誰が考えてもウクライナの敗戦は決まってるように見える。小生もそう思っているが、世の中何が起こるか分からないから、この際断定はしないでおきたい。今日思い出しているのは日本のこと。昭和20年(1945年)9月2日日本政府代表が正式に降伏文書に署名した日だ。小生は満5歳で既に幼稚園に通っていたくらいだから、8月15日に天皇陛下の玉音放送があって日本が降伏したことを知っていた。
後に長じて何歳の頃か記憶は無いが、日本政府がポツダム宣言受諾を決したのが8月15日の数日前であること、ポツダム宣言が発せられたのは何と7月のことであったことを知って愕然とした記憶がある。何故なら7月中にでも受諾を政府が決めていたら8月6日と9日原子爆弾が広島と長崎に投下されずに済んでいた筈だからだ。小生もかなり気が短いかもしれぬが、囲碁のような勝負事でさえ負け戦はなかなか認めにくい。昭和20年の政府関係者は優秀な人多かったと思うが、何故か意思決定に大変な時間を費やしている。
当時、日本の諜報機関が仮に弱体であったとしても中立国や友好国には大使館もあっただろう。少なくても敵国アメリカ・英国・中国の主要新聞情報は解読して外務省や陸海軍情報担当は敵国首脳がどんな打ち合わせをしているかは知っていた筈だ。特に同盟国イタリアとドイツの敗戦後は軍部の中でさえ情報担当者は気が気で無かったはずだ。しかし終戦前の日本は、情報担当者でも負けを予想するような情報を口にすることさえ出来なかったのだろう。
非常に個人的なことを書いておきたい。母の弟即ち叔父が、当時8月に確か宇都宮にあった陸軍航空隊の通信将校で勤務していた。そして15日の数日前に日本政府がポツダム宣言受諾の電報を打ったことを知ったのだ。そして15の翌日、軍の車に蜂蜜などの軍需物資を積み込み、母(私からは祖母)のいる長野市に駆けつけてくれたものだ。当然部隊が解散する前だったのでとんぼ返りで戻っていったが。言いたいのは情報はどんなに隠しても隠しおおせるものではないことだ。
ましてトランプ政権は逆に情報のかなりの部分を自ら公開している。当然善悪の判断は人によって異なるだろうが、日本の偉い人はマスコミを含め情報は隠すもの、小出しにするものと決めてるように思える。今後考えを変えた方が良いかもしれぬ。
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