2024年2月8日木曜日

母の思い出

 今日は暦に仏滅とあったので、先日孫に教わった生成AIを思い出し、面白半分で意味を聞いてみた。答え「仏滅は六曜の中でも最も凶日とされ、「ぶつめつ」と読みます。」とのこと。解釈は多様だが結局結論は「仏滅は、六曜の中で最も凶日とされていますが、絶対に行動を避けるべき日ではありません。最終的には自分の判断で行動するかどうかを決めるのが大切です。」尤もなことだ。毎日似たようなことしかしないのだから、特になにかしたい訳でもない。

しかし今日は何かあったはずだと考えて思い至ったことがある。そうだ今日は母の誕生日だった。ここ数年母の誕生日を意識したことがなかったが、今日思いついたのも何かの因縁だろう。もちろん母は優しかったが、一度だけ有無を言わさず思い切り横面を張られたことがある。確か小学一年か二年生頃だと思う。台所の調理台の小引き出しから1円札を抜き取るのを見つけられてしまった結果だ。見つからなければ近く駄菓子屋で飴でも買ったに違いない。

「欲しい物があれば言えば良い、なんで盗人になるのだ。」泣いて謝り許してもらったような気がする。父も厳格で怖かったが、さすがに幼い頃殴られた記憶はない。どちらかと言えば母の方が生涯厳しかったような気がする。特に嫁を迎えてからは嫁の教育について喧しく言われたが、母の希望には応えられなかった。そもそも若い時から現在に至るまで、家族を含め他人を教化、教育することが苦手なのだ。出来るのはせいぜい一緒に遊ぶことだけだった。

母はその点全く異なり、5人の息子を育てた自信があったので、3男の小生に期待したのは無理ない話だと思う。母に言われてしたことは小学生時代に弟が学校で虐められているらしいとて、ある朝親に代わって弟の教室まで付いて行ったことがあったような気がする程度のこと。父からは大正生まれとからかわれていたが、母は2月8日はまだ明治の女と頑強に言い張っていた。兄が3人いたが、うち二人が東京の大学に進学していたので、母も東京の日本女子大学校に進んだ才女でもあり、文学的才能もあったと思う。料理などの家事は言うに及ばず、素晴らしい母だったと改めて思った。

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