2025年2月22日土曜日

戦争と戒厳令

 経験が無いこと、実態がよく分からないことについては漠たる不安が常にある。日本では小生が誕生する4年前の昭和11年(1936年)2月のこと。陸軍一部将校が政府要人を殺したりして反乱を起こした。世に言う二・二六事件。この時政府は東京市に限って戒厳令を発布した。父は当時警視庁の巡査で長兄が誕生したばかり。非常呼集が掛かって数日警視庁に泊まり込んだと後に聞いた。

知っているのは精々その程度で、今回韓国の大統領が発布して数時間後に取り消された戒厳令の意味するところ、或いはウクライナが恐らく全国的且つ3年間と言いう長期間に亘り敷いてるだろう戒厳令下の市民生活ついてイメージが湧いてこない。戒厳令は軍事作戦の一種のようにも思うが、ウクライナの都市部まで戒厳令下にあるのだろうか?あるとすれば要所要所に兵員が置かれなくてはいけないと思うが、そんな映像は見たことが無い。ウクライナは既に全ての空港が機能不全となって、国外に脱出するには列車に頼ざるを得ない筈。

それでも国外に脱出した国民が1千万人近いと言うのも理解不能だ。日本にも千人を超す難民が居て、政府はこの人たち一旦受け入れてはいるが、期限が3年とのこと。できるだけ早く戦争が終わり、こういった人たちの去就の目処が早からんことを祈りたい。兎に角戦争が無かった80年なので、小生は勿論だが、政治家や軍人さんたちも戦争の実態は理解できなくても当たり前のことだ。

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