2025年4月4日金曜日

花見と一寸先

 東京は久しぶりで春らしい穏やかな日となった。桜の開花宣言から約1週間、寒い日が続いたせいで花があまり散っていない。逆に程よく薄紅色に染まって今週末はお花見に絶好だろう。世間はアメリカのトランプ氏にかき回されて、世界的に景気後退が始まりそうだがボケ爺が心配しても始まらない。アメリカも景気後退の影響が顕著になって来れば、自然と収まるところに収まるのではなかろうか。偉大な国の金持ちが貧乏になれば大変だろうが、日本人の大半は80年前超貧乏からスタートしているのだから、先代先々代を思えば大したことではあるまい。

精々一時の花見を楽しんだほうが理に叶うとも言うべきだ。今のところ敵無しの感じがするトランプ氏だが、あまり時を経ずに高転びに転げそうな気がしてならぬ。昨夜友人が北浦和で小生のためにパーティーを設定してくれた。場所はこ洒落たレストランバー、料理も美味かったが、懐石で言えば向付、居酒屋では最初のおつまみ三種盛りの漆の器が良かった。蓋に金色に輝ていたのが明智光秀の桔梗紋。そこで思い出したのが織田信長。信長も頭もよかっただろうし、武運にも恵まれていた。だが若くして光秀に殺されてしまった。光秀も信長を殺して天下人を目指したが、三日天下と言われるくらいあっという間も無く農民の手で狩り出されて京都に運ばれて打ち首獄門。

今日は韓国のユン大統領が失職。ったく世の中は何が起きるか分かったものではない。誰のために作るつもりか知らぬが<偉大な国家>なんて野望で打ち出される数々の政策、これが本当にアメリカ人多数のためになるのだろうか?一定の期間を経ないと分からないが、少なくとも他国の人はアメリカとの付き合い方を見直し始めている。一寸先は兎も角、将来は不確実だから、この二、三日は花見でもするしかないだろう。

2025年4月3日木曜日

広告屋の反省

 桜が咲いたと言うのにパッとしない天気が続いている。しかしこれについては誰も責めるわけにはいかない自然天然の現象。明日からは春らしい天気が戻るとの予想なので待つしかあるまい。今日はこれがアップされる16時までに友人と北浦和の駅で待ち合わせ、一杯飲むことになっている。現在ちょうど2時、昼飯から帰宅したばかりで3時にはまた出かけねばならない。互いに暇人同士なので、連絡して日延べしようかとも思ったが、予定の変更は好ましくないので、どうせ濡れたついでに出掛けることにする。

最近の報道は下らぬ話ばかりだが、友人との話は昔話が多くなっても傾聴に値することが多い。長い年月会社で一緒だったのだから、彼の知っていることの殆どは既に知っていておかしくないが、これが結構知らないことが多いのだ。高々社員100人前後の小企業の中でさえそんなことだから、世の中のことについては殆ど無知であっても不思議は無い。ましてや遠い外国の指導者の腹の内など分かる筈が無いではないか。それが最近テレビの情報番組をあまり観る気にならない理由の一つだ。

その他に信用できないのがやはり広告宣伝の類。これを生業として来た小生が言うのも無責任で申し訳ない。しかしまじめに考えて、脳でも骨でも筋肉でも衰え始めて、身体に故障が出始めてから効く薬や食物なんか本当にあるだろうか?栄養バランスの取れた食事を続け、併せて適度な運動や睡眠・休養を取ったとしても効果が出始めるのは早くて100日と言えるかどうか?最低1年は我慢が必要な気もする。八百屋であれ魚屋であれ肉屋であれ乾物屋であれ、店で売ってる食材は全て健康食品、問題はどれをどう組み合わせるかだ。万人に共通する策は残念ながら有る筈が無い。思えば長年無責任な生業をしてきたものだ。

2025年4月2日水曜日

常識外れ

 毎年この時期に報道されるのが企業の入社式。これがどうも気に入らない。何でも横並びが好きな日本人だから仕方ないかもしれぬが、成人したいい大人に企業への忠誠を誓わせる儀式は諸外国から見れば異常なのではなかろうか?企業の側にしてもどんな長くても30年かそこらで辞めてもらう人たちだろう。最近は一昔前と異なり、企業側でも社員に個性を発揮してくれと願うところもある。IT系のソフト開発を重視企業とすれば当然だろう。

報酬にしても同じことだと思う。研修期間は職種によっても異なろうが、研修終了後は報酬は企業への貢献によって違いが出て当然のこと。労働組合のある企業に職を得たことが無いので少し常識に外れた思いかもしれぬ。常識外れ繋がりで面白いニュースを紹介する。

昨日のアメリカ上院議会でのこと。ニュージャージー州民主党員でかつて大統領候補だったブッカー氏、この人物が議場でトランプ氏の政策を非難する演説を25時間以上にわたって打ったとのこと。演説内容は議長によって最終的に却下されたそうだ。野党議員だから当然だろうが、100人しかいない上院議会でのこと。面白いと思う日本のジャーナリストはいないようだ。

2025年4月1日火曜日

一人勝ち?

 今日から年度替わりで入社式のシーズンだ。にしては寒すぎる、花見を兼ねて歓迎会ができない事だけは確か。若い諸君は天気なんぞは気にせず、大いに張り切って頑張ってもらいたい。小生が最初に入社した会社は農協の機関誌「家の光」の広告が専門の広告代理店だった。従って社是は協同精神とも言えた。現代あまり流行らないかもしれぬが大事なこと教え込まれた。

今朝の報道を見聞きする限り余り大きく取り扱われていないようだが、昨日の株式市場の大きな下げは先週末から3日連続とのこと。最近の株安は日本に限ったことでもなさそうなのでマスコミも余り大きく扱いたくないのかもしれぬ。小生も株の売り買いとは無縁なので、ここで大騒ぎすることでもなかろうとは思いたい。しかしアメリカの新聞ニューヨークタイムズ結構な大きさで取り上げている。曰く「トランプ大統領の新たな関税が迫る中、株価は急落!」の見出しで、冒頭は<投資家がトランプ大統領の米国最大の貿易相手国に影響を及ぼすであろう新たな関税措置に備え、世界市場は昨日急落した。>となっている。

恐慌と言うには早いかもしれぬが、世界的に経済に対する不安感が拡がりつつあるようだ。経済のこともよく分からないので的外れかもしれぬが、多くの国で経済がおかしくなれば一人アメリカだけが偉大ではいられないだろう。ニューヨークタイムズにもトランプ大統領の経済知識欠如を指摘する学者のコメントが何本か掲載されていた。大勢の人や国がお互いに関わりあって生業が成立している現在、特定の国や企業だけが一人勝ちなんてことは土台無理だと思うし、持ちつ持たれつであるべきと思う。経済だけの問題ではないかもしれぬ。

2025年3月31日月曜日

硫黄島の現実

今日で3月もおしまい。桜も満開なのに真冬の寒さ、不思議な天気だ。まだ日本に居るのかどうか知らぬが、つい先日アメリカの国防長官と日本からは石破首相まで出席して、硫黄島で戦没者の慰霊祭が行われた。しかしこの式典に旧島民関係者は列席してなかったと思う。小生はこの島に関して一般の人に比べて思い入れが深いと思う。理由は幾つかあって、一には終戦直前のここにおける激戦で日本軍の指揮を執った栗林中将(当時)は我が母校(長野高校、当時は中学)の先輩であること。更には氏の菩提寺(長野市松代町豊栄にある明徳寺)が我が母方の実家も一緒なので、墓参りの度に氏の墓もお参りしてきたことがある。

そして硫黄島はてっきりアメリカの占領地域とばかり思っていた。しかしこの島は紛れもなく日本領土であるが、訪問できる交通手段も無く、日本人の立ち入りは厳しく制限されているとのこと。戦後80年と言う節目もあるのだろう、宮内庁は1月の終わりに今年も天皇皇后両陛下が訪問されることを発表していた。首相や防衛相が露払いで現地の整備に行くなら分かるが、アメリカ国防相の訪問に合わせて日帰りするとはとんでもない無礼者ではないか。

日本でありながらアメリカ軍によって管理され続けて80年、一時は原子爆弾保管庫が置かれ現在は撤去されたと報じられているが、アメリカ軍発表が根拠だろうから当てになったものじゃない。領土でありながら他国によって占拠されていることでは北方4島と同じだが、報道されないので旧島民は忸怩たる思いだろう。80年前の敗戦の傷跡は至る所に見られるが、これはアメリカの政権が替わろうと何も変わらない現実があること知る必要がある。 

2025年3月30日日曜日

失敗の連続

 晩年の父の口癖を思い出している。「小過は多数あったが、大過無くここまで来ることが出来た。」小生も今、同じ思いでいる。父は92歳まで生きたが、同様の長命に恵まれるとも思えない。そしてふとこれまでを振り返ると、およそ成功体験と言うものが殆ど無くて、失敗と躓きが今も毎日のように続いている。今日も地下鉄を降りる駅を間違えたし、買い物も1件忘れてしまった。昨日サボって今日挙げようと思っていたブログも公開する時刻はとっくに過ぎているが、取り敢えず挙げることにする。

2025年3月28日金曜日

ちりめん本

 現役時代に長年広告とか広報に関わってきたので、結構な思い入れがある。これらが社会に齎す影響について一概に善とか悪とか断定はできないし、プラスマイナス両面性があることは認めざるを得ないだろう。言えるのは広告広報に必要不可欠なものが媒体であることだけは間違いなさそうだ。60年チョット前の4月に社会人となって初めて、市ヶ谷にあった大日本印刷の工場見学を思い出している。

当時は知らなかったが、高校同期生の一人が同社に入社していて、後に何かの会合で会ったときには専務取締役にまで昇進していた。ひょっとすれば現在でも最高顧問的存在かもしれぬ。現代は小生のような普通の市民が平気でネット上に意見を開陳する時代になっているが、これも僅か100年を少し超えたくらいのこと。それ以前には、文書は1通ずつ書くしかなく、ヨーロッパでは印刷技術が500年くらい前から発達したようだが日本では文書の木版技術の発展は相当遅れた。

しかし日本でも明治になると、木版による出版を志す人物が現れたことを昨日初めて知った。名前は【長谷川武次郎】昨日の夕方何気なくつけたテレビで彼が設立した長谷川弘文社から、数多くのちりめん本が刊行され、日本の文化を海外に紹介することになった経緯を知った次第。ちりめん本なる言葉も初耳だったし、これに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も協力していたことなど、実に興味深かったが、残念なことにBS放送だったのでNHKプラスでも再確認することが出来ない。

ちりめん本をごく簡単に説明する。和紙に日本のお伽噺を木版(30色以上)で絵付けし、英語(木版活字)で説明を加えている。これを製本する前に和紙をちりめん状態に圧縮することで絵に深みが生じている。この木版が最近発見されて、NHKとどこかの印刷会社が共同で復刻を果たしたドキュメンタリー。実に見応えがあったのでNHKに再放送の確認をしたが、今のところ予定はないとのこと。ちりめん本は1900年のパリ万博にも出品され海外でも大きな注目を浴びて、現在でも海外の図書館に保存されいるケースは多いとのこと。

現代は次から次へと新しい媒体が開発されるが、手にする或いは見る気にもならない。先人が残した貴重な文化(遺産)だけに知る人が少ないことを重ねて残念に思う。