難しいことは分からないが、日本的と言うか日本人的なことが心と身にに沁みつているような気がする。神仏を尊び嘘を言わぬようにして成仏を願う。善光寺の門前町、両親の故郷でもある長野で育ったせいかもしれぬ。小生自身は冬の寒い夜に二年参りなどまっぴらごめんで行ったことはないが、父は毎年必ず出掛けていた。育った我が家には神棚も仏壇も無かったが、父は毎朝下駄履きで庭に降りて東の方向に手を合わせて何やら長い時間祈っていた。
そんな光景を見て育ったことや、幼稚園にも行かない頃に、両親の元から松代藩の武士の娘であった祖母に引き取られて暫く育てられたことも関係しているのだろう。自分が70歳を超えるころになると祖母や父のしていたことを真似するようになった。祖母や両親が典型的日本人と言えるかどうかは分からないが、少なくとも彼等が洋風であったとは言えぬ筈だ。日本は島国であるからかもしれぬが、現在大分様相が変わってきているが、民族的に比較的単純に異民族が少なかったこともある。
新渡戸稲造氏が「武士道」を書物に表して世界に示してくれたように、日本人は卑怯を恥として誠実に行動することを以て生きるとしている。氏は明治の初め頃の人だろうが、これを英文で書いて世界に発表した。世界がこれをどう受け止めたか知らぬが、小生も若い頃読んで大いに感銘した記憶がある。祖母は武士の娘だったので小生にも八分の一は武士の血が流れている勘定だ。残り少なくなった人生ではあるが、心意気はそうでありたい。
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