2024年7月10日水曜日

信仰心

 暑さのせいか高齢のせいか、多分両方だろうが最近はブログの内容も支離滅裂、まともに書けたものが少ないと思っている。今日も朝までは読後感を書こうと思っていたが、考えが纏まらないので書名だけにする。2ヵ月くらい掛けて昨日読了したのが「アマテラスの暗号」上下2巻で著者は伊勢谷武氏。もちろん今まで聞いたことが無い人。メルボルンの大学卒業後ゴールドマンサックスのデリバティブ・トレーダーを経て投資家情報関連の企業を設立代表を務める。とブックカバーの見返しには紹介されている。

一種の小説ではあるが、日本人の歴史に大昔のユダヤ人が大きな影響を及ぼしたことを、旧約聖書や日本の古代文献を参照したり、日本の神社などに残されている古文書等もひも解いて証明していくお話。いつも読んでいる「高野孟のTHE JOURNAL」の中で高野氏が面白いと書いていたので買ってみた。

しかし基本的には宗教が絡む話なので、感想も書きにくい。もともと善光寺の門前町長野市の出なので仏教には何かと縁があり、両親の教えもあったりして今では曹洞宗の菩提寺に対しては敬虔な檀徒のように振舞っているが、これも突き詰めれば住職との人間関係を大切にするだけのもの。逆に言えば精神的に救われるとなれば、神道であろうとキリスト教であろうと何でも構わないから、変なところで手を合わせたり、アーメンと唱えたりしている。

数日前も皇居の竹橋から飯田橋まで散歩してきたが、途中九段坂を横断した時には靖国神社の大鳥居の前で帽子を取って一礼した来た。山歩きしていた頃は至る所に小さな祠があるので、前で休憩する時は何時も一礼は欠かさない。要するに個人的宗教心はいい加減だが、子供心に植え付けられているのが、閻魔さんの怖さ。これが善光寺の本堂に入ると右側からこちら睨みつけている。生前嘘をつくと三途の川べりで待ち受け舌を抜かれると教えられたものだ。

善光寺の本尊は宗派と無関係であることは知っているが、仏教と言う宗教は小生にとって親和性が高い。神道もアマテラスの伊勢神宮と弟スサノオの出雲大社との関係で言うと、信濃路には出雲大社と関係が深い諏訪大社信仰があるのでどっちを応援すべきかが難しい。

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