2023年4月10日月曜日

引っ越し

 いつも当日パソコンを立ち上げてから思い出すが、今日は上皇御夫妻のご成婚記念日。即ち65年前の今日、米の配給手長とともに上京した日なのでいろいろなことを思い出すことが出来る。長野から信越本線で上野まで行き、そこから山手線で新宿で下車、徒歩10分足らずで兄が待つ柏木1丁目のアパート(と言っても6畳一間の昔風に言えば棟割長屋)に到着したのは昼を回っていたはずだ。

日が暮れてからのことも色々思い出すことが出来るが、不思議なことに日暮れまでの数時間がまだらボケで、どうしても思い出せない事が多い。思い出せなくても別に差し支えがないが、気になりだすと悩ましい。当時の引っ越し事情を思い出したいのだが、どうしても手順が分からない。ぼんやり覚えているのは、用意した荷物は二つで、一つは布団袋、折り畳める二月堂机を入れた記憶があるが、座布団は無かったような気がする。もう一つが柳行李1個だけ。着替えと日用品の他に多少の本やノートと携帯ラジオを父からプレゼントされて入れた。

てんこ盛りになった中身を押し込んで蓋を〆、麻縄を亀甲縛りで掛けてくれたのが母だったと思う。手荷物の荷札は父が書いて縄にぶら下げてくれた。これを駅までどうやって運んだか思い出せない。また、この手荷物を新宿駅で今度は自分で受け取った筈だが、これをどうやってアパートに運び込んだかも思い出せない。いくら兄が手伝ってくれて二人でぶら下げても1度の往復では済まないだろう。長野の家には自転車があったので、荷台に積んで父と二人がかりで駅まで運んだ可能性はある。

たまたま先月の終わり頃、孫が筑波の大学を卒業して武蔵小杉の単身アパートに移住したとのこと。彼の引っ越しがどうであったか聞いていないが、彼は既に自家用車を持っているので、引越には何の不自由も無かった筈だ。もう一人自宅から近くの日大に通っていた孫は、就職した会社の研修で、名古屋で数ヶ月暮らすらしいが、住居は会社ウィークリーマンションを借り上げて充てがってくれているらしい。現代は米は配給ではないし、住民票も数ヶ月の研修期間に移動する必要は無いだろう。

小生は学生時代から社会人になって結婚するまでに、都内で新宿のアパート、世田谷の下宿、杉並アパート、四谷のアパートと4箇所、結婚後に現住所と大阪で豊中、中津の2箇所。合計7箇所居住地を替えて引っ越しを繰り返してきた。その他に起業してからも事務所を2回替えたので、引っ越し産業の発展史も体感している。人と荷物の移動の変遷で思い出すことは多いが、肝心のことはもうぼやけてしまっている。


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