2010年11月10日水曜日

昔話をしながら

先週後半から良い天気でポカポカ陽気が続いて気分が良い。夜は夜で、布団を沢山かけて早めに寝るのでぐっすり休める。夏の苦しさが嘘のようだ。全ての事で能率が上がる。実に季節の移り変わりは好いものだ。今日は久しぶりにスーツを着て日本橋まで行って、昔世話になった人と会食をした。年齢的には少し若い人だが山歩きでは大先輩。年末行こうと思っている金時山に付いていろいろ教えてもらう事が出来た。

話題が変わって政治の話になると、やはり民主党政権の素人加減について、一次情報を交えてこれまた面白い話を沢山聞かせてもらう事が出来た。小生が永田町や霞が関を徘徊していた頃から既に20年経っている。省庁も再編されて役所の呼び名も変わっているし、官邸なんかは建物自体もすっかり変わっている。そんな外形的な事ではなくて、官僚の機能も全く変化しているらしい。政権に就いた民主党は小企業のおっさんで、組織の運用が全く分かっていない、が彼の見立て。

互いに千代田区からは遠くにいて気楽なので面白かった。マスコミの不勉強や能天気は昔からかもしれないが、現状に至っては正視に耐えないようだ。
尖閣の映像流出も話題になって、これは完全に海保からの意図的流出だろうと話していたが、先程トピックスをみると案の定だ。益々騒ぎは大きくなるばかりだ。

2010年11月9日火曜日

いじめられっ子 いじめっ子

先月23日自宅で自殺した群馬県桐生市の小学6年生女子について、学校側が昨日(11月8日)やっといじめのあった事を認めたそうだ。これまで両親は「自殺の原因はいじめだ」と訴えていたが、学校側は「学級内の人間関係に問題はあったが、いじめがあったとは認識していない」と記者会見などで説明していた。見解を転じたのは、全校児童を対象にアンケートや聞き取りをした結果、複数の児童からこの女子児童に心ない言葉が投げかけられていたことが判明したため、だそうだ。

こんなニュースは見たくも聞きたくもないので、関心を持たないようにしている。しかし、今日朝早くから校長の謝罪会見が何度も繰り返し放送されるので嫌でも目に入ってしまう。謝罪の言葉も日本語としてなっていないし、随分頼りなさそうな校長だ。我が家は実弟も家内の実家も教員教師が多いので、先生方の質の低下についてはあまり声高に言いたくない。しかし婆さんの方はそうはいかずに怒りまくっている。

「今や少し優秀な人は校長になんかならない、生徒も親も昔とは様変わりで、生徒の指導以前の問題でなにが起こるか分からない。最悪は身の危険を心配しなければならない。」そしてこう付け加えた。「今度の桐生市の事件を見ていて思うのは、いじめを認めたとか認めない、因果関係があったか無かったか、ではなくて問題の解決に時間をかけ過ぎている事だ。何故かと言えば、解決に時間をかけ過ぎる事で、いじめたとされている生徒側の心の傷が深まるではないか。」

日頃は関心を持たないニュースだし、先生の悪口も聞きあきているので聞き流そうと思ったが、最後の一言が心に残った。確かにその事は大事かもしれない。自分もどちらかと言えばいじめっ子だったし、上の孫も体が大きくて、そっちの方だったのではとの心配もある。問題になっている桐生市の件は別として経験だけで子どもの頃のいじめについて言う。いじめられる側といじめた側には心理的に相当大きなギャップがある筈だ。即ち、いじめられた側からすると死にたくなるほどつらい事も、いじめているとされる側には、深刻さが皆無で、ホンのおふざけで許される範囲と思っている事だ。

卒業から25年ほど経った中学校の同窓会の席上で、同級生から面と向かって真顔で言われた事がある。「昔あなたから『この低能の豚野郎!』と言われた時は、家に帰っても悲しくて本当に死にたくなりましたよ。」四半世紀を過ぎて印象に残っているのだから相当なインパクトだったに違いない。勿論加害者である小生の記憶に何もなかった。「本当に申し訳ありません。」謝ったものの、後悔は先に立たず、爾来この傷は一生こちらに残るだろう。本人は認識していようといまいと、いじめはいじめなのだ。被害者がいじめと明白にしている事をアンケートを取ってみなければ分からないとは何事だろう。

仮に事件発生まで担任がいじめの実態を把握できていなかったとしよう。しかし翌日、クラスの担任が加害者と思われる数人と被害者の友人と思われる数人に事情を直接聞けば、どんなにご粗末な先生でも実態把握は簡単に出来た筈で、実際にはそうしているのだと思う。

ここからが問題で、重大な事件だから、当然市の教育委員会やもっと上部の組織も絡んでいるに違いない。そして何かにつけ問題になってくるのが「総意=大方の意見」である。担任なり校長が翌日「申し訳ありません。気が付きませんでした。」或いは「指導不足でした。」と簡単に頭を下げられないのではなかろうか。今の世の中、こちらは見たくもない記者会見が必要となり、アンケートが必要になってくる。

確かに先生方一人一人の能力資質の劣化もあるのかもしれないが、教育のように極めて個性的な問題が、マスコミとの関係において平準化を強いられる現象がある。日教組が戦後教育を悪くした、とこれまた一般的に言われる。日教組の何が何を悪くしたのか具体的には何も知らないが、マスコミに依る平準化社会や、記者会見を強いられる事の方が余程罪が深いと思っている。

マスコミが絡むと全ての事象について全国一律平準化と国民の総意だ。小生は同意したくないが、世論調査のように平均化された数値から、分かる事もそりゃあるだろう。しかし、教室で発生した極めて個人的な事件に関連してアンケートを取って何をするというのだ。関連した当事者(加害者を含め)に対する迅速な善後策ケアこそが、早急に求められている大事ではないか。そしてこれ又残念かどうか分からないが、当事者に任せる以外ないだろう。

学校の格差、教師の格差、生徒個人個人の資質格差があることは誰にも否定できない。まして個人の感情については千差万別は言う迄もない。個人的な接触なくして教育が出来る筈はない。総理大臣でもあるまいに、田舎の校長さんがテレビで多くの人に頭を下げる理由はどこにあるのか。マスコミはいつも国民の代表のような顔をしているし、記者や出演者も二言目には「私たち国民」と平気で言う。小生はいつも苦々しく思って、心中「お前になんか俺の代弁をしてほしくない。」と呟いている。

アンケートや世論調査のように平均化された数値から、真の問題の所在や解決方法が見つかるはずの無い事を声を大にして指摘したい。

2010年11月8日月曜日

己の関心事と民意のずれ

連日テレビや新聞は、素人には全くわけのわからない外交問題を取り上げて騒いでいる。テレビに出演する人は例外なく恰も自分が総理大臣であったらもっと上手い外交をするみたいな言い方である。小生も現内閣の外交が余り旨い具合には言っていない事は認めざるを得ない。官僚との関係もそんなにハッピーなものでもなさそうだ。しかし、これだけ張り扇ぎで内閣の足を引っ張ると、喜ぶのは誰かな、との思いが強くなる。

解散して民意を問うべきとの意見が、如何にも尤もらしく語られる。何を民意に問うべきなのか、総理や閣僚が馬鹿だからか?我が妻もよくそう言う。しかし現政権が倒れたらどうなるのだろう?どこにもっとましなお利口さんがいるのだろう?今回の中国やロシアとの騒ぎは、正直なところ国を二分して大騒ぎをする問題とは思わない。自公政権だったら起こらなかったし、起こったとしてももっと上手に処理したような言い方はすればするほど、相手国が喜ぶだけの事だろう。

小沢一郎氏の政治と金の問題にしても、目くそが鼻くそを笑うような騒ぎが続いているが、どうでも良いじゃないか。85%の国民が国会で説明を求めていると言うが、その国民の皆さんは何を聞きたいのだろう?識者の皆さんは「どうして政治にそんなに多額の金が必要か?」説明を聞きたいとの事だが、聞いてどうするのだろう?金の掛からない方法を教えてやるのであれば、直接言えばいいじゃないか。なんとなく政治の舞台から小沢氏を追放したいなら、それこそその理由をこちらが聞きたくなる。政治関連のニュースは疲れるばかりだ。

面白くない話ばかりだなと思っていたら、昨夜NHK7時のニュースで面白いネタが流れた。何故細川元総理が1994年のある夜唐突に国民福祉税7%構想を打ち出したかについてだ。当時の大蔵事務次官斎藤次郎氏による秘密メモの存在で明らかになったとの事。内容は当時米国からの減税要求が激しくて、これを受け入れる代わりに消費税の増税を苦肉の策で打ち出したものの、これが原因で内閣自体が潰れてしまい、減税だけが残って国の借金が増えるもとになったとの事らしい。

ま、昔から日本はアメリカの属国みたいもので、アメリカの言う事だけを聞き続けてきたのだろう。きっと月曜日の今日になれば各報道機関が追随して騒ぐだろうと期待したのだが、これをフォローしているところは1社もない。不思議に思って調べてみると、これは昨夜遅くなってから「NHKスペシャル:借金はこうして膨らんだ」で詳しく紹介されたものらしい。オンデマンドとやらで有料でも良いからみたいと思ったが、配信されていないようだ。国の借金が900兆円と大騒ぎする割に、こんなに面白そうなネタを何故みんな食い付かないのだろう。

こちらのセンスが余程浮世離れしているのかな?

2010年11月5日金曜日

秋日和は大掃除が似合う

穏やかな温かさに包まれ本当に素晴らしい秋日和だ。東京で昼間空がこんなに透き通って見える日は1年にそう何日もないだろう。仕事も暇だし、ぼんやり過ごしていたが、思い立って仕事部屋を少し片付ける事にした。来年3月には、この築30年以上で木造モルタル造りのぼろアパートが取り壊しになるので、立退きが決まっている。次の行く先は決まっていないが、こんなに天気が良いので部屋を整理して少しさっぱりしたくなった。

狭い部屋なので出来るだけ荷物を増やさないように気をつけてはきたが、昼間だけとはいえ7年間使っていると否が応でも荷物が増えている。やはり一番気になるのはパソコンである。狭い空間にデスクトップが2台とノートが1台、押し入れにもう1台ノートが入っている。その他にスキャナ件プリンターが一台とリンクステーションやらルーターがあるので、配線を見ているだけで汚らしい。この中からデスクトップを1台スタッフの家に引き取ってもらう事にした。

仕事部屋を開設して2年目か3年目に導入して、後からメモリを増設したりしてスタッフの専用としていたのだが、最近はスタッフの自宅の環境が整ったので自宅作業が多くなっていた。スタッフも使いなれた機械なので喜んで引き取ってくれる事になった。梱包されていた箱も処分済みだったので、早速ヤマト運輸を呼んでパソコン宅急便の集荷を依頼。デスクトップはモニターが別配線になっているので、1台片付けただけでも大分さっぱりした。

昨日は友人からは忘年会の案内が舞い込むし、今朝テレビからはクリスマスソングが聞こえ始めたところで、部屋なんぞ片付けてさっぱりしたものだから一気に年末モードか。これが片付いたら、年賀はがきの印刷や歳暮の手配もせにゃならんな。昼ごろは相当のんびりした気分だったのに、ああ嫌だ。月日の経つのは何と早い事よ。

2010年11月4日木曜日

孫の誕生日

昨日は一番年下の孫と末の弟の誕生日だ。娘夫婦二組がそれぞれ孫をつれて遊びに来た。満2歳になった孫は未だ日本語は喋らないし、未だおしめもしたままだ。しかし元気だけはすごい。外を歩くのが大好きという事で一緒に散歩に出かけたが、保護者が手をつなごうとしてもどうしても聞かない。捕まえてもすぐに振り切って走り出すので、親は大変だ。何を言っているのか理解できないが、母親似の大声をあげたり、馬鹿笑いをして悦に入っている。食欲も旺盛だし出すものもしっかり出している。来年の今頃はもっとコミュニケーションが取れる事だろう。

午後は小学6年生の孫と池袋に本を買いに出かけた。1時間ほど前に2歳児の散歩に付き合ってはいたが、朝から飲んだり食ったりしたので、腹ごなしに歩いていく事にした。びっくりしたのは、歩く速さだ。孫が我が家に来る時は、いつも池袋からは車かバスなので「ええ、歩くの?」と一瞬嫌がったのかと思いきや、歩きだすとこちらがついていくのに息が上がった。普段凡そ30分で歩くところを25分位で歩いてしまっと思う。小学生と思って馬鹿にしたのが間違いだった。やはり若さの持つエネルギーは括目すべきものがある。

自分では日頃トレーニングをして鍛えているつもりでも、年に勝てないとはこの事かとしみじみ実感した。もう一人中学1年生の孫が居るのだが、彼はバスケット部に入っていて試合のため来る事が出来なかった。弟に言わせると、彼も毎日練習でみっちり運動しているらしい。二人とも勉強の方はあまり話題にならないところみると、たいした事は無いのだろう。しかし丈夫に育つ事が一番だから、そこのところを余り突っ込んでも仕方がない。池袋の本屋では目的のゲーム攻略本が無かったので、コミックを1冊買うことで代わりとした。

2010年11月2日火曜日

読後感「龍馬を超えた男 小松帯刀」原口泉著

これまであまり有名ではなかったが、一昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」の準主役で登場して一躍有名になったようだ。勿論小生もごく最近まで知らなかった。小生が知ったのは、民主党元幹事長の小沢一郎氏が記者会見か何かで、「明治維新の立役者の中で特に尊敬すべき人」として名を上げたからである。今ではすっかり有名になり、正に維新の立役者として評価を受けている坂本竜馬も、明治16年迄は全く無名の人であったらしい。

小説などの影響で、明治維新は西国下級武士の志士達によるクーデターと思われがちだが、そうではない事を教えてくれている。それはそうであろう、盤石の構えをもって250年の長きにわたった徳川幕府の行政統治機構を組み替える大技が、若干の流血があったにせよ1年や2年で達成できたのは、西郷をはじめとする数人の個人の力だけではあるまい。しかし、学校の歴史では教えないし、知識の吸収が小説等に頼らざる得ない現状ではどうしてもそのように錯覚してしまう。

本書はその認識の間違いを訂正するに非常に役に立った。維新を推進したのは江戸時代の藩で言えば薩摩と長州、この二藩が土佐の脱藩志士坂本竜馬の活躍で、薩長連合を結ぶ事によって成就する事が出来たと相場が決まっている。一見したところ結果からすればその通りなのだが、他藩の脱藩志士や殿様が名前も知らない下級武士(西郷隆盛)数人によって、石高で言えば何十万石、武士の人数でも数万人の藩組織が動く筈はない。指摘をされればその通りである。

特に、長州と薩摩では藩内の事情が全く異なっていた事が重要である。前者は明治維新前に既に藩内で一種のクーデターがあり、既に高杉晋作等によって下級武士がが実権を握り、百姓町民が参加する革命軍創設に迄進んでいた事情がある。一方薩摩は維新の最初から最後まで藩としての意思決定があり、それに基づいての行動であった。

主人公の小松帯刀は維新達成直後の明治3年35歳の若さで世を去るが、小なりと言えど九州の一領主の子として1835年に生まれ、ペリー来航の翌年には若くして島津斉彬の奥小姓として仕えて薫陶を得る。23歳の時斉彬が亡くなり久光の代になると、その才能と外交手腕を買われて側用人から家老にまで出世していく。本書は出世物語ではなく、明治維新前夜の動乱期に薩摩藩重役の小松が藩と日本国の行く末をどのように見据え、どのように動いたかを考証している。

一口に言えば国際化の波に洗われた時、薩摩のため、ひいては日本のため何をしたかである。坂本竜馬とは同じ年の生まれでもあり思想的にも相通じるところがあった事は事実のようだ。特に幕府の神戸海軍操練所が解散を余儀なくされた時に、勝海舟の依頼で生徒だった彼を薩摩屋敷に引き取ったりした事から特に親しかったようでもある。本書によるとこの二人が考えていた維新の筋書きは現実とは少し異なり、飽くまでも無血クーデターで、大政奉還まではほぼ筋書きに沿ったようだ。

残念ながら1867年(慶応3年)末、天皇、徳川慶喜双方から厚く信頼され、東奔西走した帯刀は大政奉還が無事なると、身体がぼろぼろになり、お役御免を申し出て薩摩に引っ込んでしまう。殆ど時を同じくして竜馬は暗殺されてしまう。

この直後1867年末から翌年正月にかけて勃発した鳥羽伏見の戦いを皮切りに1年ちょっと続いた戊辰戦争迄の血なまぐさい戦は、どうやら、彼ら二人の本意ではなかったようだ。竜馬の新政府人事構想は慶喜が政府の筆頭になっている。明治政府になってからも、新政府は外国との難しい交渉事に関して、帯刀の力を借りる事が多かったようだが、それも束の間明治3年には没する事になる。

彼の正式な名前は「小松帯刀清廉」。名前の通り誠に清廉で無私の人柄で、知行資産は勿論、名誉も死んだ後に名前を残す事すら望まなかったようだ。
現代の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたい。

2010年11月1日月曜日

豊島区囲碁大会

いつもの日曜日は午前中にプールで水泳、午後は碁会所で遊ぶと決めている。昨日は行きつけの碁会所席亭から是非出てみろと勧められて、午前中から区の囲碁大会に参加した。池袋にある勤労福祉会館のホールに、見学者を含めると150人以上の人が集まり壮観である。開会に先立っては区長さんやら区議会議長さんの挨拶まであって、大会が盛り上がった。試合開始は午前10時、子供の部から、級位者、初二段、三四段、高段者と5クラスに分けての戦いとなっている。

小生は二段ということで初二段クラスにエントリしたが、総勢30人ほどいただろう。午前中に2局打った後に支給された弁当を食べて、午後又2局打たなくてはならない。一種のトーナメント方式で、1局負けても負けた者同士で打つ事が出来るスイス方式と言う奴らしい。

難しい点数の計算があるらしいが、全て立教大学囲碁部の青年が事務局でやってくれた。時計は使わないが、1時間以内に勝負を決める必要がある。普段の遊びでも1時間は少しきつい。まあ勝敗にはあまり拘らないで気楽に打つ事にした。1回目はさすがに緊張してしまったが、相手の人も同様だったようで、辛うじて勝つ事が出来た。2局目は思い切って打ったつもりが、逆目に出て負けてしまった。

午後に入ってやっと平常心になったのだろうか、2局連勝する事が出来たので、結局3勝1敗。4連敗の人が居れば当然4連勝の人もいるだろうから、賞を貰えるとは思っていなかった。ところが、終わってみると、事務局の人が「3位の入賞者が4人出ました。お名前を呼ばれた方は生年月日を仰ってください。」との事で、小生の名前が呼ばれた。生年月日を告げると、ななんと、最年長との事。目出度く3位に入賞してしまった。

賞品の<あられ>が入った立派な箱を頂き帰宅。明後日は孫の誕生日で娘夫婦が来るとのことなので、床の間に麗々しく飾って自慢する事にした。会費は1500円で、いつもの碁会所より600円高かったが、昼に弁当は出たしお土産付きとなると、「最高じゃないですか」と婆さんに褒められた。