2019年3月17日日曜日

冬の志賀高原


先週ネパール旅行から帰ってきたばかりではあったが、志賀高原に行って2年振りにスキーを楽しんできた。10数シーズン前から年に一度高校同期のスキー好きが集まる会があり、永久リーダーを務めてくれる指導員の資格を持つ友人K君が、今年は小生の都合を慮って3月13日から2泊3日で設定してくれたので2年振りに参加した。13日も14日も快晴で、しかも13日の夜新雪が10センチ近く積もったのでゲレンデのコンディションは最高。

ところが滑り始めはスキーと身体が全くバラバラでどうなることかと思った。騙し騙し滑ってはみたが体力の衰えはどうしようもないし、技術と言うか反射神経も老人のそれだからイメージ通りにスキーが動くはずも無い。涙と噴き出る汗でゴーグルは曇り危なかっしいことこの上ないが、それでもまる2日間を掛け、志賀高原北西の半分になる丸池から発哺ブナ平・東館・一ノ瀬ファミリー・寺子屋・焼額・奥志賀と主だったコースを一通り滑ることが出来た。

今回参加した同期の友人は小生を含め5名、これにその奥方1名と元会社の部下が2名加わって合計8名。10数年前には同期生参加者が10名いたことを思うと今昔の感がある。尤も参加した我々も身体の劣化は否みようがないが夕食前後の酒盛りでは意気軒昂そのものだ。小生以外7名のメンバーは現役時代社会に於いて赫々たる貢献実績を上げた者ばかり、皆海外経験も豊富なことから話題のスケールは次第に大きくなる一方。

話題が時局問題なんかになると、全員が年齢経歴からして保守主義者なのは結構だが、野党や共産主義国家への批判が強烈なのでどうも口を挟み難く、もっぱら酒を飲みながら謹聴することになり、ネパール旅行に引き続き酒量が上がってしまったようだ。何れにせよ来年もまた同じメンバーでスキーを楽しみたいものだ。

2019年3月16日土曜日

ネパール紀行(その5)

ポカラのホテルには山に向かう前にデポした荷物が待ち構えていた。ここのホテルも立派だったが、さすがに飲み疲れが出たようで夕食後の二次会に顔を出せなかったような気がする。翌朝は又バスに乗り込み、来る時飛行機で30分ほどだった道をカトマンズまでのバス旅行。登山のジープを思えば何ともないが、道中しきりに日本のことが思い出される。インドまで通じる1級の国道らしいが、酷い埃にまみれているうえ、乗っているバスのタイヤを見ると1本のボルトのナットが外れている。



ポカラは820メートルだったがカトマンズは1400メートルの盆地だから、相当な標高差を登り降りしてることになる。嘗て伊那谷をバスで走った時、伊那の谷は流石に深いと思ったが、ネパールの谷は比べ物にならないほど深いと思う。その深さを実感しないのは森林限界が高く、少なくても2千メートルを遥かに超す高みまで木が茂っているからだろう。途中でゴンドラケーブルが動いている場所があった。ガイドの説明では「最近国内で既に3本のケーブルが稼働し始めています。何れもヒンズー教のお寺にお参りする人のためのものです。」とのことで観光用ではないらしい。

ほぼ1日がかりでカトマンズに到着。夜は近くの中国料理屋に行ったような気がする。兎に角この旅行中ホテルで夕食を摂った記憶が無い。一行の中に本物の中国人が居たので、注文が難しく店の方も難儀をしたことだろう。翌日は昼間カトマンズ市内の名所見物、世界遺産に認定されている寺院も多いし、寺に預けられ生き神様扱いの幼い少女なんかを見学、と言っては怒られるか、拝んだりして過ごす。



夜はガイドたち家族とお別れのパーティー兼メンバーに居た人の誕生祝を、観光バスが何台も駐車し、宴席には楽団と地元の舞踊がセットされた大きな料理屋で開催。ガイド達との別れを惜しんだ。



翌朝の便で成都に戻って1泊、ここで印象に残ったことが一つ。到着が遅かったので大きな料理屋は皆仕舞っている。とある麺料理店に入って注文した時のこと、イスラム系の経営故酒が無い。もう飲み飽きるほど飲んだので特に問題は感じなかったが、宗教弾圧とか言われる中国でもここのイスラム教徒は平気なようだった。翌日の昼成都を立って夜9時過ぎに無事成田に到着。様々な見聞を楽しみ、嫌な思いの全く無い海外旅行だった。ネパールがリピーターの最も多い観光地と言うのも頷ける。

ネパール紀行(その4)

翌朝オーストラリアンキャンプから大凡5時間、標高約1000メートルにある日本人経営の「花の家」までトレッキング。と言っても緩やかな降りで、生活道路かどうか、平らな石で整備された部分が多く非常に歩きやすい。途中でゆっくり休んで昼食は握り飯でない地元のカレー料理だし、文句のつけようはない。着いた旅館は日本人経営だけあって部屋のシャワーと別に風呂場まで用意されていいた。



但しこの行程はジープが追走していない。荷物はガイドがジープで持参したものを含めポーターを雇って背負ってもらっている。聞くと現在は法律でポーター一人当たり30キロを超える荷は禁止されているそうだ。一人30キロ近い荷物を頭陀袋に入れて、紐と頭に巻き付けたベルトで背負う。こちらの一行の中に185cmで地元の少年野球の監督をした大男が居て、休憩時間に試しにやってみたら結局立てなかった。ポーターは流石に裸足の人はいなかったが、リーダーが渡したチップに喜ぶ様子を見るにつけ、一寸後ろめたい気持ちがよぎったのも事実。



「花の家」でリーダーの友人である地元のシタール奏者サワン・ジョシ氏と合流。氏は上野の音大に留学したプロのミュージシャン。長野では有名人らしい。未だシーズンに入ったばかりで他に客がいないのを幸いかどうか、夜は彼の演奏会の後でいつもの酒盛りとダンス。旅館の従業員もむしろ喜んでいる様子だった。翌朝はまた少し歩いて降り、ミランチョークと言う村から迎えに来たバスでポカラまで。夕食前にポカラにあるペタワール湖などを散策しながら、小生は野球帽をガイドに値切ってもらって500ルピー(約500円)で土産として購入。因みにルピーは、入国と同時に全員一律5000ルピーずつ両替してもらったが、結局使い切れなかった。


ネパール紀行(その3)

翌朝、首都カトマンズから北西約200キロのポカラに飛行機で移動。副首都とされ、人口は国内2位で約26万。ヒマラヤ西方のアンナプルナ山系観光の拠点都市らしい。飛行場に降り立つと青い空を背景にそそり立つアンナプルナ山系が美しい。ここでガイドと正式に対面した後、ジープに分乗してトレッキングの拠点部落ガンドルンに向かう。長野の義妹が行った時はここからキャンプしながらのトレッキングで3泊くらい掛かったらしいが、ジープだからと言うことで参加した意味もある。

ガイドの一行4人と頭(帽子着用)のお内儀さん

だからこのジープでの難行苦行については申すまい。兎に角その日のうちに標高約1940メートルのガンドルンに到着。この日の夕方も翌朝もアンナプルナ山系の山脈はたっぷり堪能。緯度は奄美大島と同じと聞いても未だ3月の初め、しかも標高が高いので夜はそれなりに冷える。しかしガイドが冬用の寝袋を用意してくれた上に湯たんぽまで持参しているので寝心地も快適。部落にレストランは無いので旅館の台所でガイドが食事を準備、結構な味だ。酒は全員一人ずつが日本から何でもいいから1本ずつ持参と指示されていたので地酒にプラス。毎晩酒盛となっての大騒ぎ。ガイド連中が実に陽気でついついこちらも踊の中に入ってしまった。



ガンドルン着の記念写真バック左側峰がアンナプルナ南峯、右側峰がパラマウント映画にシンボルに使われているマチャプチレ(魚の尻尾との意味)


翌朝、再びジープで少しポカラ方面にバック。標高約1100メートルの渓谷に降り、そこから標高で約500メートルをトレッキング夕方オーストラリアンキャンプと言うキャンプ地に到着。キャンプ地と言っても我々は立派な洋式のトイレ付ツインベッドルームのバンガロー。食事も宴会も先に書いた通りで何の問題無い。朝夕高山の景観を眺め、手近な草花を楽しむのみである。

背景の赤い花の大木が石楠花、春の代表的な花らしい


ネパール紀行(その2)

久し振りの海外旅行だったので、前回はメンバーの紹介だけで肝心のネパールに辿り着く前に終わってしまった。兎に角ネパールへは直行便は無いらしい。リーダーが我々に空からヒマラヤ山脈を見せるために態々中国四川省成都経由の便を選んでくれたようだ。普通の団体旅行ではこうはいかないと思うが、我々は半分ずつ縦一列で両端の窓際の席に陣取ってヒマラヤ山脈を窓から堪能することが出来た。行の便ではエベレストを見ることが出来なかったが、逆に帰りはエベレストを真横から眺めることになった。少し昔、白山からの帰りに飛行機で羽田に帰ったことがあるが、中部の山岳地帯を上空から見ても大した感慨は湧かず、記憶も定かでない。

成都を出発してネパールの首都カトマンズまでは確か3時間一寸だったと思う。半分強は中国上空で雲の上、そのうちに前方に山脈が見え始め、それが、近づくと巨大なヒマラヤ山脈の上空に達する。山脈が如何に高いかは上空1万メートル近くを飛行している飛行機からはっきり見えることが証明している。取り敢えず帰りに撮ったエベレストの写真をアップするが、氷河か雪か知らぬ山々が果てしなく続くように見えるヒマラヤ山脈の景観には圧倒的な迫力があった。この山脈を地上から間近に見るために来たかと思うと感無量でもあった。



カトマンズに到着すると快晴、前日は大荒れで成都のからの便が着陸できず引き返したと聞いて驚いた。余程一行の行いが善かったのだろう。飛行場で現地のガイド頭夫妻とスタッフの出迎えを受けてバスに乗り込み、第一夜の宿に。空港からほど近いロマンティックな名前の「サンセットビューホテル」。町の印象は汚く混乱していること。道路は狭くて凸凹、人やいろいろな車が激しく行き交うが信号は無い(一つ二つ見かけたようにも思うが、点灯していない)。バスで隣り合った隊員の一人に聞くと4度目のネパールで前回は4年前だそうだが、殆ど変わりが無いとのこと。

ところが、ホテルのゲートを潜るとこれまた見紛うばかりのウェスタンスタイル。朝飯のビュッフェは豊富な品揃えで美味かったし部屋も気がきいている、しかしお湯の出は悪い。ホテルの写真を1枚アップする。


2019年3月12日火曜日

ネパール紀行(その1)

来週まで待とうかと思ったが、今回のネパール紀行の様なものを忘れぬうちに書こうと思い直した。海外旅行は前の旅券を確認すると、2002年5月3日中国から帰国して以来だから16年振りのことになる。今回は友人がリーダーを務める団体旅行なので、旅券申請から帰宅するまで全て負んぶに抱っこ、リーダーの指示に従っていたので何一つ不安もなく何事もスムーズに運んだ快適な旅であったことを先ず書いておきたい。

簡単に旅程を記す。先ず2月27日夕方、長野から到着したメンバー11名と愛知県春日井市から来た1名と私が成田のホテルで合流、ここでリーダーから「旅ノート」なる小冊子を受領。これが実に優れ者で、3月9日まで11日分の行動予定と宿泊のルーム毎に相部屋となる人員が特定されて印刷されている。
後は毎日の点呼でルームナンバーを記入するのみ。リーダーは別として、今年の正月に顔を合わせたものの初対面の方ばかりなので名前すらロクに覚えられなかったが、一晩相部屋となれば旅の終わりまでには全員と仲良くなれる仕組みでリーダーの心配りに感謝している。

28日朝食抜き8:50の便(中国国際航空)で成田を出発、機内食は不味いので自分で工夫した方が良いとも聞いていたが結構美味かった。全員窓側の席で道中長いので、隣の人とは積極的に口をきいて仲良くした方が善いとのアドバイスもあった。それに従って隣に来た若い女性に「おはよう」と声を掛けたがニッコリするだけで通じない。どうやらこの女性、母と二人連れて日本観光旅行の帰路らしいことがだんだん分かってきた。コミュニケーションは彼女が取り出したスマホに日本語を打ち込むとスマホが中国語に翻訳、或いはその逆も可であった。

6時間一寸かかって四川省成都に到着する頃はすっかり仲良くなって、空港内移動の満員バスの中で変な関西弁のおっさんに絡まれそうになり我が腕にしがみ付いてきた時は一寸誇らしくも思ったことだった。成都の空港で現地参加の唯一の中国人と合流、この人は広島大学に留学、中国大使館勤務経験もあり、日本で出版もしている大インテリのお金持ち。隊員一同旅中一方ならぬ世話になる。名前は李建華氏: 未読ではあるが氏の書を紹介「聖域巡礼 私の目から見るチベット」 禅文化研究所から2013年に出版。

書き始めたら長くなってしまった。長野に行く時間が迫ったので今日はここまでに。週末以降に続きを書く予定。

機中で私のスマホを取り出すと彼女が撮影してくれた。

2019年3月10日日曜日

ヒマラヤ観光

いい歳になったものの、これと言って自慢できるほどの趣味は無い。ただもの好きで、他人がしていることを真似してみたくなる癖がある。猿真似の譬え通り他人様が長年苦労して達する域に到達し得ないことは初めから分かっているが、一寸齧って「成程これは面白そうだ」と思えば満足するのだ。山歩きなんかもその典型だろう。今回はたまたまひょんな機会を得てネパールの奥地で本物のヒマラヤ山脈を自分の目で見る機会を得た。昨夜成田に到着して今朝帰宅、洗濯をして日常が戻ってきてしまった。

まだ30代の頃だったろうか、母が友人とヨーロッパに行きスイスアルプスの観光を自慢した時、いつか自分も行ってみたいと思った時期もあった。しかしその時の母の年齢に達してみると、精神的にも経済的にも両親に追いつけなかった悔しさからだろうが、「何も遠くまで山なんか見に行かなくても、山は日本にも沢山ある、山は見るためより歩くための存在として活用すれば良い。多少の高さの違いなんか関係無い。」と勝手に決めつけていた。

ところが今回のヒマラヤ観光ですっかり考えが変わった。百聞は一見に如かずの譬え通り間近に見たヒマラヤ山脈は日本の山と全く違う。その美しさは気障な譬えになるが神々しくさえある。現地の人々が長いこと登山を試みなかったことが分かるような気がする。日本の高い山は登山家でない小生ですら簡単に登りたくなっても仕方ないが、ここヒマラヤに至ると登りたくなる人の神経が分からないくらいのものだ。

ネパールの緯度は奄美大島と同じくらいだそうだ。山脈を見上げている立ち位置には初夏の草花が咲き乱れ涼風が吹き抜けるが、眼前の山肌は人を寄せ付けぬ厳しさが伺える。今回の旅行は天候に恵まれたようで、いつもこんなに好都合にはいかぬこともあるらしい。現実、予定が1日早まっていたら首都カトマンズの天気が大荒れで飛行機が着陸できず引き返さざるを得なかったとのこと。他にも旅行を計画し、メンバーを集めてくれた友人T氏と集った参加者15名とガイド達が良い人ばかりで、少し飲み過ぎのきらいは否めないかもしれぬが10日余りがあっという間に経ってしまった感じだ。
 

現地3月2日アンナプルナサウスとマチャプチャレをバックに