て開け放った。一通りのことが終わり、6時前から30分ほどテレビを観るのが常のところ、あまり寒いので座り込むと身体が温まらない。

仕方なく、動き回るために朝飯の用意をいつもより15分ほど早く始めて、いつもより15分早く朝の仕事が終わった。早起きは三文の徳と言われるからそれを期待しても良いが、この歳になって物事を損得で考えるのも如何かと思ったりする。今日は特に思いついたことが無いが、今朝の朝日新聞に掲載された佐藤優氏の記事「消極主義のススメ」に興味が湧いた。彼は今年還暦らしいが曰く「50過ぎたら新しいことに挑戦なんぞせず、消極的に生きろ」と言っている。

昔から50の手習いなんて言われもしたが、まして現在は人生百年と言われる時代。リタアメンとが退職後に新たな人生で新たなことに挑戦することが推奨される時代にしては珍しい見解だ。佐藤氏は次のように言っている。

以下引用:「50代以降や定年後の生活に向けたメッセージの多くは、『まだ若いんだ、頑張れ』という方向のものです。でも頑張ると、無駄なところへのエネルギーの投入が過剰にされてしまうんですね。これは非常にまずいと思います。今は、頑張れと言われなくても頑張らざるを得ない。体がきく限り、働き続けなければならない状況だと、みなわかっています。そういう状況の中で、現実に近づくためには消極主義が必要なんです」

働き続けざるをえないことを皆が分かっているかは少し怪しいと思うが、余計なことにエネルギーを使うな!はある程度理解できる。世の流行に乗り遅れまいと新しいことに挑戦するつもりはもう無いが、50過ぎてから大分新しいことに挑戦して約20年。佐藤氏が言うように何一つ物になったことは無かったが、それなりに楽しんだ。これからは明日もまた健康でいるためにも、毎日一定の努力は必要だと思っている。その一つが早寝早起きだ。

2020年12月17日木曜日

真面目

 年末にしなければならぬ第一は大掃除だと思いながらもずっと手を抜いて、代わりに娘の年始の予定を聞いている。他家に嫁いだ娘家族と正式に顔を合わせるのは年に一度、家内の実家での正月と決まっていた。どっちが先か忘れたが、何れにしても2日と3日、箱根マラソンのテレビ中継をつけ放しにした居間で昼から夕方にかけての酒盛りが定番だった。

家内が逝ってからも義母が健在なので、おおよそこの習慣にならっていたものだ。ところが来年は明らかにこの慣習を破らねばならないことは、もうだいぶ前から互いに了解している。しかし孫たちにお伊勢さんのお札は上げられないが、お年玉くらいは上げなきゃまずかろうし、雑煮やお節はなくても年に一度位は会食したほうが良かろうと思っている。次女とはこの暮に別件があって電話する機会があったので、既に決まっている。

孫が、東京で外食は気がすすまないので自宅に来て欲しいとのこと。実家の年賀は毎年元日の日帰りで決めているので、2日に来てくれとのこと。昨日長女に電話をした。「毎年来ていたような気がするが、お母さんの命日(12月28日)には線香上げに来るかい?」言われて初めて気がついた風情で「そうか、それもあったね。」要するに巣ごもりですっかり忘れていたらしい。小学6年生の孫が毎日学校に行っているので、いつ何を背負い込んでくるかが気掛かりで仕方ないらしい。

確か先シーズンは一家全員がインフルエンザに罹患している。「多少お金が掛かっても予防接種はしたほうが良いぞ。」とアドバイスした記憶がある。今年はどうしたか知らぬが、仮に摂取したにしても新たにコロナの脅威が追加されたことになる。孫の学校は未だ来週いっぱいはあるらしい。だから外出は少しでも遅い方がいいだろうとのことで、長女の実家は山形なので、年賀は中止だからと、元日の朝に来ることになった。会食は勿論無し。

どうも我が家では娘たちもそうかも知れぬが、孫たちが意外と真面目に大人以上にコロナを警戒していると感心した。キリスト教徒にとってはクリスマスが家族邂逅の大切な日らしい。例え年寄りが認知症であったにしても両親や祖父母たちと一緒に過ごす時間を大切にしてきたらしい。ロックダウン中のヨーロッパ諸国でさえ、政治的にはこの日に瞬間的であっても規制を緩める策をだいぶ前から練ってきた。勿論医学的専門家は反対を表明している。

ところが我が日本は面白いと言っては不謹慎だろうが、政府が年末年始を目前にして突然規制の強化に動いている。年末年始が日本人にとってキリスト教徒のクリスマス以上に重要な意味を持つ時期であることは言うまでもない。医学的専門家たちの知見とアドバイスに従ってとのことだが、これまで聞く耳を持たなかった専門家の意見だ。誰が見たって世論調査で支持率が急低下したことが影響したからに他ならない。政治家は不真面目だ。

2020年12月16日水曜日

来年はどうなる?

例年通り上越の豪雪地帯に大雪が降り出した。若い時であればスキーシーズン到来と心も踊っただろうが、昨今はそんな感激も感じなくなってしまった。情けないことに朝晩の寒さのほうがよほど辛い。昨夜は最初の会社時代から続いている友人と久しぶりに、ほぼ1年ぶりくらいかな、と会食。日本酒を1合ちょっと飲んだだけですっかり酔ってしまった。これも情けないが、帰宅して今朝の米を研いでなかったことを思い出し、支度をしたりしてから風呂に入ったら急に温まったせいか、のぼせて少し気持ちが悪くなってしまった。

ヒートテックならぬヒートショックで湯船に浮かんでお陀仏になったのでは洒落にもならない。年内はもう飲む機会が無い筈なので大丈夫とは思うが、正月2日に娘の家に招待を受けている。飲み過ぎとともにヒートショックにも気をつけよう。昨夜一所だった友人は今日はゴルフと言っていた。昔は確かに冬場は好天が続くのでゴルフの予定が多かったことを思い出すが、これも今になると他人事ながらよくやるなあと感心するばかりだ。

師走も遂に半ばを過ぎた、後半月で年が代わる。大晦日に掛けかえるカレンダーは予定の物が全部用意できた。ただ1点寝間に飾っているお伊勢さんの絵馬を来年どうしようか考えている。ネズミの絵が書いてあるのを来年も置いておくべきか、しまってしまうべきか、つまらないことだが面倒くさいので当分このまま置いとくしかないか。小人はつまらないことしか考えないが、アメリカのバイデン氏はやっと来大統領になることが正式に決まったようだ。これで世界がどう変わるか凡人に分かるはずもないが、少しでも平和の方向に動くよう祈りたい。

日本の来年も見通しがつきにくい。少なくとも政府は代わったばかりだから、来年末までは今の政府が続くのだろうが、希望に満ちた年にはなりにくそうだ。我々年寄はどうでもいいが、若い人、特に就学している生徒や学生たちの現在の状態がどこまで続くか、はっきりした見通しが立たないのは不幸なことだ。同じ教室で授業を受けていても、学力に格差が生じるの当たり前。まして遠隔授業が多くなっている現在、日本はインターネット環境が整備されていると言っても、格差は間違いなく拡がり、先輩とのハンデキャップも大きくなるだろう。

そのあたりを国がどう考えるか聞きたいが、今日聴こえてきたのが、オリンピック聖火リレーを予定通り3月から開始して、延べ1万数千人が参加する予定とのこと。どこかピントが外れていると思うが、これが我が国の実態だから仕方ない。 

2020年12月15日火曜日

Go Toは余計なお世話

 何度も書いているが、子供の頃から算数が苦手。高校に入って代数と幾何、幾何は答えを見ると「へえ、こんな面白い手品みたいことがあるか。」と感心したが、自分で解くのはまるで駄目だった。兎も角そっち方面の才能が無い小生にとって数字は親の仇と同じ。小学1年生の時100迄勘定が出来たので自分で天才かと思っていたが、この歳になっても100万円以上の数は実感がわかない。500万円と1千万円の違いもはっきり理解できないかもしれぬ。

ましてや1千万円を超す数字については、何を聞いても嘘っぽく思えてならない。昨日から今日にかけて、Go Toキャンペーン突然の中止で世の中が騒然としている。そりゃ当たり前のこと。暇とお金を持ち余していた年寄連中は、この切符か旅行券は知らぬが、キャンセル方法が分からず子供に電話をしているだろうし、褌ならぬ当てが外れた業者側の落胆も大きいことがよく理解できる。ここで登場するのが数字と記号の%。

最初から割引に興味が無い口なので、冷やかし気分で取り上げたが、誰が得をしたかと言えば、得した人間は一人もいないように思う。強いて言えば税金の無駄遣い金額が誰かが予定したより少し増えるだろうから、将来の日本人の負の遺産が増えたことは間違いないだろう。しかし税金の無駄遣いは昨日や今日に始まったことでは無い。実害が及ぶ世代は子どもたちの世代か孫たちの世代?或いはもっと先かもしれぬ。後世我々の世代を歴史家がなんと言うか聞いてみたいものだ。

締め括りの数字は「4千万人」臨時国会開催中から使われていた数字だから、若干の誤差はあるだろう。「Go Toトラベルの利用者は約4千万人、この中でコロナの陽性反応を示した人は僅か100人強。従ってGo Toトラベルが悪者になる理由が無い。関係あるならエビデンスを示して頂きたい。」これが政府のみならず、テレビに出演した与党側の然るべき方に共通したご発言。これに対する反論であまりパッとした発言は記憶に無い。

小生が思ったのは暇と金があるとされるご老体のこと。これが日本にどれほど居るかについてだ。若い人も多いと思うので全員がご老体と断ずるのは無理にしても半分くらいとしてみれば2千万人だ。どこから取った統計か分からぬが、仮に公共交通機関の乗車員数からとすれば、往復で2人になるから実質1千万人。数年前フランスの高級ブランド用品店の売り子をしていた女性の話を聞いたことがある。日本には月に100万円(1千万円だったかな)くらいのお小遣いを使う層に100万人ほど居るとのこと。

昨夜は姪と別件で電話をした。序にビジネスについて聞くと「お陰様で相変わらずです。」とのこと。彼女のビジネスはヨットの販売。これになるとフランス高級ブランドよりもっと値が張るのは勿論のこと。何れにせよ、日本にはお金持ちがたくさん居るらしい。彼等はGo Toが有ろうと無かろうと旅行がしたきゃ行くだろう。