<常識>と言う言葉があるが、これは極めて個人的、固有のもので他の誰かと共有してないことに気がつくべきだ。昨日接骨院の先生と家族の話をしていて気がついた。先生の息子さんは二人いて、もう大学は卒業されているようだが高校時代はスポーツの部活動をしていたとのこと。先生曰く「高校スポーツの部活動は子供に礼儀を教えてくれた。」最近の若い人には、雨降りの日狭い道ですれ違う時に傘を傾けず平然と歩く子が多い。
しかし部活動をしている子は常識的に礼儀が身についているとのこと。結構な話だ。昨日も書いたばかりだが、相撲の良いところは入門すると先ず教習課程でこれをみっしり覚え込ませることだ。幾ら土俵で乱暴に振舞っても土俵の勝負が決まったらこの躾を必ず守らねばならない。一般人にも見習ってほしいものだ。普通の人間にとっての教習所は家庭、大家族であればあるほど教師役が増える。小生は5人兄弟の三男、両親の他に二人の兄がいた。
小中学から大学まで運動とは縁が無く悪ガキの類だったが、家では祖母を含め大勢の家族からの躾教育が大きかったと思っている。
2 件のコメント:
日本人はよく、常識とかルールを口にします。
私は、常識とかルールというものは、特定のグルーブ内でしか有効ではないと思っています。
俗っぽく言うところの「永田町の常識は、世間の非常識」というところです。
人は、所属するグループの中で生活できる知恵を学び、それを常識とかルールとして当然のことにように相手にも押し付けます。
広く言えば、日本人にはルールであっても、アメリカ人には違う..ということを認識する必要があると思います。身近に言えば、日本国にはルールであっても、某県では違う..という事が多いと思います。
結婚しても、家風の違いというものは必ずあると思います。
そのような筋違いを矯正するのが躾ではないでしょうか。
躾は大事なことです。最近話題のエーアイにも教えたいものです。
呑兵衛あなさん
何時もコメントを有り難うございます。
「永田町の常識は、世間の非常識」は同感です。
AIを躾けることができれば面白いですが、開発者が騒いでいると言うことは難しいのでしょうね。
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