2024年8月16日金曜日

終戦の日

 記念日と言うのが適切かどうか少し疑問も感じるが、昨日は79年前のラジオから途切れれがちに聞こえてくる天皇の言葉で、多くの国民が戦争の終わりを実感した日であることは確かだ。小生は未だ5歳の子供、誰も通らず、何も聞こえない門外の道路で一人遊んでいた。昼だから帰っておいでと誰かに呼ばれると、座敷にあったラジオの前で祖母や母や叔母たちが座って涙を拭いていたような気がする。何故か叔父たちの姿を思い出せないので、男性はいなかったのだろう。毎年同じ光景を思い浮かべるが、年ごとに光景が少しずつ異なってくる。記憶なんていい加減なものだ。敢えて付け加えると母に「すると、僕たちは捕虜になるの?」と聞いたような気がする。母は「そんな事は無いから心配しないで。」と慰めてくれた記憶も蘇ってきた。

昨日も午後は雨になるかと勝手に思って昼飯を含む買い物を早めに済ませて帰宅し、12時10分前から武道館から中継された戦没者慰霊祭を最初から衆議院議長挨拶の直前まで丁寧に視聴した。一般には、先の大戦での戦没者は310万人と言われるが、日本は明治以来外国と戦争をし続けてきた。直接の死因は敵の銃弾であっても、この間、徴兵と言う制度で軍人に仕立てて戦地に送られ、殺され続けてきた兵の数は何人だろう?この310万なる数字は如何なる根拠に基づくかはっきりしない。昭和20年の事件として有名な広島と長崎の原爆被害、遡って3月から大規模になった空襲被害者。3月10日だけでも一晩に10万人と言われ、当時墨田川近くに住んでいた先輩の話では「翌日永代橋付近から見たら、川面は死人でいっぱいだった。」

そんな話を聞くにつけ、今でも戦争被害者の人数は過去であれ、現在進行形であれ、俄には信じがたいものがある。やはり犠牲者を追悼するには一人一人の墓碑が必要だ。その意味で平成7年に完成した沖縄の「平和の礎」の建設理念が正解だろう。

昨日は夕方になっても雨にならなかったので、夕飯を食いにまた外出した。その帰り道、何時も前を通ている小さな消防署で日章旗に出会った。半旗にはなっていないが、旗竿に黒いリボンが巻かれている。これには少し感心した。日本人は不思議なくらい国旗を掲げない。今日くらいは国中の公的機関がこのように国旗を掲揚すれば、国民が日本国を思う心が少しは養われるかもしれない。

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