2024年7月20日土曜日

システム障害

 昨日からマイクロソフトのシステム障害(詳細は分からぬが、クラウドサービスを受け持つ子会社らしい)で、世界中が大騒ぎになっていたことを今朝になって知った。小生もずっとwindowsのユーザーなので心配したが、パソコンを立ち上げてみると特段の異常が感じられない。ホッとはしたが、反面では、高価なマシンを使っているくせにその機能を十分に活用できていない幼稚さを改めて痛感。

人間は脳の機能の1割も使いこなしていないとよく聞くが、パソコンもその例に漏れないということだろうと思っている。目の前に鎮座しているパソコン、テレビと同じような画面と100個に満たない押しボタンで成り立っている。繋がっているのは電力を供給する線だけ(ルーターまで来ている光通信は省略)。毎日数えきれない情報がこの薄っぺらな箱の中に齎され、同時にここから発信される情報が瞬時に目的地まで届けられる。

想像を絶するとはこのことを言いうのだ。小学校に入学した時、父が突然復員してきたので、松代と言う田舎町から長野市内の県の官舎に越した時、家の玄関に電話機があって、これが実に誇らしく思ったものだ。首に常時スマホぶら下げ、飛行機に乗ることを恐れない現代人には想像できないだろう。

昨日のシステム障害は、地上の航空システムには相当な被害を及ぼしたようだが、飛行中の航空機には特に障害が出なかったようだ。しかしコンピュータシステムで操縦される飛行機に今後こういった事故の障害が及ばないと誰が保証するのだろう?自動化、無人化も結構だが人力の限界を超えて得られることは望まずに生きるにしくは無いだろう。

今日も又空調が効いて涼しい部屋でパソコンに戯れながら近代文明の有り難さに思いを致しているし、今日のところは助かったと無邪気に喜んでいる。しかし、一旦この環境のどこかに不具合が発生した時を想像するのが怖い。

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