肝心の投票用紙が未着だが衆議院議員の選挙が始まった。全国で立候補者が1300人を超えている。政党に所属しない候補者もいるが、主な政党は与党自民、公明。野党は昔と異なり大分多様化して立憲、日本維新、共産、国民民主、れいわ、社民、参政の7党。立候補にあたっては供託金が必要になる筈。確か一人300万円と聞いたから、これだけでも40億円近く。その上各候補者が15日間選挙事務所を構えて日夜選挙区内を駆け回るの訳だ。それを手伝うスタッフも手弁当とはいかず、法的に上限はあるだろうが費用は掛かる。この費用も馬鹿には出来ぬはず。兎も角日本最大の秋祭りとも言える。
各候補者、政党の公約なるものを詳しく知らぬが、言わんとするところは皆同じ。即ち「皆さんの暮らしをより豊かにすることをお約束します。」に尽きる。過去何度も似たような選挙が行われた気がするが、彼らが力説したほどこちらの生活が楽になった覚えが無い。当然今回も同じだろう。所詮政治家が言うことは殆ど嘘でしかない。昔は裁判の弁護人を三百代言と呼んで蔑んだと伝えられるが、現代は国会議員に献上したいと思っている。
立候補者は地域の人、少なくても20から40数万人を代表して、全員を幸福にすることをお約束するなんて言うが、出来る訳がない。国会は1億2千万人を超す国民全員が対象ではないか。まして今世紀末には人口が6千万人強とほぼ確定している。今世紀末までもう76年弱、そう遠くない将来のことだ。先ずこれを念頭に置いて考えてもらいたい。現在金持ちになっている人もいれば、そうでない人も多い。そしてその格差が拡がる傾向にあるのだから、現状をゼロとして富裕層は暫く辛抱してもらい、弱者をこれ以上悪くならないよう配慮する。
これが一昔前の政治理念の根底だったように思う。現在は政治の基本理念が吹っ飛び、味噌も糞もごっちゃの議論になっていることが問題だ。正直な気持ちの一部だが、小生は義務教育から上の教育無償化には賛成したくない。高校以上は選別の厳しい世界でも仕方ないではないか。歴史を繰り返すことは難しいだろうが、長野市には商業、工業、農業の専門高校があり、普通高校が男女1校ずつ2校だった。どこの都市でも似たようなものだろう。多様性を尊重すること、現状を否定しない政党があっても良いと思うが、誰もが似たようなことしか言わないこの頃だ。
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