師走に入って既に1週間、茶の間のテレビの前に先月から来年の年賀状が郵便局の包みのまま置いてある。婆さんが今年と同じ枚数を買ってきてくれたらしい。そのうえ昨日はアメ横に行って正月料理に必要な品を買ってきたとのこと。主婦は幾つになっても年の瀬にはそれなりの準備が必要みたいだ。こちらは期末試験も無ければ歳暮の心配もしなくて済む生活になっているせいか、どうも年の瀬がピンと来ない。当然ながらボーナスなんてものも無いし、クリスマスプレゼントなんてものも期待しようがない。亭主の方は慌ただしくもないが、このようにしてボケが進むのだろう。
置いてけぼりを食った娑婆のことなど言っても始まらないだろうが、折角再開したので今しばらく書き続けてみたい。最近「M-1グランプリ2016」なるイベントで、今年の最優秀漫才師が決まったことがそこそこのニュースになっている。そのことには興味が無いのだが、婆さんがこれをもじって面白いことを言っている。「大きな森と小さな池のコンビ、彼等のやり取りの方がよほど面白いじゃないですか。」 今年の最優秀漫才師の芸は知らぬが、婆さんが言うコンビのやり取りはテレビで何度も観ているのでよく知っているし、確かに面白いとも言える。
コンビの片割れ小池知事は、知事選以来テレビで見ない日の方が少ないくらいだから、相当な漫才師どころかトップクラスの芸能人と比肩しうる。芸能人の生命は兎に角テレビへの露出頻度に関わっているのは周知のこと。最近は政治家も芸能人並みになっているようで、特にテレビ業界から政界入りをした都知事はそのことをよく知って、フル活用して成功したのかもしれぬ。それは時代にマッチした生活の知恵だろうから年寄りが善悪を言うわけにはいかない。しかし昨日テレビを観ていたら、彼女を応援した我が豊島区の自民党区会議員7人が党を除名されたとのニュースが流れていた。
当然知り合いもいるが、別に応援していた人でもないのでどうでもいい。ただ関連して都知事のコメントを取ろうとした放送記者への知事の返事は「私はまだ除名されていません。」の一言だけであった。これは「正体見たり枯れ尾花」ならぬ「正体見たり芸能人」そのものだ。極端なこと言えば除名された区議会議員はスターに入れ挙げた熱狂的ファンだから自業自得、彼女の立ち上げた学校にも不満が湧き始めているようだ。
平たく言えばスターの身近から順に幻滅を感じていくのだろう。と言ってもスターを責める訳にもいかぬだろう。世界中にポピュリズムがはびこっていることを実感するだけだ。
2016年12月7日水曜日
2016年12月6日火曜日
媒体価値
個人的には浦島太郎化している現代社会には訳の分からない会社が沢山ある。
DeNAその一つで、プロ野球チームを抱えているらしいから相当大きな企業だと思う。ホームページの社長メッセージはこうある。「1999年の創業以来、DeNAは常に新しいことに挑戦し続けてきました。最初に立ち上げたのは、PC向けのインターネットオークショ ンサイトでした。その後、事業の形や領域にこだわらずにお客さま視点でとことん考え抜き、時代の大きなうねりを捉え、市場が未熟だった2004年にいち早くモバイルインターネットに舵を切りました。」
これでもよく分からないであろうご同輩のために、生半可な知識で少し敷衍してみたい。要は今流行りのスマホ絡みの企業で、スマホのユーザーに向けた様々なサービスを提供している。従ってガラ携帯使用のご同輩には縁遠いかもしれないが、そうでない若い人たちの生活空間にはかなり深く浸透している企業だと思う。
あまり関係ない話なので読んでも仕方ないかもしれぬが、孫子の時代に少し思いをしてみて下さい。結構なお歳のおばさんやおじさんがスマホを熱心に見ている姿をよく見かけますので、お子さんやお孫さんがスマホを持っていないという方は少ない筈です。これは善悪の問題ではなく現実です。小生が見る限り大抵はしょうもないゲームをしたり、簡易メールをしたりしています。ところが実際には、スマホからは想像をはるかに超える莫大な情報にアクセスが可能で、この情報を利用する人が結構いるようです。
結構がどの程度の数か、小生も昔はいっぱしの広告屋でしたが分かりません。、ここから先はもう別世界の話で、ネットの世界に通じた人たちには分かるようです。ここに新しい広告の世界が出現したようです。広告は昔から数の世界ですからアクセスが集中するサイトは広告価値が高まります。紙媒体や放送媒体であればそれなりの規制がありますので、情報の質を高めて視聴者なり購入者を増やす努力が必要です。ところがネット媒体は情報の質が玉石混交であるのが特徴です。
小生が現役時代にネットなんかありませんでした。ほぼ25年前、現役最後の頃スマホこそありませんでしたが、ネット端末が1千万台に近づきつつあり、ネット広告が出始めました。当時は広告屋もスポンサー側もまともに相手はしないものでした。ところが最近は全く事情が異なり、あらゆるスポンサーがネット広告を無視し得なくなっています。理由は簡単で、ネットの場合は広告へのアクセス履歴が完全に把握できるからです。
これは重要なことで、起因したサイトがエロ情報であれ、ウソ情報であれ、兎も角わが社のサイトに来てくれさえすれば良いと言うスポンサーも少なくないでしょう。それで問題になったのがDeNAの医療情報サイト「WELQ」等10余りのサイトと言うことのようです。DeNAは12月1日からこれらのサイトを「内容の信ぴょう性が薄い」ことを理由として非公開、即ち閉鎖したようです。紙媒体に例えれば媒体価値が高かったにも関わらず発行をやめたと同じことです。このことは企業姿勢として評価すべきです。
先に既存メディアについて、情報の質についてそれなりに努力していると書きましたが、昨今のテレビ番組の食品や健康情報なんぞを観ていると、果たしてこれで良いのかと考えさせられることが多いこの頃です。
DeNAその一つで、プロ野球チームを抱えているらしいから相当大きな企業だと思う。ホームページの社長メッセージはこうある。「1999年の創業以来、DeNAは常に新しいことに挑戦し続けてきました。最初に立ち上げたのは、PC向けのインターネットオークショ ンサイトでした。その後、事業の形や領域にこだわらずにお客さま視点でとことん考え抜き、時代の大きなうねりを捉え、市場が未熟だった2004年にいち早くモバイルインターネットに舵を切りました。」
これでもよく分からないであろうご同輩のために、生半可な知識で少し敷衍してみたい。要は今流行りのスマホ絡みの企業で、スマホのユーザーに向けた様々なサービスを提供している。従ってガラ携帯使用のご同輩には縁遠いかもしれないが、そうでない若い人たちの生活空間にはかなり深く浸透している企業だと思う。
あまり関係ない話なので読んでも仕方ないかもしれぬが、孫子の時代に少し思いをしてみて下さい。結構なお歳のおばさんやおじさんがスマホを熱心に見ている姿をよく見かけますので、お子さんやお孫さんがスマホを持っていないという方は少ない筈です。これは善悪の問題ではなく現実です。小生が見る限り大抵はしょうもないゲームをしたり、簡易メールをしたりしています。ところが実際には、スマホからは想像をはるかに超える莫大な情報にアクセスが可能で、この情報を利用する人が結構いるようです。
結構がどの程度の数か、小生も昔はいっぱしの広告屋でしたが分かりません。、ここから先はもう別世界の話で、ネットの世界に通じた人たちには分かるようです。ここに新しい広告の世界が出現したようです。広告は昔から数の世界ですからアクセスが集中するサイトは広告価値が高まります。紙媒体や放送媒体であればそれなりの規制がありますので、情報の質を高めて視聴者なり購入者を増やす努力が必要です。ところがネット媒体は情報の質が玉石混交であるのが特徴です。
小生が現役時代にネットなんかありませんでした。ほぼ25年前、現役最後の頃スマホこそありませんでしたが、ネット端末が1千万台に近づきつつあり、ネット広告が出始めました。当時は広告屋もスポンサー側もまともに相手はしないものでした。ところが最近は全く事情が異なり、あらゆるスポンサーがネット広告を無視し得なくなっています。理由は簡単で、ネットの場合は広告へのアクセス履歴が完全に把握できるからです。
これは重要なことで、起因したサイトがエロ情報であれ、ウソ情報であれ、兎も角わが社のサイトに来てくれさえすれば良いと言うスポンサーも少なくないでしょう。それで問題になったのがDeNAの医療情報サイト「WELQ」等10余りのサイトと言うことのようです。DeNAは12月1日からこれらのサイトを「内容の信ぴょう性が薄い」ことを理由として非公開、即ち閉鎖したようです。紙媒体に例えれば媒体価値が高かったにも関わらず発行をやめたと同じことです。このことは企業姿勢として評価すべきです。
先に既存メディアについて、情報の質についてそれなりに努力していると書きましたが、昨今のテレビ番組の食品や健康情報なんぞを観ていると、果たしてこれで良いのかと考えさせられることが多いこの頃です。
2016年12月5日月曜日
クール ジャパン
<クール ジャパン>意味がよくわからないのでwikで検索したら<日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの>と出てきた。確かに日本のアニメ番組や漫画が海外で高い評価を受けてる現実はあるらしい。それはそれで結構だろう、更に読み進むと、2010年に経済産業省に「クール・ジャパン室」が開設され、現在は第2次安倍内閣以降は閣僚に「クールジャパン戦略担当」大臣(複数の担当と兼任)も置かれて、戦略産業分野である日本の文化・産業の世界進出促進、国内外への発信などの政策を企画立案及び推進しているとも書いてあった。
[文化・産業]と中に中黒を入れていることも意味を分かりにくくしているような気がする。アニメ映画の製作や漫画の著作は文化産業でいいだろうに。何れにせよ、これらのことを政府が応援するのは結構だが、文化芸術の類は質が大切だと思う。担当する役所の官僚や政治家はその感性を持ち合わせているだろうか?その点が非常に不安になる。江戸時代の浮世絵が、幕末から明治にかけて国内ではそんなに評価されていなかったにも関わらず、外国の芸術家から高い評価を受けて、大いに海外に流出したことは記憶に新しい。
当時の政府に「クール・ジャパン室」が置かれていたらどうなったか、想像すると面白い。兎も角、現政府は優秀なアニメや漫画の製作者を支援して海外への流出を促進しているのだろう。アニメや漫画を馬鹿にする気も無いが、文化面でのソフトの筆頭がこれというのも少し寂しい気がする。たまたま昨日高校の同窓会でテレビ番組制作会社の社長の講演を聞く機会があった。彼は高校の後輩で、良心的なドキュメンタリ作品を多く手掛けている。独立系の制作会社でありながらNHKスペシャルをかなりの本数残しているから相当なものだ。
彼が視聴率至上主義と制作費の縮小のはざまで苦労している話は、同じ業界に住んだことがあるのでよく理解できたが、それ以上に衝撃的だったのは放送コンテンツに関する権利関係の悩みと、それに関わる行政のありようだ。要するに前述の制作者の苦労なんかは民と民の問題だから関わり合いにはなりません。これも良しとするか、しかし役人は番組の質に対する感性と関心が全く無いらしい。なまじ役所が<クール ジャパン>なんてことに頭を突っ込まない方がいいかもしれぬ。
ドキュメンタリは昔から英国やフランスの放送局制作に優れた作品が多かったが、日本も頑張っていた時代もあった。しかし今や日本のドキュメンタリは全く地に落ちて、国際的な評価(結局は輸出本数になる)は10年前に日本の下にいた韓国の半分以下になっているらしい。
[文化・産業]と中に中黒を入れていることも意味を分かりにくくしているような気がする。アニメ映画の製作や漫画の著作は文化産業でいいだろうに。何れにせよ、これらのことを政府が応援するのは結構だが、文化芸術の類は質が大切だと思う。担当する役所の官僚や政治家はその感性を持ち合わせているだろうか?その点が非常に不安になる。江戸時代の浮世絵が、幕末から明治にかけて国内ではそんなに評価されていなかったにも関わらず、外国の芸術家から高い評価を受けて、大いに海外に流出したことは記憶に新しい。
当時の政府に「クール・ジャパン室」が置かれていたらどうなったか、想像すると面白い。兎も角、現政府は優秀なアニメや漫画の製作者を支援して海外への流出を促進しているのだろう。アニメや漫画を馬鹿にする気も無いが、文化面でのソフトの筆頭がこれというのも少し寂しい気がする。たまたま昨日高校の同窓会でテレビ番組制作会社の社長の講演を聞く機会があった。彼は高校の後輩で、良心的なドキュメンタリ作品を多く手掛けている。独立系の制作会社でありながらNHKスペシャルをかなりの本数残しているから相当なものだ。
彼が視聴率至上主義と制作費の縮小のはざまで苦労している話は、同じ業界に住んだことがあるのでよく理解できたが、それ以上に衝撃的だったのは放送コンテンツに関する権利関係の悩みと、それに関わる行政のありようだ。要するに前述の制作者の苦労なんかは民と民の問題だから関わり合いにはなりません。これも良しとするか、しかし役人は番組の質に対する感性と関心が全く無いらしい。なまじ役所が<クール ジャパン>なんてことに頭を突っ込まない方がいいかもしれぬ。
ドキュメンタリは昔から英国やフランスの放送局制作に優れた作品が多かったが、日本も頑張っていた時代もあった。しかし今や日本のドキュメンタリは全く地に落ちて、国際的な評価(結局は輸出本数になる)は10年前に日本の下にいた韓国の半分以下になっているらしい。
2016年12月4日日曜日
久し振りの爽やかさ
今日は午後から銀座のホテルで、母校長野高校出身首都圏在住者の同窓会があって出席した。総勢約100名のうち同期生は4名、上の出席者は抜けている期があるので4期生しかいない。かなり年寄りの部になっているのも仕方がないが、若い出席者が少ないのも気になるところだ。もしこのブログの読者の中に長野高校出身者がいらしたら、是非「東京長高金鵄会」をご参照願います。
東京長高金鵄会HP: http://www.tokyo-choukou.com/
いつも宴会に先立ち、同窓生中から選ばれた演者に講演をしてもらっている。同窓生と言うことで、交通費さえ支払われずに会費を徴収するという相当厚かましい扱いではあるが、いつも興味深い話で楽しみにはしている。今日の二人の講演を聞くことができたが、共にいつにもまして興味深かった。一人は年恰好で言えば半分くらいの後輩が、勤務先(JAXA|宇宙航空研究開発機構)で関わっている「はやぶさ2」についての話。理科や物理のお勉強はからきしではあるが、本当にロマンを感じながら話に聞き入ってしまった。
もう一人は少し後輩で映像プロダクションの社長、同じ世界にいたことがあるので昔からの知り合いでもあるが、いかに日本のテレビ業界やコンテンツ産業が世界の時流に乗り遅れているかという話。放送局もさることながら、監督する行政の感性が全くない故にガラパゴス化していることなど。これも全く「さもありなん」と同感するばかりだった。
何れにしても最近面白くもない報道にばかり接しているので、「校歌」や「信濃の国」を思いきり歌い心から爽やかな気分になれた。
東京長高金鵄会HP: http://www.tokyo-choukou.com/
いつも宴会に先立ち、同窓生中から選ばれた演者に講演をしてもらっている。同窓生と言うことで、交通費さえ支払われずに会費を徴収するという相当厚かましい扱いではあるが、いつも興味深い話で楽しみにはしている。今日の二人の講演を聞くことができたが、共にいつにもまして興味深かった。一人は年恰好で言えば半分くらいの後輩が、勤務先(JAXA|宇宙航空研究開発機構)で関わっている「はやぶさ2」についての話。理科や物理のお勉強はからきしではあるが、本当にロマンを感じながら話に聞き入ってしまった。
もう一人は少し後輩で映像プロダクションの社長、同じ世界にいたことがあるので昔からの知り合いでもあるが、いかに日本のテレビ業界やコンテンツ産業が世界の時流に乗り遅れているかという話。放送局もさることながら、監督する行政の感性が全くない故にガラパゴス化していることなど。これも全く「さもありなん」と同感するばかりだった。
何れにしても最近面白くもない報道にばかり接しているので、「校歌」や「信濃の国」を思いきり歌い心から爽やかな気分になれた。
2016年12月3日土曜日
何事もなかった
寒くなるのが早かったようにも思うが、今日は何とも言えない好いお天気になった。「今年最後のハイキング日和だそうよ、家の中でグダグダしている場合ではないでしょう。」と尻を叩かれても時すでに遅し、結局どこに行くこともできなかった。年賀状については婆さんが昨年と同じ枚数を買ってくれたようだが、未だ準備をする気にもならない。結局新聞を丁寧に読んで、下手なネット碁で過ごすつまらぬ1日となってしまった。明日は同窓会だ。
2016年12月2日金曜日
まじめな心配
昨日のブログは書き始めたのが夕食後になってしまい、テレビ(BSフジ:プライム8)を観ながら書いたのでとりとめがなく分かりにくい文章になってしまった。改めて観ていたテレビに出演していた伊勢崎賢治氏の論理をネットで確認できたので、正確を期す意味で以下に書いておく。その前に同番組に出演していた政府側の人物は当選5回の弁護士の柴山昌彦氏(国家安全保障に関する内閣総理大臣補佐官)であり、問題の南スーダンのジュバに最近行ってきたばかりで、国際連合南スーダン派遣団: UNMISSの司令官と直接話をして来たことを力説強調していた。
具体的には「自衛隊の派遣部隊は貴下の指揮下に入るが、憲法上の制約があるので、できないこと或いは貴下の指揮に応じられないことがあることを承知して頂きたい。」と言って司令官の同意も得てきたと、得意げに語っていた。国連という組織に関して何ら知識を持ち合わせない馬鹿ではあるが聞いていてすごい違和感を覚えたが、ご本人は何ら違和感は感じないようだ。法律の専門家であることをひけらかしつつ、用意したメモを見ながら己の田に水を引く屁理屈を展開するが、国連という組織や国連が準拠する法体系は知らないまま無視していることがありありだった。
対する伊勢崎氏は手元にメモらしきものは一切置いていない。十分頭にしみこんでいる国際法の法体系と自らの体験に基づいて語っていることが対照的によく見えた。彼はこのようにも言った。「国連の部隊は多国籍軍であり、柴山さんが言う通り指揮官の命令に従わなくても、これを罰する法は無い。しかし武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。」
氏が言うには「結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。何も危険を冒さなくて「国際貢献」の方法は他に沢山あるのだ。伊勢崎氏は、今回の駆け付け警護問題は建前で「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛隊が元々抱えていた問題をより顕在化しやすくするという、隠れた目的があるのではないかと心配しているのである。
伊勢崎氏は憲法を変えろと言っている訳でないことだけは最後に付け加えておく。
具体的には「自衛隊の派遣部隊は貴下の指揮下に入るが、憲法上の制約があるので、できないこと或いは貴下の指揮に応じられないことがあることを承知して頂きたい。」と言って司令官の同意も得てきたと、得意げに語っていた。国連という組織に関して何ら知識を持ち合わせない馬鹿ではあるが聞いていてすごい違和感を覚えたが、ご本人は何ら違和感は感じないようだ。法律の専門家であることをひけらかしつつ、用意したメモを見ながら己の田に水を引く屁理屈を展開するが、国連という組織や国連が準拠する法体系は知らないまま無視していることがありありだった。
対する伊勢崎氏は手元にメモらしきものは一切置いていない。十分頭にしみこんでいる国際法の法体系と自らの体験に基づいて語っていることが対照的によく見えた。彼はこのようにも言った。「国連の部隊は多国籍軍であり、柴山さんが言う通り指揮官の命令に従わなくても、これを罰する法は無い。しかし武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。」
氏が言うには「結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。何も危険を冒さなくて「国際貢献」の方法は他に沢山あるのだ。伊勢崎氏は、今回の駆け付け警護問題は建前で「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛隊が元々抱えていた問題をより顕在化しやすくするという、隠れた目的があるのではないかと心配しているのである。
伊勢崎氏は憲法を変えろと言っている訳でないことだけは最後に付け加えておく。
2016年12月1日木曜日
言葉遊び
言葉遊びはどこの国にもあるのだろうが、日本の場合マジか洒落か区別できかねるような言葉遊びが公式に飛び交うのだから参ってしまう。国会は田舎芝居かプロレスと当事者が言うくらいだから百歩譲るにしても、マスコミがそこを峻別して報道しないと社会体系が崩壊しかねない。
日本社会が1945年連合軍の占領下に置かれ、7年後のサンフランシスコ条約で独立主権国家になることを大多数の国から認められたとは言え、敗戦国の悲しさ故だろうか、同時に実質的にはアメリカ軍が統治することを認めてしまったことに端を発しているのは確かだ。このことで当時の政治家や我が父母を含む大人を責めてはいけないのだろう。父母は己に比べれば遥かな人物であったし、当時の政治家も現代の諸氏と比較すれば、比べ物にならないくらい識見に富み且つ胆力もあったと思う。
しかし、独立主権は見せかけで、実質米軍の統治下と言う大きな矛盾があったにもかかわらず、その後半世紀以上の長い歴史の中で、政治家は矛盾が露呈しそうになる度に、日本語独特の言葉の綾を使ってごまかし続けてきた。勿論マスコミは矛盾を承知しながら、何の疑念も提起せず自らも政治家の言葉遣いを引用して同調してきている。当然ながら我々国民も、その言葉遊びの大いなる矛盾について気がついてはいるのだが、現実問題として「日本には平和憲法があるのだから何とかなるだろう。」で済ましてきたわけである。
言うまでもなく矛盾(言葉遊び)の根本は「自衛隊」である。「自衛隊」は自衛隊で軍隊ではありません。政治家がそうは言っても、軍隊でないと思っている日本人はいないでしょう。ましてや外国(軍人であれ文人であれ)から見れば軍隊であるのは当然で、道路工事をしているから日本の優秀な建設会社に人間だとは間違っても思わない筈。
それでもこれまでは先輩政治家の努力もあり、憲法の平和主義は何とか守られてきた。しかしもう限界でしょう。戦闘を衝突と言い換えたり、英訳もできない「駆け付け警護」なんて聞きなれない言葉を使ったりして、国民をたぶらかすことはもういい加減にしてもらいたい。
日本社会が1945年連合軍の占領下に置かれ、7年後のサンフランシスコ条約で独立主権国家になることを大多数の国から認められたとは言え、敗戦国の悲しさ故だろうか、同時に実質的にはアメリカ軍が統治することを認めてしまったことに端を発しているのは確かだ。このことで当時の政治家や我が父母を含む大人を責めてはいけないのだろう。父母は己に比べれば遥かな人物であったし、当時の政治家も現代の諸氏と比較すれば、比べ物にならないくらい識見に富み且つ胆力もあったと思う。
しかし、独立主権は見せかけで、実質米軍の統治下と言う大きな矛盾があったにもかかわらず、その後半世紀以上の長い歴史の中で、政治家は矛盾が露呈しそうになる度に、日本語独特の言葉の綾を使ってごまかし続けてきた。勿論マスコミは矛盾を承知しながら、何の疑念も提起せず自らも政治家の言葉遣いを引用して同調してきている。当然ながら我々国民も、その言葉遊びの大いなる矛盾について気がついてはいるのだが、現実問題として「日本には平和憲法があるのだから何とかなるだろう。」で済ましてきたわけである。
言うまでもなく矛盾(言葉遊び)の根本は「自衛隊」である。「自衛隊」は自衛隊で軍隊ではありません。政治家がそうは言っても、軍隊でないと思っている日本人はいないでしょう。ましてや外国(軍人であれ文人であれ)から見れば軍隊であるのは当然で、道路工事をしているから日本の優秀な建設会社に人間だとは間違っても思わない筈。
それでもこれまでは先輩政治家の努力もあり、憲法の平和主義は何とか守られてきた。しかしもう限界でしょう。戦闘を衝突と言い換えたり、英訳もできない「駆け付け警護」なんて聞きなれない言葉を使ったりして、国民をたぶらかすことはもういい加減にしてもらいたい。
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