世間でもてはやされる「絆」と言う言葉には他人頼りを感じ、余り共感しない。むしろ「縁」にはいろいろ深く感じることがある。特に今日は「仏縁」の日、亡き家内の誕生日だから何か良いことがあると決めている。空の上から縁ある人が見守ってくれているような気がする日だ。こんな迷信みたいことを書くと笑われるかもしれぬが、一人住まいの孤独に耐えるにはどうしても必要で、幽冥境を分かたず縁は大事にしたいと思っている。
昔から受験なんかは特にそうだが、神仏の助けが無いと潜り抜けてこられなかったからだ。誰でもそうだと思うが、厳しい現実世界は一人では生きられない。知人友人の助けも必要だが、天佑神助も馬鹿にしてはいけない。最近はあまり流行らないかもしれぬが、宮参り、寺参りも悪くない。ある孫は一緒に行っても「このお宮はけばけばしすぎる」とかで、一緒の参拝を拒んだこともあるが、それは構わない。寧ろ小生のように味噌も糞も一緒よりは良いかもしれぬ。
小生にも神様のえり好みが少しあって、我が国は靖国神社を筆頭に乃木神社や東郷神社のように比較的新しい軍神を祀った神社が多く、縁が薄いこともあり、あまり行く気にならない。長野市内善光寺の門前町であるけどは町内毎に神社があった。祀られている神が誰かも知らず時折参拝してたり、祭りを楽しんだせいもあるだろう。兎に角、他にも多くの人が同じだと思うが、日本人の宗教心複雑で面白い。
仏教は古くからお釈迦様の言葉を弟子たちが記録した経典が多く存在し、日本にも多く伝えられている。しかしこれを通読したした人がいるかどうかは甚だ疑問。要するに仏教には<あーせいこーせい>と言った訓えは無く、自分で考えろと言われている。その手引書がどの宗派でも使う「般若心経」。僅か262も字と言われているので暗記している人は多いだろうし、友人の中には千回写経したなんて立派な人もいる。
小生もたまに経文を読んだりするので、今朝も家内が残した本の中にあった「なるほどザ・般若心経」なる本を斜めに読んでみたりした。なるほど良いことが書いてある。キリスト教のトップは法王、神道のトップは天皇、しかし仏教にはそれらしき存在が見当たらないのがまた良いところだ。
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