2021年10月25日月曜日

貧乏人の負け惜しみ

 コロナ禍が過去の思い出になるには時期尚早かも知れぬ。東京は今日から全面解除の筈だが、既に昨日から池袋の中心街の店は、普段と変わらぬ営業状態に入っていたような気がするし、人出も相当なものだった。何れにしても結構なことだ。過去2年近くを振り返って良かったと思うこともある。今日たまたま来た友人からのメールに「一億総中流社会」との言及があった。どうも現在の総選挙で野党立憲民主が掲げている選挙公約の一つらしい。

我が老後の人生で目指しているところが正に中流の生活である。少なくともコロナ禍期間中は国民の大半が中流生活を余儀なくされたはずだ。お金持ちがお金の使いみちに困っても、使いようが無いのだから庶民生活をせざるを得なかったろう。金持ちの不幸を喜んではいけないが、兎に角2年弱の期間に限っては、日本は「一億総中流社会」だったかも知れぬ。

コロナ期間中はスーパーカーや高級ヨット等がよく売れたらしいが、そんな物を持っていても、走り回る道も無ければヨットクルーも集まらなかったはずで、いわゆる宝の持ち腐れ、お金持ちと云えど面白くもおかしくもなかったことだろう。これから始まるポストコロナ時代になったら、海外旅行が楽しめる時代が到来してお金持ちの人が大いに散財すること期待しよう。小生は残念ながらその仲間にはなりえない、万年中流だ。

しかしこの間と言うか最近かも知れぬが、報道からも脱炭素社会への貢献が一般市民に強く求められている。今月末から始まる英国・グラスゴーでのCOP26会議のせいだと思うが、我が国は市民にはなんだかんだ言っても、具体策は非常に遅れている。当初のコロナ対策と全く同じ図式だ。コロナ期間中の国民的引き篭もり傾向は、脱炭素にに少しは貢献しただろうが、これからは炭素排出量が増えることだけは間違い無さそうだ。

しかし吾輩は脱炭素だけは大いに自慢できる。少なくともここ15年位は歩くことに専念して、自動車を殆ど利用しない。一ヶ月に約30万歩とすれば、延長は200キロほどの距離になろう。歩く際に吐く息の炭酸ガスが如何程になるか知らぬが、自動車で200キロ走る際に排出する量に比べれば桁違いに少ない筈だと思っている。

2 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

「一億総中流社会」ですか。
中流とは、どの水準を描いているのか次第ですが、私には「一億総貧乏社会」と聞こえます。
皆が裕福に成れないのであれば共産主義と同じと考えます。
共産党が牛耳っているチャイナでさえも貧富の差があると聞きます。
増してや、民主主義を唱える国家であるならば金持ちがいるのは当然と考えます。
PS.今の日本で例示すれば、COVID-19になっても即入院できて手厚い介護を受けられるのが金持ちで、保健所に電話しても救急車に来てもらず自宅で怯えているのが貧乏人では。
志村けん氏があのようになったのは、一重に当時は、日本の医者が感染症に不慣れだったせいと信じています。今なら助かったと思います。

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あなさん
いつも貴重なご意見を有り難うございます
確かに何処の国で国中全員が同じようにハッピーなんてありえませんね。
昨日調べたら、年収200万円以下の人が勤労者の1割以上居たような気がします。
これをなんとか半分くらいにすべきだと思いました。