豊島区時代は毎日金光教教会の前を歩いていたし、近くに金光教の看板を掲げている家が2軒もあった。世田谷に来てから金光教の看板は見てないが、近くに<幸福の科学会館>があって、これの道路側が全面ガラス張りになっているのが珍しい。教会もお寺も薄暗いイメージがあるが、このように明るいのは悪くない。子供を通わすにはもってこいだろう。しかし世田谷は何となくお寺や神社が少ないように感じる。小生が育った長野市は至る所寺や神社だらけだったし、家のすぐ近くに墓地まであった。
宗教は余り凝りだすと問題があるかもしれぬ。安倍元首相襲撃犯山上被告の母は統一教会に入れあげて全財産を失い、兄が自殺にまで追い込まれたとのこと。しかし小生あの世が近づいてきたせいかもしれぬが、最近結構興味を感じている。我が家の墓地は長野市内にある曹洞宗の境内にあり、既に他界している家内の実家も曹洞宗だった。ご存じの方は多いと思うが、曹洞宗の教祖は道元禅師だ。本山は福井県にあるが行ったことはない。鎌倉にも同系列の寺、本山総持寺があり、家内の葬儀はそっち系列の寺で仕切ってもらい、後に長野の寺に納骨するのに苦労した。
小学生時代から親しかった友人の一人が牧師になっていたし、従妹の一人がやはりキリスト教信者。彼女はお寺との縁も大切にしていて、小生より熱心に墓掃除なんかを手伝ってくれる。そこで思うのが、宗教心とは何かだ。キリスト教徒は少なくとも聖書は読むだろう。譬え新約であろうと旧約であろうとだ。ところが、仏教徒は般若心経くらい共通して読むか知らぬが、教祖の教えをどこまで知ろうとするか甚だ疑問。
人間は弱いもので家族親族から友人たちを頼ったりするが、それでも更なる救いを求める人も少なくない。もちろん小生もその例に漏れず日夜煩悩に苛まれている。ナム~。
2 件のコメント:
仰いますが..
新約と旧約、聖書の違いは御存知ですか。
「約」ってのは「契約」のことです。
旧約ってのは、アダムとイブの時代に後にユダヤ人と呼ばれる人が、神と契約した内容です。
新約ってのは、イスラエル人がモーセの指導で、出エジプトする際に神と契約した内容です。
旧約ってのは現在のキリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒・イスラム教徒にとっても同じ内容だと聞きました。要するに「同じ神」なのかも知れません。
そんな信仰でありながら、なんで争うのでしょうね。「なんじ、ころすなかれ」って契約した聖書を、彼奴等毎日の様に読んでいるはずなんですがね。
その点、仏教の経典は「人付き合い」を諭している内容が多いと見ます。
しかし、最近では「どうすれば仏に近づけるか」てな事を教えているようです。
でも、輪廻転生を教える宗教が多いのですから、自分だけは仏になれる..なんてのは厚かましいのでは.笑
イワシの頭も信心
呑兵衛あなさん
何時もコメントをありがとうございます。
それにしてもお詳しいですね、私は貴兄と比べれば何も知らないのと同じだと思います。
本当に勉強になりました。
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